古代日本史への情熱

記・紀・源氏は魏志倭人伝の奇跡的で運命的な間違い方(逆)の構造どおりに記述されている。倭人伝にあるのは現代史と未来史

聖徳太子一人で天武天皇系を表すと、想像します

2021年10月29日 14時46分37秒 | Weblog
繰り返します。 西暦590年頃、卑弥呼の子孫が出雲から戻って王権を獲得したと、考えています。 前王朝と豪族が対立し、豪族は、朝鮮から日本に戻って出雲近辺に居ついていた卑弥呼・臺与(とよ)の子孫を担ぎ上げたのだろうという想像です。 魏志倭人伝が卑弥呼の復活を預言していたために、それが利用されました。 さて、607年、日本の王は隋に使者を送りました。 この王は、卑弥呼の子孫で、590年頃に王位につき、 . . . 本文を読む

再度 乙巳の変、壬申の乱がなかった考えると、

2021年10月21日 16時05分05秒 | Weblog
645年乙巳の変で殺されたのは、「悪の蘇我入鹿」でしたが、初めの構想は違っていたのではないでしょうか。 当初、大海人皇子(天武天皇)の父に当たる人ではないか、としました。 (しかし、中大兄皇子(天智天皇)、大海人皇子(天武天皇)が兄弟というのも違和感がありますし、その二人の父となると、しっくりきません) そこで、思いついたのが、聖徳太子です。 乙巳の変で殺されたのは「聖徳太子」だった、というのはど . . . 本文を読む

神武東征・ちょっと付けたし

2021年10月08日 20時53分16秒 | Weblog
神武東征・ちょっと付けたし 「神武東征」は最初の方でずいぶんやっています。 以下、初めて気がついたみたいな気になってますが、忘れているだけかもしれません。 秦氏 ウィキペディア 『日本書紀』で応神天皇14年(283年)に百済より百二十県の人を率いて帰化したと記される弓月君[2]を秦氏の祖とする[3]。 日本へ渡ると豊前国に入り拠点とし、その後は中央政権へ進出していった。 秦氏はまず「豊前国」を . . . 本文を読む