たそがれ時のつれづれに

人生のたそがれ時を迎えて折々の記を・・思うままに

税金のムダづかい都市・岐阜・各務原市

2016年11月13日 | 旅行

今朝の新聞折り込みです。わが市岐阜県・各務原市(かかみがはらし)は呆れた税金ムダ使い都市の代表です。
2月に市議選がありますが、24名の定数でわずか2名の良心的市民会派「市政かかみの」杉山元則氏、三丸文也氏の2氏、と共産党くらいしか市民ファーストではないのです。選良を選ぶ市民の民度がお粗末すぎるのではないでしょうか。
今日の新聞は小池都知事が「都民ファースト」が、流行語大賞に選ばれてほしいと述べておられた。

有権者の7.5%にあたる、市役所庁舎建て替え住民投票条例制定を求めたのに、最大会派政和クラブは否決の方針との報道もあります。2月にこの政党の候補を選びますか?

こういう動きがあるのを承知で市は、基本設計業者を決めたと岐阜新聞は報道しています。市は市民を嘗めています。

 

大垣市も似たような動きです。(11月12日朝日)、学校にクーラー設置が先ではないでしょうか。岐阜市や各務原市はクーラー設置が終わっています。

今日はブログネタが多くて3本目です・ 


危ない高山IC

2014年09月09日 | 旅行

左下のトンネルを抜け、すぐ高山ICへ入ります。左上へ国府トンネルが開通し、飛騨市方面へ入る。

先週、雨の中を早朝に東海北陸高速道を関IC~(東海北陸道)~飛騨清見JCT~(中部縦貫自動車道)~高山IC経由で、飛騨高山カントリークラブへゴルフに行きました。
故郷なのでよく道路事情は知っていますが、昨年10月に国府トンネルという新道路が高山ICにつながったことを知らず、左側車線を走っていて新道路なのでナビも反応せず、分岐点の前方にある表示版に気が付いたころは既に遅く、国府トンネルへ迷い込みました。高山ICではなく飛騨市方面へ入ってしまったわけです。国府町で折り返し旧国道41号線を通って戻り、ようやくゴルフ場に到着しました。玄関口で従業員に愚痴ると「地元の人でも迷う」と言いました。高山IC付近は最近大幅に変わったと在所の兄も言っていました。
早速中日本日本高速へホームページから問い合わせました。

”飛騨清見JCT~高山IC間は中日本高速の管理する高速道路ではないのか?
このフォームで中部縦貫自動車道が表示されないのはなぜか?なぜこの区間が無料なのか?
高山IC手前で国府トンネルが開通していて、ナビも反応せずトンネルへ迷い込んだ。なぜ分岐点正面表示だけの表示で予告表示していないのか?危険きわまる、地元の人でも迷うと言っていたが?”

翌日の月曜日に返事が来ました。
”メールを拝見いたしました。
NEXCO中日本のホームページにアクセスいただきまして、誠にありがとうございます。
お客さまよりお寄せいただきましたご意見につきまして、お答えいたします。
この度、ご意見をいただきました中部縦貫自動車道(高山清見道路・高山IC~飛騨清見IC)につきましては、中部地方整備局・高山国道事務所の管理する道路となります。
いただきましたご意見につきましては、当社から高山国道事務所へ報告させていただきました。
回答につきまして、当社から高山国道事務所へあなた様のお名前やメールアドレス等をお知らせさせていただく事にご同意をいただけましたら、改めまして高山国道事務所からご回答させていただきます。
あなた様からのご返答をお待ちしております。

早速同意する旨返信しました。高山国道事務所からはまだ回答がありません。
中日本高速のホームページの路線図では、こんな道路管理区分になっているなんて利用者には理解できません。改善を望みます。
http://dc.c-nexco.co.jp/dc/DriveCompassDiagram.html?ca=tokai

また、ETC割引はマイレージ登録が事前に必要になったことも、新聞テレビなどでも利用者に広報したのだろうか?いつも高速を利用してゴルフに来る友達も知りませんでした。帰宅後面倒なマイレージ登録をしたところです。 


