酔生夢死浪人日記

 日々、思いついたさまざまなことを気ままに綴っていく

「決壊」~“三島の再来”が提示した文学の未来

2009-04-23 01:09:06 | 読書
 清水由貴子さんが自ら命を絶った。近年は母を介護しながら派遣で働いていたという。スポットライトを浴びた時期があっただけに、絶望はより深かったのだろう。アラフィフ同世代の悲劇に心が痛んだ。ご冥福を祈りたい。

 初めてのお城対局(熊本城)になった名人戦は、形勢不明のまま難解な終盤戦に突入し、挑戦者の郷田9段が羽生名人の攻めをかわして1勝1敗のタイに持ち込んだ。激闘といえば、プレミアの今季ベストバウトといえるアーセナル対リバプールだ。リーグの美学を象徴する4-4の打ち合いに痺れてしまい、ブログが進まなくなってしまった。

 前置きは長くなったが本題に。仕事先では3~4カ月に一度、書評掲載本のバーゲンセールが開催される。前回はウルフの新訳、ブッカー賞受賞作、森達也の「東京スタンピート」に加え、今回溯上に載せる平野啓一郎の「決壊」(上下/新潮社)を定価の2割以下で購入した。

 平野は10年前、“三島由紀夫の再来”と鳴り物入りで文壇にデビューした。「ホンマかいな、煽りやろ」と無視していたが、「決壊」を数ページ繰っただけで看板に偽りなしを確信した。文庫化を機に読まれる方も多いだろうし、サスペンスの要素も強いので、物語の詳細や結末は曖昧に記したいと思う。

 平野は辺見庸に匹敵する日本語の使い手で、天から降ってきたような鮮やかかつ稠密な表現に、しばしため息が出た。小泉訪朝(02年9月)とイラク侵攻(03年3月)を時系に組み込むことで、世界の変化とシンクロする意識の移ろいを浮き上がらせている。

 「決壊」は構造に対峙する高レベルの<全体小説>であり、漱石やトーマス・マンらを彷彿とさせる<教養小説>の側面もある。平野自身の知性と感性、フランス留学体験を反映させた主人公の沢野崇は、芸術や哲学を縦横無尽に語っていた。近代文学の“嫡子”たる平野は、“21世紀型純文学”を志向しているのだろう。
 
 “恋愛の匠”なのか、取材の成果なのかはともかく、女性の生理や心情への作者の理解の深さに感心させられた。家族(沢野家)の成り立ち、崇と弟良介との微妙な関係を軸に据えた押さえ気味の展開は、中盤からパラレルの二差路に分かれ、もう一つの家族(北崎家)が登場する。両家を繋ぐ<悪魔>がおぼろげな影を結び、「決壊」は闇に彩られたミステリーに転じていく。

 「決壊」で平野は、ネットという檻で増殖し爆発する匿名性の狂気を提示した。森達也は「東京スタンピート」で、メディアを介して進行する近未来の集団暴走を描いている。両者には共通する問題意識が窺える。「決壊」における<悪魔>は、残虐な行為の主体というより、悪意を効率的に伝播して蔓延させる媒体なのかもしれない。

 平野に限らず最近の作家はパソコンで小説を書いているはずだ。20世紀初頭、表現主義者が示した不変かつ普遍のテーゼ<形式が内容に先行する>に、本作もまた則っている。シーンの繋ぎ方などに作者のミスリードを感じたが、「悪童日記」3部作と同様、読み進むにつれ、迷路に取り残されたような不安な気分に陥っていく。

 崇の人物像はドストエフスキーの主人公に重なる部分がある。超人的な能力と意志に見合う評価を受けておらず、母でさえ息子の得体の知れなさに畏れを抱いている。果たして崇は<悪魔>だったのか、それとも全く無関係だったのか……。俺も随分惑わされたが、気になったのは「黒い鞄」と「黒いバッグ」の記述だ。これもまた、作者が意図的に混入した偽装の欠片かもしれないが……。

 読了してようやくタイトルの意味が理解できた。自殺願望に憑かれ夢と現の狭間で喪心する崇、良介と妻佳枝の切れかけた絆、兄弟の父が抱える心の病……。既にひび割れ傷んでいた沢野家は、洪水によって一気に決壊する。

 本作に日本文学の未来を見た。「葬送」などこれまでの平野の作品も文庫で読むつもりでいる。アンテナの感度は鈍ってきたが、分野を問わず日本の新しい才能に触れていきたい。



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2 コメント

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Unknown (マーガレット)
2009-04-24 20:46:19
初めてコメントします。

足跡から来ました、ありがとうございます。

私も平野啓一郎氏のファンです。

『葬送』と、『日蝕』しか読んでいませんが、

貴ブログの記事を参考に、いつか『決壊』も

読みたいと思います。
発見したばかり (酔生夢死浪人)
2009-04-25 10:47:30
 私はファンというより発見したばかりで、「葬送」など以前の作品を、これから少しずつ読んでいくつもりです。

 日本語の美しさは言うまでもなく、留学体験があるせいか、クールに構造を見る目も備わっている。

 こんな凄い才能に10年も気付かなかった。恥ずかしいですね。
 

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