龍門山といっても、私自身、初めて知った名前です。
いかにも風水を思わせる名前ですので結びつけてみました。
検索しますと、奈良時代には高畑山という何の変哲もない名前で呼ばれていたものが、龍門山に変えられていたことがわかります。
ちょうど、仙台の太白山が『昔は独活(うど)ヶ森・おどが森・生出森と呼ばれていた』(2007・10/1を参照してください)と同じようです。
http://blog.goo . . . 本文を読む
上の図の難波宮跡を四天王寺に、法隆寺・五重塔を達磨寺に変えたものです。
四天王寺
http://watchizu.gsi.go.jp/watchizu.aspx?b=343914&l=1353059
達磨寺
http://watchizu.gsi.go.jp/watchizu.aspx?b=343525&l=1354224
阿武山古墳-難波宮跡の直線上に四天王寺があります。
阿武山古墳 . . . 本文を読む
A・天智天皇陵、B阿武山古墳、C難波宮跡、D法隆寺・五重塔、E恭仁宮跡
1は∠BAD、2は∠CAD、・・・・14は∠DBE,15は∠EBAということです。
前回の五角形があまりにも形がいいので、こだわってみました。
特に天智天皇陵での66.536度は例の大和三山の(67.5度、67.5度、45度)の二等辺三角形からきているものに違いないと考えたことがこだわりのきっかけです。
ここは . . . 本文を読む
これまでにもこの星の形は出現しましたが、今回はあまり無理がないと思われます。
すべて関連があるはずの地を結んでいます。
http://blog.goo.ne.jp/go-hot-ai2395/e/be58d3e38c31df05a8b467e448ca319c
聖武天皇陵と各地点の位置関係Ⅰ2009年03月14日
では聖武天皇陵から各地点をみました。
今度は法隆寺から各地点をみようとする . . . 本文を読む
もしかすると大変なミスをしたのかもしれません。
簡単に計算しすぎたのではなく、計算結果の判断を間違えたようです。
17cmの違いなら一直線でいいだろうとしましたが、法隆寺境内をかすっていましたが、法隆寺・五重塔ぴったりではなかったようです。
17cmも違っていた、と解釈すべきでした。
舞鶴・法隆寺-藤原宮跡の直線が、実際に通っていたのは、法隆寺金堂・五重塔の境内の鬼門の所でした。
グーグルアースで . . . 本文を読む
別のことをやっていたのですが、わけがあって、試しに、道成寺と平城宮跡を結ぶと法隆寺・五重塔を通りました。
なんでかな、と考えて、法隆寺・五重塔の屋根の避雷針を思い出しました。
どうもすぐ脱線してしまいます。
《平城宮跡は‘ウォッちず’の∴の位置より少し下(南)です。
通りを一本隔てているだけです。
グーグルアースではそちらが平城宮跡になっていました。
西側の第一次太極殿の位置と比べて . . . 本文を読む
『魏志倭人伝』の間違い通りに、古事記・日本書紀・源氏物語などは書かれている、というのが私の説です。
『魏志倭人伝』の間違いでも、特に重要なのが、時の流れが逆転していることです。
それは卑弥呼の墓について表われています。
卑弥呼の墓とされているのは、卑弥呼の墓が造られた後で登場している13歳の「臺与」(トヨ)の墓だからです。
『魏志倭人伝』は「卑弥呼復活」を預言してしまったのです。
そし . . . 本文を読む
以前のものにちょっと付け加えただけです。
まだまとまりません。
蘇我氏
継体崩531 39年差→ 稲目崩570 (569だと38年差)
95年差→馬子崩626 ←60年差 天武崩686
114年差→蝦夷崩645 ←60年差 敏達崩585
114年差→入鹿崩645 ←60年差 敏達崩585
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以前、欽明-敏達-・・・-斉明天皇までの系譜は、天智-天武-・・・-称徳天皇までの系譜のコピーであると考えました。
http://blog.goo.ne.jp/go-hot-ai2395/e/f11d3a0b8e752316f241b556efc1e7ff
《欽明~皇極天皇》の系図は《天智~孝謙天皇》の系図のコピー
2008年12月30日
《欽明-敏達-用明-崇峻-推古――――舒明-皇極- . . . 本文を読む