波打ち際の考察

思ったこと感じたことのメモです。
コメント欄はほとんど見ていないので御用のある方はメールでご連絡を。
波屋山人

幼形成熟(Neoteny)

2011-06-26 17:57:46 | Weblog
太田光と中沢新一による『憲法九条を世界遺産に』が集英社新書から出たのは2006年の夏。
それから5年のうちに実売30万部を突破した。
中古市場にも大量に流通したから、少なくとも50万人はこの本の内容を目にしただろう。

改憲派の人はこの本のタイトルを見ただけで敬遠する。
憲法九条を守りたい人が、勇気づけられたいと思って購入する場合が多いかもしれない。

だけど、この本を読んだ護憲派の人は、読解力のある人であればあるほど
自分の考えとの違いに悩むのではないだろうか。
本の内容を受け入れられないまま中古市場に放出し、今までの考えを堅持する人もいるだろう。
自分の考えを支えてくれる表現だけに目を向けて、理解できないところは気づかないふりをしてしまう人もいるだろう。
なかには、九条に対してこのような見方ができるのかと感心し、憲法を守れば平和になるというシンプルな信仰から遠ざかる人だっているだろう。

ほんとうは、九条の会の人たちは、この本を絶賛してはならない。
この本は、『天皇制を世界遺産に』という名称であってもおかしくないのだ。
(中沢新一がそのような本を作ることは簡単だ。もちろん、保守派の人々の心情にすんなり入ってくるような内容ではないはずだけど)

p134にはこのような記述がある。
中沢「(略)そう考えれば、日本国憲法のスピリットとは、一万年の規模を持った環太平洋的な平和思想だといってもいい。だから、決して新しいものではないのです。そういうところから見ると、天皇制と日本国憲法は、もともと親和性があるのでしょうね。本質を共通にしているところがある」
太田「天皇制も憲法も常に議論の対象になるのは、そういう本質が似ているからなのかもしれませんね。どちらも、人間の本質を問う問題なんだと思います。憲法九条に関して言えば、もしかすると日本人はまた人を殺すかもしれないという、自分への疑いがそこにある。言ってみれば、あの戦争は、あのときの正義が人を殺したわけです。だからこそ、憲法九条で絶対人は殺しませんという誓いが必要なんです。九条を抱えていることで、今、自分が信じている正義は違うかもしれないと、自分を疑ってみる。そういう姿勢が必要なんじゃないかと思うんです。極論すれば、憲法九条を世界遺産にと言い切ることも、どこかで疑問を感じながら言わなければいけないのかもしれない」
中沢「世界遺産にしてみたら? ぐらいにしとこうか(笑)」

中沢新一のことだから、「反戦平和は無条件に正しい」という憲法保守派のようなことは言わない。
憲法を「珍品」扱いし、護憲派の人たちを「ドン・キホーテ」扱いする。
護憲派の人たちは、そういった記述を自覚しているのだろうか。

p54
「たしかに僕も、平和憲法は世界の憲法中の珍品だと思います。ところがいま、この珍品を普通のものに変えようとして、改憲論が吹き荒れているわけです。(略)憲法の問題を議論するとき、この珍品ぶりがどこからくるのかを探ることは、とても重要だと思います」
p82
「太田さんがうまく言ってくれたけど、日本が世界の中でも珍品国家であるのは、ドン・キホーテのような憲法を持ってきたからです。サンチョ・パンサだけではできていなかった。僕は現実家としてサンチョ・パンサが大好きです。『旦那はそう言うけど、あれは風車ですぜ』と言って、現実的な判断をしてくれる人がいることは大事なことです。戦争はこれを永久に放棄するといっても、『ミサイル撃ち込まれたら、どうするんですか、旦那』と、言い続ける人たちがいることは必要なことだと思います。ただただ、平和憲法を守れと言っている人たちは、日本がなかなか賢いサンチョ・パンサと一緒に歩んできたのだという事実を忘れてはいけないと思います。そのことを忘れて現実政治をないがしろにしていると、『旦那を殺して、俺の天下に』と、サンチョ・パンサだけが一人歩きし始める危険性がある」


