波打ち際の考察

思ったこと感じたことのメモです。
コメント欄はほとんど見ていないので御用のある方はメールでご連絡を。
波屋山人

ぐぅ?

2012-05-18 21:13:39 | Weblog
近頃、facebookで勤務先名を公開している人が多い。
例えば、gooを運営しているNTTレゾナントの社名で検索してみると、
ざっと目にしただけでも70〜80人は勤務先をオープンにしている。

さすがIT企業。皆さんオープンだなぁ。
高学歴を公表されている方も多く、成績優秀な人が多い会社だなと感じ入る。

勤務先: NTTレゾナント
澤村正樹、來山剛、立石祐子、野間伸一、木田憲一、桝村季弘、本多篤志、本間幹人、北村良明、米川達也、福田智文、福田信一、八木貴史、白濱將人、萩野勝紀、二石由美子、徳永徹郎、田中健太、長谷川章、猪狩秀人、中田優、筑波元陽、竹野浩、竹内尚生、池田陽一、谷脇健一、谷口浩隆、浅井拓海、石澤悟郎、石井悠太、清田英樹、清水達哉、瀬戸健太郎、神田勇介、小澤剛、小谷昭智、小川克徳、勝田亮、住友馨、時任美乃理、寺門裕子、山崎光弘、山口貴圭、山岸伸吾、佐藤宏之、佐藤栄司、合庭弘之、高田真樹子(長峰)、江口明、工藤祐司、光島保明、古屋素衛、橋本智哉、宮脇健、久須美達也、吉井圭、菊池寿子、海老原大、園田充、宇田川和男、宇田育弘、逸見彰一郎、井本貴明、安尾友佑、Yoshizawa Ryu、Toshiyuki Hayashi、Toru Shishikura、Takeru Miura、Tadayoshi Senda、Shuji Inaba、Shin Ichihashi、Norihiro Morita、Moto Suzuking、Kuldeep Chauhan、Kimura Yugo、Keiko Kitaoka、Hiroyuki Yamamoto、Hideaki Ozawa(略)


なかには、「gooの中の人」、と職務を書いている人もいる。
親会社の名前を公開していても、実際はgoo勤務のような人もいる。
勤務先を公表してないけど、明らかにgooの仕事をしているなと思われる人も多い。

そんなことがふと気になったのは、goo事務局の顧客対応に少しおどろいたからだ。

いまどき、「木で鼻をくくったような文面」とか
「説明を拒否して突っぱねるお役所的姿勢」とか、
「やわらかい言葉を挟まずにざっくり切り捨てる表現」とか、
なかなか目にすることはない。
とても興味深い文面を拝見させていただいた。

ぼくは以前オンラインサービスの事務局を担当して問い合わせやクレームに対応してた。
顧客との余計な摩擦を避けるために、顧客目線を心がけていた。
保身に回ってしまうと、相手が反発して事態が悪化する可能性が高い。
まずは相手のことを受け入れて、相手が満足するように現状を分析的に説明し、解決案を提示していた。

ところが、goo事務局は違うんですね。
サービス業だという意識は感じられなかった。
ネット上でgoo事務局の応対を批判してる文面を目にすることはあったけど、まさか当たっているところがあるとは予想していなかった。

いちばんおどろいたのは、判断の根拠を示さずに、「この記事の表現は名誉毀損のおそれがある」と判断して記事を削除させたこと。

法的にも、きちんとどの文のどの表現が不適切なのか、きちんと説明する義務があると思うけど、「必要はない」との一点張り。
ほんとうに調査・判断する力があるのかな。
こういった人たちには、芸術家や作家の表現を守ることができないのでは、と残念に思う。

むかし、あるお偉いさんに日本語や国語を専攻していた人たちが「この表現は日本語として問題がある」と指摘したところ、知識のないお偉いさんが「問題はない」と言い切っていたことを思い出した。
時として、問題点を感知できない人が堂々と妥当性を宣言する。

goo事務局の人は優秀だと思うけど、
わいせつな表現とか差別的表現などについても知識が乏しく、
少しでもクレームが来たら作家さんの表現をすぐ制約するのではないだろうか。

秩序のなかで安定を維持する人としてはそういった姿勢でいいのかもしれないけど、
レゾナントは新規事業を成功させないと事業存続もあやうくなるかもしれないのだから
ベンチャーっぽく、芸術家的な感性や創造的な姿勢も受け入れたほうがいいのではないだろうか。

レゾナント勤務を公表している人たちの屈託のない笑顔をスクロールしながら、
この中に、顧客対応を担当している人もいるのかなと想像した。


追記
ぼくは編集担当として、作家がもし放送禁止用語や差別的表現にあたる言葉を使用したいと言ったら、意図を聞いて精査する。そして、責任を持ってそういった言葉の使用をサポートする。
社会常識の枠組みからはみ出した思考を排除することは簡単だ。だけど、世界の仕組みは複雑で、一般人の価値判断基準だけでとらえられるものではない。ときどき思想家や芸術家は一般人から罪人視されることもあるけど、ぼくは表現者を擁護する立場でいたい。
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インプット&アウトプット バランス

2012-03-11 16:03:19 | Weblog
鉢植えから芽が出た。 
ボールがこちらに飛んできた。
首相が交代した。
難民が涙を流した。
アイドルがほほえんだ。
顧客がクレームをつけてきた。

そういった現象を目にしたとき、
見たまま何も感じず、何も知識を得ず、何も働きかけない人もいれば
感じ、学び、行動を起こす人もいる。

流されるように時間を過ごすだけでは
日々の暮らしを豊かにすることはむずしい。

何かの現象や風景を目にしたとき、
そこから何を感じとるか。
何を体得するか。
どのような反応や行動を起こすか。

環境の中で何をインプットし、何をアウトプットしていくか。
何を感じ取り、何を吸収していくか。
どのような反応を起こし、どのような取り組みを行うか。

自分が日々暮らしていく中で、
インプットからアウトプットに至るまで
どのような要素があるのだろうかということを、
想像し、確認することは有意義ではないだろうか。

何に接し、何を感じたか。
何を感じ、何を考えたか。
何を考え、何を学んだか。
何を学び、何を得たか。
何を得て、何を表現したか。

感じるばかり、味わうばかりでは、
そこから生じる反応や表現は、単純なものになる。

単純な甘みや辛味だけでは豊潤な味わいがうまれないのと同様に、
思考や行動も単純な要素だけでは複雑な味わいがうまれない。

他者を自分の利益のために使用したい人は、各個人が自立すると
コントロールしにくくなるから、こういったことを広めようとはしないかもしれない。

だけど、自分の人生を自分でコントロールして日々を豊かにすごしている人の多くは
アウトプットとインプットを意識することが大事だと気づいている。

いろんな知識をもっているのに、ひきこもりのような人も多い。
高学歴で発想力もすぐれているのに、平凡な仕事に甘んじている人も多い。
かなりの稼ぎを得ているのに、つまらない趣味の人も多い。

そういった人は、インプットとアウトプットのバランスが崩れているのかもしれない。
IOカウンセラーによる診断を受け、ちょっとバランスを整えれば、
劇的に人生は充実したものになるかもしれない。
ま、IOカウンセラー(インプット&アウトプット カウンセラーの略)はまだいないけど。

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身体で考える。

2012-02-12 17:36:42 | Weblog
内田樹さんと成瀬雅春さんの対談集を読んだ。
合気道6段の内田さんと、ヨーガ行者として知られる成瀬さんがどのようなことを語り合ったのか気になっていた。
『身体で考える。―不安な時代を乗り切る知恵』。2011年6月マキノ出版発行。

どうしても身体感覚から遠ざかりそうなこの頃だし。

20年くらい前に、成瀬雅春さんの『空中浮揚』という本を購入したことがある。
当時からヨーガに興味があったけど、成瀬さんが本物なのか偽者なのかぼくには判断ができなかった。
内田さんにしても、すごいのかどうなのかぼくには判断できなかった。

だけど、この対談集はたいへん興味深かった。共感するところが多々あった。

以前から合気道やヨーガには興味があり、たまには自己流の試行錯誤をしている。
歩きながら心を整え、歩くヨーガまがいのことをしたり、
寝る前に足を組んでたたずんだり。
ジョギングするときにルンゴム的な移動を意識したり。
そのせいか、肩こり知らず、不眠知らずだけど、それでも目の疲れはなかなかとれない。

この本を読んで、いよいよぼくも体の使い方を学ぶのが必然かなという気持ちになった。
やりたい、ではなくて、やるのが当然、というような。
行動に踏み出させてくれるような本。
下記のような記述になるほどと感じた。

