藤原は、もともと、不比等にだけ授けられた姓ではないでしょうか。
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%97%A4%E5%8E%9F%E6%B0%8F
《藤原氏の祖である中臣鎌足は、中大兄皇子(天智天皇)とともに乙巳の変から大化の改新に至る諸改革に携わった。その後功績を称えられ、死の直前に天智天皇から藤原朝臣姓を与えられたとされる。藤原の名は鎌足の生地・大和国高市郡藤 . . . 本文を読む
「橘」は物部氏を表しているのではないか、と考えていました。
「たちばな」の「たち」は「太刀」で、武器を表し、物部氏は武力派です。
物部守屋が敗れたとき、散り散りになり、中には名を変えたものがいるとありました。
それが「橘」だったと考えました。
https://blog.goo.ne.jp/go-hot-ai2395/e/3f78857da03451aff9c6898acc19a3b1
用明天皇に . . . 本文を読む
まるっきり進んでませんが、ともかく、やります。
天武天皇の皇后は持統天皇《鸕野讃良皇女(うののさららひめみこ)》だけ、ということになっています。
大田皇女(おおたのひめみこ)は天武天皇(大海人皇子)が天皇に即位する以前に亡くなっていますから、皇后と呼ばれるはずがありません。
しかし、しつこく、何度も書いていますが、私は、《645年乙巳の変・672年壬申の乱》は無かったと考えています。
663年白村 . . . 本文を読む