波打ち際の考察

思ったこと感じたことのメモです。
コメント欄はほとんど見ていないので御用のある方はメールでご連絡を。
波屋山人

朝鮮紀行

2017-08-17 22:27:45 | Weblog
イザベラ・バードというイギリス人女性は、明治時代に東アジアを何度も旅行し、紀行文を残している。
当時の衛生環境や農工業、文化などは現代とかなり異なっているのでとても興味深い。
むかしざっと読んだ『朝鮮紀行』を読み直そうと思い、図書館で借りてきたが、なんだか違和感があった。
妙に、〔  〕で囲んだ補足説明が多い。
しかも、よく読むと、翻訳者が朝鮮・韓国人としての立場から意見を述べている内容が目につく。。。

例えば序章の一文。

P28-29
>(略)朝鮮半島の原住民に関する伝説は、ここに記述するには余りにも神話的である。しかし、箕子(キツゼ、もしくはキザ)――彼に就いては後程言及する――が紀元前十二世紀に中国文明を朝鮮に導入した時、〔檀君朝鮮後、中国殷の箕子が朝鮮に来て王になった、という『箕子東来説』は今日否定されている。平壌に箕子陵、箕子廟があるのは高麗時代以後の事大思想の所産に過ぎない、という〕すでに居住していたのは確かな事である。当然箕子の征服とひき続く満州からの入植は、朝鮮人に若干の痕跡を残した。しかし朝鮮人は、最も近い隣国人である中国人や日本人の両者とは著しく異なっている。朝鮮人には人相学上注目すべき多様性があり、その単調な服装のために、それはいっそう目立っている。


この記述にはちょっと疑問がある。
韓国の人は、中国系の王朝である箕子朝鮮の存在は認めたくないのかもしれないけど、100%否定することは難しい。
箕子朝鮮の実在を完全否定しているのは韓国・朝鮮の学会だけ。
世界的には、箕子朝鮮よりも檀君朝鮮の方がファンタジーだと認識されている。
歴史学的には、モンゴル(元)に高麗が侵略された13世紀、民族主義の高まりの中で「檀君朝鮮」という伝説が創作された、という意見の方が支持されているのではないだろうか。
少なくとも、12~13世紀以降の歴史書しか持たない韓国の文献では、古代の朝鮮半島について研究することは困難だ。
はるか古くからの記録が残る中国の古典を読み込めば、韓国人の自負心を満足させる世界観を肯定することはむずかしい。
中国の古典に檀君の記述がどこにもないことや、倭人が朝鮮半島南部に住んでいたという記述があることは、韓国の人にとって不都合なのだろうか。
だからといって歴史を直視しないでいると、歴史学の進歩がのぞめない…

<参考>
箕子朝鮮
http://urx.mobi/FkE7
>箕子朝鮮(きしちょうせん、紀元前12世紀? - 紀元前194年)は、中国の殷に出自を持つ箕子が建国した朝鮮の古代国家。古朝鮮の一つ。首都は王険城(現在の平壌)。『三国志』「魏志」東夷伝 辰韓条、『魏略』逸文などに具体的な記述があり、考古学的発見からは、箕の姓を持つ人々が商朝から周朝にかけて中国北部に住んでおり、商朝から周朝への時代変化とともに満州、朝鮮へと移住した可能性が指摘されている。


この本(平凡社版、朴尚徳訳)の翻訳のレベルの低さについては、多くの人が指摘しているようだ。
「韓国研究」ブログに具体的な間違いが詳しい。
平凡社は、回収・絶版を検討しているだろうか。クレームが頻繁に来ていてもおかしくない。

http://qcastle.blog74.fc2.com/blog-entry-1023.html
■「韓国研究」朝鮮紀行-別記 #6:『朝鮮奥地紀行』(朴尚得訳)は読まない方が良い 

次のようなことを書いている人もいる。ただ、表現が攻撃的。もっと穏やかに事実だけ指摘してもいい。

http://www.tamanegiya.com/blog/2016/02/26/tyousenjinusotuki/
■朝鮮人は息をするようにウソを言う 高秉雲と朴尚徳

Amazonのトップカスタマーレビューも「出版社は廃刊せよ -誤訳・誤注まみれのボッタクリ本」と辛らつだ。
http://urx.mobi/FkBi
■朝鮮奥地紀行〈1〉 (東洋文庫) 単行本 – 1993/12/1
イサベラ・L. バード (著), 朴 尚得 (原著, 翻訳), Isabella L. Bird (原著)

翻訳者の朴尚得(パク・サンドゥク、Park Sang-Duk?)さんは1927年朝鮮半島生まれ。1935年の初めに父を追って母と来日。東京大学文学部心理学科卒業とのこと。何を仕事にされていたのだろうか。

それに比べて、時岡敬子さんの翻訳は安心して読むことができる。訳者の見解を盛り込んだ注釈があまりないので読みやすい。

自宅の部屋のどこかに埋もれている『朝鮮紀行』はこの本だと思う。
http://urx.mobi/FkBa
■朝鮮紀行〜英国婦人の見た李朝末期 (講談社学術文庫) 文庫 – 1998/8/10
イザベラ・バード (著), 時岡 敬子 (翻訳)


とりあえず、翻訳や注釈の正確性に問題のある平凡社版はおすすめできない。
ただ、韓国の人の歴史観を知るための資料としては、訳者の翻訳や注釈は役立つかもしれない。

どの国の人のことも生理的に嫌うべきではないけど、その人たちの世界観に合わせる必要はない。
韓国の人にも特別な感情を持つことなく自然に付き合いながら、彼らに都合よくアレンジされた歴史観・世界観に流されなければいい。
客観的な視野を持つためにも、彼らの世界観を知っておくことはわるくないと思う。




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地方大学の活性化

2017-08-16 21:33:56 | Weblog
地方の大学に通っていたときは、風呂トイレ別のアパートが3万円だった。
東京だったら、同じようなアパートが7万円ぐらいするのではないだろうか。
地方大学は、家賃が安い!ということをアピールしてもいい。

受験生を集めるのに苦労している地方の大学を活性化させるには、いくつかの方法がある。
手っ取り早いのは、「都市圏の大学の入学定員を減らすこと」。
次に、「大規模私立大学の広告費を減らすこと」ではないかと思う。

私立大学には、毎年総額3000億円以上の私学助成金が出されている。
首都圏の早稲田大学・東海大学・慶應義塾大学・日本大学が上位4大で、年間約350億円。
毎年10億円以上もらっている大学も50校以上ある。
それだけの助成金をもらっておきながら、かなりのお金が広告費に使用され、広告会社やメディアを潤している。

それに比べて、国公立大学の広告予算は微々たる額だ。
私学が、税金から得た助成金を広告費に回すのは不適切ではないだろうか。
そもそも、私学助成金は憲法違反ではないかとも言われている。
地方国公立大学と同等以上の広告費を使う私立大学に対しては、私学助成金をカットしてもいいのではないかと考える。

広告予算が多い影響もあり、大規模私立大学は知名度を高めている。
世界大学ランキングの500位にも入らないような関東ローカルの私立総合大学が、人気大学として存在感を示している。
広告を出してもらっているメディアも、研究とか教育の質では評価できないから、人気度とか就職に強いとかよくわからない尺度を持ち出して私大のイメージアップに貢献している。

有名私大の合格者平均偏差値はそこそこ高いのかもしれないけど、上位合格者3分の2は入学辞退が多い。入学者の平均偏差値はかなり落ちる。
都心部にある学校は就職準備校としては評価が高いのかもしれないけど、教授一人あたりの学生数は多く、教育の質が高いとは言いにくい。
学生も首都圏から通う学生が3分の2を超える大学が多く、多様性に乏しい。地方から出てきた学生にとっては住居費の負担が大きい。

メディアも、小中学校では少人数教育が重要などと言いながら、私立大学の教育の質にはあまり関心を寄せない。
首都圏人気私大の虚像を指摘するような特集を組めば、出身者の多い社内から反発があるのだろうか。広告が取れなくなるのだろうか。

ほんとうは、首都圏でも電通大学とか東京農工大学とか千葉大学とか、研究や教育、就職において評価の高い国立大学は少なくない。
首都圏や関西の大学ばかり注目されがちだけど、地方にも教育の質が高い、学生を育てる小さな大学は数多い。
そういった大学が正当に評価されるためにも、大手広告代理店と組んでイメージ戦略に大金をつぎ込んでいる大規模私立大学は、何億円か使っている広告費を何千万円かに制限してもいいのではないだろうか。
(決算書を見ると、国立大学は、東大や京大ですら広報宣伝の予算は1億円以下のようだ)