P27
内田
―伸びる子どもというのは、自分で自分の限界を作らないんです。伸びる、伸びないの違いには、もともとの学力や才能はあまり関係ないんです。「自分はここまでの人間だ」と思っていればそこで止まるし、自分の可能性に関して、どこまでが可能性かよくわからないと思っている人は素質が爆発的に開花する可能性がある。自分の成長に制約をつけるかどうか、そのマインド・セットの違いによって、そのあとの進む道がぜんぜん違ってくる。

P32
成瀬
―ヨーガをするにしても、マイナス思考の人は「うまくできなかったらどうしようか」と不安から入ってしまう。やる前からそうなんです。(略)そんな人は今を生きてるとはとても言えません。先のことばかり心配しているけれど、そんなことには意味はないんです。

P33
内田
―取り越し苦労はこういう場合には絶対に禁物なんです。人間の予言遂行力というのは強力ですからね。「もしこんなことが起きたらどうしよう」というふうに「わるいこと」を想像すると想像した通りのことが起きてしまう。(略)精密な未来予測ができるというのは、その人の知的能力が高いということですから、自分が知的に卓越していることが証明できるなら、多少わが身に不幸なことが起きてもかまわない。人間はなぜかそういうふうに考えるんです。

P37
内田
―でも、この「臥薪嘗胆、捲土重来」というのは、ほんとうは敗戦国民としてはごくまっとなマインドなんだと思うんです。戦後の日本人にいちばん欠けていたのは「次は勝つぞ」といういささか無理筋ではあるけど、そういう思い込みだったと思うんです。「次は勝つぞ」と思っていたら、当然「前の戦争はどうして負けたのか?」ということを技術的かつクールに考察したはずだからです。「一億総懺悔」というのは、ぜんぜん論理的でも倫理的でもないんです。戦前の日本は隅から隅まで全部悪かったというのは、いっさいの自省も吟味も放棄するということですから。

P42
内田
―やる以上は名人・達人になりたいと思って稽古しなくちゃ意味がない。「自分みたいな運動神経のない人間はうまくなりようがない」とか、「忙しいサラリーマンで、週に一回しか稽古できないんだから、せいぜいこの程度」というようなことを自分で言っていると、自分で自分の限界を作ってしまう。

P45
成瀬
―つまり、常識は必要だけど、常識がすべてだと思うのは間違いだよね。常識を超えることはいくらでもできる。感性でも五感でも、僕はいくらでも広げることはできると思っています。

P49
成瀬
―なぜ幽霊は出るのかと言えば、見て怖がる人がいるからなんです。怖がらなければ、幽霊は逃げていくからね。もし幽霊が出てきても、「キャー」と怖がるのではなく、「何をしに来たの?」と言ってみたらいい。幽霊は逃げるか、もしくは仲よくなるかのどちらかです。怖がらない人に、いくら怖がらせようとしてみても無駄ですから。

P69
成瀬
―貧乏をすると、いろいろな知恵がつく。それがないと、大人になってほんとうに挫折してしまう可能性があるね。大人になってからの挫折はほんとうにこたえます。若いころは挫折を味わって、いろいろな苦労をしたほうがいいんだよね。

P95
内田
―武道家はまず自分の結界を作る。結界を作って、そこに入って来たものについては活殺自在になる。「随処に主となる」というのはそのことだと思います。結界の中にいる限り、場の主宰者である。だから、結界の意識が重要になるんです。

内田
―「歩く」という動作は、人類全員がしていることなんですけど、これだけはなぜか定型がないんです。「これが万人にとっての正しい歩き方である」という定型がない。つまり、世界中のすべての社会集団ごとに歩き方がみな違う。ヨーロッパでもそうらしくて、隣の村の人たちの歩き方を見て、「あいつら、変な歩き方をしている」と笑う。

P102
内田
―化学的に言うと、「爆発」というのは不安定な状態が一気に安定状態に戻ることなんです。ですから、歩くとき人間は一歩進むごとに小爆発をくり返している。

P121
内田
―レベルの低い先生というのは潰しにかかる傾向があるんですよね。技量の低い先生は、弟子がすぐにできるようになるので、自分がすぐに追い越されてしまう。そうなるのは困るわけです。

P124
成瀬
―僕は、「難しいポーズをしろ」とは言いません。身体が硬くてポーズができなくてもいい。僕はむしろ、「それでいい」と言うほうですからね。身体が硬いほうが、それだけ気づきもたくさんあるわけです。

P129
成瀬
―お山の大将になったらダメ。山のてっぺんに登ってしまうと、そこより上に行けないわけです。まだまだ上があると思っているほうが絶対いい。そうすれば、もっと上に行けます。

P144
成瀬
―世界中、神聖な言葉は「ウ」「オ」「ア」「エ」「イ」、そしてハミングの「ム」と「ン」でできています。これらを発声すると倍音が出てきます。この倍音効果を利用した「倍音声明」という声を出しながらする目磯欧を体験する会を、ぼくは25年ほど前から全国で開催しています。

P178
内田
―ぼくら日本人は、自分の母国語を覚えたあとに、ゼロから英語を学び始めないといけない。余計な手間を何百何千時間もかけても、絶対にネイティブには追いつけない。でも、英語圏の話者は母語しか話せなくても、国際共通語を話せるから、国際会議でも、国際的なビジネスでも、着流しで出て行ける。非英語圏の人たちは、母語のほかに英語を学習しなければ国際的な場には出て行けない。学習負荷が桁外れに多い。こんなアンフェアはないですよ。
 これは英語圏の人たちが、自分たちに都合のいいように作ったローカル・ルールです。ローカル・ルールがグローバル・ルールになったのは、イギリスとアメリカが連続して200年間世界最強の覇権国家だったという政治的理由しかない。それによって、英語圏の人たちに圧倒的なアドバンテージを賦与した。英語圏の人間があらゆるゲームで勝ち続けられるようにルールを作ったんです。
 その理不尽さに対して、ほんとうは「まず怒る」というところから始めるべきだと僕は思うんです。
 そのアンフェアネスに対して、「まず怒る」というところを抜かし、いきなり「国際社会で生きていきたければ英語を勉強しろ」と言うから、日本の子どもたちは「英語を勉強しない」というかたちで、その怒りを表現しているんだと僕は思っています。

P182
内田
―最近、英語を社内公用語にする企業がふえていますけど、僕は反対なんです。
 だって、その主な狙いが、英語を話せる東アジアの人たちを安い賃金で雇用するための環境づくりだから。それによって日本の若者の雇用環境はますます悪化する。

P193
内田
―自分が、あるとき、ある場所にいて、何かをしているときには、「私が今ここにいることは、宇宙が始まって以来宿命づけられていた必然の出来事である」と断定しなければいけない。断定できなくて、「俺はここでこんなことをしていていいのだろうか」というふうに気持ちが揺れると、集中力が途切れてします。

P195
成瀬
―煩悩をなくすのではなく、あらゆる煩悩に対する執着から離れること。「なくす」と「離れる」は、まったく意味が違う。(略)大事なのは、「あってもいいよ。なくてもいいよ」という状態になること。これが、執着から離れるということです。

P202
成瀬
―信仰というのは、ほんとうに脆いように思います。最終的に何に頼れるかといえば、自分自身しかいないんです。宗教はもちろん必要ですが、最後に頼れるのは自分です。自分の身体が今ここにあり、自分の心で今感じる。死ぬのは自分であり、それを誰も手助けしてくれない。
 だけれども、さまざまな宗教が、「うちに来れば大丈夫です。いい生涯を送れますよ」と言う。それは、ほんとうではありません。死ぬまで全部自分で選択して、自分の足で歩んでいかなければいけないわけです。

P219
内田
―健康法を実践する人って、ほんとうにうるさいんですよ。でもね、「何々をしてはいけない」というタイプの健康法は身体によくないみたいですよね。身体をいじる系の健康法の提唱者で長生きした人はいないそうですから。身体の健康よりも心の健康のほうが大切なんですよ。身体に悪いことをしながら上機嫌でいる人のほうがたいがい長生きしますから。

P249
成瀬
―日本人は、一つのもの、この場合は色ですが、それが流行るとパッとみんなで飛びつく。そんなのはバカらしいでしょう。自分の個性を主張できるファッションくらい、自分が好きな色を着ればいいんです。
 こうした定型化されたものから身体と心を解放していく、徐々に固い枠を外していくのがヨーガの役割でもあります。

P258
内田
―頭は固いけど、身体は柔らかいという人はいません。逆に、身体を柔らかくすると、頭も柔らかくなるということはある。頭は身体の一部ですから。

P 263
内田
―成瀬先生もおっしゃっている通り、歩くことはいい瞑想法なんですよね。歩きながら、無数の微細な情報を入力しつつ、危険を避けて、安全で快適な動線を選択して進む。


