古代日本史への情熱

記・紀・源氏は魏志倭人伝の奇跡的で運命的な間違い方(逆)の構造どおりに記述されている。倭人伝にあるのは現代史と未来史

石見一宮物部神社の位置について  空想

2023年11月24日 12時17分34秒 | Weblog
あくまでも空想です。あしからず。
以前にやっているように、
石見一宮物部神社の位置は出雲大社と宇佐神宮の直線上にあります。
なぜ、物部氏の神社がこの位置にあるのでしょうか。
普通に考えると奇妙です。
というのは、この石見一宮物部神社の位置は、卑弥呼臺与(トヨ)の復活を防ぐものに見えます。
「宇佐」は卑弥呼臺与(トヨ)が北九州からスサノヲの元に向かった出発地点です。「因幡の白兎」とは「卑弥呼臺与(トヨ)」のことで、「宇佐からやってきた神」で「宇佐・木(ウサギ)」で、「卑弥呼臺与(トヨ)」を嘲り、揶揄したものです。
そして、卑弥呼臺与(トヨ)が殺害され、子孫が朝鮮に逃亡し300年過ぎた後で出雲に戻ってきて、(出発をしたのが出雲だったとは限りませんが)その後出雲から「卑弥呼臺与(トヨ)」の子孫は大和に「天孫降臨」したはずです。
孫というのは長い年月を象徴しています。
また、「石・磐」は、嫉妬に駆られて卑弥呼臺与(トヨ)を火災によって殺したスサノヲの正妻・磐之媛を象徴したものです。
ですから、「石見一宮物部神社」の位置は、卑弥呼臺与(トヨ)の子孫の復活を妨害する位置のはずです。「石・磐」は卑弥呼殺害の象徴です。復活どころの話ではありません。
しかし、物部氏は「卑弥呼臺与(トヨ)」の復活、要するに、卑弥呼臺与(トヨ)の子孫を復活する手助けをしたはずです。
なぜなら、物部氏がついた方が「勝利」をつかんでいるからです。
卑弥呼臺与(トヨ)(子孫)は復活したはずです。
しかし、しつこく言えば、石見一宮物部神社の位置は卑弥呼臺与(トヨ)の復活、すなわち、卑弥呼臺与(トヨ)の子孫が復活を妨げるにふさわしい位置です。
しかし、実際には、卑弥呼臺与(トヨ)は復活しました。
「魏志倭人伝」では卑弥呼臺与(トヨ)の墓が造られた後で卑弥呼臺与(トヨ)が現われた、ことになっています。もちろん、間違いです。
出雲に卑弥呼臺与(トヨ)の子孫が戻っている、という情報が大和のスサノオと磐之媛の子孫の王朝に届いたとします。
そして、スサノオと磐之媛の子孫の王朝は物部氏に卑弥呼の子孫を見張れ、という命令を出したのではないか。
もっと想像しますと
300年以上前の話だから、卑弥呼臺与(トヨ)の子孫が戻っていても復活して王権につくなんてことはないと、その王朝は考えていたとしても、「物部氏」がヤマトにいるのも「うざったい」だったかもしれません。
武力の物部氏を中央にいさせない方が落ち着いたかもしれません。
元明天皇は儀式で物部氏が弓の弦が音を出すのに、おびえたことがありました。
「ますらをの鞆(とも)の音すなりもののべの大臣楯(おほまへつきみたて)立つらしも」
これは、元明天皇の時代ではなく前王朝の時だったのではないか。
《第一、元明天皇の時代はなかったと考えています》

浦島太郎が戻って来たように300年ほども離れていたはずですから、物部氏と卑弥呼臺与(トヨ)の子孫が結びつくこともないと考えたかもしれません。
しかし、物部氏は卑弥呼臺与(トヨ)の子孫と結びつき、復活の手助けをすることになりました。

すると、石見一宮物部神社の位置はおかしいです。
前王朝は物部氏を中央から地方に追放しようとしたのかもしれません。
そして、この位置は、前王朝の命令通りに、物部氏が卑弥呼臺与(トヨ)の子孫の復活を阻止した、ということを証明しようとしたものではないか、
ずっと後になって、たたりの概念が生じた後に、前王朝のたたりを恐れた物部氏は、のちの卑弥呼臺与(トヨ)の子孫の王朝(いわゆる天武・天智系)と相談して、卑弥呼臺与(トヨ)を復活させないであろう地に物部神社を造るように頼んだのではないか。

卑弥呼・臺与(とよ)の子孫が戻ってくるまでのヤマトの王朝はスサノヲと‘磐の姫’の子孫が続いていたと考えています。
その王朝は6世紀の後半に滅びます。











石見・物部神社は出雲大社と宇佐神宮の線上2008年07月24日
https://blog.goo.ne.jp/go-hot-ai2395/e/a5e36ee0db152b5ff9c3f292023db8d0

物部はなぜ石上になったかの空想 2016年01月02日
https://blog.goo.ne.jp/go-hot-ai2395/e/0bceee697ec6687406e61d12bcb5443b




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