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JR住吉駅周辺の谷崎潤一郎ゆかりの歌碑・石碑など散策記 on 2016-7-3

2016年07月07日 05時33分01秒 | 神戸情報
2016年7月3日、JR住吉駅周辺の谷崎潤一郎ゆかりの歌碑・石碑などを探して
散策してきましたので写真紹介します。


上の写真は散策の起点、本住吉神社。


上の写真は阿弥陀寺参道に建つ谷崎潤一郎(1886-1965)の歌碑です。
昭和60年(1985)谷崎潤一郎生誕100年を記念して建設されたものです。
本山第二小学校にも文学碑が建立されたそうです。
故郷の花に心を残しつつ立つやかすみの菟原住吉 潤一郎 
と書かれています。
谷崎潤一郎は昭和11年(1936)11月から昭和18年(1943)11月まで莵原住吉の
借家(現在は倚松庵(いしょうあん)として移築整備)に住んでいました。
さらに昭和18年11月から昭和19年熱海に疎開するまで兵庫県武庫郡魚崎町
魚崎728-37に転居し住んでおり「細雪」を執筆していました。
米軍の空襲が激しくなった昭和19年(1944)に熱海に向かって疎開する時、
住吉駅で詠んだ詩だそうです。こよなく愛した菟原住吉を去らなければ
ならなくなった谷崎潤一郎の心境がよく現れていると思います。



上の写真は阿弥陀寺(浄土宗)の参道と谷崎潤一郎歌碑と住吉役場発祥の地
の説明板です。


上の写真は住吉小学校と住吉役場発祥の地の石碑です。


上の写真は阿弥陀寺の本堂です。


上の写真は「細雪」の碑です。

谷崎潤一郎(1886~1965)は莵原住吉の借家に住んでいた昭和13年(1938)
7月5日に阪神大水害を体験しており「細雪」の中で下記のように記述しています

住吉川の氾濫の状況がやや伝わって来て、国道の田中から以西は全部
大河のようになって濁流が渦巻いてゐること、従って野寄、横屋、青木
等が最も悲惨であるらしいこと、国道以南は甲南市場も、ゴルフ場もなくなって
直ちに海につながってゐること・・・・・・」



上の写真は住吉川沿いのクロマツ。


上の写真は谷崎潤一郎の旧居 倚松庵(いしょうあん)です。
今年(2016)6月から整備工事に入っており来年(2017)1月まで参観できない
ので以前に訪問した時の小生のブログ記事にリンクしておきます。

 文豪 谷崎潤一郎の旧居 倚松庵(いしょうあん)訪問記  2011-4-30

最後に神戸市建設局公園砂防部計画課が作製した「東灘/岡本 花を巡る 文学散歩」
に掲載されている地図(部分)引用添付させていただきます。


2016年7月3日に散策した場所が書かれています。

東京紅団のサイトに谷崎潤一郎に関して詳しく書かれていますのでリンク
させていただきます。
  http://www.tokyo-kurenaidan.com/index.html
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