崇峻天皇陵も春日大社-談山神社の線上にありそうです。
崇峻天皇は「日本史の中で、臣下により暗殺されたと正史に明記されている唯一の天皇である。」とのことです。
しかし、何度も主張しますが、私の考えでは「崇峻天皇」には「文武天皇と長屋王(天皇)」が投影されていると考えています。
「日本書紀」の崇峻天皇の五年十一月条に「馬子宿禰、群臣を詐めて曰はく、「今日、東国の調を進る。」という。乃ち東漢直駒(やまと . . . 本文を読む
忘れていることも多々あり、進歩がありませんが,ともあれ続けます。
以前もやっておりますが、「729年長屋王の変」で物部氏は登場していないようです。
しかし、おかしい。
物部氏は勝ち組についているはずですから、長屋王の変では藤原氏と協同していなければ変です。
物部連麻呂は藤原宮に留守居役として残ったことにされていますから、平城京で起きた乱には参加できなかった、ことにしたかったのでしょう。
(それ以 . . . 本文を読む
蘇我氏は方墳を造ったそうです。
その他には「出雲国造家」だけが方墳を造るのを許されたそうです。
関裕二氏は「蘇我氏と出雲に関係があるはずだ」、という推測を書かれています。
私の推測でも、スサノヲと卑弥呼臺与(トヨ)の子孫は朝鮮から戻ってきて、出雲にいついていた、ことになっています。
蘇我は「蘇る・我」「よみがえるわれ」で、卑弥呼臺与(トヨ)の復活と重なります。
「神武東征の謎」
出雲神話の裏に隠 . . . 本文を読む