ぼくは憲法にはあまり興味がない。
憲法とか法律とか社会秩序とか、社会組織とか共同体とか、形あるものとか感知できるものに、捕われてしまうことから逃げているのもしれない。

現代人は、産まれたときから枠組みに捕われる。
ただぼんやりと周囲を眺めていた幼児のころから、物の名前を教えられ、名前の無いものを意識しないように差し向けられる。
長い間のうちに日本人や人類がつちかった物の見方や価値観、世の中の構造に組み込まれていく。

周囲の物や現象や組織には名前がつけられ、名前のあるものとあるものは結び付けられ、積み重ねられ、秩序を構成していた。

ぼくは文字を覚え、さまざまな名称を覚え、ルールを覚え、ルールを守り、社会の中で肯定的に評価されることを行い、良い子として育っていった。
くずれた言葉を使わず、親に何かをねだることもなく、悪いとされることは何もしなかった。

だが、ぼくは、ルールを守ることに抑圧を感じ、10代の半ばには精神的な壊死を感じていた。
がまんすることをやめたのは高校生の頃だ。
大嫌いな勉強に無理に取り組むことはやめたし、社会的に評価される良い子であろうとすることはあきらめた。
何かを正しいこととして信じる単純さにも疑問をいだき、ぼくは壊死してしまった精神を取り戻すために、秩序の外に混沌を探すようになった。

無意識のうちに、ぼくが読む本はアウトロー関係だったり差別関係だったり、民俗学関係だったり旅関係だったりした。
ビジネス書を読もうとしたときもあったけど、どうしてもなかなか興味が持てなかった。

大学時代は勉強もせず寝太郎のように怠惰な日々を送り、卒業してから就職活動をはじめ、スーツやネクタイをしなくてもすみそうな出版社になんとかもぐりこんだ。

今もずっと、言葉になるものとならないもの、見えるものと見えないもの、感知できるものとできないもの、秩序あるものと混沌としたもの、そんなところに目をむけて、ぐだぐだした日々をすごしている。

きっと、何か見えてくるはずなのだ。
ぼくが心理学者の岸田秀に共感しているのは、彼が自分の神経症をなんとかするために、いろいろ考え、行動していたからだ。
彼は社会的地位を得たいとか収入を得たいとか目立ちたいとか、世の中をどうにかしたいとか人々を指導しようとか、そんなことを考え、発言しているのではない。
彼は思い込みとか主義主張ではなく、必然性に基づいて歩を進めているだけだ。
岸田秀が学術論文を書かなくても、博士号を持っていなくても、ぼくは彼の知性に疑問をいだくことはない。

同じように、中沢新一の著作物にも魅力を感じる。
中沢新一は、何かを守ろうとしたり、何かを攻撃しようとしたりして発言しているのではない。

いみじくも、『憲法九条を世界遺産に』のなかで中沢新一はこう言っている。
p45「未熟であること、成形になってしまわないこと、生物学で言うネオテニー(幼形成熟)ということは、ものを考える人の根本条件なんじゃないですか。僕も長いことお前はいつまでも未熟だといわれてきましたから、太田さんも安心していいと思います(笑)。矛盾を受け入れている思想は、どこか未熟に見えるんですよ。(略)自分の中に矛盾したものを、平気で受け入れていく。それに従って現実の世界でも生きていこうとすると、しばしば未熟だといわれます。ふつうの大人はそうは考えません、現実の中ではっきりと自分の価値付けを決めておかなければいけないという、立派な役目があるからです。効率性や社会の安定を考えれば、そういう大人はぜひとも必要です。僕も大人の端くれとして、それに従って生きようと思うんですが、自分の内面に、そうそう簡単に否定できないカオス(混沌)があるますから、そのカオスを否定しないで、生きていこうとしてきました」