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構成要素による構造とバランスを把握すれば、芸術作品は評価できる

2012-02-02 23:32:24 | Weblog
神楽坂を歩いていると、たくさんの実がぶらさがっている柿の木が目に入った。
青い空に、熟しきった実。
まだ渋が抜けていないのか、鳥に食べられた様子はない。

実家の裏庭の富有柿は、正月の時点でもう数個しか残っていなかった。
ヒヨドリなどがついばみに来ていたけど、残った柿は青空を背に存在感を示していた。
そんなことを思い出しながら、何か句が作れないかなと考えていると、
下記のような句が浮かんだ。

 柿食われ色なき空の重さかな   

 柿買えば金が減るなり放浪児

どちらも説明っぽくて間が抜けてるけど、そういえば、正岡子規の

 柿食えば鐘が鳴るなり法隆寺

という句の主語は何だろうと気になった。
文字だけ読むと、「自分が食べた」とは書いていない。

一般的には、柿を食べながら法隆寺の鐘が鳴る様子を見ている情景が目に浮かぶのかもしれない。
だけど、ヒヨドリなどを主語としても成り立つのではないだろうか。

ヒヨドリがついばむ柿。
お坊さんが打つ鐘。
そういったものが並列している構造。

鐘を打つかのようなヒヨドリ。柿をついばむかのようなお坊さん。
柿をつつくタイミングで鳴る鐘。鐘が鳴るタイミングで減っていく柿。
やわらかい柿と、硬い鐘。明るい色の柿と、暗い色の鐘。
小さな柿と、大きな鐘。小さなヒヨドリと、メジャーな寺のお坊さん。
お寺は、悠久とか無常とか仏教思想の象徴だろうか。

佇んだ風景の中に存在する、そのようなバランスを子規は切り取って示した
とも読める。

「柿を食べたら鐘が鳴ったよ、有名な法隆寺って雰囲気あるー」、という解釈では
構造的にすぐれた句だとは思えない。
対比、類似、広がりなどの構造やバランスに欠しい。

もし、この句の主語が「自分」だったとしても、
自分が柿に食らいつく姿と、お坊さんが鐘をつく姿に、
類似点と、並行するようなバランスを見出すことができるのではないだろうか。

情緒や雰囲気による鑑賞は、共通の価値観や感覚を持つ人の間でしか理解し合えない。
だが、構造のバランスを認識する鑑賞方法は、文化や価値観の異なった人たちでも共有が可能だ。


俳句作品の生まれた背景や形式的な要素を取り上げ、
特定の環境に育った者にしか理解できない情緒などを読み取ることは、
俳句作品そのものの構造を理解しているとは言いがたい。

味があるとか趣があるとか、季語が効いているとか印象的だなどと言う俳句評者や結社主宰者は、
俳句を構成する要素のバランスを説明できていない。

すぐれた陶芸・ガラス作品も、いけばなも、音楽作品も、お酒も、ケーキも、
そのすばらしさを評価するためには、構成要素(色、素材、音、味、感触など)による
バランスを表現することが必要になる。

俳句が文学作品あるいは芸術作品として価値を持つのであれば、
どのような方向性や特性をもつ構成要素があるのか、
それらによるどのような構造がどのような効果をもたらしているのか、
そのバランスを指し示す必要がある。

いい例を思いつかないが、例えば、松尾芭蕉の有名な句がある。
すでに誰かが指摘していることかもしれないけど、
次の2句には、共通する構造が見出せる。

 静かさや岩に染み入る蝉の声

 古池や蛙飛び込む水の音

前者は、強烈な音のむこうに無音状態の空間を見出している。
後者は、微かな音のむこうに強烈な無音状態の空間を見出している。

どちらの句にも、「状態」「物」「方向性」「音」が並んでいる。
「ある性質を持った空間」には「あるもの」があり、
あるものに向かう、あるいはあるものが向かうといった「方向性」は
ある性質を持った空間に対して「対極的な性質」をつないでいる。
そこに生じるバランスは、「ある性質を持った空間」の広がりを強調する効果を生んでいる。

輪郭や周辺を強調することによって、別のところを劇的に浮き上がらせる手法は
俳句作品や水墨画、日本画などでよく見られる。

 荒海や佐渡によこたふ天河

上記の有名な句にも、似た構成が見出せる。
あるものに対照的なものを絡めることによって
あるものの情景(色・音・空間)を強調している。

「荒々しい海」には「佐渡島」が存在し、
その島に寄り添う「方向性」を示す天の川は、
荒々しい海に対して、「対極的な静かさ」を示している。
そのことによって、「荒々しさ」の広がる空間が強調されている。

そのように句の構造を把握しようとする姿勢が、
形式的な俳句を乗り越える力となるのではないだろうか。

地名の持つイメージとか先入観による共感とか
表面的な印象からの連想による鑑賞ではなく、
どこの国の人が見ても理解できるような、句の持つ構造を把握したい。

最小限の文字によって構造バランスを示す文学、として俳句を定義し、
575や季語などを活用しながらも、形式より構造を重視するという姿勢があれば、
「俳句は詩だ。詩は芸術だ」
「俳句は翻訳できる。世界に発信しよう」
「異なった価値観や先入観を持つ人にも判断できる作品を作ってみよう」
「写真家の藤原新也の記す句だってすごい俳句じゃないか」
そういった意識も高まるのではないだろうか。


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「二カ国語放送」は差別語か

2012-01-21 22:35:28 | Weblog
小島剛一著『漂流するトルコ』(旅行人発行、2010年)を読んだ。
著者が以前書いた『トルコのもう一つの顔』もたいへん興味深く一気に読んだことがあるが、
この本も非常におもしろい。
辺境探検ノンフィクション作家、高野秀行さんの推薦する本は外れがない。
2100円するが、350ページの文章の内容と密度を考えると安い。

高野さんも小島さんも大宅荘一ノンフィクション賞受賞レベルを超える作品を残している。
それでも、上原善広さんみたいに差別をテーマにしてちょっと社会的良心をそそるようなテーマのほうが受賞しやすいのだろうか。もったいない。上原さんの本も好きだけど。

『漂流するトルコ』は、方言を含めれば100種以上の言語を解するのではないかと思われる言語学者による、知的でスリリングな冒険談だ。

トルコにおける少数民族の言語調査。
トルコ人やトルコ語以外の存在をなかなか認めようとしない政府。
情報収集員による妨害と監視。
秘密警察や編集協力者のお粗末さ。トルコ政府による国外追放。

著者は政治主張には関わらず、言語学者として堂々と困難に立ち向かう。
小説として読んでしまいそうになるけど、これは現実の話なのだ。

なるほどね、と唸らされる内容も多い。
例えば下記のような記述。

P90
> 言語の数と国の数は一致しないし、言語分布の境界と国境とも重ならないのが普通
> だから、「何カ国語」という数え方は無意味であり、応えようが無い。(略)日本のテレビ
> には時々「二カ国語放送」という文字が流れる。どことどこの二カ国を考えているのか
> 分からないが、どうして単純明快に「○○語と○○語の二言語放送」と言わないのだろう。

そのうち、「二カ国語」という表記は差別的表現だとされてメディアでは「二言語」という表記に書き換えられるかもしれない。
かつて、「母国語」という表現が普通に使われていたけど、「日本語環境で生まれ育った外国籍の人はどうなるんだ。在日韓国人は日本語しか話せなくても母国は韓国だ」などという声もあり、「母語」という表現に言い換えられることになった。

チベット語とウイグル語と中国語を話せる中国人に「三カ国語も話せるんですね」と言うと「チベットもウイグルも中国も一国です。チベットやウイグルの独立は許しません」と怒られるかもしれない。
哲学も信念もないマスコミの人たちはすぐに「三言語」と言い換えるだろう。

また、欄外の注釈が興味深い。ここも、へー、と感じることが多い。豆知識ですね。

P208
> *ティーラ・ミ・スー 
> イタリア語。本来の意味は「私を引っぱり挙げてくれ」。
> 日本での主流の表記は「ティラミス」らしい。

p233
> *民族学上の「民族」と政治用語の「民族」 
> 民族学・文化人類学の研究対象の「民族」は「同一の言語と文化を共有する集団
> (=英語ではethny)」であって、「歴史的、社会的、文化的な共同体意識を共有
> する集団」という意味での「民族(=英語ではnation)」ではない。

P260
> *他人行儀 
> トルコでは、日本などよりも遥かに遅く、1934年6月21日の法令で全国民に姓を
> つけさせることが決まった。そして、トルコ同化政策の一環として、姓はトルコ語
> でなければならないことになった。(略)今でもトルコ国民にとって姓は単なる行政上
> の符号のようなもので、近所付き合いや友人関係では用いない。トルコ語を話す者
> 同士では、知り合った時に互いに下の名前を名乗り、それで呼び合うのが普通である。(略)

