繰り返します。
西暦590年頃、卑弥呼の子孫が出雲から戻って王権を獲得したと、考えています。
前王朝と豪族が対立し、豪族は、朝鮮から日本に戻って出雲近辺に居ついていた卑弥呼・臺与(とよ)の子孫を担ぎ上げたのだろうという想像です。
魏志倭人伝が卑弥呼の復活を預言していたために、それが利用されました。
さて、607年、日本の王は隋に使者を送りました。
この王は、卑弥呼の子孫で、590年頃に王位につき、 . . . 本文を読む
645年乙巳の変で殺されたのは、「悪の蘇我入鹿」でしたが、初めの構想は違っていたのではないでしょうか。
当初、大海人皇子(天武天皇)の父に当たる人ではないか、としました。
(しかし、中大兄皇子(天智天皇)、大海人皇子(天武天皇)が兄弟というのも違和感がありますし、その二人の父となると、しっくりきません)
そこで、思いついたのが、聖徳太子です。
乙巳の変で殺されたのは「聖徳太子」だった、というのはど . . . 本文を読む
神武東征・ちょっと付けたし
「神武東征」は最初の方でずいぶんやっています。
以下、初めて気がついたみたいな気になってますが、忘れているだけかもしれません。
秦氏 ウィキペディア
『日本書紀』で応神天皇14年(283年)に百済より百二十県の人を率いて帰化したと記される弓月君[2]を秦氏の祖とする[3]。
日本へ渡ると豊前国に入り拠点とし、その後は中央政権へ進出していった。
秦氏はまず「豊前国」を . . . 本文を読む