酔生夢死浪人日記

 日々、思いついたさまざまなことを気ままに綴っていく

「何もかも憂鬱な夜に」~生と死の深淵に迫る中村ワールド

2012-09-12 23:50:23 | 読書
 グリーンピースが先日、回転寿司(首都圏10店舗)の抜き打ち調査の結果を発表した。千葉県産マイワシからセシウムが検出されたという。日本では過激派とみられがちなグリーンピースだが、広範な環境保護活動で国際的に認知されている。残念なことに、過激と目されているのは日本政府の方だ。基準値の1000倍超の高濃度放射性物質を海に放出した咎で、<海洋テロ国家>の汚名を着ている。

 回転寿司といえば、「アトミック」チェーンをご存じだろうか。54店舗のうち、食中毒の頻発で営業中は3店のみ。「アトミック」で使用する高価なコンベア、鮮度管理システムが生む利権のせいか、労働者を切り捨てる冷酷な財界首脳も妙に優しい。「アトミック」倒産を主張していた威勢のいい連中もたやすく懐柔された。

 悪魔や妖怪が徘徊する夜、心の糸が溶けて弛緩していた。この間に読んだのが「何もかも憂鬱な夜に」(09年、中村文則/集英社文庫)で、作者にとってターニングポイントと評される作品である。

 読む年齢で小説の印象が変わることは、当ブログでも記してきた。修行の一環として接したドストエフスキーを四半世紀後に再読したら〝至高のエンターテインメント〟で、ページを繰る指が止まらなかった。一方で50歳を過ぎて読み返した漱石は「それから」がピークで、思春期に感銘を受けた「こころ」を筆頭に、以降の作品には入り込めなかった。

 中村の作品は若い読者にとって、世界観を築くための血肉なのだろう。感性がクチクラ化した俺だが、いまだ〝10代の荒野〟を彷徨っているせいか、登場人物の心情に寄り添うことができる。魂の汚れを多少なりとも落とす石鹸のようなものか。

 主人公は一様に社会に対して違和感を抱き、安寧と秩序からの疎外を自覚している。ズレと軋み、皮膚感覚で中村に重なるのは椎名麟三と島尾敏雄だ。本作の主人公(僕)は孤児で、施設を出た後、刑務官として働いている。作者自身がどう意識しているかは別にして、亀山郁夫東外大学長は中村の作品を<ドストエフスキーが追求した課題を現在の日本に甦らせた>と評価している。本作でも、主人公と自殺した友、死刑確定間近の未決囚との対話をカットバックし、生と死の深淵に迫っていた。

 鳥を呑み込んだ蛇の記憶、夢か現か判然としない海辺の全裸女性の遺体……。プロローグで描かれる二つのイメージは、原罪の徴とも受け取れる。そして、第1章冒頭のあの人の言葉「自殺と犯罪は、世界に負けることだから」に連なる。

 中村の作品には、状況と構造を把握した絶対的な人間、否、人間を超越した存在が登場する。本作におけるあの人は、孤児である僕を見守る施設長だ。他の作品の現れる悪魔的個性と比べ、優しく〝人間的〟な守護者といえる。中村の来し方は知らないが、それが邪悪であれ、横暴であれ、〝父性〟への憧れが作品に滲んでいるように感じる。

 幼い僕は自殺を試み、今もぼんやり死を考える。激情して殺人に一歩手前まで近づいたこともある。あの人は僕の内に潜む狂気と、「自殺と犯罪」への傾向を見抜いていた。冒頭の言葉は僕を思いとどまらせる歯止めになっている。10代で自殺した真下、殺人を犯した山井は僕の分身といえ、彼らとの対話は、もう一人の自分との葛藤と読み解くことも出来るだろう。ちなみに真下とは恵子とのいびつな三角関係、山井とは幻の兄弟関係が重ねられている。物語のメーンではないが、死刑についての作者の考えも織り込まれていた。

 〝暗く救いのない小説〟と勘違いされそうだが、中村作品は意外なほど読後感が爽やかだ。ラストは破滅でも絶望でもなく、ある種の予定調和とカタルシスが用意されている。本作の恵子は常識の範疇だが、欠落し喘いでいる女性たちも魅力的だ。俺を含め、同じ沼で溺れているような親近感を覚える読者も多いはずだ。新作の「迷宮」についても、年内には感想を記したい。

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