それにしても、チェルノブイリ以降、黒海の南に位置するトルコに大量の放射能物質が届いていたとは知らなかった。これはたいへんな惨事だ。
おそらく、福島よりも大きな被害だろう。

P235
> *喉頭ガン 
> チェルノブイリの原発事故以来、トルコの黒海沿岸地方の住民のガンや白血病の診断率は、
> それまでの数十倍に跳ね上がっている。私の知人・友人の間にも、闘病中の人や死亡
> した人、幼な子を白血病で亡くした人が数知れない。

P331
> (略)別れ際に「一カ月ぐらい後で、また来るからね」と努めて朗らかに言った私に、
> 淀みなくこう答えた。
> 「その時ここでお逢いできなかったら、いずれあの世でお待ちしています。黒海の
> 向こうのチェルノブイリの原発事故の翌年にこの村で生まれた子供たちは、ここ一、
> 二年の間に一人残らず白血病で死んじゃったんです。これからが人生の春というときに。
> 隣の爺様も斜向かいの家の爺様も癌で亡くなりました。こうやって死んでいくのは
> 自分一人じゃないと思えば、いくらか気休めにはなります。先日は、ラズ民謡集が
> 立派な本になったのが生きているうちに見られて、とても嬉しかった。今日はラズ語の
> 文法書も完成したんですね。協力者リストの中にウメル・セチェルの名前がある。
> この村に私が生きていてラズ語を話していたという証が残るんですね。どんな立派な
> 墓碑銘を彫ってもらうよりも、この方がずっと嬉しい」

小島さんは言語学について文中で説明している。
雑草という草はないと言ったという昭和天皇を思い出した。
言語学者にとっては見下されて当然の方言、などという存在はない。
すべてを受け入れて、見渡す。そして比較判断するという姿勢は興味深い。

P278
> 植物学では、すべての植物に関する知識が必要です。だからありとあらゆる植物を
> 研究します。基礎研究の対象としては、すべての植物が等価です。一部の植物は食用、
> 薬用、建築用、燃焼用などの役に立ちますが、一見何の役にも立たないような植物で
> あっても、研究しない理由にはなりません。それと同じで、言語学の基礎研究の対象
> としては、すべての言語が等価です。言語学者は、ありとあらゆる言語を研究します。
> 一部の言語が話者数も少なく政治的にも弱小で経済的にも何の役にも立たないように
> 見えたとしても、その言語を研究しないで放置する理由にはなりません。すべての
> 言語に関する知識が必要なのです。


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探偵はどこに行った?

2012-01-15 10:55:07 | Weblog
探偵ファイルという人気サイトがある。
探偵会社のガルエージェンシーが運営しているのかな?

角川慶子さんの連載も強烈だ。
なかなかおもしろい。

だけど、以前、探偵社と暴力団との結びつきが報じられていたこともあったから、
ちょっと気になって検索してみると、
「ガル・エージェンシー(企業恐喝専門の全国にチクリ屋ネットワークを敷く探偵社)」
という文がヒットした。よくわからん。
昨年末には逮捕者も出ていたらしい。

> 2011年11月12日 – ガルエージェンシー、警察官ら個人情報1万件を暴力団に
> 提供して逮捕
> 2011年11月14日 – 捜査関係者によると、奈須容疑者の「プライム総合法務事務所」
>(東京都)と、粟野容疑者が代表の「ガルエージェンシー東名横浜」(横浜市)は
> それぞれ、山口組系暴力団の関連企業と資金のやりとりをする関係にあったとみられる。

まあ、人になんと噂されようと人を助けるために働いているのであればいい。
もし、探偵業を隠れ蓑に総会屋のような仕事をしているのであれば、注視が必要だ。

2011年9月5日に、「鉄ちゃん(元全国紙記者)」の名前で下記の記事がアップされた。
・「脳を鍛える」の川村明宏はニセ博士!?
http://www.tanteifile.com/diary/2011/09/05_01/index.html

しかし、この記事はパクリ記事のおそれがある。
Googleで川村明宏の名前で検索すると、このブログの、2008年12月にアップしたページがトップに出てくる。
・速読、記憶術、視力回復の川村明宏博士も偽博士か
http://blog.goo.ne.jp/ambiguousworld/e/6cb235bdb4a83d368d22eeceb8364420

探偵ファイルの鉄ちゃんさんの記事に含まれている要素は、ぼくが書いた文の中にほとんど含まれている。
もし、川村明宏さんについてきちんと調査を行えば、ぼくが書いた文以外の要素も記述するはずだ。
ぼくは知っていても敢えて書いていないことがある。
その要素は鉄ちゃんさんの記事には見られない。

ただ、鉄ちゃんさんの偉いところは、最後に
「私は博士を標榜しながら学歴を伏せる者を知らない。近々、本人を直撃する」
と書いているところだ。

著者の博士号が詐称ではないか出版社や企業に聞き込み、本人に問いただすということは
ぼくは行っていない。
そういった行動をおこしてくれるのであれば、ぼくは記事のパクリ疑惑を問題視する必要はないと思っていた。

しかし、記事が出てから4か月以上経つのに、続報がアップされない。

まさか、某氏のバックにアンダーグラウンドなものを感じて手を引いたとか
どこからか圧力がかかって調査を中止したとか
某氏からお金をもらって手を引いたとか
本人や出版社に対するユスリのネタに使って工作中とか
そんなことはないですよね?

本人直撃取材の記事、楽しみにしています。


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正体

2012-01-15 01:35:13 | Weblog
2005年頃、建築物の設計強度をごまかした「姉歯物件」などが話題になったとき、
報道されていない最新情報を書いたり民主党の馬淵議員とのやりとりなどを紹介して注目された「きっこの日記」というブログがあった。

社会党支持を公言し、政権政党や皇室に対して荒っぽい発言をして反発を受けることもあり、
いったい誰が毎日のように長文日記を書いているのだろうと注目されていた。

ある人は元オウム信者で有名ブロガーである松永英明さんがきっこの正体だと言い、
ある人はアマゾンの購入歴から武藤希美子が本名だと言っていた。
銀座のチーママだ、と断言する人もいた。

スタイリストを自称しているけど、スタイリストの団体にきっこという名の登録者はいなかったと言う人もいた。
プロフィールは嘘ばかりだという人もいた。
結局どうだったのだろう。

俳句に詳しい人だったので少し気にはなっていた。
数年前は、もしかしたらYさんがきっこなのだろうかと思っていた。

俳句に詳しい、ネットに詳しい、業界の情報にも詳しい(広告会社などにも勤務していたし)、社会党支持者(反戦平和とか)、ロックミュージシャンの知り合いがいる、ショートカット、とか
きっこさんとの共通点が多かった。

Yさんも改行のない長文日記をウェブで書いていたし、きっこが活動を本格化させた頃にYさんの日記は閉鎖となっていた。
あれだけ長いウェブ日記を書いていた人が痕跡を消してしまうことなどがあるのだろうか。
活動を移行させたと考えることが妥当ではないかと思っていた。

おぼろげな記憶だけど、俳人のYさんは2つの名前で句会に参加することはなかっただろうか。
Yさんとすれちがったことは10年以上前に一度しかないけど、「ある名前での俳句はできているけどもう一つの名前での俳句はできていない」、とふと漏らしていたような。

俳句の世界は狭く、30〜40代の喫煙女性で一定レベル以上の俳句が作れる俳句愛好家や俳人といえば数えるほどしかいない。
スタイリストの世界を調べるよりも、現代俳句協会や俳句結社を調べたほうが手間はかからないかもしれない。

現在でも、社会党や社会主義を支持する顔ぶれが多い、「脱原発をめざす女たちの会」の呼びかけ人に
「きっこ(「きっこのブログ」)」の名前があるが、賛同人の方にも「Y.A.(東京都)」とある。
ぼくの知るかぎり、リストの中にある女性俳人は上記の2人だけだ。

・脱原発をめざす女たちの会
http://noriyuki19100.iza.ne.jp/blog/entry/2517560/

Yさんが中心になって2001〜2004年に行われていたネット句会(Hi! ku city)には、Yさんの句もきっこさんの句もあった。

ただ、きっこさんはブログで母について具体的なことを書いていたけど、
Yさんは2003年1月に母親を亡くしている。
あんなに具体的に母親のことをブログに書く人が、Yさんであるはずはないと思って、完全にYさんのことは忘れていた。

だけど、少なくともYさんはきっこさんと面識はあるのではないだろうか。
きっこさんについて調べたいと人がいれば、Yさんにコンタクトを取ってみればいいかもしれない。
1年以上きっこさんのブログを見たことがないけど、一応メモ。


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今年はクルーズか?