しっかりとした社会人としての殻を持たないぼくは、とても未熟だ。
そこに後ろめたさも感じるのだけど、ひとつの誠実な姿勢なのかもしれない。
ネオテニー(幼形成熟)であるからこそ、固まりきった自分の判断基準に依存することなく、中沢新一の発言内容を把握しようとすることもできるはずだ。


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絶景の発見

2011-06-19 02:01:02 | Weblog
絶景は、発見されるものだ。
ヒマラヤの山すそに住む人は、ヒマラヤの雄大さに日々感動しているだろうか。
南の島の人は、海の青さに日々感動しているだろうか。

緑の山々に囲まれた盆地に住む人は、その風景に感動していない。
ゴミの落ちていない住宅街に住む人は、あたり前のようにその道をすぎる。

だけど、禿山の多い国に住む人は日本の緑の山々に感動を覚える。
ほこりやゴミの多い通りを見慣れた人は日本の街並みの清潔さに驚く。

ぼくらは、ほんの少し視点を変えるだけで、ありふれた風景の中に絶景を見出すことができるのかもしれない。

園芸品種でなくても、美しい山野草は多い。
芸能人でなくても、魅力ある人は多い。
影響を受けた文化の中で、美しさやすばらしさの認識を共有するのもいいけど、
自分なりの魅力を見出して世界を楽しむのもいい。

ぼくが好きなのは、雲の大山脈だ。
その壮大さは、ヒマラヤの山々にも負けない。
乾燥した空気の中で力強く隆起する積乱雲の質感には目をうばわれる。
こんなにすごい風景なのに、なぜ人々は歩を止めて空を賞賛しないのだろう。

道端の茂みもよく見ればすごい。
無数の植物がそれぞれ居場所の確保をめざし、複雑にからみあって存在している。
効率や秩序に覆いつくされようとしている都心において、その混沌は鑑賞に値する。

青空だってすばらしい。
陽光の中にどこまでも広がる透明な青。
南の島をとりまく海の青さに負けない感動がそこにある。
こんな身近にすごい眺めがあるのに、なぜ人々はそこにある空を意識しないのだろう。

世界のどこかで火山が大噴火を起こせば、火山灰が空を覆う。
暗く寒い日が続き、食糧不足に悩まされる日々の中で、ふと雲の間に青空が出てきたら
人々は皆既日食やオーロラをありがたがるように、感動のまなざしで空を仰ぐのだろう。

そうなってから空の美しさに気がつくのもいいけど、
ありふれた日々の中に、感動は潜んでいる。
今のうちからそれを楽しんでいてもいい。

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私家版差別語辞典読了

2011-06-18 21:58:55 | Weblog
上原善広さんの新刊が届いたのでさっそく目を通した。
部落、乞食、めくら、気違い、外人、支那など、メディアにおいて自主規制されている言葉について感じたことを述べている。

実に読みやすい。
上原さんは差別者を攻撃することなく、差別をめぐる構造を自分なりに誠実にたどっている。

学校教育では被差別者の歴史について教えられることはあまりない。
先日、学生時代に日本史が得意だったという編集者に浅草弾左衛門の名前を聞いたら知らなかった。
日本史においてとても重要な人物だと思うのだが、学校では習わないのだろうか。

政治家や経営者や学者などは社会組織の発展に役立ってきたのだろうけど、
そういった人たちだけが世の中に存在しているのではない。

人々が嫌がることであっても、社会組織を維持するために、
家畜の生命活動を止め、肉や革製品を作り出す人が存在する。
社会秩序を乱す人を消し去るために刑を執行する人が存在する。
人々の欲望を解消するためにエロティックな要求に応える人もいる。

社会組織の維持には役立たず、時には犯罪者として疎外されてしまうけど、
自分の視点を信じて、性表現や暴力表現を行う芸術家がいる。
腕力によって対立者を威嚇し、利益を得ようとするアウトローがいる。
働かず、のんびり暮らすことを追求するダメ人間だっている。

