那冨山墓
2011年04月11日 | 陵
聖武天皇の皇子の墓と伝わります
大黒ヶ芝古墳とも呼ばれます
径が11×7.8mで高さ1.5mの円形墳です
神亀4年(728)閏9月29日に誕生した皇子は翌年の9月、満1歳にも満たず病没
幼くて葬儀は出なかったが、官人と畿内の百姓と全国の郡司は3日間の喪に服し、那富山に葬られたと云う
聖武天皇の皇子(母は藤原光明氏)の名前については不明で、宮内庁では御名不詳としています
基皇子とする説もありますが、これは室町時代に天皇の系図をまとめた『本朝皇胤紹運録』の中で“諱基王”と記されていたことによります
「諱某王」とされていたものを誤って「諱基王」としてしまったという説があります
墓の4隅に、人身獣頭の像を刻んだ石が立っています
奈良歴史漫歩 No.041 那富山墓の隼人石
★所在地;奈良市法蓮町字大黒ケ芝
★交通;近鉄奈良駅より バスで「黒髪奈保町」下車 徒歩5分
★駐車場;なし
★入場料;柵がめぐらされています
★問合せ;
大黒ヶ芝古墳とも呼ばれます
径が11×7.8mで高さ1.5mの円形墳です
神亀4年(728)閏9月29日に誕生した皇子は翌年の9月、満1歳にも満たず病没
幼くて葬儀は出なかったが、官人と畿内の百姓と全国の郡司は3日間の喪に服し、那富山に葬られたと云う
聖武天皇の皇子(母は藤原光明氏)の名前については不明で、宮内庁では御名不詳としています
基皇子とする説もありますが、これは室町時代に天皇の系図をまとめた『本朝皇胤紹運録』の中で“諱基王”と記されていたことによります
「諱某王」とされていたものを誤って「諱基王」としてしまったという説があります
墓の4隅に、人身獣頭の像を刻んだ石が立っています
奈良歴史漫歩 No.041 那富山墓の隼人石
★所在地;奈良市法蓮町字大黒ケ芝
★交通;近鉄奈良駅より バスで「黒髪奈保町」下車 徒歩5分
★駐車場;なし
★入場料;柵がめぐらされています
★問合せ;