2012-01-15 00:24:03 | Weblog
イタリアでクルーズ船が座礁したらしい。めずらしい。
通常の航路を離れていたのだろうか。

時事通信の「大型豪華客船」という言い方はちょっと大げさだ。
イタリアの客船会社、コスタ・クルーズの船はカジュアルなものが多い。
東欧出身の船員を安く雇ったりしてコストダウンに努め、オーシャンビューの船室でも1週間で10万円しない。
「大型カジュアル客船」というレベルではないだろうか。

冬はクルーズのシーズンではなく、地中海も寒い。
この時期のクルーズは安く、それほどお金持ちが参加しているわけでもないだろう。

今年はクルーズに参加するのもいいかなと思い、
ときどきcruise.comとかcruisedirect.comなどのサイトをチェックしている。

秋に、ホノルルかヴェネチア出発の安いツアーにでも参加できないかなと思う。
残念ながら、日本発着のクルーズはどれも高い。
たかだか1週間の旅でも何十万かするものが多い。
欧米なら7〜8円のクルーズも多いのに。

1週間ハワイ諸島をクルーズして、1週間ホノルルのあるマウイ島をレンタカーで一周してゆっくり、とか
1週間地中海をクルーズして、1週間ベネチアとかトスカーナの風景を眺める、とか
切り詰めれば1人20万以下で可能ではないだろうか。
安上がりで楽しいツアーだと思うのだがどうだろう。
行きたいなぁー。

http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20120114-00000077-jij-int
■大型客船が転覆、3人死亡=日本人に被害なし―イタリア
時事通信 1月14日(土)19時1分配信
 【ジュネーブ時事】イタリアからの報道によると、同国中部の地中海に浮かぶジリオ島沖で13日午後8時(日本時間14日午前4時)ごろ、乗客・乗員約4200人を乗せた大型豪華客船「コスタ・コンコルディア」(全長290メートル)が座礁、転覆し、海に飛び込んだ男性ら少なくとも3人が死亡した。在イタリア日本大使館によると、乗客に日本人が含まれているが、死者やけが人の情報は入っていない。
 事故は、ローマから北西に離れたチビタベッキア港を出港して約3時間後に発生。大きな衝撃音とともに船内の電気が消え、物が床に散らばった。夕食の最中だった乗客はパニックに陥ったという。
 乗客らは救命ボートを使ってジリオ島に避難したが、浸水で船は右側に大きく傾き始めたことから、沿岸警備当局が船に残された約50人をヘリコプターで救出した。AFP通信によると、少なくとも14人が負傷した。 

http://www.yomiuri.co.jp/world/news/20120114-OYT1T00404.htm?from=navlp
■イタリア沖で客船座礁、3人死亡…日本人は無事
 【ウィーン=末続哲也】イタリア中部ジリオ島の沖合で13日夜(日本時間14日朝)、大型クルーズ船「コスタ・コンコルディア号」(乗客乗員約4200人)が座礁、浸水した。
 船体が大きく傾いて動けなくなり、乗客は救命ボートなどで脱出した。ANSA通信によると、脱出の際、3人が海に飛び込むなどして死亡、14人が負傷した。
 在イタリア日本大使館によると、乗客の中には日本人が43人いたが、死傷者の情報は入っていない。
 座礁した船は全長約290メートル、客室数は約2000。何らかの障害物に衝突した後、乗客らを脱出させるためジリオ島に接近を試みたが、島の近くで動けなくなった。船は進行方向の右側に傾き、時間とともにほぼ横倒し状態となった。
 船内に取り残された乗客の一部は、ヘリコプターで救助された。
(2012年1月14日23時11分 読売新聞)


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弱者による差別、被害者による加害

2012-01-14 22:23:21 | Weblog
「弱い立場の者を守るのは当然だ、生存能力が弱いことはネガティブにとらえられるべきではない。
弱い人を攻撃して自分の勢力の拡大をはかることは許されない」

そのような価値観がうまれたのはいつの時代だっただろうか。
いつの時代でも強い政治権力や武力を持つ部族や都市や国が近隣の人々を蹂躙して
同化させてきた事実はある。

やがて無法地帯での勢力争いに疲れた人々は、無駄な疲労を避けるために
せめぎあっていた勢力と共通のルールを設けた。

生き残る力が弱く社会の隅に追いやられている人たちのことを思いやるのは
とても知的で寛容な態度だろう。
だけど、弱者を聖なる存在かのように持ち上げ、被害者として贖罪意識を向けるのは
ひとつの信仰のようなものかもしれない。

弱者だって差別もすれば暴力も働く。
右翼だろうと左翼だろうと、排他的という点で共通している人が多いように、
金持ちだろうと貧者だろうと、政治家だろうと風俗嬢だろうと、
人を見下したり支配したりすれば同じような思考レベルだ。

読売新聞夕刊には俳人の長谷川櫂さんによる「海の細道」という連載があるけど、
先日は被害者としての沖縄にふれていて、失礼ながらベタな表現だなと思ってしまった。
感傷にひたるのもいいけど、沖縄の焼き物についてもきちんと検証されているのだろうか。
渋い色を安易に被支配による暗い色と言われても困る。
琉球王朝は奄美や宮古、八重山などに対して侵略を行い、強者としてふるまっていた過去もある。

今日は鹿児島の歴史について、「大和に服従。哀しい伝承」と書いて古事記における海彦(隼人)、山彦(大和)のことを書かれていた。
薩摩は琉球王朝を侵略した強者の一面もあったわけだが、とりあえず弱者としての面に目を向けたのだろう。

そうすると、そのうち弱者としての吉備、出雲、弱者としての大和も取り上げるのだろうか。
実際、吉備や出雲も大きな勢力だったけど最終的には大和に服した。
大和も外来勢力に服したこと言えるだろう。
長谷川櫂さんにとっての強者とは何なのだろう。日本?中国?アメリカ?国際的金融機関?

弱者や強者というのは相対的な存在に過ぎない。絶対的ではない。
「世の中には弱い組織と強い組織があり、弱い組織は優先的に保護されなくてはならない」、
などという科学的事実はない。
弱者を絶対視し、権力化させることは思考の広がりを妨げる。

弱者であろうと強者であろうと、理解できない人を見下し、価値がないものとして攻撃すれば同じ意識レベルの自己中心的な人だ。
弱者であろうと強者であろうと、あらゆるところに意味を見出し、意味や価値を見出し尊重する人はやさしい人だ。
弱者を楯に正義のほうに立とうとする人には、安易さも感じる。

だから、強者と同じような意識レベルなのに自己保全のために弱者を守ろうとする人を見ると、「弱者の実態を知っていますか?」と言いたくなる。

きれいごとを言っても、弱者の世界だってどろどろしている。
沖縄本島を統一した勢力が、対立していた地方をどのように扱ったか。
沖縄本島を統一した勢力が、侵略した奄美や宮古や八重山にどのような圧制を強いたか。

かつて在日韓国・朝鮮人は日本の被差別部落民が朝鮮半島の白丁(ペッチョン)のようなものだと聞くと、彼らを見下した。
被差別部落出身の人だって、在日韓国・朝鮮人のほうを下に見ることがあった。
在米韓国人がアメリカ黒人を見下し、アメリカ黒人に在米韓国人が見下されたこともあった。

在日アジア人に対する日本人の差別意識を糾弾する人は多かったけど、
自分が欧米に行けば欧米人から見下されることもあるということを意識してない人も少なくない。

実際に、いわゆる「弱者」に関わっている人から見れば
弱者の人たちだっていたって普通の人たちだ。
まじめな人もいればエロい人もいる。温厚な人もいればキレやすい人もいる。
上品な人もいれば暴力的な人もいる。心広い人もいれば権威主義的な人もいる。

体が不自由だろうが容姿が不格好だろうが、社会的評価が低かろうが、
いい芸術作品を作る人やお金を稼げる人や研究結果を出せる人は社会的に評価されるだろうし、
いくら健康だろうが美男美女だろうが、社会的権力があろうが、
ろくな作品も作れず、お金も稼げず、研究結果も出せない人は評価されないだろう。
それだけの話だ。

社会的に評価されない容姿や立場の人がちょっと努力したくらいで、
かわいそうなのにがんばっている、と評価されなくてもいい。
いくら社会的に不自由でも、いい作品を作ったりいい研究結果を残せば、それについて正当な評価をすればいい。

それに、自分は被差別者や障害者ではないと思っている人も、ちょっと意識を変えてもいい。
自分だって自分と異なる文化圏の人たちのところに行けば、立派な被差別者になる場合がある。