彼らを否定して疎外すれば、きっとそのとき社会秩序も組織化の力を失い消滅していく。
世の中は、秩序だけで成り立っているのではない。
混沌があってこそ秩序がうまれる。

世の中の構造を知るためには、秩序の外側にあるものを感じ取る必要がある。
だから、ぼくは差別に興味がある。

差別はよくないことだ、否定されるべきだと思っている人が多いけど、そのように意識する必要はない。
差別を疎外しようとすることは、差別者と同じレベルの意識にとどまってしまう。

差別が解消された社会に住む人たちは、きっと差別者を突き上げたり否定したり疎外したりしようとはしない。
差別と言われる、特定の人に不利益を強いたり不快に感じさせる行為をなくしたいと思っても、表面的な言葉や行為を禁止することは臭いものにふたをするようなものだ。

差別があることは問題だ、と認識している人は、自分が不快に感じるものを攻撃して葬り去る前に、
なぜ自分が不快に感じるのか、なぜ不当に感じるのか、その構造を確認してみてはどうだろうか。
差別に反対する人も差別者と同じく、ひとつの価値観に基づいて何かを否定してしまっていることが少なくない。

現代社会において、自分は差別なんかしていないと思っている人がいても、
常識としてまったく問題ないと認識している行動が、差別的構造を秘めていることは多い。

数十年後には、犯罪者の価値を否定することが、重大な差別問題になっているかもしれない。
ハゲ、デブ、チビ、ブス、路地、変態、売春婦、などと言った言葉は立派な差別語として使用禁止になり、むかしの人は意識が低くてあんな言葉を平気で使っていたんだよ、と言う人がいるかもしれない。

時代によって支配的な価値観は変わっていくので、差別問題として表出してくる差別的構造も変わってくる。

そんな中でも、上原善広さんのように、とがめず、否定せず、攻撃しない姿勢は、古びることはないだろう。
世の中の構造を誠実に見つめようとしているからだ。
実に差別は興味深い。


追記
差別的な印象を与える言葉を攻撃する人は多い。
多くの編集者は抗議してくる人との交渉をわずらわしく思い、差別的な印象を与える言葉の使用を控える。
原稿に要注意語が出てくればすぐに言い換え語に差し替える。
だが、そんな態度では表現者は守れない。
勉強することなく表現者を見捨てる編集者が多い出版社は、そのうち表現者に見捨てられてしまうだろう。




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お礼

2011-06-13 01:51:10 | Weblog
日曜日も会社に行かないとまずかったんだけど、部屋でごろごろ。
ブックオフオンラインから宅急便が届いてしまった。
高野秀行の『腰痛探検家』とヤマザキマリの『イタリア家族 風林火山』を読破。
早稲田大学探検部出身の高野秀行さんの本は非常に読みやすくおもしろい。
受験生や仕事に追われている人は手にしてはいけない。

ヤマザキマリさんは『テルマエ・ロマエ』で日本マンガ大賞をとって有名になったけど、『モーレツ!イタリア家族』は文化論エッセイとして読んでもおもしろい。
『涼子さんの言うことには』も『ルミとマヤとその周辺』もエッセイ的によくまとまっており、切なさとやさしさと懐かしさのバランスがいい。ぜひ読んでおくべきマンガエッセイ。

ブックオフオンラインなんかで買ってしまってすみません。
古本で買うと著者に印税が入らないからね。
でも有料イベントがあったらぜひ参加させていただきます。
トークイベントやってください。

基本的にぼくはブックオフで本を買うけど、時には新刊本を買ったり、著者の有料メルマガなどを申し込んだりする。
藤原新也さんのウェブマガジンは毎月千円だけど、申し込みに躊躇しなかった。
だって、藤原さんの『メメント・モリ』を読んで俳句を再開したんだから。
藤原新也さんの『メメント・モリ』は、そこらの形式的な自称俳句と違って、最小限の要素による短詩として、レベルが高い。これを見せてもらったお礼として月千円くらいは安い。

