諏訪ー諸塚山の線上に長岡宮跡があったとして,桓武天皇の父、光仁天皇の陵は何処にあったのでしょうか。
長岡宮の位置を決める時に考慮されたとしてもおかしくありません。
そして、見たところ、どうも、直角になりそうです。
また、
諏訪ー諸塚山ー朝鮮という直角三角形は日本と朝鮮を結ぶものです。
(△日光東照宮ー諸塚山ーピョンヤン(平壌)・安鶴宮跡
その他、もう一地点高千穂峰があります。
△日光東照宮 . . . 本文を読む
前回、日光東照宮ー諸塚山の直線(測地線)上には安土城跡がのっていることを見ました。
さらに探すと「長岡宮跡」も線上になりそうにみえます。
正確には、長岡宮跡は日光東照宮ー諸塚山の線上と少し離れていました。
ですが、諏訪大社下社秋宮―諸塚山にするとピッタリ線上に乗っていました。
もちろん、もともと、桓武天皇が長岡宮を造営したときに、日光東照宮は存在していません。
桓武天皇は、やはり、諏訪ー諸塚山の直 . . . 本文を読む
安土城跡の位置は、以前からやっていますが、
信長は明智光秀配下の目賀田氏の居城を取り上げて安土城を建設しました。
なぜ、そんなことをしたのでしょうか。
一般的には
《京都に近く、琵琶湖の水運も利用でき、北陸道との位置関係から《「越前・加賀の一向一揆に備えるため」あるいは「上杉謙信への警戒のため」などと推察されている。》(ウィキペディア)ようです。
以前、検討したときは、皇大神宮(伊勢神宮・内宮) . . . 本文を読む
今までやっていることばかりですが、
日光東照宮ー諸塚山の線上には諏訪・御首神社・天智天皇陵が存在します。
日光東照宮ー江戸城天守閣跡ー御首神社ー安宅の関跡はほぼ長方形になりますが、
それぞれ日光東照宮ー御首神社、江戸城天守閣跡ー安宅の関跡は対角線です。
問題はその対角線の延長線です。
既にやっていた線ですが、日光東照宮ー諏訪ー御首神社の延長線は天智天皇陵を通り諸塚山に行きつきます。
《日光東照宮ー . . . 本文を読む