祇園に行っても欧米の高級店に行っても、どこの田舎者がお粗末なことをしているのだ、
というような視線を向けられることがあるだろう。
食事中にマナー違反の行為をすれば、パリだろうがバンコクだろうがハワイだろうが、
現地の人に嫌悪の目を向けられるかもしれない。

ぼくは弱者でもあれば強者でもある。
経済的に貧しい国の人と話をすることもあれば、裕福な国の人と話をすることもある。
でも、フランスやイギリスの人に卑屈に振舞い、ルーマニアやミャンマーの人に尊大に振舞うということはしたくない。
安易に権力者に反発し、不遇な人を憐れむこともしない。

一般的な人よりは、被差別部落とか在日韓国・朝鮮人とかアイヌとか貧民とかアンダーグラウンドなアーティストについての知識があるけど、だからと言って、彼らを全肯定して、彼らを抑圧する存在を全否定するわけではない。

下記のようなことにも意識を向けたいと思う。
どんどん論文に書く人はいないかな。

・被差別者間における差別感情の実態
・少数者間における差別感情の実態
・弱小国における勢力争いの実態

そこから見えてくる人間の意識の構造から、興味深いものが読み取れるはずだと感じている。


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構造の認識

2012-01-13 22:17:49 | Weblog
盗みという行為を批判する人がいる。
もし、その人が、自分のものを奪われた時だけ盗みを批判して、
自分が誰かのものを奪う行為について沈黙していれば、
周囲の人に不信感を抱かれるだろう。

「あの人は盗みという行為について批判的なのではない、
自分が大事で、自分の利益にならないことを批判しているだけだ」
と見破られてしまう。

そんな状況は、現在も多くさまざまなところに見られる。
原発や戦争や新しい歴史教科書や、共産主義や新興宗教や圧政などに反対する人は
ほんとうに原発に反対しているのだろうか。
ほんとうに暴力や戦争に反対しているのだろうか。
ほんとうに恣意的な歴史解釈に反対しているのだろうか。
ほんとうに世の中の構造を考えているのだろうか。
ときどき疑いを持ってしまうときがある。

例えば、ぼくも原発がない安全なところに住みたいと思うけど、
原発に反対する人の多くは、中国政府に対して批判を行っていない。

中国政府は311以降も多くの原発を建設する考えを変えていない。
http://www.news-postseven.com/archives/20110501_18579.html
> 現在、中国では13基の原子炉(総設備容量は1080万kW)が稼働中だが、
> 中国国務院はすでに32基の新規建設を承認し(内28基は建設中)、建設承認の
> 前期作業に入った原発は38基ある。建設・計画中だけで計70基で、
> 20年までに現在の7倍の約7000万kWと、日本を上回る規模になるが、
> 中国政府は2050年までに230基(3億2400万kW)まで増やし、世界最大の
> 原発大国となる計画である。

もし中国の原発で事故があれば、風下の日本各地に大きな被害が出る恐れがある。
そうなれば中国政府はどう対応するだろうか。

原発に反対するのであれば、日本だろうと中国だろうと韓国だろうとフランスだろうと、
各国の活動家と連帯して原発建設に反対すればいい。
なぜ各国の大使館の前でデモ行進することなく、こんなときだけ日本に引きこもっているのだろう。
国境とか政府とか国籍にしばられた世界を嫌っていたのではなかったのだろうか。
世界はひとつだとか国境は意味がないとか言っていなかっただろうか。
それなら、狭い日本にとらわれず、原発に反対すればいい。

なぜ日本の原発にだけ反対して満足しているのだろう。
日本政府の原発は否定したいけど、中国政府の原発は否定したくない、と言うのであれば
原発という構造に反対しているのではなくて、原発を持っている日本の国や政府に反対しているだけではないか?と疑われてしまう。

もし、戦争に反対するのであれば、日本の戦争もアメリカの戦争も、中国や韓国の戦争も、
ソマリアやスーダンの武力衝突も反対すればいい。

もし、あやまった歴史認識に反対するのであれば、何が正確な歴史なのか、地道に研究するしかない。
右派的価値観や左派的価値観に沿った歴史認識には見落としもあるだろう。
キリスト教的価値観によって記された歴史も、イスラム教的価値観によって解釈された歴史も、若い人の価値観も年配者の価値観も、違いがあって当然だ。

だけど、若い時に影響を受けて、知らず知らず自分のものとして受け入れてしまった思考パターンを、絶対的に肯定されるものだと認識するのにはおごりがある。
証拠を積み上げて論理的に実証された事実に対し、右派だからとか左派だからといったことを理由に無視したり否定したりするのは科学的ではない。

誰だって自分にとって価値があると認識するものは視野に入るけど、
価値がないと思ったら視野に入れない。
だから、歴史の中で多くの事実が無意識にゆがめられて伝えられ、あったこともなかったことにされた。
それは、どんな価値観を持つどんな体制の国であっても同じだ。
国でなくても、村やコミューンでも同じだ。

立場によって認識の違いがある中で、自分と認識の違う者を犯罪者扱いして否定するのは、
誠実な態度ではない。
そういった態度こそが、多くの争いや対立を生んできた。
誰だって否定したい行為や許しがたい行為、見下してしまいそうな人々や受け入れたくない考えなどがあるだろう。

なぜ否定してしまうのか、なぜ拒絶してしまうのか、怒りを覚えてしまうのか、
その仕組みを自覚しなくては、いつまでたっても多くの人を受け入れられず、認め合えず、
ストレスをためて実りの少ない堂々巡りのような対立を続けて行くしかないだろう。

原発や戦争に反対することによって、自分が所属している環境や国家に対立し、抑圧を打破して自由を得ようと認識している人は、たぶん、いつまでも安らぎの地や自由を手に入れることはできない。

もしかしたら、慣習とか常識とか社会とか国家といった環境にとらわれてストレスを抱える人が
そこから脱しようとしてついつい自分の周囲に反発するのかもしれない。

しかし、怒ったり侮蔑したり否定したり攻撃しても、求めるものが手に入るとは限らない。
むしろ、発想が乏しいから、つい怒ったり侮蔑したりすることで何か変えられると思ってしまうのかもしれない。

ほんとうに世の中を変えたいと思うのであれば、まずは世の中の構造をしっかりと認識すべきではないだろうか。
まずは世の中の構造を認識しなければ正確な判断もできない。
それに、世の中を動かす大きな仕事をする人は、どなり声や攻撃的な文章を武器としてない。
声が大きくなくても、態度が威圧的でなくても、攻撃的な言辞を使わなくても、
おどしの言葉におびえないで淡々と、事実関係を解き明かしてさまざまな事象の因果関係を認識すればいい。
それが、堂々巡りの争いから脱出し、より住みやすいところに向かう道ではないかと思う。


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アイヌ文化を継ぐ人

2011-12-30 22:48:03 | Weblog
テレビを見ていたら俳優の伊吹吾郎さんが京都を旅していた。
彫りが深く、モンゴル系っぽくない目元。まつ毛も長い。

何十年か前に読んだ本に、伊吹さんはアイヌ系の混血だという記述があったことを思い出した。
アイヌ系ではないのかもしれないけど、アイヌだと名乗っても違和感はない容貌だ。

日本人との混血が進み、関西人か中国人みたいな容姿の自称アイヌ人も増えた。
アイヌや朝鮮の血をひいていることを公言しているあるミュージシャンは、アイヌというより韓国人のような顔をしている。
阿寒湖のアイヌコタンでも、ひと目でアイヌ人だと分かる人は少ない。
アイヌ的な容姿の人たちが好きなので残念。

アイヌレブルズを解散して、イメルアというユニットで音楽活動を行っている酒井美直(みな)さんはエキゾチックな顔立ちの美人だ。
http://www.youtube.com/watch?v=edhpdsnFE64

母親は日本人で、父親はアイヌ人の酒井衛(まもる)。
両親共にアイヌ人の衛さんは非常に彫りの深い顔立ちで髭も濃く、アイヌ人の中でも目立つ強い顔をしていた。
彼が生きていれば、美しく育った娘の姿をうれしそうに眺めていただろう。

ぼくにとっては、酒井衛さんのほうが有名人だった。
彼の娘さんが美しく育ち、力強く活動している姿は感慨深い。

酒井衛さんは1988年4月、出稼ぎ先の東京で水死体となって発見された。
仲間たちの手によって編纂され、彩流社から1991年に発行された
『イフンケ[子守歌] あるアイヌの死』という本には、美直さんのことも出てくる。

衛さんが萱野茂さんに電話して娘の名前を決めるシーン。
P200
> 「ミナってどうだべ?」「ああ、ミナならいいな、笑うっていう意味でいいアイヌ語の
> 名前だぞ」と言ったら、翌日か翌々日に「美直という名前に決めました。」という電話が
> かかって来た。