タイ旅行の思い出6

2012年09月03日 | 旅行

楽しかったチェンマイ・ゴルフ旅行は思い出すたびにほのぼのとします。

外食は当方をおもんばかって、夜食は主に日本人経営者の店が多かった。本当は逆が良かったですが。この街は國際的観光都市なので予想より日本人経営の飲食店が多いです。
ビールは部屋の冷蔵庫にはタイビール、SHINGHA BEER(S)が35バーツでした。
お連れはもっぱら少し高いオランダ系のハイネケンを飲んでいました。ハイネケンはどこへ出かけても置いてありました。お連れはビール1本と羽目を外さない飲み方だったのが助かりました。飲むと少し会話が少しくどくなりましたが。
とにかくタイ料理は本格的でなくても、ナイト・バザールの麺類でも本当に美味しいです。

朝はターペー門の旧市街地側レンタル・バイク屋と朝粥屋兼用の店で取ることに決めていました。大鍋に沢山弱火で仕込んであって塩味に香り高いスパイスが利いて、これがメチャ美味しい。市民も鍋持参で買いに来ました。タイは、家で食事を取るのは貧乏人で経済豊かな家庭は外食だといっていました。

他の名物はニュー・ハーフが多いこと。ゴルフ場にも前は3人のニュー・ハーフが勤めていたと聞きました。コンペの日本人会会長さんは私が泊まっているホテルの近く、「ターペー門前広場には、夜も10時半頃絶世の美人が客引きするが、ニュー・ハーフもいる」話されました。

もう一つは、マッサージです。ホテルの部屋には
   THAI MASSAGE  200Baht/hour
  OIL MASSAGE   300Baht/hour
   FOOT MASSAGE  200Baht/hour
と案内してあって、1ヶ月前両下肢静脈瘤手術を受けた身で、こわごわOIL・FOOT MASSAGEを、フロント・ロビーのマッサージ・ルームで3回ほどやりました。ルームサービスのマッサージは受けませんでした。

帰国は一人旅になりましたが、すっかり余裕でトランジットのバンコク國際空港では、乗り継ぎ便のゲートに変更がないか案内所で確認すると、「ハー」と案内嬢が答えました。ハーはタイ語数字の5のことで、5番ゲートです。

夜、11時半頃バンコク空港を出航、中部国際空港行きタイ航空ボーイング777、エコノミークラスは1列10席でさすがに狭く、皆旅疲れですぐ寝入ってしまいました。
翌朝、明け方のベトナム上空あたりでしょうか、窓から下をみると暗闇の下界に宝石箱を散らしたような、高度2万フィートからの夜景は忘れがたい絶景でした。

夜もすっかり明けて日本の上空に差し掛かると、猛毒のチャドクガが葉っぱに並んでいるような、ゴルフ場風景がつぎつぎ眼下に見えます。韓国旅行でも沖縄旅行でもそう思いました。

海外旅行は沢山行きたいと願いましたが、退職後4年で妻と永別し、タイ旅行から1年置いてガンを発病し、つぎつぎと見つかり、この旅行の年から7年で6回目の手術を控えています。
少し後遺症もあり、もうどこへも行けないでしょう。
このチェンマイ旅行へ連れていってくれた、ゴルフの知人に深く感謝しています。


タイ旅行の思い出5

2012年09月02日 | 旅行

ターペイ門とソンテウ 城壁内側のムーン・ムアン通り 毎日散歩に行った
チェンマイは歴史のある城郭都市で真四角の掘割に囲まれた旧市街がある

チェンマイのゴルフの巻
 11日間の滞在でフライトの往復2日を除き全て9日間ゴルフをやりました。
 ランナ・ゴルフ・コースで8回 グリーンバレー・カントリークラブで1回です。