大規模私立大学の広告が少なくなれば、メディアも各大学に「配慮」「忖度」といったことが減るかもしれない。


https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20170816-00000002-mai-soci
■<地方大学>活性化に交付金、政府方針 東京集中解消狙い
8/16(水) 6:30配信 毎日新聞
 政府は、地方の大学の活性化を図る新たな交付金を創設する方針を固めた。自治体が地元の大学や経済界と連携して展開する地域振興の取り組みを支援する形で、2019年度から百数十億円規模の交付金の支給を目指す。地方大学の教育・研究環境の底上げを図るとともに、東京に集中する私立大学などの地方移転も促し、大学生の「東京一極集中」を解消する狙いだ。
 東京、神奈川、千葉、埼玉の1都3県の大学と、地方大学の単位互換制度やサテライトキャンパスの設置を促す総額10億円規模の補助金創設も別途検討する。
 交付金と補助金は、内閣官房の「まち・ひと・しごと創生本部」事務局が支給する。今年度に制度検討を始め、来年度の募集開始を目指す。自治体の首長や地元の大学などで作る協議会で産学官が連携した事業計画の策定などを促し、有識者が評価して交付金支給を決める仕組みにする。
 支給対象の想定は、地域の企業による学生のインターンシップや現場実習の受け入れ▽地元企業から大学への講師派遣▽大学と企業の共同研究など。地方の大学を卒業した学生がその地方で就職しやすい環境づくりを進める。自治体と大学によるまちづくりなども評価対象とする。文部科学省による既存の大学支援策と区別するため、地域を担う人材の地元定着など「人の流れ」を変える取り組みが対象となる見通しだ。
 首都圏の大学定員は増加傾向で、都内の大学の定員総数は、大学に進学する都内の高校卒業者の約2倍に上る。政府は東京23区にある大学の定員数を据え置く方針だ。これに加えて新たな交付金や補助金を創設することで、既存の地方大学の底上げと東京の大学の地方転出を促す。【遠藤修平】


https://resemom.jp/article/2017/08/16/39849.html
◆世界大学学術ランキング(ARWU)2017
<国内の大学トップ10>
24位 東京大学
35位 京都大学
84位 名古屋大学
101-150位 大阪大学
101-150位 東北大学
151-200位 北海道大学
151-200位 東京工業大学
201-300位 九州大学
201-300位 筑波大学
301-400位 千葉大学

https://resemom.jp/article/2017/06/08/38569.html
◆2018年QS世界大学ランキング
<国内トップ10>
※( )内の数字は総合順位を表す
1位 東京大学(28)
2位 京都大学(36)
3位 東京工業大学(56)
4位 大阪大学(63)
5位 東北大学(76)
6位 名古屋大学(116)
7位 北海道大学(122)
8位 九州大学(128)
9位 慶應義塾大学(192)
10位 早稲田大学(203)



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灘中

2017-08-06 22:28:49 | Weblog
有名私立進学校では、教科書はあまり重視されていないのではないかと思っていた。
灘中の教科書がどんな内容でも、生徒は自分たちで受験の準備をするのではないだろうか。

むかし、灘中高出身の教授の講座(歴史)に出席していたことがある。
歴史学の世界ではありがちなマルクス主義的な先生で、なぜかソ連が崩壊した平成の時代になってからソ連の共産党黎明期に関することを博士論文として提出したり、「韓国ではなく南朝鮮と呼ぶべきだ」、などと言ったりしていたことを思い出す。。。

それはともかく、今でも灘中高では、進路相談の時には担任の先生にお金を包む、という慣例は続いているのだろうか。
1960年代には、50万円が相場だったと聞いている。10万円しか払わない保護者もいたそうだが。
もし、20人から50万円を受けとったらそれだけで1000万円。年収を超えてしまう。
灘中高の先生はそういった臨時収入を、きちんと申告していたのだろうか。

現在の灘中高の校長先生である和田孫博さんは、1971年に灘高校を卒業されたそうだ。
進路面談のときに、親は数十万の大金を教員に渡していたのではないだろうか。
和田校長は、1976年に灘中高の英語教師になられたそうだが、保護者から教員にお金を渡すという慣例は続いていたのだろうか。
むかしは、経済的に余裕がないのに、「謂(いわ)れのない圧力の中で」、お金を出さざるを得なかった保護者もいたのではないかと想像する。

<参考>
■『ともに学ぶ人間の歴史 中学社会 歴史的分野』
代表著作者/安井俊夫(子どもと学ぶ歴史教科書の会) 発行/学び舎
執筆者として、下記の人たちの名前がある。
http://manabisha.com/k-miryoku/pdf/prall.pdf
安井俊夫(元愛知大学、学ぶ会代表)
山田麗子(元公立中学校教員。学ぶ会副代表)
菅間正道(自由の森学園中学校・高等学校)
黒田貴子(元効率中学校教員)
関誠(公立中学校教員)

発行しているのは、個人事務所だろうか。出版健保には加盟していない会社のようす。
■株式会社 学び舎
〒190-0022 東京都立川市錦町 三丁目1番3- 605 号室 TEL/042-512-5960 FAX/042-512-5961
http://www.manabisha.com E-mail アドレス manabisha123@cronos.ocn.ne.jp

https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20170804-00000001-kobenext-l28
■灘中に「教科書なぜ採択」盛山衆院議員ら問い合わせ
8/4(金) 7:31配信 神戸新聞NEXT
灘中に「教科書なぜ採択」盛山衆院議員ら問い合わせ
歴史教科書の採択をめぐり批判のはがきが寄せられた灘中学校=神戸市東灘区魚崎北町8
 私立灘中学校(神戸市東灘区)が採択した歴史教科書を巡り、自民党の盛山正仁衆院議員(63)=比例近畿=や和田有一朗・兵庫県議(52)=神戸市垂水区=が同校に「なぜ採択したのか」などと問い合わせていたことが3日、分かった。インターネット上でも「政治圧力ではないか」と問題視する声が上がっている。
 同校が採択したのは、「学び舎(しゃ)」の歴史教科書「ともに学ぶ人間の歴史」。教科書は現役教員やOBらが執筆し、他社で記述がない慰安婦問題に言及。1993年に河野洋平官房長官(当時)が元慰安婦へのおわびと反省を表明した「河野談話」を載せ、併せて「軍や官憲によるいわゆる強制連行を直接示すような資料は発見されていない」と現在の政府見解も取り上げている。
 県教育委員会などによると、同校は2016年度から同社の歴史教科書を使用。同教科書を使っているのは県内では同校だけという。同委員会義務教育課は「(教科書の使用は)適正に行われている」としている。
 同校の和田孫博校長が昨年、同人誌に寄稿した「謂(いわ)れのない圧力の中で」と題した文章で「自民党の一県会議員から『なぜあの教科書を採用したのか』と詰問された」「本校出身の自民党衆議院議員から電話がかかり、『政府筋からの問い合わせなのだが』と断った上で同様の質問を投げかけてきた」と明かした。
 また、採択を批判する「文面が全く同一」のはがきが200通以上届いたといい、和田校長は「はがきはすでにやんだが、圧力を感じた」と振り返る。現在も和田校長の文書がネット上で引用され、論争となっている。
 盛山、和田両議員は神戸新聞社の取材に、批判のはがきとの関連を否定。その上で、盛山議員は「灘中の教科書について、OBとして周囲から疑問の声を聞いたので、校長に伝えただけだ」と強調。「『政府筋からの問い合わせ』と言った覚えは全くない」とする。
 和田議員も会合で校長に採択理由を尋ねたことを認め、「私個人は学び舎の歴史教科書に疑問があり、さまざまな会合で口にしている」と主張。「私立学校の特色ある教育は理解しており、圧力などではない」と話している。

http://eo.presidentfamily.com/tokushu/nada/
■和田 孫博(わだ まごひろ)
昭和27年6月
大阪市に生まれる
昭和40年
大阪市立の小学校から灘中学校に入学
中高6年一貫教育を受ける
昭和46年
灘高等学校卒業
昭和51年
京都大学文学部文学科(英語英文学専攻)卒業
同年
母校に英語科教諭として就職



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きっこ

2017-07-13 21:39:49 | Weblog
ひさびさに、「きっこのブログ」「きっこのつぶやき」を見た。
きっこさんとも山口あずささんともツイッターでやりとりしていた千葉麗子さんは、もしかするときっこさんの正体を調べられるのかもしれない。
そんなことを思いながら見ていると、よくわからない記述があった。

https://twitter.com/kikko_no_blog
> きっこ‏
> @kikko_no_blog
> 本物の愛国者であれば思想の左右に関係なく自分と正反対の思想を持つ相手に対しても頭ごなしに誹謗中傷したりはしない。ネトウヨが使う「パヨク」という言葉は、安倍晋三が使う「こんな人たち」や在特会が使う「在日」と同義で、自らの愚かさを露呈しているだけであり、こういう輩こそが売国奴なのだ。
> 5:04 - 2017年7月11日


