半農半X?土のある農的生活を求めて

「生きることは生活すること」をモットーに都会から田舎へ移り住み、農村の魅力を満喫しながら、日々、人生を楽しく耕しています

「新嘗のこころ」の勉強会

2017年04月23日 | 素敵な空間・イベント
今月も、湯島神宮の小野先生の講座に行くことができました。

今年は「新嘗のこころ」という著書を元に勉強しています。

一昨年から断続的にぽつぽつと行っているのですが、来月から田んぼが始まるので、今年度はこれでしばらくいけないというのもちょっと寂しい限りです

小野先生のお話は、終始一貫しています。

・今、私たちがいるということは、その前に無限の命があったということ。それは神代の時代から続いてきている。それだけで奇跡。

・そのいのちは1つであって、繋がっている。かみさまの命も私たちの命も同じ。自分の中に神様がいる。繋がっている。全体で1つ。1つが全体。その世界は感謝、歓喜の世界。

・そのことを昔の日本人はみんなわかっていた。神棚やお墓に向かって語りかけているのは、欧米人から見ると「本当にそこに死んだ人がいると思っているのか?」と理解が出来ないが、日本人はみんなおかしいと思わない。

・だから神社もつぶれずに何千年も残っている。神代の時代から残っている神社、社、それ自体が奇跡。海外であれば1000年もすればそれは廃れて「遺跡」となる。それが遺跡ではなく現在も毎日、祝詞が上げ続けられている、そんなものは世界中探しても日本にしかない。

・そんないのちの奇跡の中で生きているのに、傲慢、妬み、嫉妬、怒り、などが覆ってしまう。だから「祓え」なんです。

特に、今回は明治時代の外人さんで日本人と結婚して日本人になった「小泉八雲」の話が秀逸でした。

「私達欧米人からみると、日本人がたましいが永遠に不滅だ、と思っているのは、ちょっと理解しがたい。確かに昔はギリシャ、ローマ時代には今の日本人と同じように、死んだ者に対してご飯をお供えして、一緒に食べる、ということをしていたというのは知識では知っている。しかし、そういったことを代が変わってもずっとやってきた日本人と違って、私たちはわからない。それは代々、受け継がれてきた感情というものが無いからだ」

じいさん、ばあさん、親などが仏壇や神棚、あるいはお寺や神社で手を合わせて、先祖や神様に祈りをささげる、そんな風景や雰囲気を小さい頃から味わってこないと、「なんだか神社の前では神聖な気持ちになってしまう」なんていう感情は起きないわけでしょうね。



そして、このお勉強会の楽しみの1つが、お食事
「あなたと健康」のお料理教室をしている方々が、心を込めて丁寧に作られてお食事は、ほんと~うに美味しいんです
心が祓われ、お酒もちょこっと出て、毎回大満足のお勉強会。
しばらく行けなくなりますが、また行きたいと思います
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ベテラン農家さんへ訪問

2017年04月21日 | 農的体験・生活
おかげさま農場の若手から、みみずの会の元代表の板橋さんのところを観てみたい、という要望が出たので、コーディネートして視察してきました

板橋さんは20年農薬を使った一般的な農法をやり、その後、なのはな生協の立ち上げと共に「大栄みみずの会」を設立し、20数年無農薬栽培をやってきました。

らでぃっしゅぼーや、なのはな生協、地元のネット通販会社などに卸しているのが「大栄みみずの会」なのですが、成田の無農薬野菜を作っている団体で、トップレベルの味、品質を誇ります。

数年前、ちょうど農業歴40年になった年の事ですが「普通のを20年、無農薬を20年やって、もう農業に飽きちゃったよ(笑)」と冗談で言っていましたが、作物を作ることに対して一定以上の経験を積まれた結果、「だいだい、思うように出来る」というレベルに達されたからこそ出た言葉なんだと思います。

その畑や敷地は、ご性格を表しているんでしょう、とってもきれいなんです

勉強してみたいという若手農家さんのコーディネートをしたわけですが、久々に行って、若手ながら農家同士の話を横で聞いていると、やっぱりすごいんですね~。


この樽には、ぼかし肥料、というものが入っています。
みみずの会の方々は、米ぬか、糖蜜、竹林からとった放線菌を入れ、あとは人によって鶏糞を入れたりして発酵させるのですが、あま~いパイナップルみたいな肥料が出来上がるのです
ただ、板橋さんはそこにさらにカニ殻、炭、牡蠣殻石灰なども入れるようで、あま~いという中に出汁の香りもする発酵肥料を作られています。
みみずの会の野菜がみんな美味しいのは、こういった発酵肥料を使っているからなんでしょうね。