衛さんの妹が兄の死に際して美直さんを迎えたシーン。
P234
> 帯広から兄嫁のハルミさんと娘のミナが(ミナ=アイヌ語で笑うの意)駆け付けたのは
> 夕方でした。羽田に迎えた私にミナが「パパ死んじゃった?」と小さな体で、悲しそうな
> 目で尋ねられたのには心が痛みました。
(略)
> 最愛の妻とかわいい子供を残して逝くことは心残りであったでしょう。
> 四十五歳の誕生日を迎えたばかりでした。

衛さんの奥さんの証言。
P260
> 夜中に酔っぱらって、東京から電話してきたりね。生活は苦しくてね。仕事が無い時は
> 一週間何百円で家族四人暮してて。私と彼はいつもケンカしてたね。

親族の証言。
P262
> 若い頃は酒も飲まずに真面目に働いて仕事も休まなかったのに、東京に行ってから
> 酒をおぼえて、やっぱり酒が良くなかったんだね。ハルミちゃんもかわいそうだったよね。
> 下の子が生まれた頃から飲んでは働かないようだったから。


衛さんは晩年、アル中のようになってあまり働かず、16歳年下の奥さんとも離婚していた。
もしかしたら、本当に別れたわけではなく、生活保護か何かを得るための偽装離婚だったのかもしれない。
東京に出て、山谷で肉体労働をして酒におぼれ、反差別運動や左翼活動などに関わり、闘争やケンカも行い、そんな中で何度か逮捕されることもあった。

闘争仲間の証言。
P273
> キタさん(注:活動家としての名前)はプロ革派ではあったが、連赤敗北以降、
> 赤軍派再建に携わった少数の人々の中の一人に数えられるだろう。


美直さんも気が強いところがあるみたいだけど、長く活動を続けてほしいと思う。
アイヌの伝統や文化を継いで発展させているアイヌ人は少ない。
アイヌ語を覚える意志のある人はあまりいないし、アイヌ語やアイヌ文化を活用して何か表現しようとする人は数えるほどしかいない。
数少ないアイヌ語話者の多くもアイヌ人ではなくて平たい顔の日本人だ。

歴史学的には、アイヌ文化やアイヌ人は1000年前には成立していなかったと言える。
当時北海道は続縄文時代が続いていた。
縄文人の後継者が、海洋民族や大陸民族や縄文人の混血である日本人と交流を持って
成立したのがアイヌ文化だと言えるかもしれない。
アイヌ文化が成立してからも陶器作りや金属加工などは発達せず、
交易によって日本から輸入する品物が多かった。

アイヌ国家もアイヌ共通語も成立せず、未開人扱いされていた時代が長く続いたけど、
日本列島の最初期の住民の末裔、石器時代人や縄文時代人の子孫として
彫りの深さや体毛の濃さ、酒の強さや神話世界の豊かさ、文様の豊富さなどを堂々と誇っていい。
現代の人にとっては、アイヌというのはとてもかっこいいことだ。

ぼくは、自己否定するアイヌの人を見ると残念に思う。
かつてはひどい扱いも受けたことがあったけど、現代ではアイヌの伝統を誇っても、
アイヌ語を学んでもアイヌ文様を商品化しても邪魔する人はいない。
何でも好きな表現ができるこの時代に、自己否定して、やる気のなさを正当化するのはもったいない。

アイヌはかっこいいのだから、そのかっこよさをどんどん表現してほしい。
容姿、文様、神話、人柄。どれも魅力的だ。

飲んだくれや、彫りの深いことや毛深いことを引け目に感じる人や、公金を横領する人や
被害者面ばかりしてネガティブな思考に支配されている人には魅力を感じないけど、
堂々と表現をする人には魅力を感じる。

90年代以降だろうか、反差別運動に携わっていた人たちが、自分たちの行動に疑問を持つようになってきた。
差別者を非難したり、被害者意識を前面に出すのもいいけど、いつまでも差別者を目の上のタンコブのように意識する必要はない。
自分たちなりの価値観を表現していけばいい。
差別者の価値観に影響されて引け目を感じるなんて、他人に自分が支配されているようなものだ。
自分で価値を作って、差別者に対抗する方法だってある。

やがて古い人類の骨格を備えたアイヌ人種は完全にいなくなってしまうのかもしれないけど、
アイヌ文化は継承・発展が可能だ。
アイヌ人として生きるのか、アイヌ系日本人として生きるのか、人種や民族にこだわらないのか、それは人それぞれだろうけど、活動を楽しみにしている。

特にイメルアには注目。何度見てもやっぱりいい。
http://www.youtube.com/watch?v=edhpdsnFE64

OKIさんにも引き続き注目。大人のかっこよさ。
http://www.youtube.com/watch?v=-Gy2Saaa5gM

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字幕

2011-12-10 11:12:43 | Weblog
知り合いに何人かテレビ局勤務の人がいる。
先週会った知り合いや、先日雑誌を送ってきてくれた人も以前テレビ局勤務だった。

東大卒の人が多い。みんな知識豊富で温厚で、紳士的だ。
人々に情報を伝える仕事では、そのような人が必要なのだろう。

番組の質の低下とかヤラセとか韓流ゴリ押しなどを問われても、逆ギレすることなどはない。
動じることなく、疑問を受け止め、可能な範囲できちんと説明してくれる。

どこの局も経営が厳しいので、過去の番組の再放送よりも安く流せてしまう韓国ドラマを放送してしまうとか。韓流ゴリ押しというわけでもないとか。

ぼくは特にテレビ局の人に聞いてみたいことはないけど、
そのうちひとつ確かめたいことがある。
「どうして字幕に誤植が多いのか?」と。

東大卒でなくても、漢検2級合格レベルの人がチェックしていれば絶対に気づくような
漢字の間違いがときどき見られる。
時には、漢字ではなくて表現を間違えていることもある。

もしかしたら、番組制作費を削るために、字幕の制作は安い金額で下請け会社に出していて、局内でろくにチェックもしていないのかもしれない。

誤植を目にした時はあれ?と思うけど、いちいち録画しているわけではないし、メモしているわけではないのでやがてどんな誤植があったか忘れてしまう。
テレビでは字幕に誤植があっても、なかなか証拠には残らないからクレームも来ないのだろうか。

数千部しか出ていない出版物でも誤植があったらたいへんだ。
下手をしたら本に誤植の訂正表を差し込まなくてはいけなくなる。

でも、Webの誤植はすぐ修正して更新してしまえばいいし、テレビは無視すればいいのだろうか。
テレビで、「こんな誤植がありました」と放送されたところは見たことがない。

先日は、誤植というか、番組に出てくる地図に間違いがあった。
地理好き、旅好きの人ならすぐ気づく内容だ。
ニューギニア島の東のほうにあるソロモン諸島のあたりを指して、ミクロネシア連邦と書いている。

ミクロネシア連邦はフィリピンのミンダナオ島のずっと東のほうにある。
ソロモン諸島のあたりは色の黒いメラネシアンが住み、ミクロネシアとは文化も違う。

それに、ソロモン諸島は南半球で、ミクロネシア連邦は北半球だ。
もし、アメリカの番組で、アジアの地図が出てフィリピンのあたりを囲んでJapanと書いてあったらがっかりしないだろうか。

ミクロネシア連邦の大統領は日本人を先祖に持つモリさんだが、
日本人はミクロネシアにあまり興味がないのだろうか。

テレビの番組の品質が低下して、視聴者が減って、広告も減って、
制作費が減って、さらに番組の質が下がる、という負のスパイラルに入っているのだろうか。
ま、それは雑誌も同じかもしれない。他人事ではない。

・テレビ東京『世界の秘境で大発見!日本食堂3』11月25日(金)夜7時



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NHKの森田美由紀アナウンサー

2011-11-23 21:59:53 | Weblog
幼いしゃべり方のアナウンサーが増えたと言われて久しい。
筋力も肉厚さもない細い女性の出す声は、
どうしても舌足らずで細く高くなりがちだ。

もちろん、細身でも腰の強い声を出すアナウンサーやキャスターだっている。
フジの秋元優里アナウンサーやテレ朝の市川寛子アナウンサーは伝えることを重視し、
クリアながらも落ち着いた声で真剣にニュースを読み上げている。

かつて、ニュース報道でぼくがいちばん高く評価していたのは、
NHKの森田美由紀アナウンサーだった。
20年前、夜のニュースを読む声を聞きながら、低音と高音を両方含み、
クリアさと厚みの両方を感じさせるその声に、安心とあこがれを感じていた。

