前回の写真の安土山のところを拡大したものです。
公州(コンジュ)-東近江・百済寺の直線と
諸塚山-諏訪大社下社秋宮の直線の交点が安土山(安土城跡)であることを示す写真です。
(グーグルアースの威力炸裂ですな。)
しかし、問題は、安土の意味です。 . . . 本文を読む
「安土」という地名は織田信長が命名した、という説は井沢元彦氏が主張されているものと記憶していました。
そして、それは正しいのだろうと、考えていました。
「岐阜」という地名と同じものとされていた気がしていました。
そこで、『逆説の日本史』の冒頭を読み直したところ、正確にはそうではありませんでした。
ですが、信長が強烈な意思を持って「安土」という名前を「選択」した、と書かれていました。
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阿武山古墳の位置は極めて重要だと思われます。
ところが、どうしてもうまくいかないことがでてきます。
諏訪-阿武山古墳-須磨の線が九州のどこを目指すのかはっきりしないのです。
諏訪大社上社本宮-須磨寺と諏訪大社下社秋宮-須磨の浦の直線の交点を阿武山古墳にできることはできるのですが、それがどうしたとなります。
しかし、須磨がスサノオの出身地だと考えますから、この諏訪-須磨の直線は重要なはずで . . . 本文を読む
グーグルアースでは直線しか表示されないで折れ線はできないと考えていたところ、定規のパスを使えば折れ線が表示できることがわかりました。
気づくのが遅すぎましたが、正確な三角形もできますし、正確な交点も容易に見つけることができるはずです。
肝心な点を拡大・縮小できるために、全体的な形もわかれば、肝心な部分もある程度わかりやすいのです。
そこで、諏訪大社上社本宮と須磨寺を結んだ線と、諏訪大社下社秋宮と須 . . . 本文を読む
阿武山古墳と諏訪大社上社本宮を結んだ線の五個荘清水鼻町の部分を拡大したものです。
以前は、ここで天智天皇(実は百済王豊璋)が落雷にあったと考えました。
2006.12/1
http://blog.goo.ne.jp/go-hot-ai2395/e/2f27a36a6dc9bc1dee16230b4becd00d
五個荘清水鼻
北緯35度8分25秒、東経136度10分27秒
http://w . . . 本文を読む
図の直線は諏訪大社上社本宮と阿武山古墳を結んだ線です。
(右側に映っているのは蛍光灯です。投稿した後で気がつきました。すみません。)
聖徳太子が飛鳥から斑鳩宮に移動したという話は、百済王豊璋が蒲生野から大津に移動したという話を90度変化させた架空のものと考えます。
すっきりといかない点もありますが、二つの直角をあわせると何とかなりそうです。
仮に、単純に飛鳥から斑鳩の方位を南から北と考えてくださ . . . 本文を読む
図の直線は東近江・百済寺と公州(コンジュ)を結んだ線です。
前々回の図は伊勢神宮・内宮-出雲大社の延長線で、今回の図とは違っています。
(訂正しました。公州(コンジュ)からの二つの線は、出だしではあまりわかりません。もちろん、到達点は伊勢神宮・内宮と東近江の百済寺ですからかなり離れています。)
この線上のどこでも、白頭山-公州(コンジュ)の直線が公州(コンジュ)で直角となります。
その線上には安 . . . 本文を読む
図の右端が百済寺で、左端が阿武山古墳、右の上が清水鼻というところで、下が太郎坊宮です。
以前、白頭山-《百済の首都であった扶余(プヨ)》の直線に対し直角となる日本の地は斎宮跡ではないか、としました。
しかし、扶余(プヨ)での角度91度でした。2007.7/27
少し大きいといえるのですが、他に適切な地が見つけられなかったために、斎宮跡を目指したものだと考えたのです。
しかし、現在では阿武山古墳の . . . 本文を読む
公州(コンジュ)
北緯36度27分20秒、東経127度7分26秒にします。
ただし、図に見える線上やその延長線上ならば、どこでもいいです。
(もちろん、ある程度の幅を持つ線になります。計算がそこまで正確ではないでしょうから)
直角に曲がっているような川が錦江(クムガン)です。
このとき
公州(コンジュ)、出雲大社、平城京・朱雀門、長屋王邸跡、伊勢神宮・内宮は同一測地線(一直線)上になります。 . . . 本文を読む
A白頭山、B平壌(ピョンヤン)、Cソウル(汝矣島(ヨイド))、D公州(コンジュ)・武寧王陵、E扶余(プヨ)、F光州(クァンジュ)、G熊野本宮大社、H東近江・百済寺
本日検討するのは、A-D―Hの三角形です。
白頭山-公州《(コンジュ)・武寧王陵》の直線が、公州・武寧王陵を直角とするような日本の地はどこでしょうか。
必ず、意味のあるところがでてくるはずと確信し、いろいろ試してみました。
気比神 . . . 本文を読む