左派だったけどそこに幻滅したという千葉麗子さんは、「パヨパヨチン」だかなんだかという言葉を使う左派の運動家に幻滅して、「パヨク」という言葉を使っていたようだ。
まあ、左派の人は自らのことを「左翼」と言うことはあっても(航思社の大村智社長とか)、パヨクとは言わない。レッテル張りというか、ちゃかされていると感じるのではないだろうか。

それにしても、「パヨク」が、自分と正反対の思想を持つ相手に対して頭ごなしに誹謗中傷する語であるとすれば、「ネトウヨ」だって同じネガティブ印象のレッテル張りではないだろうか。

きっこさんは意見の異なる人のことをネトウヨ呼ばわりしてもいいのかな?と思ったけど、案の定、乱発して非難しているようだ。どういうことなのだろうか。

> きっこ‏
> @kikko_no_blog
> ネトウヨ政治家とネトウヨ官僚が結託してネトウヨ学園に国有地をタダ同然で売却するなんて、まさに文字通りの「売国奴」だよな。
> 1:01 - 2017年2月27日


「こんな人たち」にしても、きっこのブログを見てみると、「こんな国など信じられるか!」(2006/10/18)という記事がある。「こんな人たち」と言う人が愚かであれば、「こんな国など」と言う人も愚かではないだろうか。

私は「ネトウヨ」とか「パヨク」とか「輩(やから)」とか「売国奴」だといった言葉も使わない。
ネガティブな印象を付与するための言葉は、物事を分析する上でできるだけ避けるべきだと考えているからだ。

論理的な説明ができない人は、相手にネガティブな印象付けをして、なんとか自分の立場を有利に持っていこうとする。そういった競争には関わりたくない。

物事の構造を把握する努力を怠り、レッテル張りの応酬のようなことを続けている人は、部外者の視線にも気づかずに、お互いに「愚かさ」のなすりつけあいをしているのかもしれない。。。


ジャーナリストも、作家も、発言には注意が必要だ。
かつては、学者も政治家も煽る言葉をよく使っていたけど、ネガティブなレッテル貼り用語は、反知性的な不適切なものとして社会的に批判されるようになる可能性がある。
そうなると、過去の発言を咎められて困ることになるかもしれない。

<参考>
「米国の靴舐め野郎ばっかり」という表現も、品があるとは言えないネガティブ印象貼り付け言葉。

> Azusa Yamaguchiさんがリツイート
> 志葉玲‏認証済みアカウント @reishiva 7月11日
> その他
> 戸籍がどうこうとか、ぶっちゃけどうでもいい。「日本人の誇り」「愛国」とか言っている連中(特に政治家)が、そろいもそろって米国の靴舐め野郎ばっかり。おまけに国の税金や財産を私物化している上、
災害で自国の人々が苦しんでいるのに、自分達は呑気に海外旅行。


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ABDARC(アブダーク)?

2017-07-11 21:43:00 | Weblog
ABDARC(アブダーク)という団体があるらしい。
「ABDARC(アブダーク)は、全国の被差別部落の地名や個人情報をネットで公開するなどしている鳥取ループ(示現舎)に対する裁判を支援し、部落問題の基礎知識などを提供するために設立された有志グループ」とのこと。

「Anti-Buraku Discrimination Action Resource Center」の頭文字をとって「ABDARC(アブダーク)」なのだそうだ。
http://tubame-jiro.hatenablog.com/entry/2017/05/16/224949

ただ、この団体の名称にちょっと違和感がある。
一般的に、「Anti-○○ Discrimination」と言えば、「○○を排斥する差別」と訳すことが多いのではないだろうか。「反○○差別」ではない。
Anti-Muslim Discrimination は、「イスラム教徒に敵対する差別」。
Anti-Black Discrimination は、「黒人を排斥する差別」。

だから、Anti-Buraku Discrimination は、「ブラクに敵対する差別」となる。
「ブラク差別に対抗」と言いたかったのかもしれないけど、それだったら「Anti-Discrimination for Buraku」のほうがまだ通じるかもしれない。

とにかく、「Anti-Buraku Discrimination Action Resource Center」という名前では、
「ブラクを排斥する差別 行動資料センター」という意味になってしまうのではないかと思う。
差別に反対する姿勢がなかなか読み取れない。
ABDARC(アブダーク)の人たちは、団体名を変更することも検討してもいいのではないだろうか。


ただ、この団体の考えがよくわからない。公式HPのQAの最初に「Q.部落問題ってなに?」とあるけど、「ただいま準備中です」となっている。
https://www.abdarc.net/q-a/

残念ながら、差別に反対していても、差別の定義を把握していないという人は多い。
あたかも、差別というモノや仕組みが存在していて、それを消滅させれば問題は解決できる、と認識している人が少なくない。

だけど、「何者かを罪人視し、価値がないものと認識し、否定し、排除し、見下す」という意識には、差別者とまったく同じ構造が見てとれる。
(鳥取ループ?という人は、批判者たちから犯罪者・異常者のように認識され、見下され、否定・排除されているのかもしれない)

悪人正機説でもないが、差別に反対する人たちは、まずは自分たちも差別的な意識から逃れられてないということを自覚しなくては、いつまでたっても差別を解消することなどはできない。

それに気づかずいくら反差別運動に関わっても、根本的な問題は解消されないまま表面だけかき回して時間が過ぎて行く。

ABDARC(アブダーク)の人たちは、自分たちが正しいと思うことを続けていれば充実感が得られるかもしれないけど、残念ながらその思考パターンでは、世の中の差別を解消することは、10年20年経ってもむずかしいだろう。

上智新聞の原木風歌(ハラキフウガ)記者は、公開授業にやってきた鳥取ループ氏に対して、「差別者」「差別に依存し、差別に居場所を見つけているのではないか」と決めつけて記事化した。
このような、意見や認識の異なる対立相手の価値を認めず、論理的な解説を放棄して一方的に見下す姿勢こそが「差別」の構造を持つと認識する必要がある。
そうでなければ、原木風歌記者は、「正義(という名を借りた差別)に依存し、見下しや否定(といった差別)に居場所を見つけているのではないか」と言われてしまうのではないかと危惧する。


<参考>
http://tubame-jiro.hatenablog.com/entry/2017/05/16/224949
■ABDARC(アブダーク)
(Anti-Buraku Discrimination Action Resource Center)
全国の被差別部落の地名や関係者の個人情報をインターネット上に公開している鳥取ループ(示現舎)。
彼らにNOを突き付けるために起こされた裁判情報を中心に、 部落問題の基礎知識などを提供するためにABDARC(鳥取ループ裁判支援サイト)は、設立されました。

お問合せ:検索「ABDARC」(問合せフォーム)https://www.abdarc.net/contact/


http://www.asahi.com/articles/ASK6V65S5K6TUTIL01S.html
■東京)部落問題・差別を語る公開授業 上智大
編集委員・北野隆一2017年6月27日03時00分

 部落問題や差別の現状について語り合うイベント「私たちの部落問題」が25日、千代田区の上智大で開かれ、約220人が参加した。日本社会におけるさまざまなマイノリティー(少数者)について考える上智大の公開授業「立場の心理学~マジョリティーの特権を考える」の一環。
 戦前の報告書「全国部落調査」にもとづく被差別部落の地名リストの復刻出版は「部落差別を助長する悪質な行為」だとして、部落解放同盟や被差別部落出身者が川崎市の出版社や経営者らを相手取り、出版禁止などを求め東京地裁に提訴している。この日のイベントは、裁判の原告らでつくるグループ「ABDARC」が、部落問題について学んでもらう場になればと企画した。
 「結婚差別の社会学」の著書がある斎藤直子・大阪市立大特任准教授は「部落差別は現代の問題。差別される側ではなく差別する側の問題として構成すべきだ」と説明。川口泰司・山口県人権啓発センター事務局長は「最近起きているのは、部落の地名や出身者を暴いてネットで公開する『アウティング』。当事者が自ら出身を名乗る『カミングアウト』とは決定的に違う。情報化の進展で差別が深刻化している」と訴えた。(編集委員・北野隆一)


http://tubame-jiro.hatenablog.com/entry/2017/05/16/224949
■部落差別は、今 ~TUBAME-JIROのブログ~ 当事者の声、マイノリティの視点、差別の現実を踏まえた情報発信をしています。
2017-05-16
「私たちの部落問題」~上智大学で公開講座~

