毎日がちょっとぼうけん

日本に戻り、晴耕雨読の日々を綴ります

「アイヌ・・・萱野茂の言葉」 2013年6月14日(金) No.680

2013-06-14 19:19:53 | 
私は和人の子孫だ。
子どもの頃はそれが残念だった。
アイヌ民族の血を引く子は、
目はパッチリと鼻も高く、とても可愛い子で羨ましかった。
大人になったら、もっと残念になった。
和人によるアイヌモシリ侵略の歴史を知ったからだ。
自分が侵略者の子孫なのは、本当に残念だった。
子どもの頃、「北海道旧土人法」というとんでもない名前の法律があった。
1998年にアイヌ文化振興法が出来たのに伴って、ようやく廃止された法律で、
1.アイヌの土地の没収
2.収入源である漁業・狩猟の禁止
3.アイヌ固有の習慣風習の禁止
4.日本語使用の義務
5.日本風氏名への改名による戸籍への編入

などを中央政府と北海道庁が実行する根拠となった法律である。
これだけでも明治からの北海道「開拓」の内実が分かる。

しかし、それとは別に
和人の子どもだった私は、アイヌ文化の恩恵を受けて育った。
「アイヌネギ=ギョウジャニンニク」「ヤチブキ」は、
和人がアイヌの人たちから食べ方を学んだものだろう。
山を歩き、山菜を採る生活が日常だった私の子ども時代は、
アイヌも和人もなく、
ただ「地の果て=知床(アイヌ語でシレトク)」で生きるヒトの子だった。

「アイヌ ネノアン アイヌ」の著者である萱野茂(かやの しげる)さんは
2006年5月に亡くなったが、
彼がアイヌ民族の人権回復にどれほど力を発揮したかは測り知れない。
下の文章は、1992年に萱野さんが書いたものだが、
私は、今を生きる私たちが、100%噛み締めるべき宝物の言葉だと思う。


「アイヌ・・・萱野茂(萱野茂アイヌ記念館館長)の言葉」

アイヌ民族は自然を神と崇め、自然界と共存共生し慎ましく生きて来ました。

魚、野獣、山菜のどれひとつとってみても必要以上には決してとらず、他の

生きもののために残し、また来年のために置いておくのです。そのような自

然界の巡りをアイヌ民族はよく知っていました。平和なアイヌモシリは、和人

の侵略と開拓によってどんどん荒らされていき、アイヌ民族は一方的に生活

圏の全てを奪われてしまいました。


私はこれまで19回諸外国を訪ね、それぞれの国の先住民族と交流を重ね、

たくさんの話を聞きましたが、日本ほど先住民族の事を何ひとつ考えず無視し

ている国は他にないという事に気づかされました。どの国も侵略した側とされ

た側の間には、何らかの条約があることを知りました。ところがこのでっかい

島、北海道の主であるアイヌ民族と日本政府の間には、条約のかけらもなく、

この事は世界に類例のない暴挙てあります。そしてこの事実は、世界に恥ず

べき事であります。4万5千ヵ所からなるアイヌ語の地名が、北海道はもともと

アイヌの土地であった事を明白自明の事実として、物語っています。ですから

「私達アイヌは、北海道というでっかい島を、日本人に売った覚えもなし貸した

覚えもなし、せめて年貢ぐらい出してもいいでしょう。アイヌの頷有権を認め

ていただきたい」と私は言い続けているのです。



かつて私達アイヌ民族の祖国であるアイヌモシリを侵したのは、あなた方で

はありません。しかし、あなた方の祖先が犯した過ちを正せるのは「今、生き

ているあなた達」です。あなた方の祖先が犯した過ちを正す行為は、決して

恥ずべき行為ではないばかりか、差別のない共生と平等な社会に向けての

出発点であり、日本が国際社会で生きていくための基本であると考えます。



現在世界中で行われている自然破壊の様をアイヌである私はひどく憂慮して

います。巷で「自然保護」が叫ばれていますが、アイヌ語の中に「自然保護」

という言葉はありません。自然、つまり海でも山でも、川でも鳥や獣に至るま

で、もしも□があったなら「人間共よ、自然保護などという大それた言葉を慎

しめ。我々自然は保護される事を望むのではなしに、人間であるあなた達が

ぜいたくをしない限りにおいて、紙にする木材でも、薪でも、家を建てる材料で

も供給できることになっているのだ」と自然の神々はおっしゃるでありましょう。

自然は常に巡っており、生きもの同士がその摂理の中でそれぞれの生命を全

うするはずが、人間共の勝手なエゴや欲望によって、虫達の家や着物を剥ぎ

取り、鳥や動物達の住み家までも奪い去っています。これもまた、侵略です。

ゴルフ場しかり、リゾートしかり、ムダ遣いが原因の森林伐採しかり・・・、例を

挙げればキリがない程どれもこれもです。日本は浪費し過ぎです。天に向かっ

て「面のひっぱがし」です。いずれそれらが、自分たちの顔に降りかかってくる

のです。消費、浪費の大国のまま良き未来を迎える事はありません。


今や、大昔の暮らしに戻る事はできません。ほんの少し数十年昔の姿を思い出

し、ほんの少し戻ればよいのです。夜の明るさも我慢をして、慎ましやかに生活

しようと思ったならば、資本家に対して原子力発電所などというウェンカムィ=

化け物を作る口実は、与えなかったでありましょう。86年、スウェーデンのヨック

モックを訪ねた時、チェルノブイリの事故による、それは恐ろしい話を聞き、そし

て、いつ私共の身に降りかかってくるやも知れません。人類はぜいたくし過ぎ、

もっと明るく、もっと速く、もっと便利に、もっと多くを求め過ぎました。


全ての生きものの生存を可能とする、地球環境の保護こそが、人類が生きていく

条件であり、人間が人間らしく生きていける山を、川を、畑を、村を、町を、子々孫々

に至るまで残さなければならない、と私は考えています。


93年は「国際先住年」です。これは、私達の住むこの地球から、民族的な差別観を

取り除くと共に、侵されて来た先住民族、少数民族の権利回復はもとより、生活や

文化を共に保障する社会を目指すものです。世界の潮流は、少数者がしいたげられ

る時代に終わりを告げる時を迎えており、全ての生きとし生けるものの平和な生存を

約束する、地球環境保護への道に入りました。社会は限りなく求め続けられている

「人間の欲望」を、どう抑制するかの時代にあるのです。これはアイヌも和人も、一人

ひとりが考えて、果たさなければならない事だと思います。



一人ひとりが人間として、正しい歴史を学び直してください。そして、本当の事を知って

ください。日本は、単一民族国家などではない事を知ってください。子々孫々に正しい

事を伝え残し、「人間の住む静かな大地」をよみがえらせ、そして残せる人間の姿で生

きましょう。「アイヌ」とは、アイヌ語で「人間」という意味であります。アイヌ民族も、ピリ

カシサム(良き隣人)も、心をひとつにして、無知を改め、正しい行動を起こす勇気をもっ

て、大いなる出発をしましょう。それらがペシッ(波紋)となって、世界に拡がりますよう

に、アイヌモシリより心から切望いたします。

「夜明けへの道」 人間家族 特別号 より引用

http://www.aritearu.com/Influence/Native/NativeWorld/Ainu.htm







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