何年か前に一線を退き、テレビで見ることがなくなり残念に思っていたけど、
何か月か前にNHKの日曜美術館という番組で、懐かしい声に再会した。

やはり、すばらしい声だ。
安定感のある低音とすずしげな高音の和音。透明感と重厚感。
声が共鳴する十分な胸板。
清楚さと落ち着きを備えている。
目が大きくて、きれいな人だ。

1959年生まれで札幌で生まれ育ち、北海道大学文学部を卒業した彼女を
NHKが東京に呼び寄せてメインのアナウンサーに据えたのも当然だろう。

NHKではチーフアナウンサーでもある森田美由紀アナウンサーの指導もあってか、
無防備に声が高く軽薄な印象を与えるアナウンサーはあまりいない。
比較的高音と低音のバランスのいい人が多い。
だけど、どうしても胸板が薄く、音の響きの薄い人が多い。
森田美由紀アナウンサーが出てくるとその声にすぐ耳がそば立つ。

これからも森田美由紀アナウンサーの活躍を楽しみにしている。




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千葉国際駅伝2区区間新 西原加純(ヤマダ電機女子陸上部)

2011-11-23 18:24:40 | Weblog
何気なくテレビで千葉国際駅伝を見ていた。
各区間で男女が交互に走るらしい。
ケニアが優勝して日本は2位、日本学生選抜は3位だったらしい。

終了後のインタビューを見ていると、一人色白のランナーが目に入った。
日差しにさらされるのにどうしてこんなに色白なんだろう。
今はまだいいだろうけど、肌のケアをちゃんとしておいてほしいな。

西原加純(にしはらかすみ)というその女性ランナーは区間新の活躍だったらしい。
平井理央にも通じる、面長ではないタイプの美人。
陸上選手は愛嬌のある人や感じのいい人は多いけど、色白二重かわいい系は少ない。
色白は人目をひく。
ぼくは好きだな。こういう感じの人。

所属チームのプロフィールを見ると京都出身らしい。
今後の活躍を楽しみにしてます。

ヤマダ電機女子陸上部
http://www.yamada-denki.jp/rikujou/player/nishihara.html
西原加純(にしはらかすみ)
生年月日 1989/3/1
年齢 22
血液型 O型
身長 161cm
出身地 京都府
出身校 佛教大学
自己ベスト 5000m 15分25秒50
10000m 32分29秒59
ハーフマラソン 1時間11分58秒
得意種目 5000m
所属部署 テックランド京都伏見店
ニックネーム かすぴー

2011年11月23日 千葉国際駅伝終了後フジテレビインタビュー(西原加純)








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帰国

2011-11-20 23:47:34 | Weblog
先月下旬から今月にかけてインドを旅していた。
現地でもブログを更新しようと思ったけど、ネットカフェを見つけられなかったり
日本語環境がなくて、なかなか更新できなかった。

パソコンは持っていた。
去年1.2万円の安さで購入した中古のPanasonic Let's Note CF-R3。
1キロの軽さでとても使いやすかったけど、ひたすらテープ起こしに使っていた。

そう、まじめなぼくは締め切りに追われる某誌編集の彼女のために
インドの夜行電車の中でも海を眺める宿のベッドでも、
延々と取材テープというか音声ファイルの文字化に努めていたのだ。

いつもだったら海外に旅立つと同時に英語の世界に没頭してたけど、
今回はどうしても日本語から離れられなかった。
だから現地でのインド人やイギリス人女性とのコミュニケーションにも
臆してしまったのかな。

日本に帰ってきても、相変わらず彼女の多忙な日は続いている。
この土日だってぼくは部屋にこもってテープ起こしに協力した。

いつだって彼女はぎりぎりの進行で、とても見ていられない。
雑誌編集者は絶対に期日を守らないといけないから、
随時逆算して、かならず校了に間に合わせる。

ひやひやする。
今日も土日出社して一睡もせずに仕事を続けていたらしいけど、
体は大丈夫なのだろうか。
根性は尊敬するけど、無駄に損をするようなことはしてほしくない。

それでもまあ、彼女の取材テープを聴いてると、
さまざまな分野で才能のある華やかな人と対話することは得がたい財産だなと思う。
とてもおもしろい。
給料安くてもいいから、おもしろい仕事ができるっていうのは幸せなことかも。

そんな彼女のことを心配しながら11月はじめに書いた文があったので一応アップする。

 ↓
 ↓

昨日からインド南西部のケララ州にある、コヴァーラムビーチに来ている。
インドでもっとも美しいとビーチという評判だけど、
椰子の木がなければ鎌倉や熱海や下田と大差ないのではないかという程度の規模。
残念なことに今年はまだ雨季が終わっていないらしく曇天が続いている。

ビーチが一望できる宿の最上階にたたずんで、
押し寄せる波や白人観光客のビキニ、インド人のサーフィン姿を眺めている。
冷蔵庫で冷やしたビールを飲んで、沖を行く外国航路の船のようにゆっくりと流れる時間。
晴れていれば夕日が美しいだろう。

デリーからムンバイ、アウランガーバード(エローラ遺跡)、ハイダラバード、
マドゥライ(ミナークシー寺院)、カニャークマリ(コモリン岬)と移動してきた。
ケララ州に滞在して、1週間後にはインドを後にする。

さっき、ヘッドマッサージに行ってきた。
アーユルヴェーダのオイルを使った15分のマッサージ。
200ルピー(350円)は観光客向けでちょっと高いかなと思うけど、試してみた。

すると、マッサージの終わりごろになんだか気分がわるくなってしまった。
吐き気がするというか。
今日一日ビール大瓶1本しか飲食していないせいだろうか。
オイルが強烈すぎるせいだろうか。
久々に排泄にも行きたくなってしまった。

それにしてもこのオイルまみれの頭どうしよう。
シャンプーの残り少ないんだけど。

インドでダイエットして、心と体を整えて、帰国後の仕事に備えたい。
もう何週間も伸ばし続けているひげも、どのタイミングで剃ろうかな。
帰国して、職場の人に黒くなった顔と伸びたひげを見せてからにしようか。

今は生き急ぐように毎年旅をしているけど、今後どうしよう。
こっちに来て唯一会った日本人は3か月も長期滞在をしているらしいけど、
ぼくみたいに帰る日が決まっている会社員と会うのは初めてだと言っていた。

ぼくなどはとてもまじめな、まっとうな、社会の規範の中で拘束に耐えながら
生きる人間に見られているのだろう。
強引にまとまった休みをとるあたり、かなり周りの空気を無視して行動するタイプなんだけど。
たしかにまじめといえばまじめ。

さっきも裏道を歩いてたら、マリワナ、ハッシシ、スモーク?と声をかけられたけど興味ないし。
むかし勤務先で、ぼくは一度も薬物に手を出したことがないと言ったら、
「ほんとに?」と同僚に驚かれたことがある。
社内にも、薬物に手を出したことのある人は何人かいるのだろう。
海外に住んでた人や海外を旅する人も多いし。

ぼくがほんとうにやりたいことはなんだろう。

つつましくも豊かな生活を提案する手作り雑誌を発行する?
実家に帰って町おこしと農業と食品販売を兼ねた事業を起こす?
発明に没頭して、親戚のように技術系ベンチャーを立ち上げる?
世界放浪をしながら短詩を作り続ける詩人になる?
形あるものとないものの境を意識する僧として行動する?
彼女の実家の不動産を元に事業を起こして一財産築き、あとは遊んで暮らす?

それらは、もしかしたらぜんぶ同時に並行することができるのかもしれない。
実現することを念頭において、行動していきたい。

そうすると、現実的には勤務先をどうするかということになる。

編集部の人は誰も知らないけど、ぼくは20年ちかく前に今の編集部を訪れている。
当時は今のビルの4階北側にあった。
毎月何ページ分かの文章を書いて、貴重な収入を得ていた。
はじめて手にした定期的な原稿料だった。
(当時から、原稿依頼時にきちんと原稿料を提示するライターにやさしい会社だった。
先日某誌に少し書いたときは、振込み予定日は書いてあったけど原稿料の記載はなかった)

去年だったか、むかしぼくの原稿を担当していた人と会ったことがある。
当時はライターと編集者の関係だったけど、いつの間にか立場が逆転していた。
彼女は今はライターとなっていた。
とても懐かしく思ったけど、その人は気づかなかったし、声をかけなかった。
よろしくお願いします、なんて挨拶した。
むかし編集者として神楽坂のパスタ屋でごちそうしてくれたことも覚えてないんだろうなぁ。

ぼくは今の勤務先、今の編集部にはとても縁がある。
いろんなところでつながっている。
今の編集部で某誌の編集に携わったとき、一区切りかなと考える。
帰国したら某誌に関われるように企画でも考えよう。
定期購読していた人なんて、そんなにいないはずなんだけどなぁ。

インドにいる間はもうしばらくゆっくりする。


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