大国主命は出雲、
沼河比売(奴奈川姫)は翡翠の産地の糸魚川の出身
天孫降臨の先触れの時に、二人の子の建御名方命は、建御雷神に敗れ、諏訪に逃げ、封じ込められました。
この三地点を結びます。
剣の名前を持つ神の子の建御雷神に建御名方命は敗れます。
建御雷神の父は伊都之尾羽張神ということだそうです。
しかし、建御名方命は高市天皇や文武天皇が投影されていると思えます。
高市や文武は軽皇子で「軽」は朝鮮語 . . . 本文を読む
http://www.seisaku.bz/nihonshoki/shoki_29.html
(十三年)庚辰、遣淨廣肆廣瀬王・小錦中大伴連安麻呂及判官・錄事・陰陽師・工匠等於畿內、令視占應都之地。是日、遣三野王・小錦下采女臣筑羅等於信濃令看地形、將都是地歟。
《工匠らを畿内に遣わして。都を造るのに適当な所を視察し占わせた。
この日、三野王・小錦采女臣筑羅 . . . 本文を読む
酒折宮、熱田神宮はヤマトタケル関連です。
http://blog.goo.ne.jp/go-hot-ai2395/e/16590b034ffc9ddc34c746d6d7da1cdf
酒折宮の位置 Ⅲ 2009年06月04日
《さて、ヤマトタケルは酒折宮を出立した後、信濃にいきますから、新治村・酒折宮・諏訪大社の位置関係をみてみます。》
ところで、翡翠で有名な糸魚川とヤマトタケルはどう関係するで . . . 本文を読む
なんだか、ちっとも進歩していませんし、物忘れもひどいようですが、ともあれ、続けています。
熱田神宮はヤマトタケルと関係が深いはずです。
ヤマトタケルがミヤズヒメのもとに置いていった草薙の剣があるはずです。
また、⊿伊勢神宮・内宮-焼津神社-熱田神宮は直角三角形になり、ヤマトタケルのたどった道筋となっています。
ヤマトタケルには高市皇子が投影されています。
しかし、高市皇子(天皇)登場以前にヤマト . . . 本文を読む
単に前回のやり残しの続きです。
どちらも、91度を少し超えていますけれども、直角とみなしていいと考えます。
もちろん意味はあるはずです。今のところ、わかりませんけれども。(考慮中にします)
B・⊿熱田神宮-石上神宮-瀧原宮
熱田神宮→石上神宮
Ⅰ239°00′53.25″ Ⅱ58°24′38.58″ Ⅲ113,074.421(m)
熱田神宮→瀧原宮
Ⅰ207°48′52.76 . . . 本文を読む
熱田神宮-石上神宮-高千穂峰は一直線上といっていい、ということを前々回見ています。
神武天皇は物部氏の祖先の饒速日命を天孫の一員であることを認めていました。
そして、石上神宮は物部氏が祭祀していました。
また、尾張氏は《熱田神宮大宮司を代々務めた》そうです。
ウィキペディア
《美濃・飛騨などに居住の後、乎止与命のときに尾張国造となる。倭武の時代には、熱田の南に拠点を移し、その後裔は熱田神宮大宮司を . . . 本文を読む
とりあえず、一応の確認のため、以前やったであろうことですが、都合により再検討です。
石上神宮-熱田神宮がらみは次回。
⊿武寧王陵-高千穂峰-石上神宮・熱田神宮
《武寧王陵-高千穂峰-藤原宮跡辺り》
武寧王陵-高千穂峰の直線が高千穂峰で直角になるのは藤原宮というのが基本だったと考えられます。
ただし、高千穂峰-石上神宮も直角といっていいでしょう。範囲としては認められるでしょう。
武寧王陵で検討しまし . . . 本文を読む
前回は
《武寧王陵-高千穂峰-藤原宮跡辺り》を検討しましたが、首都という関連でみるならば、武寧王陵のある公州(コンジュ)市は百済の首都「熊津」のあったところで、百済の都と日本の都が対応しているという推定を働かせるならば公州(コンジュ)と藤原宮を対比すべきでした。ただ、「熊津」の宮の位置がわからないということ、また日本からの直線が公州(コンジュ)の北側に行くことが多いために武寧王陵を選んでいました。 . . . 本文を読む
以前やったのは
http://blog.goo.ne.jp/go-hot-ai2395/e/91c2417d43433d37601ac35c0dbec20d
⊿武寧王陵(ムリョンワンヌン)-高千穂峰-高鴨神社・飛鳥,その他
2014年07月29日
武寧王陵-高千穂峰の直線が高千穂峰で直角になるのは、最初、高鴨神社かと思いましたが、飛鳥全体といっていいのだろうと推測しました。
しかし、ここにきて、 . . . 本文を読む