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垂水日向遺跡40次調査(垂水小学校)の概要展示 in 神戸市埋蔵文化財センター on 2022-7-23

2022年07月26日 06時15分10秒 | 神戸情報

2022年7月23日(土)、神戸市埋蔵文化財センターで講演会があり出かけた。

その折に「遺跡展示 こうべ発掘最前線」のミニ展示がありました。

展示としては城ケ谷遺跡、垂水日向遺跡、住吉宮町遺跡、深江北町遺跡の発掘調査

に関するものであった。

開催期間は、7月23日(土)~8月28日(日)まで

興味のある方は是非、ご観覧ください。

今回、これらの中から垂水日向遺跡40次調査(垂水小学校)に焦点を絞り写真紹介します。

上の写真は神戸市埋蔵文化財センターの3階から撮ったミニ展示の全体

1階の受付の前でミニ展示が行われています。

上の写真は垂水日向遺跡 第40次調査 の展示全体

これからは展示内容の詳細です。一部現地説明会資料から説明を補充しました。

上の写真は垂水日向遺跡 第40次調査の概要 説明パネル

上の写真は垂水日向遺跡 第40次調査の概要 説明パネルの図で1次~40次調査地点と

関連の海神社などを図示したもの 濃い黒が第40次調査地点=垂水小学校

上の写真は2つの大型建物跡(平安時代)大型の井戸、かわらけ土坑等の主な遺構

大型建物1の南面の溝は南面思想に基づく配置か?

出典:現地説明会資料

 

上の写真は瑞花双鳥門八稜鏡 池状低地(人工池又は苑池)出土 平安時代後期

この鏡の近くに鹿下顎骨も出土しています。

これらは雨乞いの意味で埋められたものと推測

上の写真は青磁椀 掘立柱建物床下施設から出土しています。 平安時代後期

上の写真は大型建物2の北東の地下室の出土状況 出典:現地説明会資料

この中からの出土遺物です。

上の2枚の写真はSE01(大型井戸)とSE02(井戸)から出土の墨書土器 

SE01(大型井戸)には井戸屋形と呼ばれる覆屋があったと思われます。

年代は平安時代後期(12世紀後半)。

造りの立派さなどから賓客のための儀礼や宴席用の水をくむ特別な用途が考えられます。

上の写真は井戸屋形のイメージ 出典:現地説明会資料

上の写真は土師器皿(かわらけ) SK02(かわらけ土坑)出土 平安時代後期

上の写真は大型井戸跡、かわらけ土坑、玉砂利排水路などの遺構 出典:現地説明会資料

土師器皿(かわらけ)はかわらけ土坑から出土しています。

上の写真はC字唐草紋軒平瓦など垂水日向遺跡40次から出土の瓦の展示

これは12世紀中葉から後葉に造られた瓦で、京都の平安京や鳥羽離宮、神戸の祇園遺跡

でも出土しており、平氏との関係をうかがわせる瓦です。

この「C字唐草紋軒平瓦」は京都系軒平瓦とも呼ばれ屋敷の主であった人物が都の

権力者と交流したことを明らかにさせる発見です。

上の写真は7月23日の講演会の附属資料です。

上の写真は祇園遺跡出土の「C字唐草紋軒平瓦」 出典:現地説明会資料

上の写真は鳥羽離宮で使われた「C字唐草紋軒平瓦」 出典:現地説明会資料

 

 

ここまでで展示に関する写真紹介は終わりです。

次に「こうべ考古学」 第1回「こうべ発掘最前線~令和3年度の調査から~」

神戸市文化スポーツ局文化財課 石島三和さんが講演の垂水日向遺跡第40次調査

ー中世東大寺領垂水荘の調査と成果ーから興味を持った事象について記載します。

 

本題に入る前に以前の発掘調査の概要を書いておきます。

平成4年(1992)神戸市教育委員会と(財)神戸市スポーツ教育公社が刊行した
  垂水日向遺跡 第1,3,4次調査より要点をピックアップした。

1.調査の経過
1次調査  現レバンテ弐番館(垂水区役所の建物)、レバンテ参番館の地下
        昭和62年(1987)        1,500㎡のA地区
        昭和63年(1988) 4月以降  1,360㎡のB地区
                   10月以降    840㎡のC地区
        平成元年(1989) 4月   A地区の東 100㎡のD地区
         縄文時代の人間の足跡
         縄文時代の流木(洪水砂層)
         平安~鎌倉時代の建物跡 
         江戸~明治 陶磁器、蛸壺

上の写真は第1次発掘調査のA~D地区
  3次調査 平成2年(1990)10月15日から12月7日
          1次調査の北西     
           アカホヤ火山灰層が確認された
            文時代の中、後期の遺物、流木が出土
           (かなり大規模な川の氾濫があったものと推定される。

  4次調査 垂水センター街アーケード東側の入口附近で
         平成2年(1990)11月13日~12月25日 
         18層~36層アカホヤ火山灰層が確認された

