前回は宇治で迂回するのは無理があるとしました。
しかし、やはり、宇治での迂回には意味がありそうです。
さて、神武天皇は八咫烏に導かれて北上します。(正確には大伴氏の祖先・日臣)
魏志倭人伝の「載斯烏越」はスサノヲのことで「烏(からす)を戴いて越える」となり、神武天皇にはスサノヲが投影されていることになります。
熊野からの北上について 2017年11月07日
https://blog.goo.n . . . 本文を読む
平等院→東大寺→三輪山が一直線上だったことは見たことがありました。
その延長線は熊野速玉大社に行きつきました。(気がつきませんでした。忘れただけかしら)
もう一度、この直線を検討してみると
高麗寺跡や石上神宮も線上にありそうです。
グーグルアースで見ればわかりますし、煩瑣ですので、とりあえず、
平等院-石上神宮-熊野速玉大社だけ検討します。
平等院→石上神宮
①172°50′06.43″ . . . 本文を読む
平等院の位置に関しては、今までも結構やっていました。
東大寺大仏殿-平等院鳳凰堂は阿武山古墳-紫香楽宮跡と直角
2010年09月23日
https://blog.goo.ne.jp/go-hot-ai2395/e/d94b1cae7568c435cb7e66bdcabdc05b
平等院鳳凰堂の位置 2010年09月20日
https://blog.goo.ne.jp/go-hot-ai2395 . . . 本文を読む
出雲崎-皇大神宮(伊勢神宮・内宮)
出雲崎-伊弉諾神宮の直線に対して、出雲崎から真北に上がる直線で、
皇大神宮(伊勢神宮・内宮)での角度、伊弉諾神宮での角度が直角になるのは
天智天皇陵ではないか、と初め予想していました。
しかし、直角より少し小さく出ます。
〈天智天皇は実在しませんが〉思い起こせば、天智天皇陵の位置は、靴が落ちていた位置で決められたもので,天智天皇がなくなったのは、もっと北の森の中 . . . 本文を読む
黄色の線は御神島-高松塚古墳です。
次は御神島-出雲崎。
しかし、御神島にしろ、出雲崎にしろ、幅がありピッタリ一点になるわけではありません。
要するに,「大文字送り火」の位置を南北の線は通ります。
また、伊弉諾神宮-皇大神宮(伊勢神宮・内宮)の線上に高松塚古墳はのっていないのではないか、と危惧されましたが、それぞれの神域、敷地とまで広げれば線上にあるといって間違いありません。
また高松 . . . 本文を読む
何度もやっていることで恐縮ですが
皇大神宮(伊勢神宮・内宮)-平城京・朱雀門-出雲大社―百済・武寧王陵
は一直線でした。
平城京・朱雀門としましたが(長屋王邸・元興寺・新薬師寺)も一直線上でした。
また天智天皇陵→出雲崎は真南で、その線上には長屋王邸、高松塚古墳が存在します。
また、瀧原宮-平城宮跡・長屋王邸-白兎神社-安鶴宮跡はほぼ一直線上で
出雲崎→出雲大社の延長線も安鶴宮跡に行きつきます。
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