蓋をあけてしばらくすると、放線菌が広がってきています。生きている証拠ですね。


こちらは堆肥場。
まずは、もみ殻と鶏糞をかき混ぜたものを積んで、発酵させています。
この時点で全くにおいません。


それを屋根の下のコンクリートで囲われた堆肥場で何度もかき混ぜて空気を入れて発酵を促し、半年ぐらいたつとポロポロになります。
これを畑に入れて土つくりをしているそうです。


お次はハウスの中。「温度が上がってきてレタスが立ってきちゃったよ」と言いながら、その場で頂いたレタスは当然ながらみずみずしく甘くて美味しい~
その場で、何枚もむしゃむしゃ食べてしまいました


その他、全面マルチといって、2列そのままマルチをはったレタス類の栽培、穴の開け方など、農家同士でとても専門的な話をしていました。


小さな苗をあえて植えて草を抑えるため、穴があいたマルチを使わず、わざわざ鉄パイプを刺して小さな穴をあけるらしいですよ。
ちょっとした工夫と手間をかけることで、後々の手間を減らす段取りがあるんですね。


それが育つとこんな立派なレタスになるんです


それ以外にも不織布やビニールのしまい方、翌日の準備を考えて本日の仕事を終わらす段取りの組み方など、「すごい」という言葉が連発でした。

そして何よりも凄いのが畑や敷地がきれいに整っていること

敷地内には桜や果樹も植えてあり、ホタルが飛び交い、毎年、お花見やタケノコ堀やホタル観賞会を敷地内で開かれているのですが、「子供たちが喜ぶんだよな」と本業ではない樹木やお花、丘の法面がきれいに整備されていて、「これだけの規模を農業をやりながら手入れしているのが凄い」と連れて行ったメンバーは驚いていました。

栽培技術や敷地を整備する精神的ゆとりがあるのが凄いのですが、それ以上に、それを実現する労働を全く苦にせずに、さらりとやってしまっているのが一番すごかったかもしれません。

今の時期で一番忙しい時期は朝5時から夕方まで仕事をしているらしく、それを「忙しい」「大変だ」と全く思っていないような落ち着きぶり。ベテランの貫禄とういか、とにかく「凄いな~」と思いました
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春の雑草、畑、そしてキジ

2017年04月17日 | 農的体験・生活
春です。

暖かい日が続き、風も吹くと桜が散ります。

もうソメイヨシノは9割散ってしまいましたが、畑にいると、山桜が散ってきて「きれいだな~」と思います

そんな感じですが、畑仕事は今の時期はとても忙しいのです。

プロは夏野菜の準備や田んぼで手一杯ですが、私のような素人も、草がどんどん伸びてきて、今のうちに処理をして夏野菜の種蒔きや苗を植える準備をしないと、5月に入ったら手遅れになってしまうのです

しかし、今年はやりました

初めて、草をほぼ刈り終えました

草はこの時期は1週間で10㎝ぐらい伸びるので、今のうちに手を打たないと、5月にはもう人力では刈り切れず、毎年、畑の一部をあきらめるのですが、今年は刈り終わり、またマルチをはって草が生えないようにしたので、何だかハッピーです

