△光仁天皇陵-桓武天皇陵-阿武山古墳
桓武天皇陵→光仁天皇陵
①157°11′40.35″ ②337°16′25.20″ ③32,781.086(m)
桓武天皇陵→阿武山古墳
①245°37′37.32″ ②65°30′34.34″ ③20,614.306(m)
光仁天皇陵→阿武山古墳
①304°40′11.56″ ②124°28′25.44″ ③38,243.627(m)
桓武天皇陵での . . . 本文を読む
桓武天皇御母陵→長岡宮跡の延長線上に瀧原宮がみえました。
意味があるものなのかどうか、わかりませんが、やってみました。
△桓武天皇御母陵-瀧原宮-大田神社
桓武天皇御母陵→大田神社
①45°17′06.64″ ②225°20′31.36″ ③12,720.714(m)
大田神社→瀧原宮
①141°21′27.24″ ②321°44′14.98″ ③98,277.051(m)
桓武天皇御母陵→ . . . 本文を読む
前回△桓武天皇御母陵-大田神社-長岡宮跡は直角三角形になることをみました。
今宮神社は桓武天皇御母陵-大田神社のほぼ線上にありますから、当然、
△桓武天皇御母陵-今宮神社-長岡宮跡も直角三角形になります。
今宮神社は綱吉生母・桂昌院の関連で「玉の輿神社」とも呼ばれるそうですが、桓武天皇御母である高野新笠も「玉の輿」に乗ったといえないでしょうか。
ただし、近くの平野神社が高野新笠と関連があるとされて . . . 本文を読む
直角三角形になりそうなので,やってみました。
桓武天皇御母陵での角度がもっと直角に近くなるところは,他にありましたが次回。
意味があるとすれば、全くの想像ですが、広隆寺に二体の半跏思惟像があることです。
前回の《△光仁天皇陵-井上内親王陵-広隆寺》と
今回の《△桓武天皇御母陵-長岡宮跡-広隆寺》を合わせると
広隆寺の二体の半跏思惟像の一つは井上内親王(井上廃后)で、一つは桓武天皇御母(高野新笠)に . . . 本文を読む
以下、意味があるかはどうかわかりませんが、やってみました。
井上内親王は光仁天皇の皇后で,お二人の陵と広隆寺を結ぶと二等辺三角形になりそうです。
772年井上皇后は,光仁天皇を呪詛したことで、廃后となります。
広隆寺・霊宝殿には,有名な半跏思惟像があり、もし、井上内親王(井上廃后)と関連づけられるならば、井上内親王の慰霊のための仏像ということになるのではないか、と。
△光仁天皇陵 . . . 本文を読む
一言でいってしまえば、井上内親王陵の真北に長岡京はある、ということです。
またその線を延長すれば広隆寺になります。
桓武天皇は延暦3年(784年)11月11日に平城京から遷都しました。
井上内親王は聖武天皇の娘で,光仁天皇の皇后で、他戸親王を生むものの、光仁天皇を呪詛したとされ,772年に廃后されました。
桓武天皇は光仁天皇と夫人・高野新笠の御子で,773年皇太子になった、そ . . . 本文を読む
高千穂峰は遠目には円錐形にみえるのではないかと、想像しました。
http://www.pmiyazaki.com/taka_sakahoko/
高千穂峰(霧島連峰) Mt.takachihonomine
古事記、日本書紀にも出て来る天孫降臨の地、高千穂峰(1574m)この山は、裾野から見てもその秀麗さは見飽きない。
二つの寄生火山二ツ石と御鉢(おはち)を従え天に立つ高千穂峰。山頂には迩迩芸命(ニニ . . . 本文を読む
仙台・太白山を検索し、その姿に驚きました。
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%A4%AA%E7%99%BD%E5%B1%B1
以前検索してみていたはずですが,驚いたかどうか、覚えていません。
ですが、今回、その直後、上賀茂神社(賀茂別雷神社)を検索し、円錐形の立砂をみて、これは仙台・太白山と似ていると感じてしまいました。
また、立砂は神山(こうやま)を模して . . . 本文を読む