三井昌志さんの本は全部新刊で買っているけど、中身はほとんど見ていない。
だって、メルマガとかサイトとか講演会で写真と文章を見ていると、もうなんだかわかったような気になるから。御礼のようなもの。

西原理恵子さんの有料メルマガも申し込んだんだけどなぁ。なんだか見るのがまどろっこしくなってそのうち解約してしまった。

ぼくは無料メルマガを何百も登録しているけど、その中で一番価値のあるもののひとつは、水野浩志さんの『1回3分トーク術』だ。
これはボリュームもさることながら中身がすごい。
わかりやすい言葉で書いてあるけど、初期仏教にも通じる面がある。心理的な因果関係を解説している。
この人のセミナーなら一度お礼のために行ってみたいものだと思う。

無料で何でも情報が手に入る世の中になった。
だけど、だれかが独自の視点で選んでまとめあげた情報については、情報提供者の存在がブランド化する。

広告として提供された情報と違い、提供者の顔が見える情報には意思を感じる。
情報提供者から価値あるものをずっとタダで与えてもらうことに対し、お礼をしたいと考える人が出てくることは当然のことだ。
一方的に無償の愛情をくれる人に対して、ずっと無視しつづけることはむずかしいのだ。

そういうことは、大手広告会社の人は意識していないかもしれないけど。
広告業界もこれからは無償の愛ということをどんどん戦略に入れてくるのではないかと想像する。
でも、広告業界には無償の愛に興味のない人が多いのかな。


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違和感

2011-06-13 01:20:51 | Weblog
むし暑い。
Tシャツと7分丈パンツとスニーカーだけ身につけてスーパーに行ってキリンの発泡酒「淡麗W」と富山県魚津市の日本酒「蜃気楼の見える街」を購入。
淡麗Wは赤ワインポリフェノール入りでコクがあるし、蜃気楼はうまみもある上にみずみずしい。おすすめ。
夕食を食べた後に銀杏をペンチで割って海塩と一緒に鍋で焼いたのをおつまみに飲む。
明日も朝早いけどいつ寝ようか。

今週末会わなかった彼女は今月もまた関西に取材に行くらしい。
関西もけっこう地域によっていろんな違いがあるけど、東京の人にはあまり関心ないんだろうな。

「東京でも大阪弁でしゃべる大阪人が多い」と言って眉をひそめる東京人は多いけど、
実際は、大阪出身者の多くは東京で共通語を使っている。少なくとも、使おうとして生活している。

東京に来て間もない大阪出身者でも、あやしげな共通語を使っていることが多い。
東京の人が聞くと大阪なまりの強い言葉だけど、「しちゃって」「それでさぁ」などと、ネイティブの大阪人なら絶対に使わない東京言葉を混ぜているあたり、意外に本人は共通語をしゃべっているつもりなのかもしれない。

大阪弁のイントネーションは独特だ。
大阪を取り巻くように存在する周囲の関西弁(兵庫、京都、福井、滋賀、奈良、三重、和歌山)はもう少し淡白なのに、大阪のイントネーションには独特の抑揚がある。
どこから来たのだろうと謎に感じるその特徴は東京でも目立つ。

多くの大阪出身者が東京で共通語をしゃべっていても、一部の人が話す大阪弁が耳に入ると、「大阪人はどこでも自分たちのスタイルを保持していてあつかましい」などと感じるのだろう。

似たようなことは、いろんな場面で見られる。
欧米人から見れば東洋人は黄色い肌のつり目人間に見えるらしいけど、実際に黄色がかった肌でつり目の人というのはそれほど多いわけではない。
ただ、東アジアにさまざまな人々がいる中で、欧米人にあまりいない黄色がかった肌でつり目の人は印象的で目に留まる。見慣れないものは特徴的に感じられるのだろう。

