毎日がちょっとぼうけん

日本に戻り、晴耕雨読の日々を綴ります

「オスプレイ墜落現場からの先輩のレポート」No.1824

2016-12-17 20:32:04 | がんばろう沖縄

ついさっき、メールが届きました。

オスプレイ墜落現場に行って抗議と監視活動をしてきた

辺野古ブルーの友人て言うか先輩からでした。

昨年、ブログで書いたように海上保安庁の海猿に暴力をふるわれ、

病院通いしていたあの先輩です。

「千葉さんも海保の暴力で病院へ!」No.1521

今年の7月22日のあの大弾圧の日にも高江で座り込んでいました。

「高江に飛んだチバさんのレポート」No.1733

 

 肝心な時にはいつも一番いなければならないところにきちんと行っている人です。

でも、自分の家で各種じゃが芋を栽培して、

町会長さんもやって、

そして、ときどきヒッチハイカーですよ。

それはともかく、現場に行かなければわからない報告を送ってくださったので、

さっそくシェアいたします。

先輩は、

1214日(午後1230分から4時間)、

1215日(午前720分から8時間)と

合わせて12時間ほど墜落事故の現場(名護市安部)で

抗議並びに監視活動をしたとのことです


オスプレイ墜落事故の現場(名護市安部=あぶ)からの報告

  オスプレイの墜落事故と原発の事故とはまるで同じ構図である。

すなわち政府は「安全だ」と地元、国民に説明し、

あたかも事故等起こり得ないとの世論を作っていた。

しかし現実に墜落事故は起きた。

すると、一転して事故を軽く見せようと「不時着水」などと説明している。


 12月13日夜、私は墜落事故が起きた時、沖縄県名護市辺野古にいた。

次の日14日、早朝5時高江に向かう時、安部(あぶ)の村を車で通過した。

ものすごい警察車両と米軍の車両が入り混じってまるで戦場のようだった。

私たちの車もストップさせられ10数分停められた。

そこで明らかに現場は大混乱してた。

高江の抗議集会を急遽安部に移すことになり1230分ころ安部に戻った。

      

      

 安部の海岸に激突したオスプレイは

時速500km(最大565km)つまり秒速140mで飛行する。

安部の集落から墜落現場近くまで歩いてみたが、300m位である。

あと23秒早く落ちていたら(飛行向きによっては23秒遅く)、

村は大きな被害にあっていたと思う。


浜で会った村人は、

「村の上空を飛んで行きすぐに落ちた。スゴく怖かった」

と話していた。

一部報道では「着水、不時着」と言っているが、現場を見た印象では正に墜落である。

3mX2mX0.5mの破片が、100m以上離れた所に飛んでいて

米兵が5人で運んでいた。

    

    

素人の判断だけれども、壊れかけた回転翼=プロペラが二つとも、

着陸モードではなく飛行モードになっている。

つまり、機体の前方を向いている。

着陸を試みたとは思えない!

現場の状況、破片の回収状況からとても「不時着水」などと言えない。

まさに大本営発表そのものだ。


私が浜に到着したのは14日、13時前まだ機体の破片の回収は始まっていなかった。

この時、私から10m先の浜に、

墜落現場に行っていたウェットスーツを着た米兵が2名、ゴムボートで戻って来た。

水際に立って、現場方向むかってに直立不動の姿勢で10数秒頭をたれ、

小さな敬礼をして去って行ったのが印象的だった。

また、同機所属の普天間基地では星条旗が半旗になっているという情報がある。

 


私が墜落にもまして驚くことは次の2点である。

1、沖縄米軍トップの四軍調整官は、

「パイロットは住宅や住民に被害をあたえなかった。感謝されるべきだ」

と言ったことだ。

まるで占領軍まる出しだ。

それならば日本政府は「フライトレコーダーをすぐに渡してもらい」事故解析すべきだ。

それが出来なければ、せめて日米共同で事故解析作業を進めるべきだ。

それが独立国の当然の権利だと思う。

いつものように“人為ミス”=機体に欠陥は無い。で終わってしまう。

 

2、次の日15日午前7時過ぎ安部の浜に到着、

8時ごろ米軍が

海岸、砂浜に50m(海岸線に沿)X100m(陸側に向かい)の規制ラインを敷いた。

それを沖縄県警、機動隊約20名が

あたかも「米兵の指導」を受けるようなかたちで行なっていた。

さらに、両側に黄色の幅8cmほどのテープで規制ラインを敷いた。

直後から2030分に一度、ゴムボートで米兵が機体の破片を運び

規制ライン内に積み上げた。

それと前後して辺野古ブルー(カヌーチーム)6隻+私たちのサポート船2隻が

監視活動を開始した。

1130分ごろ現場に向かっていたカヌーチームが帰って来、

規制ゾーンの反対側に上陸した。

(米軍のボートが見えないことを確認して)そこに昼食のおにぎり、

水を届けようと二名の女性が砂浜を横断した。

真ん中ぐらいまで行くと機動隊員が数名、猛然と走り寄り押さえつけ、

大きく砂浜に投げ飛ばした。

二人とも大きく飛び仰向けに転がった。

そもそも、この浜に誰の指示、命令で規制区域を設置したのかも定かでない。

新聞によると名護署は、

「一時的に残骸を浜に置くことは把握しているが

米軍の規制線が張られていることは確認していない」

とのコメントだった。

そんなところで機動隊が米軍の指図で警護するのは?が何個もつくのではないか。

沖縄は属国でも植民地でもない!

 

16日、17日も安部の浜で抗議集会がありました。

辺野古ブルーも出動しています。

17日は辺野古キャンプシュワブ前に900名集まり抗議行動をしました。

 以上です。

―――――――――

沖縄県警の機動隊でしょうか。米軍の下請け業者になって、恥かしくないのか!

てか、日本政府が恥知らずにもこの状態を作っているんですよね。

「日本愛国者」とか名乗る人たちがこの政権を支持しまくっているのも、

見苦しく、おぞましいものです。

 


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