そんな感じで、周りに目を向けると、春は芽吹きの春というか、もうかなり大きくなってきている雑草君たちがたくさんです。

まずは車の通り道に映えているのがこれ。
踏まれてもへこたれないオオバコ。良く草相撲なんかに使います。
種は煎じて飲めるんですよ。


これはチカラシバかな?まあススキの仲間ですかね。
イネ科の典型で、葉っぱは固く、根が凄くて刈り取るのにすんごい大変なんです。


こちらはカタバミの花ですね。
大して繁茂しないので、かわいらしいです


春の王様?子どもにも大人気のタンポポちゃんです


こちらは炒めて食べれるカラスノエンドウ。マメ科ならではの葉っぱや花をつけます。
中華料理の豆苗と同じと聞いて、昔、食べて見たけど美味しくはなかったです


まいどおなじみぺんぺん草です。うちの子供もこの前、ぺんぺんやっていました


こちらは代表的な春の雑草、ホトケノザ。だいぶ花が咲いていますね~。


こちらも代表的な雑草、オオイヌノフグリ、もしくはタチイヌノフグリです。
青いきれいな花をつけるのに、名前がかわいそうですよね。。。フグリだなんて。


こちらはヨモギ。昨年、花を咲かせて種を落としたのがようやくここまで大きくなりました。
まっ、あとで刈ってしまうけど。



さて、雑草の次は畑の作物です。

こちらはスナップエンドウ。ここ最近、暖かいので一気に育ってきました。
毎年、約1ヶ月にわたって、美味しい実をつけてくれます


スナップエンドウの花はとてもきれいだと私は思います。
好みもあるけど、マメ科って一番不思議できれいだと思うのですよね~。


ちなみに、昨年は鳥に結構やられたので欠株が多く、そこに春に改めて蒔きましたが、そちらはようやく本葉が出てきたぐらいです。


こちらは同じように鳥に食べられ、かなり壊滅的なダメージを受けたソラマメ。
4株ぐらいしか残っていませんが、まあ、1回でも食べられたらな、と思っています。



ニンニクは冬の時点で何だか赤っぽかったのですが、何か微量要素でも足りなかったのでしょうかね?


らっきょうは2年越しです。去年は掘り返す暇がなかったので畑に置きっぱなしでした。今年こそ掘って収獲するぞ


おっと、これは大根の花。
アブラナ科ですから一応、菜の花、なんですが、普通の黄色のものとちがって、ルッコラと同じで十字の白っぽいとてもきれ~いな花を咲かすので、私は大好きです


こちらは小麦。出穂していますね。


あと、今年もアスパラが出てきました
今年の初アスパラを食べれました


ニラも出てきましたが、白ベト病みたいなのが出ています
しばらくしたら治るかな~。


最後に、近くの畑の横の藪のあたりで、やたらキジが鳴いていました。
3時間ぐらいかな?

ケーン、ケーン鳴いて、しばらくしたら藪の中に入って。
畑仕事をしていると、またケーンケーン鳴いているので見上げると、また同じ場所にいる。
10mぐらいの距離になったこともありました。

メスでもいるのか、それとも点滴でもいるのか?

なんで同じ場所にいるんでしょうかね~?
まあ、それはともかく、鳴き声と違って、見た目はきれいですね~。



そんな感じで、春は雑草も畑も鳥などの獣も、みんな命の芽吹きを感じる季節です
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種蒔きの季節

2017年04月16日 | 農的体験・生活
先週も色々なイベントがありましたが、ふと落ち着くのは種蒔きをしている時

農家の高柳さんも「種まきの時は今でも新鮮な気持ちになるな」と言いますが、わかります


野菜の種類によって種の大きさ、形、色がそれぞれ違い、そこから出てくる双葉の形も違うんですね。

子どももおんなじ、種もおんなじ。


ということで、まずはトウモロコシ。

これ、全部ポップコーンです。


正確に言うと、成田市の伊能地区で代々引き継がれてきた「あられ」とよばれているもの。

ポップコーンって、戦後に海外から入ってきたと思っていたら、「あられ」という名称で、昔から代々村々で引き継がれてきたものだったんですね。

で、高柳さんから種をもらって去年栽培し、その残りがこれです。

食べられますが、これをバラして蒔くとまた実るわけです


あと、以前食べた「もちきび」というものもあったので、それも一緒に蒔きます。
「もちきび」というのは、今、普通に売られているトウモロコシが「スイートコーン」と言われる甘いものですが、それが出てくる前に、日本で普通に焼きトウモロコシなどで食べられていたもので、もちもちした食感で結構美味いんですよ

これも、買ったものを種取しておいたんです。
左側の大きな黒っぽいのがもちきび。右側のあられに比べると大きい、というか普通のトウモロコシと同じ大きさなんですね。


その他、今の時期に蒔く種はこれだけあります。

白瓜は漬物に最高で、枝豆も美味しいし、空芯菜やオクラは夏に必須。
かぼちゃもいつも育てています。
そして、今年は初めてパクチーとインゲンもチャレンジしてみます
あとは落花生ですね。