韓国人についても「肌がきれいで平面的な顔で瞼が一重で頬骨とエラが張っていて後頭部が平ら」というシベリア系人種の特徴を思い浮かべる人が多いかもしれない。
実際、そのような顔の人も少なくない。
19世紀末に朝鮮半島を旅したイギリス人のイザベラ・バードは『朝鮮紀行』において目じりの上がった目や頬骨が高い人が見られることについて触れている。
だが、同時に「朝鮮人は清国人とも日本人とも著しく異なっている。顔立ちにはたいへんバラエティがある。肌の色、鼻の形、髪質、髭の有無などはさまざま。顔立ちの美しい人種」などと記述している。
日本人と見分けのつかないような顔をしている韓国人も多いけど、そういう人は日本国内であまり意識されていない。日本人にあまりいない、特徴的な顔をした一部の人が「韓国人ぽい顔だね」などと言われる。

保守派の人々についても、排他的で差別的で変化が嫌いな人たちだと認識して、否定する人がいる。
だけど、なかには開明的で人々に対してわけへだてなくふるまう好奇心旺盛な人もいる。リベラルなのに社会主義に同調しないというだけで保守派、右派扱いされている人も多い。
革新派の人々についても、日本を卑下し独善的で社会を壊そうとしている人たちだと認識して否定する人がいる。
だけど、なかには保守派以上に保守的な、ぜんぜんリベラルな態度ではない頑固な人もいる。社会主義的な考えに共感しているだけで革新派、左派扱いされている人も多い。

自分の先入観によって何かを判断するとき、慎重さがないと、自分の先入観に心地よくフィットするものを受け入れ、フィットしないものを排除してしまう。
自分に理解できないものから学ぶことができなければ、右派であれ左派であれ、ちいさな世界に閉じこもってしまうのではないだろうか。

ぼくらはさまざまなものに違和感や非常識や問題を見出すけど、
何が自分にとって「あたりまえ」で、何が「あたりまえじゃない」のだろう。
基準を自覚していないのに何かを「あたりまえ」として無条件に受け入れることは、
もしかしたらとても怖いことではないだろうか。

先日、若手社員がゲラの記載内容について「これって常識ですか? 常識ならいいんですけど」と言ってきた。
だが、常識的内容だったらスルーする、というのは編集者の姿勢としてどうなのだろうか。
「いやいや、常識だったら良い、というわけではない。論理が大事だ」
というようなことをとりあえず言った。

「常識的にOKだから掲載。常識的におかしいから不掲載」
それは、言いかえれば
「自分の先入観に合致した方向性は肯定、合致しない方向性は否定」
となるかもしれない。
言論活動について、好き嫌いとか感じのよしあしといった感覚で判断すると、
下手をすれば、常識として認識されている価値観では感知できない知性を、無意識に否定してしまうことになるかもしれない。

常識に沿って不自由なく生きている人からみれば、非常識なことの存続が否定されても何も問題はない。
だけど、世の中には常識的なことだけで成立している社会組織はない。
混沌があってこその組織。秩序は無秩序から組織化に必要なエネルギーを調達する。
世の中の仕組みを知ろうとするときには、秩序とか枠組みの発生する境目を観察することが必要だ。

方向性を保つために不要なものをあっさりと排除し、強固な秩序を作って組織を発展させ、権力を持ったりお金を稼いだりするのもいいだろう。
だけど、それは知的なことだろうか。
これからの世の中では、秩序の成り立ちにふれようとするような、あいまいであやふやなところに誠実に向き合おうとする人が増加していくのではないだろうか。

さまざまなことを感知して意味を見出す人や、芸術や文化に関わる人は、心の広い人が多い。
一般社会のなかで、非常識だとかワルだとか変態だとか言って疎外されてしまいそうな人のことも受け入れてくれる人がいる。
ぼくだって、そういう人に助けられていると思う。
日本女性には心の広い人が少なくない。それは非常に心強い。感謝。

