こころにうつりゆくよしなしごとを

あやしうこそものぐるおしけれ。

聴いてみたい

2008-12-04 10:45:45 | Weblog
平安期の宮廷歌謡26曲の楽譜確認

これちょっと聴いてみたい。

自分は、鎌倉時代とかの今様とか催馬楽とか好きだったので(大学の一般教養で「梁塵秘抄」を読んだ)、当時の歌ってずっと聴いてみたいと思っていた。
録音装置もないから無理だと思っていたんだが、、、



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またぞろ医療の話

2008-12-04 10:42:44 | Weblog
七病院が拒否、未熟児死亡

なんで1年も経ってからこんなのが話題に上るかと思ったのですが、ここで書いた先日の妊婦さん拒否の話で掘り起こしたのかもしれません。

これを受けて
救急妊婦 全受け入れへ
なんて報道もありました。

もちろん誰一人死んでいい人はいません。
だけど、例えばNICUのベッド数を増やすのはある程度可能でしょう。ただ、スタッフの数がそれに応じて増えるとは思えません。
そうしたら、現在ある施設のスタッフにしわ寄せがいかないでしょうか。
NICUのような高度医療に携われる人材が、ベッドと一緒に増えていくことは考えにくいのですが。。。。

前にも書きましたが、医学・医療の進歩で、半世紀くらい前までは死んでいた人間が死ななくてすむようになりました。このことだけを見れば、喜ばしいことだと思います。
だけど、そのために、ヒトという生物の本来もっている「生命」(運命と言ってもいいでしょうか)が、大きく変わってしまっているような気がします。

例えば、流産するような胎児のなかには(全部ではありません)異常があるものがあり、身体が自然に排除するために流産してしまうのだという話を聞いたことがあります(ソース失念)。

ですが、今は流産しないように保存もできるし、万一未熟児でも(数百グラムとかでも)死なないような医療を(スタッフと施設があれば)施すことが可能です。
ただ、手を怪我した、なんてのと違い、fatalですから、医療は高度になるし治療は難しくなるし特殊な施設は必要だし期間も長くなります。
高度な医療がどんどん一般的(少なくとも情報は容易にてに入ります)になっているのに、専門的知識・技術をもったスタッフは少ない、ベッド数は少ないでは、「あぶれる」人が出るのは当然でしょう。
(それを肯定するものではありません)


繰り返しになりますが、死んでいい人はいません。家族にとってはたいへんつらいことだろうと思います。
ただ、この事例もそうですが、「ひとは簡単に死ぬ」ことが(頭で理解していたとしても)納得できない人が多くなったような気がします。
「運が悪かった」「打ち所が悪かった」という言葉は死語になったみたいです。

生き物はいつかはいなくなるんです。
いのちは永遠じゃないんです。
人がなかなか死ななくなったせいで、こういうことも実感しにくくなっていると思います。
昔は「お金がなくて」「病院が日曜休みで」亡くなったりしてたんですから。
(最近は、踏み倒せますからね、治療費(推奨しているわけではありません))
もちろんその時代に戻っていいとは言いませんが、どこかで線引きをしないといけないのかもしれません。


最後に、岡山の産婦人科のお医者さんが書いた「妊娠の心得」の話題を。
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