子どもも参加してくれました
子どもが一緒だとなんでも楽しいものです

小さいな手で小さな種を蒔いてくれましたよ



今回蒔いたのは育苗するものです。

枝豆、インゲン豆、空芯菜は直播で大丈夫です。

オクラはポットと直播の両方でやってます。

苗も買うのも良いけど、今出ている苗はハウスで育てたもので、ちょっと畑に植えるには早いんです。

なんでもゴールデンウィーク明けぐらいの気温の方が良いので、ベランダで種蒔きして育苗するのがお勧めです。

種蒔きも楽しいし、発芽して双葉出るところなんて、感動的ですよ

さあ、種まきの季節です

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桜満開の入学式

2017年04月10日 | 素敵な空間・イベント
今日はあちこちで入学式です。

昨年に続き、今年もお呼ばれして行ってきましたが、昨年は桜は散っていましたが、今年は天候にも恵まれ、桜も満開で入学式日和で何より

この前まで幼稚園・保育園のちびっこが正装して頑張って座っている姿が微笑ましいですね~。
また、入学式は人生で一番「お堅い」体験だと思うので、さぞ疲れたでしょうね

もうちょっと柔らかい感じでもいいと思う一方で、最初は堅苦しくても小学校のけじめというか雰囲気を味わってもらうのも必要なのかな、とも思いますが、1年生の保護者はどう思っているのでしょうかね?


さて、そんな入学式ですが、特に良かったのが校長先生のお話。

式辞の時に折り紙の「輪飾り」を準備していました。

なんでも今回入学した1年生の幼稚園、保育園ごとに色分けし、ある幼稚園から5人の1年生が入ってきたら5個の輪飾りを作る、ということで、1年生全員の数と同じ輪飾りを作って「ここに〇種類の色の輪飾りがあって、その人数と同じ数が繋がっています。みんなこうやって1つに繋がっているんですよ」というお話をしていました。

まじめな校長先生のお人柄や子供たちへの愛情を感じますね~

PTA会長も今年も続投で、新しい教頭先生は笑顔が素敵な方。今年も良い雰囲気で新年度がスタートです


ちびっこ1年生、楽しい小学校生活になるといいですね~
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野草摘みと座学の「食と命の教室」

2017年04月09日 | 農的体験・生活
今月の「食と命の教室」はあいにくの雨

天気予報でも雨の予報が出ていたので、多少の心構えをしていましたが、やはり雨でした

ということで、基本は座学でしたが、雨の中、「たぶん、みんなやりたいだろうな~」と思ったのが「春の野草摘み」でしたので、雨が少し弱まった時を見計らって「行ける人は行きましょう」と連れ出しました。

山裾から水が湧き出てちょっとした小川になっているところには、自生のセリやクレソンが生えているんです。

私はクレソンは特に美味しいと思わないのですが、女性のみなさんは「美味しいですよ~」と喜んで摘んでいました。
パクチーと同じで、香りが独特でも女性の方は結構好きですよね~



また、ぺんぺん草やカラスノエンドウがあちこちで旺盛です。

カラスノエンドウのまだ花を咲かせていない若いものは、中華料理に出てくる豆苗のように炒めて食べれるんですよ。

私も以前、食べたことあったのですが繊維質でそんなに美味しくはありませんでした

そう言ったら、教室の参加者で、以前、「若杉ばあちゃんの野草料理教室」に参加したそうで、習った料理を教えてくれました。

まず、最初からカラスノエンドウを細かく刻んでしまうそうです。

それを15秒ぐらいお湯であく抜きをし、水気を切ったものを油でいためて、かつおぶしやゴマ油、醤油、砂糖などで味付けしたものは、とっても美味しかったとのこと。

まあ手間がかかるわけですが、野草ですから、そのぐらいの手間をかけるのが良いのでしょうね。

人の体は食べ物で出来ています。分子レベルで食べたものが分解され、体の分子と入れ替わります。
また、体に刺激を与えるものとして、例えば辛い物を食べれば体は「辛い!」と刺激を受け体温が上がったり、苦いものを食べれば「苦い!」といって排出しようとする。それは生体反応として数年年、数万年にもわたって培ってきた生命維持反応だそうです。

だから冬の寒さでため込んだ毒素などは、春の芽吹きと共に出てくる野草などを食べると、何千年、何万年かけて遺伝子レベルに組み込まれた生体反応で、自然に外に排出して体を活動的な「春」に合うように自然調整されるそうです。
だから春の野草を食べるのはとても理にかなっているのですね。

