△佐太神社ー気多大社ー猿田彦神社
佐太神社→猿田彦神社
①107°45′06.66″ ②289°52′55.68″ ③358,236.738(m)
佐太神社→気多大社
①63°57′34.48″ ②246°10′56.86″ ③372,902.769(m)
猿田彦神社→気多大社
①0°52′38.47″ ②180°54′16.97″ ③272,871.185(m)
佐太 . . . 本文を読む
彌久賀神社の位置は偶然ではないと思われます。
といいますのは、
△彌久賀神社ー伊吹山寺―瀧原宮
△彌久賀神社ー高市山―瀧原宮の二つが直角三角形になります。
もちろんその前に、
△彌久賀神社ー高市山ー伊吹山寺
△武寧王陵ー高市山ー伊吹山寺の二つも二等辺三角形であるし、
武寧王陵ー彌久賀神社ー瀧原宮は一直線といって良いです。
120mほど離れていますが、瀧原宮は大きいですし、100mほど北に移動させ . . . 本文を読む
武寧王陵(ムリョンワンヌン)と日本の各地とのつながりが表われているのではないか、とずいぶんとみてきました。
武寧王は百済王ですから、百済と日本の関係は深いものがあると推測できます。
まだあったと思われますが、この中で毛色の違っていると思われるのが武寧王陵と瀧原宮と伊吹山寺と高市山を結んでできる四辺形です。
瀧原宮が現在の皇大神宮(伊勢神宮・内宮)ができる以前の内宮だったと考えて . . . 本文を読む
両子寺は養老2年(718年)に開創されたそうです。
https://ja.wikipedia.org/wiki/両子寺
養老2年(718年)に仁聞菩薩によって開創されたと伝えられる六郷満山の中山本寺で、修行の中心地として栄えた。江戸時代には杵築藩の最高祈願所となり、六郷満山の総持院として満山を統括する立場にあった。
そこで、思い出すのは、出雲大社は現在地に移動したのが716年とされていることで . . . 本文を読む