半農半X?土のある農的生活を求めて

「生きることは生活すること」をモットーに都会から田舎へ移り住み、農村の魅力を満喫しながら、日々、人生を楽しく耕しています

本:菊池省三、最後の教室

2015年10月16日 | 素敵な本
先日、久々に夜の12時まで読んでしまった本です。


丁度、この本の取材が終わった今年の3月に菊池先生は退職届けを出したので、この本に載っている1年間が教諭としての最後の1年になり、「最後の教室」というタイトルになっています。

以前、NHKの「プロフェッショナル」に出た小学校の先生で、テレビを見た時は「凄い先生がいるもんだな~」と思っていました。

「プロフェッショナル」には色々な先生が出てくるのですが、どの先生も「信条」があり、その「信条」に従い、「子どもの可能性を信じきる」態度で接しています。

菊池先生も独自の信条に基づき、学級崩壊したクラスを「立て直し請負人」ということで、次々と見違えるようなクラスにしてきた方です。


その「どのように立て直してきたのか」、ということを、具体的な1年間の取材を通じて実例をあげて記したのがこの本です。
しかもその著者は、昔、菊池先生の教え子だった方、というのもなかなか面白いですね。

で、菊池先生のメソッドとして、「ほめ言葉のシャワー&質問タイム」、「成長ノート」などがあります。

どういうことかというと、日直の子に対して、1日クラスメイトが「その子の良いところ」を観察して、1日の最後に1人1人が「○○くんは、掃除の時もきちんとやっていて、とても良いと思いました」「○○くんは、私が消しゴムを落としたとき、すぐに拾ってくれて、優しい心を持っているな~と思いました」といったように、「シャワー」のようにほめていく、ということを行います。

そういった「シャワー」を浴びた子は、きちんと「感想」も言わなくてはいけません。

また、そのために「質問タイム」として、色々な質問をなげかけて、答えていくというのもやります。

こういったことを繰り返し繰り返していくだけでなく、「成長ノート」というのを書いたり、黒板に教室に広げたい流行語=「価値後」、例えば、「1人が美しい(=群れることなく1人で判断して行動できるようになろう)」といったことを書いたり、言葉を大切にしていきます。

ただ、そういった発表の機会を作ったり、ノートを書いたりすればいい、というものではなく、そのもっと奥にあるのが「学級全員で成長しあう集団へと育つ」という信念を菊池先生が持っていることが最も重要なところ。

その信念に基づき、学級全員で成長していくことを子どもに暗に強制し、1人も落伍者も出さない、集団の成長をもって個人の成長を促し、個人の成長を集団の成長に繋げる、ということを、言葉で徹底的に伝えた上で、成長を信じて待つことをしています。
「集団にいるプレッシャー」みたいなものをあえて使うわけです。
「集団は個を成長させる」という信条ですね。

今までずっとどうしようもないというレッテルを貼られてきた子がいて、髪の毛は染めて長髪で、授業中に平気で居眠りをしたり友達の机の横にいって話し出したり教室を脱走したりする子がいたのですが、学級が始まった頃はずっと見守っていました。クラスの成長を待ったのです。

そして、ある段階までクラスが成長したと思ったとき、その子ではなく、みんなに対して「○○くんがこうなるまでどうして放っておいたんだ!お前らの責任だぞ!」とあえて叱ったり。

こういったことを繰り返しながら、自分の考えをまとめ、自分の考えを相手に伝え、同時に相手の考えを聞き、自分も成長し、同時に集団の成長を考えられるようになる、といったことを少しずつクラスに浸透させていくわけです。

普通の子が自分の意見を発表できたり、人のよいところを見つけて言葉にすることが出来たり、段々と周りの子の手助けをするようになってくる。
そういった子は最初は2割しかいなくても、だんだん増えて8割ぐらいになると、ぼけ~っとしていた子も「自分だけ成長していない」と実感するようになってくる。

そういったクラス運営をしながら、長年の経験で、1年の中で子ども達がどう成長していくかを大体つかんでいて、その成長の度合いにあわせて、子ども達に介入したり任せたり。

きちんとルールを守れるようになると、授業中に自由に席を立って仲間と討論したり、黒板を自由に使っても良くなったり、教室の外に出てもよくなってくるクラス。

最後には「1人も見捨てないことは全員が学級の一員としての責任を果たすこと」という言葉がクラスの流行語になったり。

また、自分の内面をネガティブだと自己開示した子に、みんなで「どうしてネガティブなのか?」といった質問をし、それに泣きながら答える子に、また周りの子がコメントを発しながら成長を共にしていくなんていうことを、6年生がやっている。

菊池先生が「子どもの人格形成」「社会に出れるコミュニケーション能力をつけること」といった目標をしっかりと教師として持っているからこそぶれない。

菊池先生が本にも書いてあることですが、私も最近の子ども達は、家庭環境がバラバラで、ご近所つきあいも少なく、ウマがあったお母さん同士の子どもが遊ぶとかも多く、しつけのレベルも子どものあらゆることの経験の差もバラバラで、集団としての経験値が確かにバラバラだという気がします。

「学校に子どもがお世話になっている」と思う親もいれば、「学校はサービスを受けるところ」と思っている親もいますし、何でも買い与えられる子どももいれば、お小遣いで自分を管理している子もいれば、親の範疇でしか買い物が出来ない子もいます。

色々な家庭事情、性格、価値観や習慣の違いがある子どもが集団となっていると、それは、例えば野球チームとか何かのサークルとかの1つの価値観で統制された子ども達だけの集団とは違ったものがあります。

小さいうちは「安全な平和な世界に君は生まれてきたんだよ。生まれてきてくれて嬉しいよ」ということをたっくさんシャワーのように浴びさせるのが一番の教育だと思いますが、小学生に入ってからは、玉石混合の社会に足を踏み入れるわけです。

そうなると、家庭が心の落ち着く居場所にさえなっていれば、あとは、色々な社会に触れていくのも大切だと思います。
その中で、価値観の違いに出会い、時には苦労をするでしょうが、その中で自分の信条や価値観を整えていく時期が小学校だと思います。

とはいえ、それを全部小学校に任せるのは無理なお話。

一定のルールの下で成長を促していくというのはかなり大変なことです。

親がどのような考え方を持っているか、その子がどのような経験を積んできたか、そういったベースがどれだけあるかで、小学校の色々な環境や刺激にも順応できるか、その中で成長できるかは決まってくると思います。

そういった前提の上で、小学校の子ども達の勉強の不出来はもちろん、成長の度合いは、結局は先生の手腕にかかっているわけなのですが、そこにチャレンジし続けてきた菊池先生が、今は教育界だけでなく民間企業などあらゆるところから注目されているのは、当然だと思います。

今年の3月に、菊池先生が「教育委員会の壁」を考え、学校教諭を辞めて、これからチャレンジしようとしている社会全体に発信している教育改革にはとても関心があります。

色々な「名物先生」がいますが、1つ1つ、そういった「民間の力」が色々な「教育信条」を発信していってもらうことで、私達は思想や思考の幅が広がりますよね。

ほんと、凄い先生というのはいるものですね。
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