継体天皇には三つの崩年がありました。
527年・丁未年 古事記の継体天皇崩年
531年・辛亥年 日本書紀の継体天皇崩年
534年・甲寅年 日本書紀の継体天皇崩年
これに関しては、今までもやっていましたが、これを三人の継体天皇が存在したから、と考えてみたらどうでしょうか。
武烈天皇の次は継体天皇ですが、武烈天皇と継体天皇の間には断絶があります。
武烈天皇はその王朝の最後であり、そこから別系統の継体 . . . 本文を読む
「魏志倭人伝」は二人の卑弥呼を同一人物と勘違いしました。
そのために、時の流れが逆になったり、北九州の奴国と近畿の大和を同一の地と間違ったりしてしまいました。
「ヤマタイ国」などという国はありません。
ですから、「ヤマタイ国」がどこにあるか、と探すのは無理な話で、無駄なことです。
ただし、二人の卑弥呼を同一人物にしたという「魏志倭人伝」の間違いは卑弥呼の復活を表すことになったために重要でした。
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