私たちの部落問題のイベントが6月上智大学で開催されます。
東京近郊の方はぜひ!「部落問題の今」について学べます。
◆ Lecture「初めての部落問題」
           齋藤直子(大阪市立大学特任准教授)
  「ネットと部落差別」
          川口泰司(山口人権啓発センター)
◆Talk Event 「私と部落と反差別」
     【ゲスト】 三木幸美(とよなか国際交流協会)
            上川多実(BURAKU HERITAGE)
             C  (BURAKU HERITAGE)
            李 信恵(ライター)
            ゆーすけ(C.R.A.C)
  【コメンテーター】香山リカ(精神科医)
 【コーディネーター】内田龍史(尚絅学院大学准教授) 


https://www.sophiatimes.info/
上智大学新聞 2017年(平成29年)7月1日 第548号
■部落差別を考える「同調圧力に抵抗を」
 『Lecture & Talk Event 私たちの部落問題』が本学の開講科目「立場の心理学~マジョリティの特権を考える」の公開授業として、6月25日に6-301で開催された。
 まず第一部では、部落問題の歴史といった基本的な事項を学ぶ講義に加え、ネットと部落差別に関する講演が行われた。山口県人権啓発センターの川口泰司氏は、部落出身者の名前や住所が載った「部落地名年鑑」がネット公開されていることを取り上げ、「部落差別の助長であり、差別の扇動だ」と問題視した。
 第二部は、「私と部落と反差別」というテーマでトークショーが行われた。部落差別事件の一例である大量差別はがき事件の被害者の女性C氏や、民族と女性の複合差別についての裁判で勝訴した在日コリアンの李信恵氏、ゲイ当事者のゆーすけ氏など様々なバックグラウンドを持つ5人が登壇。ゲストスピーカーとして香山リカ氏も加わり、各々の立場から見た「部落に対しての差別」をどう解決していくか、またはどのように正しく伝達していくかに関して熱い討論が交わされた。
 その中でゆーすけ氏は「同調圧力に少しでも抵抗してほしい」と参加者に呼び掛けた。C氏は「部落問題で苦しんでいる人が周囲にいるかもしれないと、自分のことのように考えてほしい」と話し、登壇者が思い思いの言葉で部落差別の解消を訴えた。
 なお、法廷闘争中の登壇者もいることから、授業の趣旨として、あらかじめ「ヘイトスピーチや差別目的の参加、裁判係争関係者の参加を断る」張り紙をしていた。しかし開始直後、裁判係争の当事者が出席していることが判明。主催者が繰り返し「協力してください」と退席を要請したが、机にしがみついて反発し、対応に苦慮するという場面もあった。
   記者の目
イベントでは差別者が退席を命じられ、反発した。その後香山リカ氏が「どれほど説得しても差別をやめない人を見ていると、嗜癖(依存)を連想することさえある」と発言した。会場にいた彼も差別に依存し、差別に居場所を見つけているのではないかと記者は感じた。
差別者を増やさないためにも、私たち若い世代は問題に向き合う必要があるだろう。
                              (原木風歌)


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2017-06-22 21:24:24 | Weblog
私は、藤原新也さんは、ノーベル文学賞に値すると思っている。
それだけ高く評価している。

小説や紀行文の表現はすばらしいが、会員用サイト(CAT WALK)では、あまり推敲されていない文も見ることができる。
(校正者が見れば、「持病を持っていた」などの表現には赤字を入れるだろう)
そこに親近感を感じるけど、ヘイトスピーチではないかと感じてしまう文もある。

安倍首相みたいな保守派が力を持ち、かつて隆盛を誇っていた左派陣営がかすんでしまっている状況は、中高年の人たちにとって不愉快なことなのかもしれない。

だけど、仲間内で攻撃的な言葉を使って慰めあって溜飲を下げても、傍目から見たら世の中には何も影響を与えていない。
中高年の人たちが自分の既得権を棚に上げて苛立ちだけ募らせているみじめな状況にも見えてしまう。

それに、いくら安倍首相に嫌な感情を持っていても、臭い唾液がついた靴底のガムに例えるのは、ヘイトスピーチに通じる侮蔑・罵倒の表現なのではないだろうか。
何か生産的な結果が予想される戦略的な言葉とは思えない。
攻撃的な言葉を使わなくても、人を動かすことはできるのではないだろうか。
(武道の達人は腕を振り回して威嚇するようなことはしない)

「悪相」とか「邪門」とか「クスリ漬け」とか「安倍の一物はその顔の大きさに似合わず、かなり小さいと観相」とか、悪口以外にどんな意味があるのだろうか。

また、「潰瘍性大腸炎は神経病。神経の細い人がなる」などと、安倍さん以外の患者の前で言えるのだろうか。。。
安倍首相のことを侮蔑するのは勝手だけど、難病患者を侮蔑することにつながってしまうのは残念だ。


「CAT WALK 更新のお知らせ」より
2017/6/22 12:00配信版
(略)
安倍という人間は靴底のガムに似ている。
路上に吐き捨てられ、ひとたびそれが靴底につくとなかなかしつこく取れない。
おまけに臭い唾液がついているので気分が悪い。


2017/6/17 12:00配信版
(略)
安倍はあの悪相で詭弁に詭弁を重ね、今日国会は閉じられた。


2017/6/5 昼配信版
鬼門とは家相における忌むべき方角を指すわけだが、人間においてもこの鬼門の扉を持って人を踏みにじり、不幸に落とす邪気に満ちた、言わば邪門(北京あたりではこれはもっとも異常、奇怪な人間のことを指すらしい)がいるが、さしずめ97代内閣総理大臣安倍晋三という人物はこの邪門に当てはまる。


2015/6/29渋谷路上OFF会報告。
(略)
アトリエで安倍の潰瘍性胃腸炎の病に言及し、多幸症、不安、神経症などの副作用のある2種類のクスリ漬けがあのアグレッシブな言動を生んでいる一因という話をした。


2015/6/1このニッポンがインゲン豆程度の一物に支配される倒錯と滑稽に思いを馳せる。
(略)
余談だが私は男の顔や立ち居振る舞いを見てその男子の一物の大きさを推し量る変わった技能を持っているのだが、安倍の一物はその顔の大きさに似合わず、かなり小さいと観相している。その小さい一物が縮み上がったのであるから”その一瞬”彼の一物はいんげん豆程度の”小ささ”になったであろう可能性は否定できない。


2013/12/5安倍の背中にソフトタッチで匕首を突きつけている者。
(略)
もともと安倍という人間は私が以前新幹線ですれ違ったおりのエピソードにも書いたように臆病な人間である。
彼は前に首相をやったころには食べものを全部下してしまう「潰瘍(かいよう)性大腸炎」という持病を持っていた。
その病気を漢方で治したチームの一人を私は個人的に知っているが、それは巷間言われるように難病ではなく”神経病”なのである。
つまり彼は神経の細い人間だと思われる。


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7+English

2017-06-21 21:56:20 | Weblog
朝日新聞のニュースサイトを見ていたら、「今、あなたにオススメ」という広告リンクがあった。

> 今、あなたにオススメ(PR)
> 英語は「九九」と同じ?まず覚えるべき60フレーズ (Let's English! by SPRING)


手軽に英会話力をアップすることに興味があるのでクリックすると、下記のページがあらわれた。

https://7plus-en.com/1ma/ob/lp5r/
> Let’s English!
> by 株式会社SPRING
> 日本の英語教育は意味がない?日本人が英語を話せない理由が唖然
> 2017.6.22 更新


今までのネット上で何回か見たことのある、『7+English』の宣伝ページだった。
この教材は、全世界どころか国内でも価値を認められていない自作自演の賞を掲げて商品を売り込んでいるので、信頼性が疑わしい。。。

> カンタンなだけではなく、社会文化功労賞、日本文芸アカデミー賞、国連世界平和賞など全世界で認められた七田式理論をもとに開発されており、楽天ランキングで「学び・サービス」など3部門を制覇するほどの実力派教材です。


社会文化功労賞、日本文芸アカデミー賞、国連世界平和賞のあやしさについては、ちょっと検索すればいろいろ出てくる。
七田眞さんが会長を務めていたこともある日本文化振興会は、山口組との関わりもあるようだ。

・社会文化功労賞を与える日本文化振興会とかいう詐欺団体知ってる人います?
https://detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail/q12146536592

・社会文化功労賞受賞?。。。
http://blog.goo.ne.jp/ishi-hiro-d-s/e/b7820e388dcf24bce7feb7bf9dcfbc0b

・人の欲につけ込む怪しい商売 日本文化振興会
http://www.tamanegiya.com/kako/nihonnbunnkasinkoukai21.6.10.html

・胡散臭い旧皇族の人。
http://guzuguzu.hatenablog.com/entry/2013/09/18/051346


アマゾンでの評価も高いと言えない。
> トップカスタマーレビュー
> 宣伝上手な効果なし教材
http://ur0.work/Egxn


個人的には、海外旅行で使える基本的な英会話力を付けるには、次の本で十分だと思う。
むかし、中古で200円程度で購入し、それなりに役に立った。
> CD付き 12パターンで話せる英会話―これだけで日常会話も旅行英会話も大丈夫! 単行本 – 1999/6
http://ur0.work/Egu4



