波打ち際の考察

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波屋山人

関谷定男さんの冥福を祈る

2008-04-13 00:33:46 | Weblog
関谷定男(せきやさだお)さんは、評判のよい人だったらしい。
律儀な人で、優良ドライバーとして賞も受けていた。
さっきテレ朝でも報道があった。
関谷さんは事故に遭っても最後まで回避行動をとろうとしたらしい。
亡くなった時も、ブレーキを踏んでいる状態だったらしい。
冥福を祈る。
手を合わせた。

やりきれない事件だ。
タイヤのボルトが破損したトラックを運転していた京阪産業の運転手も強いショックを受けている。
この人にとっても、衝撃的なことだろう。
残念だとしか言いようがない。
加害者になってしまった者にとっても辛いことだ。
私には手を合わせることしかできない。


最近、交通事故での死者は最盛期に比べて半減している。
昭和45年(1970年)の1万6765人がピークだった。
平成18年(2006年)は6,352にまで減っている。

1970年頃だったか、それよりもう少し前だったか、私の祖父も交通事故でトラックに轢かれて亡くなった。
たしか国道2号線で自転車をこいでいて、即死だ。
運転手は当時19歳くらいだったらしい。
当時短大に入ったばかりの私の母と同じくらいの歳。
保証金も何も、お金は受け取らなかったらしい。
その運転手が健在なら、今は60くらいだろうか。



http://www.yomiuri.co.jp/national/news/20080412-OYT1T00113.htm
■脱落タイヤのバス直撃死亡、トラック車軸ボルト全8本破断

タイヤが直撃したバスを調べる警察官ら(11日午後4時20分過ぎ、静岡市の東名高速・静岡ICで) 静岡県牧之原市の東名高速道で11日午前、大型トラックの左後輪の一つが外れて観光バスを直撃し、8人が死傷した事故で、外れたタイヤを車軸に留めていたボルト8本すべてが折れていたことが、静岡県警の調べでわかった。

 折れたボルト数本の破断面はさびついていたといい、県警は、折れていたボルトのせいで走行中にほかのボルトにも負荷がかかり脱輪した整備不良が原因とみて調べている。

 死亡したのは、「名阪近鉄バス」(名古屋市)運転手の関谷定男さん(57)(岐阜県大垣市)。頭などを強く打っているという。愛知県稲沢市の男女乗客7人も軽傷を負った。

 トラックは産業廃棄物運搬中で下り走行車線を、バスは上り追い越し車線を走っていた。調べに対し、トラックの浜松市中区、植木丈喜運転手(37)は「ガラガラという音がして200~300メートル走った後、後ろをタイヤが横切るのをミラーで見た」と話しているという。植木運転手が勤める産廃収集運搬業「京阪産業」(静岡県)の癸生川(けぶかわ)正司専務は「整備は運転手に任せている。過積載があったかもしれないが、わからない」としている。

 タイヤは直径約1メートル、重さ約100キロあり、トラックを追い掛けるように路上を転がって、高さ約1メートルの中央分離帯ガードレールで跳ね上がり、バスの正面ガラスから車内に飛び込んだ。バスは数秒間、60メートル以上走って静かに停止。関谷さんはタイヤに直撃されながら、足はブレーキペダル上にあり、無意識のうちブレーキを踏んだとみられる。

 バスには乗客39人と女性乗務員が乗っており、愛知県一宮市を出発し、SLに乗る日帰り観光で静岡県島田市に向かっていた。乗客の大脇まさをさん(82)は「女性2人が、飛び散ったガラスで顔じゅうが血だらけだった」といい、富田はる子さん(76)は「体じゅうにガラスの破片が飛んできて恐ろしかった」と声を震わせた。

 国土交通省によると、大型トラック・バスの同種の車輪脱落事故は、1999~2006年に221件。原因は、ボルトの締め過ぎや緩みなどの整備不良が多い。今回のトラックはいすゞ自動車製で、04年4月に青森県で同型車が走行中、整備不良でタイヤが脱落する事故が起きている。

(2008年4月12日02時18分 読売新聞)


http://www.yomiuri.co.jp/national/news/20080412-OYT1T00636.htm
■脱落タイヤの直撃で死亡、無念の関谷さん悲しみの通夜

トラック脱輪事故で亡くなった関谷定男さんの通夜に参列する人たち(岐阜県大垣市で) 静岡県牧之原市の東名高速道で11日、大型トラックの脱落タイヤが観光バスを直撃して8人が死傷した事故で、バスの運転手、関谷定男さんの通夜が12日、岐阜県大垣市内で営まれ、トラックを運転していた浜松市中区、植木丈喜運転手(37)ら「京阪産業」(静岡市)の関係者5人も参列し、遺族に深々と頭を下げた。

 植木運転手は「申し訳ないとしかいいようがない。私はとんでもないことをしてしまった」と涙声で語った。事故当時の様子については「70~80キロの速度で走行中、ガッガッという音がした後、ミラーをのぞくとタイヤが転がっていった。その後は頭の中が真っ白になった」と述べた。

(2008年4月12日22時44分 読売新聞)


コメント
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