ランナ・ゴルフ・コースの特徴
・大変大陸的でおおらかです。フロントで料金を前払いし、スタート地点へ行きますと、そこに机一つの係りの女性がいてスタート順を指示されます。
・到着順に一組6人スタートです。以前は9人一組だったそうです。
・スタート順はくじ引きやジャンケンは必要なく準備の整った人から打ってよい。
・引きつづき次ぎのホールもスコア順は関係ありません。打ちたい人から打って出てよろしい。
・同伴者の他人のスコアは知らなくてよいのです。
・スコアカードは専属キャデイがつけてくれるので、悠然と殿様気分で打って行けばいいのです。
・注意することは危ないので人の球の前に出ないことだけです。
・一緒の組には観光客が多く、アメリカ人の一人客、韓国人の二人客とか、日本人の世界を回ってゴルフを楽しんでいる人、タイ人の上流夫人などが一緒になりました。上流夫人は上がったらボトル飲み物をご馳走され、「コウプンクラッ(ありがとう)」と言うと、ニコッとされました。
・18ホール・スループレーで、途中に果物や飲み物の茶店はありますが、日本のように長い待ち時間があり、昼食を取らせるシステムはありません。これは日本独自だそうです。
・昼食は18ホール終わってからとります。シャワーはあるようですが誰も入りません。
・とにかくのんびり、飛距離もスコアもスイングも関係なく、他人に迷惑をかけず干渉しない、のんびりゴルフです。
・あるとき、6人が打ち終わると、バックティからすごい球が頭上を越えていくので、ビックリして振り返るとコース専属のプロでした。私のお連れさんは、何度も対戦していて、遠くから「○○さ~ん」と呼びかけてくる仲でした。
・毎週金曜日は、チェンマイでロングステイしている日本人の定例コンペで、お連れさんはもう旧知の仲間で、「またお世話になります」と入れていただきました。
・会費は自己申告の罰打で、バンカー、OB、池ポチャ、4パットひとつが100バーツの罰金、その会費を食事代に充てます。入賞順位は関係なく10人ほどの常連さんでした。
・日本の円は約3倍の値打ちがあり、人件費や生活費が安いチェンマイのロングステイは極楽のようです。ただ、車など贅沢品は中古車でも高いということでした。庶民の足はバイクです。
・ランナ・ゴルフ・コースは陸軍の厚生施設、国営ということなのに何十万円かする会員券を発行していて、お連れさんもメンバーでした。練習レンジとかスポーツジム、スイミング、競馬場などの施設などの総合スポーツセンターです。
・競馬は土曜日のみの開催で、コースの一部は競馬場の走路もあって、競馬の日は柵を越えるところに係がいて、通行を誘導されます。

グリーンバレー・カントリークラブSummit Chiang Mai Green Valley Country Club)の特徴
・一日だけもう少し離れた、池の多い名門コースへ送迎つきで連れて行っていただきました。
・送迎と紹介者はチェンマイ・プラザ・ホテル(Chiang May Plaza Hotel)前で、飲食店を経営され、クラブメンバーの在タイ日本人の方です。
・このコースは日本的情緒のあるきれいなコースで、組み合わせ人数は普通です。
・コース途中の避難小屋の屋根下に、会員のマスコットになっている、ヤモリのつがいが住んでいると案内され、日本のヤモリより大きいヤモリ夫婦を見ました。

タイは常夏の国で乾季と雨季の2シーズンです。乾季は11月頃から3月くらいまで、雨季はシトシトと降りつづき、日本のような急峻な山岳地形でなく、平坦な平野の国なので、昨年のように国全体がビショビショに倦んで大洪水になるようです。チェンマイは祭りが多い街だと聞きました。
日本の車、電機メーカーが多く進出し、日本人には好意的で親近感をもって接してくれます。
ゴルフコンペの日本人会会長さんは私と同年で、世界300数十ヵ国のうちタイは上位の国だと申されました。