それにしても、『7+English』の宣伝ページトップに「Let’s English!」と書いてあることに違和感がある。
このような表現もあるのだろうか。
英語として間違っていないだろうか。。。


https://detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail/q1340621048
> skgtknykさん2010/5/1008:06:12
> Let's English?
> Let's English 時々こんな広告を見かけますが、これは明らかな間違いですよね。"Let's" の後にjは動詞の原型が来るはずですが、English が動詞だとは思えません。私はこんな英会話教室には絶対行きたくありません。
>
> ベストアンサーに選ばれた回答
> プロフィール画像
> mj_hesslingさん 2010/5/1008:14:46
> その通りです。 広告の英語がおかしかったら、元も子もないことを解っていないはずがないので、それだけの会社なのですね。


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とがめる

2017-05-15 20:30:00 | Weblog
差別というのは、とがめることと関連がある。

とが・める【×咎める】 の意味(出典:デジタル大辞泉)
1 悪いことをしたと心を痛める。「気が―・める」「良心が―・める」
2 傷やはれものをいじって悪くする。また、悪くなる。「膿 (う) んで傷が―・める」
3 過ちや罪・欠点などを取り上げて責める。非難する。「過失を―・める」
4 怪しんで問いただす。「挙動不審で警官に―・められる」

差別は、責める・非難するといった要素を含む。
それに、見下す・価値を認めない、などといった要素を加えれば、一般的に差別と言われている事象に近い。

もし、「世の中から差別をなくしたい」と願う人がいれば、まずは、
「人をとがめない」「人を見下さない」といった意識状態をキープできるように試みることが重要ではないだろうか。

差別に反対している人が、対立する人たちに対して攻撃的な言葉を使ったり、非難したり、見下したりしているときがある。

精神科医の香山リカさんが、差別的なデモに対峙して中指を立て、罵る様子には違和感がある。
しばき隊あらためCRAC?のカウンターデモにも暴力性を感じる。

憎しみや見下しに憎しみや見下しで対応するような様子を見ると、そのような姿勢ではいつまでたっても差別のない世界は来ないのではないだろうかと感じる。

意見の違う相手を見下さなくても、非難しなくても、相手の意見を変えることは可能だ。
武道の達人は、相手を制圧するのに威嚇も恫喝も罵りも見下しも必要としない。
平然とバランスや構造を見切り、表情を変えることなく制圧する。

恫喝や罵りに対峙するのに、恫喝や罵りを使うのは、レベルの同じもの同士の関わり合いではないだろうか。


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噂の真相

2017-05-07 22:30:52 | Weblog
かつて、「噂の真相」という雑誌があった。
スキャンダル誌というか反権力誌というか、A5判、わら半紙のような紙面で、90年代にはそれなりの売れ行きを誇っていたが、個人情報保護意識が強まりいい加減なことを書くと裁判で不利になるせいか、2004年に休刊(事実上の廃刊)となった。

やり逃げのような印象なのだが、噂の真相は、休刊直前号で“被差別部落”に関する特集を巻頭にもってきた。
表紙にも「『噂真』最後のタブー・部落出身芸能人」と書いてある。

この特集を執筆したのは、大宅荘一ノンフィクション賞を受賞する前のノンフィクション作家、上原善広さんだ。
彼は自身が大阪の被差別部落出身であることを意識して、被差別部落に関するノンフィクション作品を多数執筆している。

私は彼の作品はほとんど読み、信頼できるノンフィクション作家だと思っているが、この記事には少し軽率な印象を受けた。
誌面で被差別部落出身者であると書かれている有名人たちは、被差別部落出身者であるという意識がない人も多いのではないだろうか。

話は変わるが、日本には在日韓国・朝鮮人だと言われている芸能人が多い。
美空ひばりは故人だから反論できないけど、ノンフィクション作家の野村進さんや作家・写真家の藤原新也さんが「美空ひばりは在日韓国・朝鮮人」などと書いているから、それを信じてしまっている人も多い。だが、研究者によると、明らかな嘘だと言われている。たしかに、美空ひばりやビートたけしを在日韓国人だと証明する根拠はない。
また、布袋寅泰や松田優作や和田アキ子やよく知られているお笑い芸人などは、韓国・朝鮮人の遺伝子も半分は入っているけど、自覚的には日本人だろう。彼らのことを在日韓国・朝鮮人と呼ぶのは、東京で生まれ育ったけど父親が大阪出身だという人を“関西人”とあだ名するぐらい、的外れのことではないだろうか。


そんなことも思いながら、作家の上原善広さんが噂の真相の休刊直前に書き残した記事の一部を転載しておこう。
13年前はまだブログがそれほど一般的でなかったせいか、この記事に関する反響はネット上で確認できなかった。

この記事に関しては、内容を否定している当事者もいる。
きちんと調査を行って検証した結果、と言えない内容も見うけられる。

ノンフィクション作家として最高の栄誉を得た「大宅荘一ノンフィクション賞作家」が、若い頃にはこういった記事を書き逃げしていた、ということを記録として残しておく。

野村進さんや藤原新也さんもそうだけど、うわさ話を事実と信じて拡散するような人が、ノンフィクション作家を名乗ってもいいのだろうか。
いや、ノンフィクションを自称する石井光太さんよりも、上原善広さんや野村進さんや藤原新也さんの方がはるかに信頼に値する作家だと感じているけど、もう少し考えてくれてもいいのではないだろうか。
もし私が、事実や推測に加えて創作まで加えて、作家さんの異性交遊や隠し子について海外にまで取材に行って興味本位で記事化したらどう思うのだろうか。
(上記に挙げた中に、海外でめぐまれない生活をしている実子がいる作家さんがいますよね。。。)


■噂の真相 2004年3月号
P24 陰湿な差別の中でカムアウトできない『噂真』最後のタブー『部落出身芸能人』
レポーター 上原善広(ノンフィクションライター)

P26・27
●大御所芸能人に多い部落出身者
(略)美空ひばりに限らず、大御所芸能人に部落出身者が多いのは事実である。たとえば、歌手もこなす大物時代劇俳優のS・Rは、神戸S部落の出身。また同じく男性歌手としては今やかなりの大御所と言われるI・Hは在日だと認識されているが、実は在日と部落民との間に生まれており、彼の地元の同和関係者も「わたしらはそう(部落だと)思っとります」と、ある研究者に語っている。往年の実力派歌手のK・Hは会津の番田系部落出身。番田とは非人系で、牢番などを担ってきた。(略)女性でいえば、演歌のベテラン大御所歌手には部落出身者が多い。たとえば、紅白歌合戦の常連であるK・S、S・K、Y・Aなどがそうだ。K・Sは新潟の出身で、実家は精肉業。S・Kは熊本県の非常に規模の大きな部落の出身だが、彼女たちに共通しているのは、いずれも婚期が遅いということだ。(略)
女性のベテラン歌手といえばS・K、そして演歌ではないが、K・Rも福岡の部落出身。(略)同じ福岡出身のN・Mもそうだ。(略)
漫才師ではN・Kがそうだ。四国の出身だが、大阪の部落にも彼の親族が住んでいる。(略)
往年の名コンビN・Dも尼崎の部落出身。(略)
●往年のアイドルたちにも多数の出身者
もっとも、もう少し若い世代にも、部落出身は多い。ママドルとして活躍するM・Sもそうだし、女優のM・Hは大阪の部落出身と言われている。(略)
十数年前のアイドルでいえば、S・Y、K・Y、K・Nがいる。三者とも大阪の部落。(略)

P28・29
(略)N・Aの場合は周知の通り、数度の自殺未遂を繰り返しながら、現在も細々と芸能活動を続けている。(略)一方、現役少女アイドルグループに所属するK・Aは奈良の部落出身。トップモデルのK・Aも出身者だが、彼女たちくらい若くなると、本人もその事実を知らされていない可能性も強くなっている。
●様々なジャンルで活躍する出身者たち
他にも様々なジャンルで部落出身者がいる。日本のブルースの第一人者であるY・J。タレントで元ボクサーのA・Hは大阪の部落出身。元祖バラドルのM・Hも出身者。お笑い系の女性二人コンビOのMは東大阪市の部落出身で、父親は地元の市会議員をつとめている。野球選手の夫人で元アナウンサーのF・Yは島根の部落出身。
野球選手では、引退した選手にとどめておくがK・N、Y・S、U・K、K・H、D・K、S・Tなどがいる。(略)