それにしても、自然はとても良く出来ていますね~


と、話はそれましたが、その他、高柳さんの自家用のカブやホウレン草も収穫しました。
カブはもうとう立ちしていましたが、カブの菜の花なんて普通の人は見たことがないでしょうから、「食べてみてくださいね~」とみなさんに勧めたり、雨の中でもちょっとした野外活動が出来ました。



そしてやっぱり一番の楽しみはお母さんの手作りのご飯
今回も盛りだくさんで、特に酵素玄米を食べたことが無い人は「美味しいですね~」ととても喜んでいました

そして前回同様「どうやって作るか教えて欲しいです」と、お母さんをお呼びしてのお料理教室

その中でも、マヨネーズを使わないポテトサラダは、私も「なるほど」と思いました。

普通、ポテトサラダはマヨネーズを使うのですが、お母さんは、ジャガイモや野菜を茹でたら、その熱々の中に卵を割って落とし入れ、そこにお酢や塩を入れて混ぜてしまうそうです。

つまり、マヨネーズは使わないけど、マヨネーズの材料を入れて具材と一緒にマヨネーズも仕上げてしまう感じですね、すごい
だから、マヨネーズを使っているものより、さっぱりしていて美味しかったんですね~



そして「種の話」で、午前、午後の遺伝子組み換えのdvd、夕方と講義の時間はたっぷりでした。

穀物を中心とした農業が発展したアジアモンスーン地域や牧畜が発展したヨーロッパの話から、環境に適応した食べ物、そしてそこで定住していった人間、食文化、そして日本人が食べて来たもの、F1の種から遺伝子組み換えまで、お話しは続き、いつも講義録を作っているのですが、メモだけで6枚にもなりました。これから文字お越しをするのですが、ちょっと今回は大変そうです


来月は田植えが終わった5月下旬。今度は晴れるといいな~と思います
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折れない心

2017年04月08日 | 素敵な本
たまたま図書館で「ペンタゴン式 折れない心のつくり方」という本がありました。

私は「心が折れる」という言葉はあまりピンと来ないというか、好きでもないのです。

ただ、今年は年始からいろいろあって、ちょっと前は顔面けいれんが起きるほどストレスが溜まっていたので、ちょっと手にとって読んでみました。

書いてあることは凄く論理的で全うなことで、何か凄いことが書いてあるかというと、どちらかといえば「当たり前のことを当たり前に徹底的にやっていく」というものでした。

ただ、凄くピンとした言葉があります。

その1つは「逆切れや怒るなど、平常心を忘れて感情的になるのも、心が折れている状態」という表現でした。

なるほど

怒っている人は、「心が折れている」わけです。


普通は、何か目標に向かって頑張ったけど到達せず打ちひしがれている時や、大きすぎる壁にぶつかってチャレンジ精神そのものが無くなってしまった、といったのが「心が折れる」ているといいますよね?

でも、ペンタゴンでは「平常心を保てていない」のが、自分の感情や心をコントロール出来ていないことが、「心が折れている」という定義なんですね。


それもそのはず、日々、世界で勃発している紛争、戦争、非常事態に命をかけてスピードをもって判断をしていかなくてはいけない。それが間違えば部隊の全滅、多くの部下の命にもかかわる、といったことが日常の仕事のペンタゴンの職員にとっては、「常に平常心をもって判断が出来なければいけない」のが義務なのです。

怒り、あるいは落ち込んでいる状態で的確な判断は出来ないんですね。

子育てで、キーキーしてしまうことは特にお母さんに良くありますが、それも平常心を失われている「心が折れている状態」です。

部下を感情的に叱り飛ばしている上司も「心が折れている状態」です。

理想ではありますけど、常に平常心を保つために、日々の準備が大切、ということが書いてありました。


もう1つ、「誰かを裁かない」というのも、なるほどな~、と思いました。

これはビジネス社会にお友達関係でも、もちろん裁判でも、「誰かが悪い」ということを決めつけることに現実世界では労力を割きます。

でも、ペンタゴンのような異常事態が日常の仕事をしている方、あるいは真の大人は「誰かを裁く」ことはしません。


「誰かを裁いて、その結果、何が得られるの?」と問うと良いと言います。

さらにもう1回「その得られたもので、何が得られるの?」と2~3回問えば、結局、問題や事態が解決しないことがわかります。


誰かを裁くのではなく、その問題の「原因」にフォーカスする。それが建設的な解決を導けるプロであり大人なんですね。


最後に「結果思考より成果思考」とうのもありました。

失敗をした時に、失敗したという「結果」にくよくよするのではなく、「失敗したことに得られた成果」、例えば自分の問題がわかったとか、良い経験を積めたとかに集中をしよう、というものでした。


