古代日本史への情熱

記・紀・源氏は魏志倭人伝の奇跡的で運命的な間違い方(逆)の構造どおりに記述されている。倭人伝にあるのは現代史と未来史

無題

2023年12月14日 17時17分00秒 | Weblog
蘇我氏は方墳を造ったそうです。
その他には「出雲国造家」だけが方墳を造るのを許されたそうです。
関裕二氏は「蘇我氏と出雲に関係があるはずだ」、という推測を書かれています。
私の推測でも、スサノヲと卑弥呼臺与(トヨ)の子孫は朝鮮から戻ってきて、出雲にいついていた、ことになっています。
蘇我は「蘇る・我」「よみがえるわれ」で、卑弥呼臺与(トヨ)の復活と重なります。
「神武東征の謎」 
出雲神話の裏に隠された真相      《関 裕二》p122  PHP文庫
蘇我氏と出雲を結びつけるのは、まず第一に「方墳」である。
七世紀、蘇我氏はどういう理由からか、好んで方墳を造営した。
しかも、他の豪族の方墳造営は、決して許さなかった。
この蘇我氏の「特権」が唯一許されたのは、出雲国造家である。
この時期、蘇我氏と出雲国造家だけが、方墳に埋葬された。
 そもそも方墳とは、ヤマト建国後の出雲で盛んにつくられた墳墓である。
その特殊な埋葬文化を、なぜ七世紀の蘇我氏が取り込んだのだろう。
蘇我氏と出雲の間になんらかのつながりがあったとしか思えない。
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そこで、方墳を検索すると
https://kotobank.jp/word/%E6%96%B9%E5%A2%B3-132430
方墳【ほうふん】
墳丘の平面形が方形になる古墳で,墳墓の一形式。東アジアで発展を遂げ,中国の中山王墓や秦始皇陵は有名で,朝鮮北部の高句麗でも石塚,土塚として盛んに築かれた。島根県東部の出雲地方は方墳が特に多い地域として知られ,安来市の三角縁神獣鏡が出土した古墳時代前期の造山古墳はこの時代のものとしては全国でも最大級の方墳である。日本全国に分布しており,千葉県の龍角寺岩屋古墳,群馬県の宝塔山古墳,奈良県の平野塚穴山古墳,宮崎県の常心塚古墳などがある。
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すると、方墳で、高句麗・出雲・蘇我氏が結びつくことになります。
高句麗から出雲に戻ってきていた《スサノヲと卑弥呼臺与(トヨ)の子孫》《天武系》はヤマトに天孫降臨します。
物部氏などの豪族の協力で《スサノヲと磐之媛の子孫の王朝》を破ります。

「蘇我」という名称は「蘇る・我」「よみがえる・われ」となりますから、
復活した卑弥呼臺与(トヨ)にふさわしいことになります。
しつこく主張しますが、「魏志倭人伝」の最大の間違いは、卑弥呼臺与(トヨ)が亡くなって墓が造られた後で臺与(トヨ)13歳が登場しているところです。
百済から戻って来た卑弥呼臺与(トヨ)の子孫は天智系になっています。

、しつこいですが、
乙巳の変(645)と壬申の乱(672)年は実際には無かった、というのが私の空想です。
660年に百済は滅亡しましたが、それ以前から日本に百済人は来ていました。滅亡時にも日本に来た百済人がいたでしょう。
その乙巳の変と壬申の乱の間(645~672)は、天武天皇の治世だったにもかかわらず、百済系が政治の実権を握っていたことにして、百済系が百済を復興させようとして、白村江の戦いをしかけ、唐に逆らったことにしました。
唐に逆らったのは百済の関係者だ、ということにしました。
白村江の戦いは、百済復活のために日本にいた百済の残党が引き起こした戦いだった、ことにしようとしたものです。
元々は、白村江の戦いは、天武天皇と百済王豊璋が共同して、朝鮮・百済を奪還しようと起こしたもののはずです。
しかし、白村江の戦いに惨敗した天武天皇は、百済の百済王豊璋(後に天智天皇に変化します)が唐に逆らって、単独で白村江の戦いを起こしたことにしました。
その場合、その時の日本は百済に牛耳られていたことにしなければなりません。
そして、672年壬申の乱によって、天武天皇が百済の残党を破り、実権を奪い返したことにしました。
さて、その空想の場合、645年の乙巳の変で敗れたことになった蘇我入鹿は、実は天武天皇系の天皇の地位にあった方のはずです。
正統な天武天皇系の王朝は、百済の残党のクーデターにより実権を奪われ、百済主導で白村江の戦いに突入したことにします。
さて私の空想は、それ以前に、出雲に戻っていた卑弥呼臺与(トヨ)・スサノヲの子孫、これは天武系になるのですが、物部氏などの豪族の協力を得て、ヤマトのスサノヲと磐之媛の子孫の王朝を破り、新王朝を樹立しました。

ただし、蘇我馬子には藤原不比等が投影されているところがあります。
そこは厄介です。
天武系が滅びた後で変化させたのでしょう。
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