そういえば、元ボクサーのA・HさんはNHKの「ファミリー・ヒストリー」にも取り上げられ、有名な武将の赤井悪太郎の兄弟の子孫、と紹介されていたけど、それは間違っていると言うのだろうか。不可解な記事だ。

それから、噂の真相は、欄外に1行情報を載せているのも特徴的だった。
この号のp33には「石破茂長官はバニーガール好きで派兵日程をバニーに漏らし福田が激怒」などと書いてある。ありそうなことを推測で書いていたのだろうか。
実話誌などでは、談話の内容をライターが勝手にでっちあげることが多いので、スキャンダル誌で1行ネタがライターの創作であっても驚かない。
ただ、p129に「高田馬場A書房店主が中公新社新人書店研修で新卒女性と次々肉体関係」とあるのは妙に生々しい。当時は書店研修を行っている出版社は少なくなかった。
A書房というのは、あおい書店のことだろうか。芳林堂書店かな。
13年前に20代であれば、今は30半ば過ぎ。中央公論新社の女性社員は、当時のことを何か知っているだろうか。


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溝口和洋

2017-05-03 21:28:53 | Weblog
ノンフィクション作品を読むことが多い。
2016年にベストだと思った1冊は、上原善広による、やり投げの溝口和洋を描いた作品だ。
上原善広さんにとって、最高傑作ではないだろうか。大宅荘一ノンフィクション賞を受賞した作品よりも、すごさを感じる。

興味深い記述が多い。おすすめの一冊。

『一投に賭ける 溝口和洋、最後の無頼派アスリート』
上原善広著 角川書店 2016年

P44
一言でいえば、ウェイトは筋肉を付けると同時に、神経回路の開発トレーニングでなければならない。筋肉を動かすのは、筋肉ではない。脳からつながっている神経が動かすのだ。

P56
「実際は力を入れた状態だが、力が入っていないように感じる」
 これが本当のリラックスだ。よほど強力な筋力がないとできない。

P70
 この頃にあった日本選手権の前夜、私はナンパに成功して朝方まで女といたが、さすがに翌日は二日酔いと、いつもと違う動きをしたので疲れていた。それでも八十m台を投げて優勝したが、これは不意のことが試合前に起こっても、対処できるようにと考えて、意図的にしていたことだ。

P103
 人間の体の中でもっとも硬いものは、筋肉ではなく骨だ。だからその骨の反発を使うのである。私はよく「骨を使って投げる」と表現するのだが、肩関節を支柱にして、腕と鎖骨など、骨の硬さをテコにして投げるのである。

P145
「あんな測り方ってありますかッ。絶対にあれはおかしい」
 村木さんの気持ちはうれしかったが、私はもう気持ちを入れ替えていた。
 冷静に考えると、いくら安物のメジャーを引っ張ったとして、それで八㎝も縮むわけがない。おそらく芝生にいた計測員が、再計測のとき、故意に着地点をわずか手前にずらしたのだ。
 アメリカ人は、たまにこういうことをする。これが記録に厳格なイギリス、またはアジア各国や日本だったら、話はまた違っていただろう。

P147
「こら、アカン。もう行こうや」
 私が呆れて言うと、
「なんて奴らだ……」
 と村木さんが吐き捨てるように言った。
 アメリカン・ドリームと口では言っておきながら、アメリカ人は平気で外国人の足を引っ張る。こんな低レヴェルな奴らとこれ以上、関わりたくなかった。

P154
 日本記録なんか、どうでもいい。
 記録には二つしかない。
 世界記録と、自己ベストだ。

P160
 実際、取材もせずに書いた嘘八百の記事がスポーツ新聞に掲載されたときなど、その当の記者を日本の国立競技場のグラウンドで見つけ、捕まえてヘッドロックをかけてやったが、マスコミは人の話で飯を食っているロクデナシのゴロツキばかりだ。こういう奴は、日本人とはいえ話は通じない。実力行使で制裁するに限る。

P212
 私は指先が非常に敏感なようで、例えばやりを持つだけで、そのやりが曲がっているかどうかもすぐにわかったし、怪我した選手の体に手をかざすだけで、どこが悪いのかもすぐにわかった。
 また、100m日本記録(一〇秒〇〇)保持者の伊東浩司が走っているのを見ているとき、彼の後ろに黒い羽のような影が見えたことがある。そのとき私は「伊東も、もう駄目だな」とわかった。事実、それからほどなくして伊東は引退した。
 話がオカルトめいてきたが、私はべつに宗教も信仰していないし、「気」なども信じない方だ。

P215
 よく「フォームを直す」と言うが、これは間違っている。投擲競技に限らず、すべての競技は全体の流れ、動きを見ながら指導することが重要で、フォームを直したりするとおかしくなる。
 なぜなら、「フォームを直す」ということは、「型にはめる」のと同じだからだ。型にうまくはめて、それで飛ぶならいいが、事実は逆だ。新しいフォームを導入して記録が下がる選手は大抵、これに当てはまる。

P223
 高校生レヴェルまで落ちたこの体で、どうしたら八十mも投げられるのか。それを一つ一つ点検し、突き詰めてトレーニングを確立したおかげで、一般の選手にもいろんなことを伝えることができるようになった。しかし、それができるまでは心身ともに、非常につらかった。
 新しく見つけた技術を試すことができなかったこともあり、反省することはあっても、過去を振り返ることはない。
 やり投げを好きだと思ったことは一度もない。
 しかし、やり投げが私の全てだったことは確かだ。


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被差別部落の発生と分布

2017-04-28 22:26:55 | Weblog
現在でも、点在する集落のことを「部落」と呼ぶ地方は少なくない。
テレビのインタビューなどで「この部落は~」と発言する住民も多いが、テロップではだいたい「集落」と書き変えられている。

ただ、先日ある民放番組を見ていたら、住民の発言どおりに「部落」と書いていた。日テレだったかな?
制作会社が被差別問題や放送禁止用語に疎いだけなのかもしれないけど、意識的にそうしていたとしたら、なかなか興味深い。

本来、「部落」という言葉は、「路地」や「村」などと同じく、差別的な意味は含まれていない。
「部落」を使用することは、何の問題もないのだ。
だが、被差別部落の関係者が、被差別部落のことを「部落」と称していたことから、「部落」という言葉に「被差別部落」を連想する人も多くなっている。それに伴い、知識のない人は「部落」という言葉を自粛しがちだ。

現在では、手垢のついた感じもする「部落」という言葉を避けて、被差別部落のことを「路地」とか「ムラ」と書く作家やライターもいる。そのうち、メディアでは「路地」や「ムラ」といった言葉の使用も自粛するようになるのだろうか。つまらない。
そのような自粛をする前に、部落解放同盟の人に対して、「あなたたちは言葉の使い方が不正確だ。前身の水平社の人たちは悲しく思うのではないか。きちんと、『被差別部落解放同盟』とか『未解放部落解放同盟』『特定部落解放同盟』と記述してはどうか。そうしないと、論理的な言葉が使えない人だと思われてしまうよ」などと呼びかけてみてはどうだろう。


それにしても、被差別部落の発生についての研究はなかなか進まない。
マルクス主義的な歴史学が支配的だった頃は、「江戸時代に他階級を懐柔するために一番低い階級を設置した」などと学校でも教えられていた。
現在では、解放同盟でもそのようには認識していない。被差別層の発生はもっと古い時代だったとがわかっている。また、江戸時代には、士農工商という並びの上下の階級制度は認識されていなかった。(だから、教科書から士農工商という用語が消えてきている)
むしろ、士農工商それぞれの業界の中で格差が大きかった。えた非人と呼ばれる被差別層の中でもヒエラルキーがあった。(カワタが、エタ扱いしないでくれ、と訴え出た江戸時代の書状が残っている)

被差別部落の存在についての研究は、マルクス主義的な史観に基づいた歴史学の衰退に伴ってずいぶん進んできたと感じるが、それでも被差別部落の起源についてはよくわかっていない。

定説では【律令時代の「奴婢制度」と被差別部落は何の関係もない】、ということにはなっているが、本当に関連性はないのか、もっと調査が必要だと感じる。
(もし、エタ・エッタの語源が「役太」であれば、奴婢制度との関連も考えられる。エタの「タ」はカワタやバンタの「タ」と同じものだろう)

また、被差別部落の分布しているエリアと、古墳の分布、渡来人の分布などのマップを重ねてみるとかなり共通点がある。また、渡来人の多かったところでも、縄文時代から人々の住んでいた地域には被差別部落が少ない。これは無視できないだろう。
朝鮮半島には、白丁(ペッチョン)という日本のエタとよく似た被差別者がいた。白丁との比較も重要だ。
(白丁は水平社にならって衡平社という団体をつくって活動していたが、朝鮮戦争の混乱もあり霧散した状況。現在では白丁の末裔を自称する人を確認することも難しい)


被差別部落をめぐる状況の中で、この数年衝撃的な存在となっているのは全国の被差別部落の所在地をネット上に公開してしまった「鳥取ループ」だろう。何者?