タイ旅行の思い出4

2012年09月01日 | 旅行

変なプレゼントを貰うの巻
チェンマイにも少し慣れ、旅は終わりに近くゴルフプレーの後ホテルへ帰り、一風呂浴び一休みして、その後街へ一人で散歩に出ます。
ぶらぶら歩いて、人や街をみたりホテル近くにあるコンビニで飴玉やお菓子などを買ってレジで清算していたら、後ろからポンと肩を叩かれ、英語で「オー・ジャパニーズ・ノー・プロブレム?」とタイ人の中年男性に声をかけられました。
私は「オー・サンキュー」と適当にあしらうと、男性は缶ビールを手にしていて「ビールが好きか」と聞いてきました。「アルコールは健康によくないので飲まない」と答えると「私はビールが大好き、息子も娘も好き」とつづけて、窓から見える隣の私のオフィスに寄っていかないかと熱心に誘いました。彼のオフィスは旅行社で看板が窓越しに見え、レジの大学生らしいバイトの男性は笑っていました。コンビニは日本のセブンイレブンです。

言葉の通じない外国で知らない人について行くのはご法度です。特に女性は危険です。旅行社ならまあいいかと、少し大胆になり付いて行くと、若い女性が机に一人勤めていました。
彼は店長席に座り机の引き出しからビデオのDVD2枚を取り出し、私にプレゼントすると言います。DVDは何と日本のアダルトビデオでケースの写真はいかがわしい裸体の豪華版です。
日本製なので性表現は合法物だろうと推定しました。
「ノ・ペイー?」と聞くと「イエス」といいます。少し心配して彼の名前と住所を書いて欲しいと頼むと、メモ用紙に名前を手書きし、住所はゴム印を押してくれました。

隣の若い女性事務員は笑っています。お礼を言って外でオフィスの写真を撮りホテルへ帰ると、折り良くホテルの中年女社長がいました。近所の旅行社なのでメモとビデオを「どう!貰ってきた」とふけらかすと、社長は笑って見ながら、「ノー・イミグレーション」と、フロント姉さんの二人は笑いました。そんなものはどうでもいいのでチップを頂戴と社長自ら云うので二人にそれぞれ100バーツ差し上げました。

翌日、DVDを貰ったと同行者に話すと彼は呆れて、「捨ててしまえ、税関で罰金物だ」と叱られました。ロングステイする彼と別れ、帰国の最後の外食で「あのビデオを持っているのか」と聞かれ、また叱られ捨てるように言われるので、彼の女性に「捨てて下さい」と渡すと、彼女は「写真がよくないね、ワタシ見る」と引き取ってくれました。
その後で用事があったのか彼女の家へ寄り、家に入り家族と挨拶しました。

11日間の旅が終わったのは11月の終わりで、年末にかけ日本は大雪に見舞われました。
その風景を写真に撮り、ビデオをくれた旅行社のマスターに年賀状でお礼を送りました。
年も明けた2006年の5日の消印で海外郵便の返事が来てビックリ、達筆な英文の筆記体で書かれています。英語が出来ない悲しさで一字一句をパソコンに入れ自動翻訳を試みても、ところどころ翻訳できません。
当時私は通院断酒治療を受けたすぐ後で、自助グループ「断酒会」に所属していて、その家族の娘さんが英語塾の先生だったので、ヘルプをケイタイに送信しました。
彼女はケイタイを片手でポンポンと翻訳し返信してくれました。

手紙は・新年挨拶と年賀状のお礼を述べ、・写真が素敵だ・あの事務所は私の事務所ではないのです。私の事務所はあそこから2ブロックほど行ったところです。(友人の事務所だったのだ)・もうすぐ日本の友人が5~7人くらいここに来ます。私は彼らに会ってお手伝いできることが本当に嬉しい・DVDは日本の友人がくれたお土産です。・チェンマイは今がとてもいい季節で寒すぎず、少し冷えるくらい・あなたがまたチェンマイを訪ねたら、是非私のところへ立ち寄って下さい・電話は××と、実に丁重な文面の手紙でした。

あの親切なマスターは今どうしているだろうかと、思い出すのです。

  
左から)タイのタクシー --- トゥクトゥク 4~5人乗り、近距離用
自転車が引っ張る人力タクシ --- サムロー 観光用で周りの景色を眺めて走る
チェンマイの乗り合いバス --- ソンテウ どこでも乗降自由、単独でも頼めるのでゴルフ場へはソンテウで来ている人がいた。プレーが終わった頃また迎えに来て貰う


