生涯ワンタームと考えた禍福バランス?

2020-08-20 17:24:01 | 日記
「禍福はあざなえる縄のごとし」の成句について以下を思う。このフレーズは福(幸せ)と禍(災い)が交互にやってくるという意味ではなく、福と禍は同じ程度の機会発生を意味しているのではないかと。つまり、禍と思われることが今を含む人生の前半期にあると思えたら後半期には福と感じられることが同程度の割合で必ず起きると、そう思えればこれから先がグンと楽しみになる。一方、親からの虐待や予期しない事故などで人生の最も前半期(乳幼児期~思春期)に自らの意思に反していのちを失う事態に遭遇した場合はどう考えたらいいのか難しい。そこでヒントを得たのが中島みゆき作詞作曲「時代」のフレーズだ。科学的根拠は全くないが、「過去世」と「現世」と「来世」の三世を生涯ワンタームと見なし、その輪廻転生する中での禍福バランスがあるかもと考えた、もちろん仮説だ。今朝のウォーキングで思いがけないヘマをしでかした。肝心なスマホ(万歩計付)を自宅に置き忘れてウォーキング、公園入口辺りで気づいたが万事休す。いつも通りのコースを歩き、鯉とカメにエサを撒く。撒かれたエサを鯉とカメがほぼ同時に食らいつく。が、鯉の方が圧倒的な大口ですばやい。そこでエサを撒く身としては、知らず知らずに公平性を考慮してカメが浮いているところにピンポイントでエサを投げ入れ供給バランスをとる。案外、天の神様も人間社会に対してそうされているかもしれない。きょうの出来事としては、○朝のウォーキングに万歩計付スマホの持ち忘れ、想定5,000歩としたこと、○家人と連れ立って心斎橋エトレでヘアカット&健康回復マシーン利用でくつろげたこと、○生涯ワンタームを禍福バランス思考で考察したらコロナ終息後は期待できそうだ。(15,330歩)