酔生夢死浪人日記

 日々、思いついたさまざまなことを気ままに綴っていく

映画「俺俺」~浸潤するアイデンティティーの行方

2013-06-09 19:36:28 | 映画、ドラマ
 野次馬として、AKB総選挙に参加しようと思った。いざという段階で、ネット投票ではなく、自分が無資格であることを悟る。お気に入りを上位に押し上げるため、CDを何十枚も買うファンはザラというから涙ぐましい。教祖の本をまとめて購入する幸福の科学の信者と同じ心境なのだろう。

 株価下落と円高が顕著になってきた。安倍内閣はカンフル剤を用意しているだろうが、<99%>に無関係なアベノミクスに批判の声は根強い。首相夫人まで「ノー」を突き付ける原発推進などと合わせ、参院選で自民党が苦戦する可能性もわずかながらある。最近の選挙は〝オセロゲーム〟と化しているからだ。

 株や選挙が典型だが、誰しも数字に縛られている。賃金カットや年金給付年齢付引き上げなど、多くの国民は将来に不安を抱いている。弱小ブロガーの俺もアクセスP数を気にしているが、数字の根拠が全く掴めない。人は死ぬまで〝数という悪魔〟に翻弄され続けるのか。

 ショービジネスの世界も数字に一喜一憂しているが、想定外の連続らしい。新宿で見た「俺俺」(13年、三木聡監督)は予想以上の出足で、関係者は胸を撫で下ろしている。韓流ファンの中年女性が押し掛けた「殺人の告白」とは対照的に、「俺俺」はジャニーズ効果で20代の女性の姿が目立った。公開直後なので、ストーリーの紹介は最低限にとどめたい。

 亀梨和也(KAT-TUN)が30人以上の<俺>を巧みに演じ分けていた。ストーリーに重要な<俺>は、家電量販店に勤める主人公の均、サラリーマンの大樹、そして学生のナオだ。オレオレ詐欺めいた均の行為をきっかけに、シュールな展開へと突き進んでいく。

 均は内気、大樹は冷静、ナオはお調子者と個性は異なるが、好み、感性、所作は似ている。<俺山>と名付けた溜まり場で、3人は経験したことのない癒やしを覚えるが、<俺>の増殖で安寧は脅かされていく……。

 原作は当ブログで頻繁に取り上げる星野智幸だ。<浸潤するアイデンティティー>が一貫した作品のテーマで、社会を切り取る鋭い目にも敬意を表している。世間的に無名な星野とメジャーなジャニーズは明らかにミスマッチだが、ぎりぎりのところで両立、調和させていたのは三木監督の腕だろう。

 <俺>の増殖と削除が個のレベルにとどまらず、カタストロフィーに至る原作と比べたら、映画は小ぢんまりしている。だが、俺はその点をマイナスと考えない。映画は資金や時間に限界があり、見る側を意識して制作される以上、ブレーキを掛ける必要があるからだ。制限を前提にした上での秀作というのが俺の印象だが、星野ワールドと無縁の人の感想をブログ等で拾うと、〝難解でつまらない〟が大勢を占めている。

 原作になかったキャラとして、艶めかしい人妻サヤカ(内田有紀)が登場する。均を他の<俺>と峻別するサヤカは、現実と虚構の狭間に惑う均を覚醒させる役割を担っていた。均と大樹のそれぞれの母親役を演じたキムラ緑子、高橋恵子の可愛い熟女ぶりも光っていた。量販店の主任を演じた加瀬亮を筆頭に、個性的な脇役陣が隠し味になっている。

 均の名は<無名性への埋没=平均的>、大樹の名は<寄らば大樹の陰>の象徴……。原作を紹介した稿で俺はこう記した。他者に依存しているのに心は繋がらず、心の底に叫びと憤懣が宿っている。本作に描かれる<俺>の増殖や血みどろの削除は、閉塞した格差社会を見据え、星野が創り出したリアルな虚構といえるだろう。

 原作⇒映画が普通だが、「俺俺」に限っては映画⇒原作が正解だ。映画で打たれたピリオドの先、原作ではドラスティックでアナーキーな星野ワールドが広がっている。
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