タイ旅行の思い出3

2012年08月31日 | 旅行

タイは敬虔な小乗仏教の国です、毎朝黄色の衣の僧達が托鉢に回ります
(ホテルの前はWat Boop Bharamという立派な寺院でした)

タイ旅行でちょっとした失敗は、長いフライトも目的地にあと少しで着く前、客室乗務員が入国カードの記入を英語とタイ語でアナウンスし、乗客にカードを配ってまわります。
この入国・出国カードは旅行社が書いて準備してくれ、出発時に同伴者から搭乗券とともに渡されました。
ネットで調べておおよそ分っていたので、機内では書く必要はありませんでした。中味を一見すると、生年月日の月が英文表記で、私の誕生月に入国カードは合致していましたが、出国カードの誕生月が間違っていました。
チェンマイについていよいよ入国審査の通関で入国・出国カードを係官に示し、「おかしくない?」と目線で聞くと「OK、OK」と云われ、そのまま入国カードを渡し入国しました。

帰国時の空港通関でこのことをすっかり忘れていて、当然パスポートと違うので引っかかり、英語でペラペラ言われるのですが通じません。
戸惑っていると係官がカウンターから出てきて、出国カードの誕生月をパスポートの誕生月に訂正してくれました。

出かける前ネットで調べて、カードの記入例のとおり数字で書けばいいことは知っていました。個人旅行社なので英語表記の略称、AUGとかSEPとわざわざパスポートの表記どおり書いて、しかも誤記入したのです。やはり大事なことはネット情報を印刷して所持していくべきでした。

同伴者はロングステイするので帰国は一人旅になり、空港まで車で同伴者とタイ女性が送ってくれました。
空港に入ったら最初に、空港利用税を窓口で支払うことも教えてもらい、彼らは通関も遠くから見ていてくれ、何がトラぶっているのか心配顔でしたので、戻って説明し二人を写真に撮りました。
彼女にはその前、最後の一緒の外食で別れの餞別に、日本のお年玉袋に1,000バーツ紙幣を入れ感謝とお礼の印にしました。また、この食事の席で、数日前、街でタイの旅行案内所のマスターがくれた、品のない日本製ビデオ・DVD2枚を処分してくれるよう依頼しました。

また、出国の通関では黒い精悍そうな麻薬探知犬が、ゴルフバッグや旅行鞄をクンクン嗅ぐときは、DVDを処分してホットしましたが、なんとなく不安でした。


タイ旅行の思い出2

2012年08月30日 | 旅行

ターペイ・プレースホテル(Tapae Place Hotel

空港出発まで、今でも解せぬ思いをしていることは、インターネットでゴルフバッグを空港まで宅配便を利用して、中部國際空港で出発時に受け取ることにし、同空港のホームページから、JALエービーシーの空港宅配便を案内され、ネットで申し込み福山通運が集荷にきてくれましたが、そのときの料金が7千数百円とべら棒に高かったことです。

帰国時に自宅宅配便は1,890円と常識的だったので、わずか一晩か二晩空港に預かってもらうのにこうも料金が違うのか、キチンと問い合わせるべきでした。ひょっとして集配人に引っ掛けられたかもしれません。料金が書いてないバッグのタグしか残っていないのです。
団体旅行やパック旅行と違って失敗はありますが、JALともあろう会社が間違いするのか?

空港でタイ・バーツに通貨の両替をしました。自宅近くの銀行ではドル以外の両替ができなかったからです。
5万円をトラベレックスという会社の窓口で、受付のお姉さんに適当に小銭を混ぜて両替してとお願いしたら、20Bコイン×10個、100B札×10枚、500B札×8枚、1,000B札×10枚=15,200バーツに両替してくれました。
レートは当時1円が0.3バーツ、1バーツは3.3円でしたね。いまも大して変わらないでしょう。
現地の物価を概算するには1バーツを3倍して100バーツは300円と計算していました。
帰国時もこの中部國際空港で残った3,520バーツを円に両替したら、今度はレートキャシュは1バーツ2.42円で、8,518円になりました。
出入り11日間の小遣いはおみやげを入れて4万円弱と超経済的・質素な旅行でした。
他の全ての費用は同行者に20万円の約束で、現地のホテルで円の現金で払ったわけです。

