CHIKU-CHANの神戸・岩国情報(散策とグルメ)

神戸・岩国の最新情報を中心に紹介していきます。歴史や時事について調べた結果を紹介。

山陽電車高砂駅周辺の散策 on 2017-11-12&2018-1-21 その2 十輪寺

2018年02月02日 06時07分14秒 | 神戸市以外の兵庫県
2017年11月12日と2018年1月21日に山陽電車の高砂駅に下車し
高砂駅の南の地区を散策してきました。初訪問です。

本日はその第2回目で十輪寺について写真紹介します。

過去の散策記

第1回 山陽電車高砂駅周辺の散策 on 2017-11-12&2018-1-21 その1 高砂神社


十輪寺の基本情報

住所:高砂市高砂町横町1074  TEL:079-442-0242
宗派:浄土宗西山禅林寺派   御本尊:阿弥陀如来 
山号:寶瓶山(寛永7年(1527)以前は地蔵山)  
開基:弘仁6年(815) By空海(弘法大師)「地蔵十輪経」に基づき、
   嵯峨天皇の勅命で、鎮護国家、内海航行安全の祈願所として創設
霊場:法然上人二十五霊跡第三番
御詠歌:生まれてはまづおもい出ん古里に ちぎりし友の深き誠を


十輪寺の位置をGoo地図で示します(下に添付)


本堂

上の写真は代表写真として本堂(兵庫県指定文化財) 元禄14年(1701)再建




上の2枚の写真は少し角度を変えて撮ったものです


上の写真は十輪寺本堂の現地説明板

山門(貴僧門)





上の3枚の写真は山門
山門は享保10年(1725)大坂大念仏寺の門を模して建立


上の写真は山門に掲示されていた十輪寺が作成された木版画カレンダー

地蔵堂


御影堂


寛永2年(1207)3月、法然上人が四国に左遷の折、八田治部太夫夫妻からの下記要請 
「わたしたちは幼いときから漁夫として魚の生命をあやめてまいりました。
地獄へおちるのではないでしょうか。どうかお助け下さい。」に答えて上陸され教化され
その結果真言宗から浄土宗に改宗。法然上人の弟子信寂房が上人を中興第一世とし、
自らが第二世となった。元仁元年(1224)、西谷浄音上人の弟子観性房が第三世となって
から浄土宗西山派となり、大永7年(1527)、大阪堺の十万上人が讃岐小松の庄、生福寺
より法然上人自画賛の「宝瓶の御影」を得て帰る途中、当寺に立寄りこれを奉納して、
山号を「地蔵山」から「宝瓶山」と改めた。
十輪寺の墓所には念仏に帰依した八田治郎太夫の墓もあるとのこと。(未確認で写真なし)

宝篋印塔(舟子供養塔)

別名で高麗仏ともいう。
秀吉の朝鮮の役の際に脇坂安治により播磨や淡路の水夫が多く徴用されました。
高砂から徴用された100人のうち96人が帰国途中に暴風雨で命を失います。
その供養のために享保15年(1730)に建てられたものです。


境内全体図

上の写真は播磨名所巡覧図絵 文化1年(1804)で描かれた十輪寺

文章部分に豊臣秀吉朝鮮出兵犠牲者舟子96人を供養した宝篋印塔について
書かれています。


上の写真は平成24年(2012)に復元された申義堂から十輪寺の境内方面を撮ったもの

歴代住職の墓




庫狸と小玄関

高砂市の文化財に指定(昭和57年(1982)2月)

大玄関

茶会が行われているがこと多いようである(裏千家?)
上の写真の大玄関も高砂市の文化財に指定されています。

鎮守社鞘堂

上の写真が鎮守社の鞘堂(さやどう)の外観

中には毘沙門天、天満宮、稲荷社が祀られています。

宝物

現地説明板に上のように十輪寺に伝わる宝物が整理されていました

墓所

上の写真は墓所の遠景


上の写真は三浦一族の墓?

写真はありませんが最後の高砂城主であった梶原景秀(景行)の墓もあるそうです。

梶原景時らを輩出した梶原氏の流れを汲み播磨守護赤松氏の水軍を率いてたようです。
現地の説明版には梶原景秀について次のように書かれています。
 梶原一族は桓武平氏の流れをくみ鎌倉幕府の創立に貢献した。
 その後、水軍を率いて当地に来たり、文明元年(1649)頃、高砂城を構築。
 また、この地を基地として、海外通商に雄飛し、東播磨地方に重きをなした。
 天正七年(1579)最後の城主、梶原景秀公は、黒田官兵衛の仲介により羽柴秀吉に
 帰順した。また、その子孫の一部は当地に留まり、塩座等を勤めた。
                    高砂市観光協会


高砂城があった時の大工町(現地説明版)

ここで言う高砂城は池田輝政公が現在の高砂神社に建てたもので梶原景秀が建てた
高砂城は旧高砂城と呼ばれ、場所は小松原(高砂市荒井町小松原、神社三社大神社境内)
にあったとする説もあるがはっきりしない。
十輪寺の前(国鉄の引き込み線)の位置は西堀川と言われ城下町を防御する堀であった。
高砂歴史資料館の展示に江戸時代の十輪寺付近の図がったので添付(下の写真)



コメント
  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする