明日できること今日はせず
人形作家・写真家 石塚公昭の身辺雑記
 



それにしても何で私は権現様を作っているのだろうか? 権現様は全国各地にある。仏や菩薩が仮の姿となって人々を救う。天狗や不動明王のような、あるいは混ざったような様々な姿をしている。半僧坊は顔は天狗のようだが、由来の浜松は方広寺の開山、無文元選禅師が中国からの帰途、嵐に会うが、そこに現れ無事に船を導く。そんなところは天狗の原型ともいわれ、日本神話のなかで、進むべき道を照らす道ひらきの神とされるまさに猿田彦だろう。 私も要領は判っている。本来グズグしている私とは違う、ヘソ下三寸あたりのもう一人の私が発動し、作りたい、と思ってしまえば、人間イメージした物を作るように出来ている、という養老孟司いうところの仕組みによって作ることになる。そして完成するまでに、いや遅くとも発表するまでに、熟孝の末に作ることを決め、完成したのだ、いう顔をする、というお馴染みの工程 を踏んでいる訳である。



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