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西武グループは盤石だと思ってたけど…

2023-05-25 05:19:19 | ビジネス
かつての西武・堤家が、百貨店経営だけでなく映画や演劇、美術館まで乗り出す「セゾン文化」で一時代を築き、
プリンスホテルなどのリゾート開発で日本を熱狂させた栄華も今や昔。

西武コンツェルンは、西武鉄道を主軸に、そのターミナルの池袋に西武百貨店を開業し、沿線各駅に西友ストアー、
郊外に遊園地の豊島園や西武園を有し、さらに宅地開発もしていったので、阪急のビジネスモデルを踏襲しているかのように
見えるでつが、そうではないでつ。




別荘地・観光地の開発をする不動産事業が始まりで、なりゆきで鉄道を始めたでつ。
阪急や東急とは逆。
堤康次郎さんは、1代で西武コンツェルンを築き上げたです。

その西武コンツェルンを継いだのが、義明さん。
清二は若き百貨店経営者としてマスコミによく登場していたかr、西武コンツェルンの後継者と
思われていたでつ。

だけど、清二さんは父 康次郎さんに反発してた時期があったことと、早くから帝王学を
義明さんに伝授してたです。

義明さんが後継者だと指名したわけではないけど、清二さんを傍系である百貨店の社長とし、
義明を中核企業の国土計画に入れた時点で、すでに後継者は義明であることは明らかだったでつ。

義明さんは、まだ三十歳だったので、当面は、いわゆる集団指導体制で、康次郎さんの側近たちが経営を担っていったでつ。
義明さんは父 康次郎さんから「十年は何も新しいことをするな」と厳命されてて、 その言いつけを守ったでつ。

一方の清二さんは、財産も与えられず、西武百貨店も借家で経営権のみだったでつ。
だけど、事業拡大を目論む清二さんは、自身が銀行から相手にされないので、義明さんを保証人にして
借りまくったでつ。

その借りっぷりから義明さんは、このままでは本体の屋台骨まで、やられかねないと思って
清二さんのグループと分割したでつ。

こりは、清二さんは事業資金を銀行からの借入金で賄っており、銀行は鉄道グループが持つ土地資産があるから貸していたでつ。
清二さんは責任がない分だけ気楽だから失敗した場合、義明さんが債務を負うことになるので、それを避けるための分離だったでつ。

とはいえ、鉄道と百貨店の株の持ち合いは続いていたでつ。
清二さんは西武鉄道の取締役であり続けたでつ。

分離独立しても、西武百貨店池袋店をはじめ西友ストアーの多くは西武線の駅の敷地にあり、鉄道や百貨店・スーパーの利用者からすれば、
「西武」はひとつだったでつ。

堤家の世襲は、家庭が複雑なわりにはうまくいったように見えたけど、清二さんが力を持ち始めてから変わったでつ。
清二さんは「西武セゾングループ」を「セゾングループ」と改称。
「西武」の看板を外したでつ。

1986年には西武鉄道取締役も辞任したので、兄弟は絶縁したのかと興味本位に伝えられたでつ。
さらに87年には「ホテル西洋銀座」を開業、88年には世界的なホテルチェーン「インターコンチネンタルホテル」を約二八〇〇億円で買収し、
ホテル事業にも乗り出したでつ。

詩人で作家の辻井喬であることも知られ、映画や演劇にも乗り出し、百貨店内に美術館も開設し「セゾン文化」として一時代を築くでつ。
清二さんの異母弟の猶二さんは義明さんのもとでプリンスホテルの社長をしていたでつが、セゾングループに移り、ホテル事業を担当。

一方、義明さんはリゾート開発を積極的に進めたでつ。
1978年末には埼玉県所沢市に野球場を建て、プロ野球球団を買収し、西武ライオンズとしたでつ。
アイスホッケーのチームも持ち、堤義明はスポーツ界にも影響力を持つようになったでつ。

両グループとも土地の値上がり依存型経営で、バブル経済で急拡大。
とくに義明さんは都心の一等地にプリンスホテルを持つので、その土地資産の価格などで「世界一の富豪」となったでつ。

だけど昭和が終わり、一九九〇年代にバブルが弾けると、まずセゾングループが経営危機に陥ったでつ。
そのさなかの九一年、清二さんは唐突に引退を表明し一線から退き、作家活動を旺盛に始めたでつ。
セゾングループは集団指導体制になったでつ。

なかでも、リゾート開発をしていた西洋環境開発は巨額の負債を抱えて、東京地裁に特別清算を申請、
清二さんは私財提供を求められたでつ。

中核企業の西武百貨店も2000年にみずほ銀行の管理下に置かれたでつ。
西友、PARCO、ファミリーマート、リブロなどグループ会社はバラ売りされていき、「セゾングループ」は崩壊したでつ。
西武百貨店は、清二さんの弟子の和田さんが継承し、一時復活させたでつ。

義明さんもいろいろとあって今は西武グループとは完全に離れてしまったでつ。
西武グループは堤家の手を離れたでつが、セゾングループのように解体はされず、西武ホールディングスの傘下に、
コクドを吸収合併したプリンスホテルと、西武鉄道がある形に再編されたでつ。

義明さんと清二さんの10年後を占ってたのが、1990年前後。
21世紀になって、本に書かれてる内容は外れてしまったでつ。

同族で会社を継続するのは、なかなか難しいということと、いかに先を読んで対応していくかも大事ということを
西武グループは物語ってるです。
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