料金の概算は飛行機代が往復の正規料金で64,000円くらいでした。同行者が知人の旅行社を通じて切符を手配してくれましたので、実際はもっと安く手に入れたでしょう。
ホテル代は、大きくないビジネスクラスで650B、これを同行者が短期滞在の私の分までチャカリ長期滞在として、500Bに社長と値引き交渉しました。
一泊1,650円です。きちんとしたツインの清潔な部屋でバストイレ付です。

ゴルフプレー代金は、タイ陸軍の厚生施設でもあり、コース内に競馬場も併設の、市街地から30分のランナ・ゴルフコース(Lanna Golf Course)でした。十分な庶民コースでしたが、ビジター料金は18ホール
グリーンフィー 平日800B ウイーク・エンド1,000B
キャデイ・フィー150B
ゴルフカート600B 計1,550バーツで前払いの5、115円でした。
このほかにキャデイにチップを毎日200B払いました。キャデイが客にあぶれると、日に僅か60B、200円程度の賃金で草取りだと、ここのメンバーでもあるこの同行者は言いました。

キャデイ詰め所には朝、キャデイが客待ちで多数たむろしています。同行者は常連なので二人目だという馴染みのキャデイを毎日指名し、私は彼女の友人のキャデイさんが、二日目からついてくれました。お客一人に単独キャデイです。

食事は豪華クラブハウスではなく吹き抜け、開放型の質素な建物で、小鳥が餌を貰いに飛んでくる風情で、メニューには写真付でなく適当に日替わりで指差すと、美味しい麺類と同伴者の教示で餅米の「おこわ」を毎食頼みました。プレー代とは別のただみたいな料金です。

朝は、ホテル近くの朝粥屋で40B、ここで路上駐車違反を取られ、反則金は40バーツでした。委託整理員のおばさんがバスの車掌のような大きなバッグを胸に下げ、日本人と見れば切符を切るということでした。

タイはチップが必要でルームサービスに毎朝20Bを枕元に、コーヒーショップを出たら子供連れの女性乞食に乞われて20Bを恵み両手で拝まれたり、街の銀行でチップ用に1,000バーツ紙幣を100B紙幣に両替しました。7年も前の話です。




タイ旅行の思い出

2012年08月29日 | 旅行

国王はタイ国民の誇り~ラマ9世 プミポン国王(在位1946~現在)

シリキット王妃

平成17年(2005年)11月18日~28日の11日間のタイ・チェンマイ旅行の思い出です。
同行者はゴルフ場ホームコースで、ちょくちょく相手をしていただいたメンバーさんです。
この方はもう長い間チェンマイの常連で、現地に愛人がいて、中古車日本車コロナを買い与えてあり、彼女の家族に新車の日本車、イスズ・ピックアップも商売用に買い与えているとのことでした。この案内者の親分(私より若い)は女性に投資してあるのです。

空港へは彼女が車で迎えにきてくれました。何でもその直前彼女に不運が襲い、家屋敷のことで前持ち主と訴訟になっているとかで、二人は同行訪問者の私の世話は十分にしてやれないかもしれないとのことでした。
チェンマイには中部国際空港からタイ航空TG645便、AM10:30発、タイの玄関口バンコク国際空港15:15着、6時間弱と遠い国です。
バンコクでTG310便、16:10発に乗換えて、約1時間10分でチェンマイ國際空港着が17:20着でした。まる1日がかりでした。

空港から都心へのバスは出ていないようでした。タクシーもあるにはあるのですが、言葉の通じない外国人には簡単に目的のホテルへ連れて行ってくれる日本とは少し様子が違いました。
うまく彼女が迎えに来てくれて助かりました。都心へ入ってインペリアム・メイピン・ホテル(メイピン帝国ホテル)という一流ホテル前で、同行者は「ここが、テレサ・テンが亡くなったホテルだ」と、案内してくれました「現地の人は、死因は麻薬ではと?言っているらしい」とも付け加えました。ここからあの有名な「黄金の三角地帯」(ゴールデンデルタ)は150キロくらいと聞きました。

