古代日本史への情熱

記・紀・源氏は魏志倭人伝の奇跡的で運命的な間違い方(逆)の構造どおりに記述されている。倭人伝にあるのは現代史と未来史

653年の二つの遷都

2006年02月28日 14時44分39秒 | Weblog
653年の中大兄皇子の難波から飛鳥への遷都とされるものは、710年の藤原宮から平城京遷都から導かれた架空のものです。  710年から繰り返しの57(=19×3)年を引き、方位を90度変更したものです。 . . . 本文を読む

聖武天皇の父は藤原不比等であるⅢ

2006年02月25日 22時57分52秒 | Weblog
元明陵、聖武陵、そして、不比等邸の位置から、彼等は親子関係にある、と推測します。その時、不比等と元明は光源氏と藤壺の関係になります。不比等と氷高皇女(元正)は光源氏と若紫の関係になります。  そのように仮定しますと、その時の文武天皇の気持ちとしては、母・元明、姉・元正を毒牙にかけた不比等が憎くてしかたがないはずです。悲劇のクライマックスの直前です。 . . . 本文を読む

聖武天皇の父は藤原不比等であるⅡ

2006年02月23日 21時31分04秒 | Weblog
 文武天皇の陵は彼の母・元明、姉・元正、子・聖武天皇の陵からも、妃(妻)・宮子の言い伝えの墓所からも離れています。親子・姉弟・夫妻の中心となっていたはずの肝心の人物・文武天皇の陵だけが別の場所にあります。そして、文武のいるべき場所には、代わりに藤原不比等が存在していました。 . . . 本文を読む

聖武天皇の父は藤原不比等であるⅠ

2006年02月20日 17時52分12秒 | Weblog
聖武天皇は藤原不比等と元明天皇(阿閉皇女・故草壁皇子の妃)の間の御子であり、文武天皇の御子ではない可能性が大きいと思われます。 まず、予想される否定的な見解をあげてみます。 . . . 本文を読む

勝手に大和三山の比定

2006年02月17日 13時43分14秒 | Weblog
耳成山はスサノヲ、天香具山は卑弥呼トヨ、畝傍山は磐之姫(スサノヲの正妻)に比定されている。 . . . 本文を読む

天香具山・耳成山・夢殿・阿武山古墳は一直線上に並ぶ

2006年02月14日 16時38分04秒 | Weblog
1月8日のブログには「法隆寺夢殿と阿武山古墳を結んだ線は、阿武山古墳と諏訪大社上社・本宮を結んだ線と直角になる」というものでした。 ところが、天香具山・耳成山・夢殿・阿武山古墳は一直線上に並ぶことがわかりました。ということは、739年(738?)に造られた夢殿は、天香具山・耳成山・阿武山古墳の直線上に、後から組み込まれたものとなります。 なぜだかは、まだわかりません。とりあえず、大和三山にいきます。 . . . 本文を読む

孝徳天皇陵はどなたの陵なのか

2006年02月10日 17時18分11秒 | Weblog
平城京跡と法隆寺金堂の直線上にあるのは孝徳天皇陵であって、聖徳太子御廟所ではありませんでした。 . . . 本文を読む
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再度微修正・法隆寺の建立時期について

2006年02月07日 13時45分11秒 | Weblog
前回、文武天皇を即位させることが、持統・不比等・元明たちにとって重要であることに気がつきました。ところが、文武天皇は、697年に即位したものの、707年には、わずか25歳で崩御していました。持統既になく、不比等と元明は善後策に悩んだはずです。たぶん、この707年に、法隆寺の建立が決定されたはずです。 . . . 本文を読む

「隠された十字架」の変なところ③

2006年02月03日 17時50分31秒 | Weblog
皇極三年(644)、神祇伯を固辞した鎌足は軽皇子(後の孝徳天皇)を尋ねます。軽皇子は鎌足の来訪を喜び、寵妃に寝所の世話をさせます。これも持統三年(689)の不比等の姿です。ここで、不比等は大胆で、生々しい告白をしています。 . . . 本文を読む