どれも「そりゃそうだな」ということばかりなのですが、こういったことを積み上げるトレーニングを日々行っているのがペンタゴンのようです。

いわゆるエリート、制服組、トップ層、というのは、人格者も実際にはいるわけですが、そういった日々のトレーニングと実践で鍛えられているからなのでしょうね。

日常の生活で色々な人と関わり、心が揺さぶられても、動じない、心が折れない、真の大人になれるよう、みんなで努力していきたいものですね。
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花見をするのは町の人

2017年04月06日 | 農的体験・生活
東京では先週から桜が満開だそうですが、この辺りでは今日で9分咲き。

明日、あさっては満開でしょう

花見は月曜日にやったのですが、その時は1分咲き

明日、明後日、しあさってと色々あり、しいていえば明後日の午前しか空いていないのですが、今年は満開の桜の下での花見は出来ないかな~。

なんて話を農家さんにしてみたら、みんな「俺らは花見なんかしないぞ」と言うのです

「えっ、そうなんですか」とびっくりしている私に対し、「花見をするのは町の人だろうな。俺らはしないよ」とそこにいた農家さん達は同じ反応なのです。


「俺の家の前に桜はあるけど、別にいつも見ているし、わざわざ見にいくとか酒を飲んだりはしねぇぞ」

「俺もしないな。まあ、いつも通る道に山桜があって、それはきれいだな~ってみることはあるけどな」

「おう、俺も山桜は見るけど、あれはきれいだよな」

「まあ、忙しいっていうのもあるけどな。まあ町の人だけだろうよ」

という会話がされて、びっくり

花見というのは、「町の人」の文化だったのですね~。


私からすれば、日本人はみんな花見をするものだと思っていましたが、「桜は確かにきれいだよな。でも花見はしねぇな」という農家さんからすれば「町の人は違うよな」ということなんでしょうね。

文化の違いってこういうところにあるんですよね。

自分が当たり前と思っていたことが、そうじゃない。

だからどう、というほどのことではないのですが、私にとっては「へ~」という発見でした
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「教え」は争いの元にもなる

2017年04月02日 | 自分の時間
古事記の小野先生という方の講座に今年、久々に出たことから、ちょっと思ったことを。

世の中の争いに宗教戦争があります。

世界的な宗教戦争は、実際は経済に絡んだものだったり、政治に力で内部分裂をしかけるよう外部が仕掛けた宗教戦争もありますから、一概に言えませんが、例えば、家が代々宗教をやっていて、こちらにその教えをさも当たり前に素晴らしいものだからやりなよ、と言ってくる人もいます。

政治的に、意図的に、教えや儀式を勧めてくる人もいれば、純粋にそれが良いと思って勧めてくる人もいます。

あるいは、飛び込みで良くエホバの証人とかきますよね。


仏教の場合は日本に根付いているので、その教義を押し付けてくる人はお目にかかったことはありませんが、ただ、宗派によって意見が食い違うのは、田舎にいると良く感じます。

「ブッダは死後の世界がどうだなんて1つも言っていないんだよ。俺ら禅宗の者から言わせれば、葬式も実際は意味が無いんだよ。まあ習慣にあわせてやっけどな。仏教は生きている人の教えなんだよ」という話を聞くと、「なるほど~」と思う一方で、他の宗派や神道と合体した先祖崇拝の仏教とは違うものもあるんだな~と知るわけです。

で、たまたま私は「古事記のこころ」という著作がある小野先生の講義にたまに行くご縁を得たので「神道」について少しかじったのですが、それを聞きながら、また普段の生活、あるいは新宗教を家族でやっているのを見ていたりすると思うことがあるのです。