テレサ・テンはいまでもファンが多く私もその一人です。You Tube動画で再生リストに入れ、時々聞いたり、ドラマ2007年放送・木村佳乃「テレサ・テン物語~私の家は山の向こう」を見たり、有田芳生著、「私の家は山の向こう~テレサ・テン十年目の真実」文芸春秋2005年の単行本を図書館で借り読みました。死因は急性喘息となっています。

タイは王国で日本人に限りない親愛感を示し、国王はタイ国民の誇りです。皇室に寄せる日本国民の比ではないようです。滞在ホテルの近くを散歩していても政府機関のお役所に国王の肖像、民間の建物でも王妃の肖像といたるところで目にします。


海外旅行の思い出

2012年08月28日 | 旅行

今朝の新聞には米女子ゴルフツアーの一つ、カナダ女子オープンで15歳4ヶ月のアマチュアの、リデリィア・コー(ニュージランド)が優勝と、快記録を報道した。
もちろん史上最年少優勝記録だそうだ。彼女は韓国で生まれ6歳のときにニュージーランドへ移住したとある。

韓国からの移住でアメリカ国籍のプロゴルファーは珍しくない。
何かで読んだことがあるが、アメリカはベトナム戦争で韓国が参戦したことにより、韓国人の移住を好意的に扱うらしい。

私は59歳の6月3日に亡妻と家内の母、妹の4人でハワイ旅行した。女達は2回目だったが私は退職直後でハワイは初めてだった。今日は「ゴクロウさんの日」だと飛行機に乗ってから家内が云った。なるほど、長年の苦労の慰労旅行かと納得したがもちろん偶然そういう日だったのだ。
飛行機はノースウエスト航空で、機内サービスのアジア系女性に「アー・ユー・チャイニーズ?」と聞くと「ノー・アイム・コリアン・アメリカン」と返事が返ってきた。家内が韓国系二世のアメリカ人だと解説した。缶ビールを2本貰おうとしたら1本にしてくれといわれた。二世という日本語は英語化されていることも知った。

この客席乗務員も移住組の二世だろうと想像した。ハワイに着いて乗務員が客を見送ってくれたので、彼女に「カムサハムニダ」とお礼を言ったら、ペラペラと何か韓国語の返事が返された。家内は何を言ったのかと聞くので「韓国語でありがとうといったのだ」と教えた。
この旅行の前年、私だけ招待旅行で済州島(チェジュ)へ2泊3日で行くことができた。

大して多くもない退職金の利殖のため、兄貴が勤める某金融機関の生命保険を5年満期・一時払いで掛けたことによる招待だった。自分の掛け金だけでは足らず在所の保険も合わせて招待基準に達し、兄が私に権利を譲ってくれた訳だ。
そのとき「アンニョンハムシニカ」(おはようございます)と韓国語を覚えた。
済州島(チェジュ)の旅行は私には始めての海外旅行で楽しく過ごし、3日間のガイドは本国から派遣された、小学生の息子さんが一人いる金さんという中年の女性で、名門の韓国外国語大学を出た秀才だった。
日本語はバリバリで英語もできるというトライギンガルだった。「新潟なんかへ留学して日本語を覚えた人は、なまりがあるが私は学問として学んだ日本語で正当な日本語だ」と言った。
妙に私とは気が会い、同行者がうらやむ親しさになったが、バスでガイド中「韓国人は他国へ侵略したことがない民族だ」と言った。婉曲に大戦中の日本支配を非難して言っているように聞こえた。
帰国後先輩とゴルフ中そんな話をしたら「元寇の役」など日本へも侵略していると反論されたが・・。

