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泰西王侯騎馬図 たいせいおうこうきばず

2015年03月10日 05時43分53秒 | 神戸情報
兵庫県立図書館から荒尾親成著の「神戸に来た史上の人々」昭和40年(1965)
中外書房を借りて読んでいる。

この中に泰西王侯騎馬図のことが書かれており今回取り上げることにした。

泰西王侯騎馬図(たいせいおうこうきばず)は、会津藩主松平家に伝来した初期
洋風画の八曲一双の屏風で四曲半双は東京のサントリー美術館に残りの四曲半双は
神戸市立博物館に保管されています。両社共に国の重要文化財に指定。


上の写真は神戸市立博物館に保管されている泰西王侯騎馬図の四曲半双の複製品で
神戸市文書館の玄関に飾られているものです。

泰西王侯騎馬図の模造品の説明書きには次のように書かれています。
昭和15年(1940)、この場所に私立池長美術館が開設された際に展示されていたもので
昭和57年(1982)11月美術館がここから市立博物館に南蛮美術館が移転したため
池長コレクションの作品は神戸市立博物館に収蔵されることとなった。

泰西王侯騎馬図は左から神聖ローマ皇帝ルドルフ2世、トルコ王、モスクワ大公、
タタール汗(かん)をあらわし、キリスト教と異教の王が対峙(たいじ)する姿が表現
されています。

上述の 荒尾親成著「神戸に来た史上の人々」のPage261からPage265に泰西王侯騎馬図
に関する記述がありその中で天正末年(1591)織田信長の女婿の蒲生氏郷が安土に近い
近江国日野に築城する際、場内の障壁画として描かせ、のちに蒲生氏郷が会津若松城に
転封になった際に持ち込まれ以降明治元年まで会津若松城の大書院に飾られていたとの
説を展開されています。

しかしなが上記説はこれから述べる理由により否定的な見方もある。
騎馬像の原図は、アムステルダム刊行の1606~1607年のウィレム・J・ブラウ世界地図
(アムステルダム海洋博物館所蔵)を、1609年に改訂した大型の世界地図の上部を飾る
騎馬図であると想定されており、一方蒲生氏郷は1595年に他界している


泰西王侯騎馬図の制作者は不明であるが渡来の原図によって日本人キリシタン画家、
或いは相当の画歴を持つ狩野派又は土佐派の画家が描いたと荒尾氏は推測されて
います。

南蛮美術のコレクターで私立池長美術館を開設した池長孟が泰西王侯騎馬図を入手
したのは昭和初年で萩藩の前原一誠の遺族から贈られたことも荒尾氏が書かれて
います。前原一誠は明治元年9月松平容保が籠る会津若松城を攻めた官軍の将で
温情ある和平談判への感謝の標として容保より四曲半双が寄贈された。

残りの四曲半双は昭和30年代まで松平家で保管されていたが西宮市の藤井家
が買い取りさらにサントリー美術館が購入したそうです。

2012年に神戸市立博物館開館30周年記念特別展「南蛮美術の光と影」
2012年4月21日から6月3日に開催され
このときに泰西王侯騎馬図が30年ぶりに左右一堂に観賞できたようです。
残念ながら私は見ませんでした。

八曲一双の屏風の絵について神戸市立博物館のサイトに解説とともに掲載
されていますのでリンクさせていただきます。

http://www.city.kobe.lg.jp/culture/culture/institution/museum/tokuten/2012_01namban.html

また2012年の展示に合わせて光学調査が実施され、
イエズス会周辺の日本人画家が関与した可能性」があらためて確認されました。

詳細は下記サイト

  http://www.tobunken.go.jp/~ccr/pdf/51/5102.pdf



上の写真は南蛮美術のコレクターで私立池長美術館を開設した池長孟氏(1891-1955)
59歳当時 昭和25年(1950)11月撮影

出典:池長孟追憶志 昭和30年(1955)





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