それは、「教え」というのは、生きていく上で必要。
「教え」があることで、それを生きていく上での基盤になり、人は安心して生きていける。
しかし、「教え」というものを「信じる」からこそ、自分に確固たるものが出来るということは、一方で、その「教え」以外にものは受け入れにくくなる、ということ。

信じることで、心の安定がもたらされるわけですが、それを「広めよう」とか次の行動に移る時に、「相手の気持ち」を考えない人もいるわけです。

そんなことを考えると、小野先生の「神道というのは宗教じゃなく「道」だ」という見解で観た場合、「あぁ、なるほど、だから2000年以上続いてきたんだな」とわかります。

神道には明確に「教え」を示しません。
それは1人1人の心で感得するもので、自然やかみさまに感謝して生きること。

職人の道、芸術家の道、かみさまへの道、それぞれ道というのは「どう生きるか」ということ、それは以心伝心で言語化が出来るものではない、というところがまた難しく、また深いわけですが。

きちんとした教えがある方が、理解が進み、広がります。
言語化がされていないと、広がりが見えない分、批判や攻撃をされること、あるいは他を攻撃することも少なくなります。
あくまで自分の生き方の問題であって、1人1人が生かされていることへの感謝を思って、その感謝の心から自分が離れるたびに、祓って祓って、というのが神道らしいのです。

決してこれは日本の神道ではなく、いわゆるアミニズムもそうですが、世界各国で原住民というのでしょうか、その地域に根差して生きて来た民族のほとんどが持っている信仰です。

その地域の自然にかみさまを見て、先祖はかみさまになり、自分たちもその先祖やかみさまとつながっている。
毎日、そのかみさまや先祖に自分たちと同じように食べ物をお供えし、お祈りし、感謝の祭りを収獲の時などに行う。
その地域で出来た自然の恵みから衣食住をまかなって生きていて、その恵みに感謝をして生きてきたわけです。

原始的な宗教といえば大体同じだと思うのですが、これは原始的に生きてきた時代は世界中の民族誰もがやっていたことのようです。

そこから唯一絶対神や唯一絶対の教え、というのではなく、その地域でその人々が生きていく上で、自然とつながって畏敬の念をもって感謝して、という生き方そのものなんですよね。

だから川の神様、お日様の神様、畑の神様、と自然を神様としていた。

だから、明確な教えというより、自然への畏敬の念、生かされていることへの感謝、という原始的で根源的なものを体感できるかどうか、それを生きる上の中心に出来るかどうか、というのは教えても体得できるものではなく、自分で体得するしかない、ということだそうです。

そういったものを国家が出来る時に大和朝廷が政治の中心に置き、仏教やキリスト教なども取り入れながら、今も国の中心の1つとして残っているのは、唯一絶対の教えというものではなかったからなんだろうな、と思います。

そして、これからの世界に、そういった原始的だけど根源的な思想を持っている人の方が、争いは少ないんだろうな、と思います。
例えば、大地に根差し、今も「俺らは自然に生かされているんだよ」と言いながら生きている農家さん達のように。

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春の芸術祭り 第4弾「劇団かかし座」の影絵

2017年03月29日 | 素敵な空間・イベント
春の芸術シリーズ、最後を飾るのは、影絵で有名な「劇団かかし座」というところに影絵です。

池袋でやるということで、久々におのぼりしましたが、まあ、相変わらず人が多いですね、東京は

「劇団かかし座」というのは、影絵で有名なところで、NHKの子供番組の影絵で結構出ていて、成田にもちょくちょく来るのですが、私は初めてです。

子ども達は、「長靴をはいた猫」など色々な童話を影絵でやっているのを観たことがあるのですが、今回は「世界中の人がわかるようにつくった、古代の人間の営みを表した伝承などを元にしたオリジナル作品」ということで、私は面白かったのですが、朝7時に成田を出て空港に行ってきた奥様と子供たちは、途中、寝ていました

手で猫、ふくろう、うさぎ、鳥、ふくろうなど、まぁ、とっても美しく滑らかに影絵で表現できるものとびっくりしました。

ちなみに、前半30分ぐらいがオリジナルストーリーですが、後半30分は子供たちむけなのでしょうか、影絵教室みたいになったり、クイズになったり、マジックなど、エンターテイメントな感じでした。

好きな人は好きなんでしょうね~。

こういった影絵で「もちもちの木」とかをやってもらえたら、また観に行きたいな~と思いました。
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