また、平成17年11月にはタイ・チェンマイへ10日間のゴルフ旅行をした。プライベート旅行で、連れて行ってくれた人はホームコースの会員で、フリーで行った時、ときどき一緒に組んでくれる在日コリアンだった。
金融業と自称していたし事実であるが遊び人という風情で、墨は入れていないが人によると付き合ってはいけない職業の人という人もいた。周囲の知人何人もの人が一緒に行くし、今度行くがどうかと誘われ連れて行ってもらった。費用は、自分持ちはおみやげ代と現地での小遣いだけ、全部で20万という格安旅行だった。
現地空港には彼の愛人で、美人の日本語もバリバリの小学生の女児一人がいる離婚家庭のタイ人の女性が出迎えてくれた。
9日間ひたすらゴルフだけやった。夜の外食で一夜在タイのコリアン・ジャパニーズの男性と3人でシュウマイ屋へ行ったりした。

コリアンも普通に信頼して付き合えばどうってこともない、日本人より親切で優しいところもある。この方にはいろいろ親切にしてもらった。この人の子息は隣の市、愛知県の公立病院で立派な国立医大を出て外科医をしている。
帰国してゴルフ場の従業員は、この種の職業の人と対等に付き合う人だと私を見たり、会員の一部の人は狭い了見で非難する人もいる。
この方はその後ゴルフ場が経営者の交代があったりして、とんと来なくなってしまった。

竹島・尖閣諸島の領土問題が熱い。政治と経済や文化は区別してお互い冷静になるべきだろう。


韓国とタイの車社会

2012年03月25日 | 旅行

息子の韓国みやげ 写真1

息子の韓国みやげ 写真2

名古屋の会社勤めのニ男が仕事で韓国出張したとかで土産の写真を送ってきました。
何の変哲も無い韓国の街路風景です。本当は焼酎のお土産くらいが望ましいが、まあ何も土産が無いよりは良しとしなければなりません。
「韓国は運転が荒いね。」という感想でした。ケイタイの写真で縦構図を横に90゜回転すると画質が落ちると、Windows ビューワにポップが出ました。ピンボケ写真です。

私は韓国旅行は退職した年の翌年、平成6年にチェジュ(済州島)へ2泊3日の団体旅行の経験しかありませんが、やはり日本の車の運転とは違うなと印象持ちました。

また平成17年にはタイチェンマイへゴルフ旅行しました。
タイはまたすごい交通事情でした。せまいチェンマイの街を、日本では廃車置場にも置いて無いくらい古い車が排ガスを撒き散らし走り回っています。交差点では赤信号でも安全なら左折OKの交通ルールには驚きました。
連れて行ってくれた方が、朝粥の店で現地の人と同じように路上に違反駐車してると、昔のバスの車掌が持っていたようなバッグを下げた、委託交通取締員のおばさんがニコニコとやって来て、日本人と見れば違反切符を切りました。
反則金は40バーツ約120円でした。金を払えば免許証の確認なんて無い、書類は領収書だけの大らかさでした。

移動はトゥクトゥクもありますが、チェンマイではソンテウと呼ばれるピックアップトラックの荷台を改造した乗り合いタクシーが庶民の足となっています。日本でいう乗り合いバスもタクシーも走っていません。

海外旅行はいいものですね。外国へ出てみると日本の国の良さが実感されます。安全で美しい国、国民は親切で清潔でマナーがいい、金持ちだということが分ります。
タイランダーは親日的で日本人を尊敬していて大事にしてくれます。

サワッディー クラップ(カ)=おはよう、こんにちは、こんばんは=クラップは男性語 カは女性語です。
コープクン クラップ(カ)=ありがとう (かんたん旅会話 昭文社)
 さわでぃくらっ、さわでぃかっ、こぅぷんくらっ、という感じかな!
往きの機内でタイは二度目だという隣の男性氏は、ありがとうは「コップ、カップ」と覚えて下さいと親切でした。

タイ・チェンマイを走る乗り合いタクシー・ソンテウ 後ろから乗り降りです。↓

 タイ・チェンマイを走る個人タクシー・トゥクトゥク ↓

 タイ・チェンマイを走る 何と言う乗り物でしょうか教えて下さい。↓