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角川

2011-06-03 02:01:28 | Weblog
今春、角川は新入社員は3人だけ。中途採用のほうが多い。
文芸編集者は角川グループ全体でも10人いるかどうか。文芸誌はぜんぜん売れていない。
ひとむかし前の、文芸出版の印象とはまったく違う会社になったらしい。

かつて、角川といえば角川春樹だったけど、今や追放されて角川春樹事事務所を細々と運営。
それはともかく、角川春樹の何人目かの奥さんの娘、角川慶子さんがはじけてる。
最近は探偵ファイルというサイトで芸能界ネタを暴露している。

ぼくはそのむかし、kei teeこと角川慶子のPVを購入したことがある。VHSのビデオテープ。
不美人ではないけどミニスカのわりに足がちょっと短めだったことが記憶にある。

kei-tee [Baby Angel]
http://www.youtube.com/watch?v=5ym0kNrZFaU

その後鬼畜ライター? になったと聞いていたけど、業界ネタばらしライターになっていたとは。
いいのかな。

http://www.tanteifile.com/geinou/scoop_2011/06/02_01/index.html
●更新日 06/02●
★角川慶子のセレブ探偵★「芸能人の売春事情」〈その3〉
●自発的売春 ~交際クラブ~
前回はソープで働く芸能人について書きましたが、やはり人気はもっと時間が自由になる「交際クラブ」のようです。
交際クラブというのは、昭和の時代1983年に摘発された「夕暮れ族」という愛人バンクの流れで、オトコが入会金とセッティング料を払い、登録するオンナを写真で選んで、会って二人が合意すれば、お小遣いを渡し合体となるわけです(笑)。現在価格破壊の為、お小遣いの相場は普通の子で3~4万。かなり可愛いか綺麗、RQ、キャンギャルクラスで5万が相場ってとこでしょうか。
知り合いで交際クラブ経営30年という、やり手オバサンがいるのですが、「I・H(ヒアルロン酸人工ぷっくり唇でデビューし、現在ママ女優)はかなり客ついたわよ」などと普通に話しているので、やっぱり芸能人売春は多いんだなあと実感です。
私自身、もう10年以上前になるのですが、原宿のコープオリンピアという高級マンション内にあった交際クラブで、ちいママとして働いていましたが、そこは超有名人の売春斡旋をもやっていて、三井のリハウスでデビューしたMや、もうオバサンになってしまいましたが、ゴールデンタイムのドラマにしか出ないAなどが、100万単位で売買されていたんです。
(略)
もう一つ芸能人が多い交際クラブがあります。それは「銀座プレジデントクラブ」です。ここも身分証提示が必須ですが、入会金20万で、そこそこ有名な芸能人を紹介してくれます。
(略)
一度、登録オンナのファイルを見たことがありますが、栄養補助食品のCMに出ていたW・Sを発見しました。ビル自体はボロですが、お店にはシャガールの絵が飾ってあり、なかなか高級感のある交際クラブでしたね。


ほんとうなのかどうか知らないけど、
ぷっくり唇でデビューし、現在ママ女優のI・Hって、もしかして井川遥なのだろうか?
三井のリハウスでデビューしたMって、宮沢りえ? ありえない!
ゴールデンタイムのドラマにしか出ないAって、有森也実?信じられない!
栄養補助食品のCMに出ていたW・Sって若林志穂? うーん。

それにしても、ほんとうに数万円とか数十万円で芸能人につきあってもらえるシステムがあったのだろうか。
好きな芸能人相手なら、何百万円出したっていいという人もたくさんいると思う。
数十万は安い。

今後どんな情報を kei tee が暴露するか要注目。
あーあ。純朴系芸能人が好きなんだけど、山川恵里佳は結婚してしまったし、上原美優はなくなってしまったし、佐藤唯さんは大丈夫かな。

コメント (2)
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