部落解放同盟から分裂したというか除名されたという、言葉遣いの荒い団体は「鳥取ループ」を非難している。

http://www.zenkokuren.org/2016/06/post_536.html
>新たな「部落地名総鑑」を徹底糾弾し鳥取ループ・示現舎を追放・一掃しよう
(2016年06月24日)
>
>部落解放同盟全国連合会中央本部
>
>部落解放同盟全国連合会(全国連と略)は、第25回全国大会での特別決議をもって、鳥取ループ・示現舎なる者による、新たな「部落地名総鑑」を極悪の差別事件として断定し、かつ部落解放運動総体への見過ごすことのできない挑戦として認識し、ここに改めて徹底糾弾を宣言する。
>
>(1)今年2月、インターネット上で、鳥取ループ・示現舎なる輩が、じしんのホームページで、「復刻 全国部落調査 部落地名総鑑の原点」と称する書籍の発行・販売を予告し、アマゾンが予約注文を開始するという情報を掲載した。さらに、発行・販売は4月1日であると予告した。
>また書籍とは別に、「同和地区Wiki」と称するサイトをネット上に開設し、「部落地名総鑑」がいつでも、誰でも見れる状態にしていた。



ここで紹介されている「同和地区Wiki」とは、下記のサイトのことだろう。

■全国の同和地区
https://xn--dkrxs6lh1g.com/wiki/%E5%85%A8%E5%9B%BD%E3%81%AE%E5%90%8C%E5%92%8C%E5%9C%B0%E5%8C%BA

見てみると、相当ボリュームのある内容だ。しかも、おどろくほど詳細だ。

学生の頃に、被差別部落について調査することがあった。
被差別部落の分布は川沿いに多いと推測されたので確認したいと思ったが、詳細な情報を入手することができなかった。
「部落地名総鑑」という本があるらしいということは知っていたが、企業の人事担当者などが被差別部落出身者を差別的に扱うために使用されている、という話があり、糾弾されていた。そういったものを入手することは考えられなかった。

「同和地区Wiki」の差別的使用は非難されることだが、研究目的に使用することもできるのではないかと感じる。
被差別部落がどのようなところに分布しているか分析することによって、その起源を探ることに役立つ。

ただ、一般の人はこのサイトに関わらない方がいい。かなり危険。人を傷つける恐れがある。
また、人をおとしめるために使おうと思っても、自分の先祖が被差別部落出身だと知って悩んでしまう人だっているだろう。

東京では自分の祖先が被差別民だったと意識している人は少ないけど、実は関東にもけっこう被差別部落は多い。差別から逃れるために東京に出てきた人も多い。
現在、日本人の5%ぐらいは被差別部落出身の祖父母を先祖に持っているのではないかと推測している。(西日本では10%に近いかもしれない)


日本社会の成り立ちを考える上で、被差別民の歴史を考えることはとても意義がある。
どういった職業が、社会秩序の維持発展に貢献していると認識されていたのか、社会秩序の枠外にあると認識されていたのか、秩序と混沌はどう干渉しあっていたのか、
そういった構造を把握することが、今後の世の中のあり方や、自分の価値観の持ち方に影響を及ぼす。

だから、私は被差別部落問題研究に興味がある。
ただ、「差別をなくすことは正義だ」、と言って差別者を排斥する姿勢には、差別者に通じる意識を感じるから、差別者をとがめることにはあまり興味がない。こういった問題に興味を持つことによって自分が被差別民だと思われても構わない。
人は誰だって、アウトサイダーの一面を持っている。
「正しい人」であることを求められ、疲れ、疑問を持った人は、あるべき姿としての「正しさ」を疑えばいい。そこから、知性とか創造性とか、芸術的価値についての思考が深まっていくのではないかと感じる。


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ナイトハイク in 大山

2017-04-21 23:32:03 | Weblog
2月に、1年ぶりにフルマラソンを走った。
2~3か月の練習だったけど、3時間15分で完走。
去年の東京マラソンより10分くらいはタイムを縮めた。

まじめに半年も練習すれば2時間台で走れるだろうけど、そこまでやるつもりはない。体によくなさそうだし。

最近はジョギングコースを走るのに飽きてきたので、山を走るトレイルランニングに興味がある。
自然の中を走るのは何だか気分転換になりそうだ。
小さなリュックやトレイルラン用のシューズなど、最低限の装備は用意した。

まずは大山でも走ってみたいと考えた。
ある日帰宅してからピンポイント天気予報を確認すると、伊勢原市は夜の間ずっと曇り空の様子。
ついに思い立って、4/7(金)、新宿駅から小田原行きの最終電車(小田急)に乗った。

かなり混んでいたけどなんとか座って1時間余り。伊勢原までたどりついた。
途中でちょっと電車が遅れた影響もあり、0時45分くらいの到着。

駅前のコンビニで小さな缶に入ったスパークリングワインや吟醸酒を購入。
おにぎりやマシュマロも買った。
早足で郊外に行くと、だんだん山間部に入ってくる。
曇り空だけど、山の稜線が見えるのは、街の明かりを反射した雲が明るいせいだろう。
ちょうど桜の花が美しい。

途中、追い越していった救急車が止まったと思ったら、民家の軒先にスーツ姿のサラリーマンが寝込んでいた。ただの酔っ払いならいいが、大丈夫だろうか。

さらに進んで行くと山間部に入っていく。小雨が降ってきたのでフードをかぶったけど、それだと耐えられないくらい降ってきたのでついに傘を差した。

幸いなことに、山間部の細い道でも街灯があるので、あまりライトを使う必要はない。
山の中で急に「ギャン!」と鳴き声がしたかと思ったら2頭の鹿が逃げて行った。
まだ沢の近くには3頭くらいの鹿がたたずんでいる。山の中にいることを実感。

山道をずんずん進んで行き、大山寺で雨宿りしてから深夜4時には阿夫利神社に到達。標高差650m、10キロ弱といったところだろうか。
誰もいない中、遠くは雨にけぶり、何も見えない。俳句も詩も浮かんでこない。さっさと下ることに。
急な石段のところですべらないように気を付けながら下山。途中からはちょっと走ったりもして、6時半すぎには伊勢原駅着。
7時前の急行に乗って帰った。

急な旅だったけど、鹿が出てきたり、曇りの予定だったけど山に入ると雨が降ってきたり(さすが雨乞い信仰がある神社!)、ときどきこのようなことがある。


1998年頃だろうか、営業が終わってふと山の中を車で移動し、天川神社のあたりまで行った。ちょうどお祭りの前日だったけど、1部屋だけ空いていたのでそこに泊まった。出雲神社系の女性行者さんと話をしたり、柿坂宮司を手伝って太鼓を移動させたり、なかなかいい経験をした。
行者さんは、「ふらっと来るというのは、呼ばれているのだ」というようなことを言っていた。今回、大山にも呼ばれたのかもしれない。
さて、次はどこの山が呼んでくれるだろう。海でもいいけど。


<追記>
5/26(金)、夜中から曇り・晴天の予報だったので、急遽大山に行ってみることにした。
伊勢原市に深夜0時前に着き、コンビニでパンなどを買ってから山へ。
前回と同じく、山に行くにしたがって雨が降ってきた。来る前にピンポイント天気予報を見て、雨が降らないことを確認していたのに。
2時半頃に阿夫利神社に着いた頃にはかなりの雨。神様に歓迎されているのだろうか。
帰り道、大山寺を過ぎたあたりの石段で足を踏み外してしまった。
傘は裏返り、腰を打ち、右手の手首をすりむいてしまい、なんとか立ち上がったけどしばらく動けなかった。
4時半に伊勢原駅に戻り、5時13分の始発で帰った。
気のせいか、長い間悩まされている腰痛が、軽くなっている。体を前に倒そうとすると腰に違和感があったけど、あまり感じなくなった。


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被差別者、障害者としての自覚

2017-03-01 22:00:33 | Weblog
他人から見れば、私は被差別者でもなければ障害者でもないかもしれない。
むしろ、伝統ある家に育った、無駄に体力のある健康な人間だと思っている人がいるかもしれない。

だけど私にとっては、被差別者や障害者は無関係な人たちではない。
そのような意識を持ってから、世の中の仕組みがより理解できるようになったように感じる。


被差別者や障害者に対して、他人事のような視点を持つ人は多い。
日々の生活で特に疎外されることもなければ生活に不都合を感じることがないという人は、
見下されていることに不満を持つ人たちや、道の段差やトイレにも不便を感じる人たちのことを、自分たちとは違う人たちのことだと思ってしまうのも無理はない。