上の写真は第1次調査~第4次調査地点の場所

奈良時代以降、周辺は「垂水荘」として東大寺の荘園であった。平安時代から

鎌倉時代にかけての大型で整然と配列された掘立柱建物群が見つかっており、荘園経営

に関わる施設の可能性がある。この時期にはイイダコ壺や漁網に吊るす土錘、製塩土器

なども多く出土しており、漁業や製塩業に携わる人々が生活する集落でもあったことが

窺える。

それでは本題に移ります。

中世東大寺領垂水荘の範囲

上の写真は東大寺領「垂水荘」の範囲の推定 太字点線は中世山陽道推定経路

推定の根拠:

 東大寺文書・東南院文書 平安遺文0377「諸國庄家田地目録断簡」に

  鹽山560町(5.6㎢) 360町(約420ha、約3.6㎢)在播磨國明石郡垂水郷とある。

 東大寺文書 平安遺文2156「東大寺諸庄文書井絵図目録」に

  東寒川、南南海辺道、西垂水川、北太山堺   地360町(約3.6㎢)とある。

  この文書に絵図が付属しているがこちらは要確認

製塩業を主な生業(なりわい)とした荘園であったことが推定されます。

垂水荘の存在期間

 奈良時代の中頃の天平20年(748)に官符により「垂水庄」が東大寺荘園になったと

 推定されます。平安時代の終わりの12世紀中頃 久安3年(1147)に、播磨国内の

 赤穂庄、粟生庄とともに現在の兵庫県小野市付近の賀茂郡大部郷と交換され、東大寺は

 垂水庄の経営から撤退し、以後は国衙領となった。

 上記のように8世紀中頃から12世紀中頃までの約400年間、「垂水庄」は東大寺領であった。

 

第40次調査 検出遺構の年代

 遺跡の存続期間

  中世Ⅰ期  11世紀

  中世Ⅱ期  12世紀中葉

  中世Ⅲ期  12世紀末から13世紀初頭

居宅の成立から廃絶の推移

  中世Ⅰ期  11世紀

   居宅の成立・池状低地の北岸を整備し苑池的利用を開始

   瑞花双鳥門八稜鏡(11世紀)と鹿下顎骨などによる祭祀(雨乞い)

  中世Ⅱ期  12世紀中葉

   居宅の存続、仏教施設の造立(持仏堂など) 東播系瓦の供給

   持仏堂について同時期の遺跡である二つ屋遺跡(神戸市西区)が参考となるので

   添付しておきます。

上の写真は神戸市教育委員会の平成4年度遺跡現地説明会資料Page30からの
コピーで二ツ屋遺跡の建物の推定図です。資料では瓦が出土したのは阿弥陀堂
(上原真人氏(京都大学大学院教授)は持仏堂と表現)からと説明。

上の写真は2012年「清盛の生きた時代」の展示の内容を記載した冊子Page29
に記載の二ツ屋遺跡。

上原先生も神戸市教育委員会担当者の見解も二ツ屋遺跡に対する見解は
二ツ屋遺跡が京都から派遣された有力者の邸宅跡という面でほぼ一致。
神戸市教育委員会が12世紀後半としている造営年代に対して上原先生は
清盛の生きた時代より50年~100年は古い時代の造営であろうとの
見解を示されました。

上の写真は2012年「清盛の生きた時代」の展示の内容を記載した冊子のPage29の
玉津田中遺跡辻ケ岡地区の池の跡。
上原先生は玉津田中遺跡から出土の土師器の中でかわらけでは無く灯明と思われる
出土品が多数あることもここが寺院跡の遺跡の可能性が高いとされました。

  中世Ⅲ期  12世紀末から13世紀初頭

   仏教施設の廃絶 池状低地の埋没/井戸の開削

   京都系土師器を用いた饗応

   居宅廃絶・柱痕跡に炭等焼亡の可能性

 

処世術としての平氏政権への接近

 「垂水庄」は三方を平氏領に囲まれていた。

 このことから、平氏政権に配慮して京都の風習や文化を受け入れたと思われます。

「かわらけ」と呼ばれる素焼き小皿が大量に棄てられており、屋敷で行われた宴会や

儀礼に使った皿をまとめて埋めたものと思われます。

かわらけの遺構は祇園遺跡が最も古い例でかわらけが大量に見つかっています。

さらに特徴的な遺物として「C字唐草紋軒平瓦」が1点出土しています。

これは12世紀中葉から後葉に造られた瓦で、京都の平安京や鳥羽離宮、神戸の祇園遺跡

でも出土しており、平氏との関係をうかがわせる瓦です。

この「C字唐草紋軒平瓦」は京都系軒平瓦とも呼ばれ屋敷の主であった人物が都の

権力者と交流したことを明らかにさせる発見です。

  

関連ブログ

 神戸市の垂水日向遺跡(垂水小学校)発掘調査 - CHIKU-CHANの神戸・岩国情報(散策とグルメ) (goo.ne.jp)


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