CHIKU-CHANの神戸・岩国情報(散策とグルメ)

神戸・岩国の最新情報を中心に紹介していきます。歴史や時事について調べた結果を紹介。

山陽電車高砂駅周辺の散策 on 2017-11-12&2018-1-21 その6 藍屋町の川地蔵

2018年02月05日 16時24分02秒 | 神戸市以外の兵庫県
2017年11月12日と2018年1月21日に山陽電車の高砂駅に下車し
高砂駅の南の地区を散策してきました。初訪問です。

本日はその第6回目で藍屋町の川地蔵の写真を紹介します。


過去の散策記

第1回 山陽電車高砂駅周辺の散策 on 2017-11-12&2018-1-21 その1 高砂神社

第2回 山陽電車高砂駅周辺の散策 on 2017-11-12&2018-1-21 その2 十輪寺

第3回 山陽電車高砂駅周辺の散策 on 2017-11-12&2018-1-21 その3 キャンドルカフェ記念チェアー しあわせの席「たかさご」

第4回 山陽電車高砂駅周辺の散策 on 2017-11-12&2018-1-21 その4 堀川の風景

第5回 山陽電車高砂駅周辺の散策 on 2017-11-12&2018-1-21 その5 北堀川界隈



上の写真は川地蔵です。 石造地蔵菩薩坐像が安置されています。
高砂地区では8月23日と24日に地蔵盆が行われており、23日がメイン。。。
昔は盆踊り、相撲などが行われていたがあまり残されていないようである。

川地蔵は平成27年(2015)まちの文化財として藍屋町自治会から登録申請があり
認可されたそうです。

川地蔵は遠く隠岐島から授かったそうです。

その他の由来は未調査で不明。




上の2枚の写真は川地蔵が安置されている建屋の正面と側面。


上の写真は川地蔵関連の建屋?の寄進者名簿の石碑
 (大正12年(1923)の寄付者氏名と金額が刻まれています)


ここにも十輪寺の住職自作のか木版画カレンダーが掲示されていました。




上の写真は川地蔵と書かれた扁額 中須義男氏の揮毫

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山陽電車高砂駅周辺の散策 on 2017-11-12&2018-1-21 その5 北堀川界隈

2018年02月05日 04時23分10秒 | 神戸市以外の兵庫県
2017年11月12日と2018年1月21日に山陽電車の高砂駅に下車し
高砂駅の南の地区を散策してきました。初訪問です。

本日はその第5回目で北堀川界隈の写真を紹介します。
北堀川と言っても現在は埋め立てられ陸地となっています。
現在の町名で言うと高砂市高砂町藍屋町付近になります。

過去の散策記

第1回 山陽電車高砂駅周辺の散策 on 2017-11-12&2018-1-21 その1 高砂神社

第2回 山陽電車高砂駅周辺の散策 on 2017-11-12&2018-1-21 その2 十輪寺

第3回 山陽電車高砂駅周辺の散策 on 2017-11-12&2018-1-21 その3 キャンドルカフェ記念チェアー しあわせの席「たかさご」

第4回 山陽電車高砂駅周辺の散策 on 2017-11-12&2018-1-21 その4 堀川の風景

松宗蔵


上の写真は松宗蔵です。

平成25年(2013)12月24日に近くの大崎家住宅、花井家住宅とともに国の
登録有形文化財に指定されました。
文政6年(1823)に建立され、平成19年(2007)に改修されています。
所在地は高砂市高砂町東浜町1252他  登録番号28-0567
西面に戸口を2箇所設けてかっては海産物を納めた蔵であった。
松宗倉の北側は船着き場であった。


上の写真は松宗蔵を含む通りです。


上の写真は「北堀川界隈」の現地説明版。

江戸時代、高砂は加古川舟運と海運の交易拠点として繁栄した。
碁盤目状の町割りと、まちを取り囲む堀川が特徴的でこの辺りは北堀川があった。
稲荷橋は、北堀川にかかる石橋で、かつては荷物を積んだ高瀬舟がこの辺りを
行き交ったことであろう。堀川沿いには商家や蔵が軒を連ね、百間蔵屋番書*1もあり、
物資や人の交流にさかんであった。
この界隈は、港町高砂を想起させるよすがが漂っている。


*1 別名では津留番所


上の写真は北堀川を含んだ江戸時代の高砂町の地図
この地図で松宗蔵はAの位置です。

大崎家住宅




上の2枚の写真は大崎家住宅です。
木造2階建てで明治後期(1898~1912)の建築である。
2階の両側に袖うだつがあるのが特徴。高砂の近代町屋の一典型。

所在地は高砂市高砂町藍屋町1667 登録番号:28-0568
上に示した地図で大崎家住宅はBの位置です。

古民家大崎家住宅では12月の高砂来て民家まつりの折にコンサートを実施

花井家住宅



上の2枚の写真は花井家住宅の外観です。


上の写真は玄関に掲示されていた現地説明板です。

花井家住宅は明治後期(1898-1912)に建築された商家で平成23年(2011)に
改修され現在に到っています・
現在は県民交流広場「高砂来て民家」として高砂地区まちづくり協議会(浜田隆会長)
に無償貸与され活用されています。
裏庭の蔵は2017年2月19日に完成し完成見学会も実施されたようです。
(神戸新聞NEXT 2017-2-21で紹介)
2017年12月9日、「第6回高砂来て民家まつり」(高砂地区まちづくり協議会主催)
も開かれました。

訪問時は開館されておらず内部は見学できなかった。今後訪問しようと思っています。

玄関には2012年5月22日の神戸新聞の「青空主義」の切り抜きが貼ってありました。
その中で花井邸を次のように紹介しています。
土蔵は、堀川に通じる堀跡に面して建ち、舟運の要所高砂の歴史を映す。
約20年前から空き家となっていたが、当主の花井秀彦さん(東京在住)が
高砂地区まちづくり協議会に建物を無償で貸し出した。
同協議会が2011年9月、同協議会の文化拠点「高砂来て民家」としてオープン。


花井家住宅の所在地は高砂市高砂町字高瀬町1511 登録番号は28-0566

稲荷橋

上の写真は稲荷橋の全体写真右手奥には花井家住宅


上の写真は稲荷橋と書かれた部分の拡大 他に木の碑もありました。


上の図は播磨高砂尾上紀勝余韻 文化11年(1828)よりのもので
左隅の橋は稲荷橋、右上の蔵は百間蔵、堀川には多くの高瀬舟が繋留されています
永楽橋も大きく描かれています。
石垣積みの護岸や雁木(がんぎ)も描かれており当時の様子が偲ばれます。

加古川舟運の高瀬舟は極楽橋を潜って北堀川に着岸が出来たと思われます。
このことが高瀬町の由来にもなっていると思います。
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