だが、自分もまた被差別者であり、障害者であるという自覚を持つことにより、被差別者や障害者のことを、自分たちのことのように認識することができるようになる。
被差別者や障害者のことを無意識に差別してしまうことも解消される。

実際、私たちの多くは、潜在的に障害者だ。
たまたま、社会生活に支障がないだけで、一歩間違えば苦労の多い生活となる。

例えば私は近視で、眼鏡を外すと世界がぼやけて見える。
手元の文字も読めないし、道を歩くのも危険だ。
だけど、眼鏡という道具を利用することによって、社会生活に支障がない日々を過ごしている。
外国に行くと、自分の股下の短さによって小便器の位置の高さに不便を感じることがある。
だけど、日本では自分の体形に合った便器で、苦労を感じなくて済む。

現在障害者としての生活を送る人たちだって、技術や社会基盤が発展すれば、ストレスを感じなくて済むようになるかもしれない。
そうなれば、もはや障害者とは言えない。

「自分も、障害者と同じような状態に置かれるかもしれない潜在的障害者だ」、と意識することによって、障害者は特別な存在ではなくなっていく。


私たちの多くは、潜在的に被差別者でもある。
(逆に、被差別者を自覚している者も、潜在的に差別者であると言える)

日本人であることが、被差別者になる社会もある。
韓国ではチョッパリ(蹄足?)とかウェノム(倭奴)などの蔑称がある。
欧米に行けば日本も中韓も同じようなアジア人差別に遭う場合だってある。
(しかし、容姿に恵まれた礼儀正しい人は差別に遭う可能性が低い。欧米で差別に遭ったと愚痴をこぼす人については、「アジア人であるから見下されたわけではないだろう、人として評価されていないだけだろう」と思わせる人も少なくない。。。)

被差別者だって、被害者面ばかりしていていられない。
多くの被差別者は、差別者と変わらず、さまざまな人の価値を認めず、見下している。

そういうわけで、「私たちは差別者であると同時に被差別者でもある。健常者であると同時に(潜在的)障害者である」と意識することによって、新たな思考をスタートすることができる。

被差別者も障害者も特別な存在ではない。
少し立場が変われば自分たちもその立場になる。


つい人を見下してしまいがちな優秀な人たちだって、安心してはいられない。
多い収入や高い社会地位を無意識に誇っていても、歴史的あるいは他文化圏においては、賤しいとされて見下されている職に就いている人も少なくない。
(そういえば、創造的な仕事をしている人の中には、金融や法曹、公務員などの仕事にまったく興味を示さない人も多い)
自分の文化圏の価値観で評価されていることに安住してもいいけれど、自分の視野を狭くしてしまう。それでは知的だとは言えないだろう。



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平和教育の学問性

2017-01-24 22:45:24 | Weblog
1970年代・80年代に平和教育を受けてきた。
原爆に関する映画は強烈なインパクトがあった。

「絶対に戦争をしてはいけない。残酷で悲惨で、大きな被害が生じるから」
というのが平和教育の主なメッセージだった。

実際に戦争を経験した人々は、もうこんなことは絶対にしてはいけないと痛感したのだろう。

教育機関では、「戦争は絶対だめ」という思考を定着させるために、映画や絵本などを使って視覚的にも刷り込みを行ってきた。

「戦争は絶対だめ」という認識を支えるために、「人殺しは絶対だめ」という教育も行われている。

だけど、批判精神を持つ子どもは、「なぜ戦争をしてはいけないのだろうか」「なぜ人殺しをしてはいけないのだろうか」という疑問を感じ、その根拠を探ることになる。

そして、「戦争や人殺しは絶対的に否定されるべきこととは言えない。この社会において、絶対的に否定されるべきことだと規定されているだけだ。この社会組織の維持のために必要だとされている認識にすぎないのでは」と感づいてしまう人もいる。

自称「リベラル」の先生たちは、批判精神の重要性を説く。
平和教育に疑いを持つことは許さない、という態度はリベラルとは言えない。
だから、少し平和教育について考えてみよう。


まず、平和教育は学問なのだろうか?という疑問がある。
信仰のようになっていないだろうか。
戦争はだめだ、平和が大事だ、と主張するだけでは世の中の争いは回避しづらい。
侵略されても自分たちが滅びればいい、と言うのであれば気合が入っている考えだと感じるけど、そういうわけでもなさそうだ。

戦争を回避するためには、平和教育よりも戦略教育のほうが適切なのではないかと感じる。
戦略教育であれば、情況分析や衝突回避方法や武力衝突前の情報戦を学ぶことができる。
結果的に、悲惨な武力衝突を避けられる可能性は高まる。

ケンカを回避するためには、ケンカはだめだという教育を行うよりも、対人関係の心理学やコミュニケーション学を学ぶほうが効果的かもしれない。

学問性から見て、平和教育はその前提に問題があるのではないだろうか。
戦争や人殺しが絶対だめだと主張するのであれば、暴力や自殺は絶対だめだと主張することと同じく、その根拠となる理論が求められる。
「命は大事だから」ということが根拠であれば、なぜ命は大事なのか説明する必要がある。

「命が何よりも大事」という判断基準は、自分の所属する社会の存続や、自分の遺伝子を後世に伝えるために不可欠な認識ではないだろうか。
言い換えれば、自分の所属する社会の存続や、自分の遺伝子を後世に伝えていくために、「命が大事」ということに決めているだけだ。
(会社の存続を何よりも重視している人がいるのと、似たようなことだ)
そのような因果関係を隠蔽して、「平和が大事」「命が大事」と価値観を刷り込むのは、洗脳的とも言えるのではないだろうか。

今も多くの学校で平和教育が行われているけど、小学生でも疑問を持つ子はいる。
いつまでも恐怖や価値観を刷り込むような平和教育を続けることは難しいのではないかと感じる。

対立や戦争は、価値観の対立によって生じることが多い。自分の価値判断基準を客観的に認識し、
学問として、客観的に戦争や平和を分析できるようになれば、平和な世界が近づくかもしれない。


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逆SEO?

2017-01-17 22:56:30 | Weblog
SEO対策という言葉を時々耳にする。
Googleの検索結果上位に自社商品が出てくれば、アクセス数が増え売り上げにつながる。
ただ、小手先のテクニックを使わなくても、それなりに内容の充実したページを作れば検索結果の上位に出てくる。
あまりSEO対策にお金を出す必要はないかな、と感じる。

何か月か前に、SEO対策をやっているという会社の営業マンの話を聞いた。
逆SEOというものもあるらしい。
会社にとってネガティブな検索結果が出てくるのを防いでくれる。
どういうテクニックを使うのか詳しいことは知らないけど、会社にとって不都合なページが検索結果の下位に来るようにしてくれるそうだ。

費用を聞いてみたところ、毎月20万円だとか。ふっかけてきたのだろうか。ネットで見ると月3万円からという会社もある。
それにしても、毎月20万円払っても、対策をやめてしまうとまた不都合なページが上位に来てしまうらしい。。。
幸い、私の勤務先を検索しても、あまり変な情報は出てこない。
(元社員の名前+社名で検索するとひどい書き込みもヒットするのだが、あまりにも古いマイナーな情報なので社内でも知っている人は少ない)


ふと、このブログでもいくつか出版社のことを取り上げたことがあるなと思い、ある出版社名をGoogle検索したら、検索結果の1ページ目に自分のブログ記事が出てきた。
中央公論新社、明石書店、かまくら春秋社などにとってはおもしろくない内容だろうから、少し申し訳なく感じる。

しかし、中央公論新社などは、逆SEO対策をどこかの会社に依頼したりはしないのだろうか。
それなりの出版社であれば、ネガティブな情報を検索結果の1ページに出させるということはあまりない。


     *   *   *

上記のような文を昨年ちょっとメモしていたが、ブログには掲載していなかった。
久々に出版社の名前を検索すると、「明石書店」「かまくら春秋社」は検索結果のかなり上位にこのブログの記事が出てくる。会社HPの次とか。つまらない記事なのに恐縮。

だけど、「中央公論新社」で検索しても下記の記事はぜんぜん出てこない。後ろのページにもない。
以前は検索結果のトップページに出ていていたと思うが、不思議だ。
  ↓
・中央公論新社社長に大橋善光氏
http://blog.goo.ne.jp/ambiguousworld/e/4f7323f829035c8550c21a6d8323ee8c

もしかして記事が消えたのかなと思ったけど、「中央公論新社 赤字」「中央公論新社 社長」などで検索すると上位に出てくるから、存在はしているようだ。
なぜか「中央公論新社」で検索すると出てこない。
どのようなテクニックを使っているのかちょっと興味がある。


月末に読売新聞の新春懇親会に顔を出すつもりなので、中央公論新社の社長が参加されていたら、逆SEO対策についてお伺いしてみようかな。



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