波打ち際の考察

思ったこと感じたことのメモです。
コメント欄はほとんど見ていないので御用のある方はメールでご連絡を。
波屋山人

2030年、沖縄県の人口は鹿児島県を追い抜くか?

2020-05-31 08:24:18 | Weblog
1429年、沖縄本島北半分にあった独立国、北山国は中南部の勢力に滅ぼされた。
沖縄本島を統一した勢力は琉球国を名乗ったが、1469年のクーデーターにより王統は変わった。
それから140年後、1609年、薩摩藩は琉球国に侵攻・制圧。支配下に置いた。
琉球が清と薩摩の双方に服属していたことはよく知られている。

薩摩=鹿児島県は、琉球=沖縄県の宗主国だった。
しかし、宗主国と従属国の立場が逆転する場合がある。
かつてイギリスの植民地だったアメリカは、1872年にイギリスを追い抜いてGDP世界一になった。今やイギリスの7倍以上のGDPを誇る。

インドも、かつての宗主国であったイギリスのGDPを2019年に追い抜いた。
イギリスの名車だったローバーやジャガーもインド企業が2008年に買収している。
今後、さらにインドは政治力を増し、工業力でもイギリスとの差を大きくしていくのではないだろうか。


近いうちに、沖縄も鹿児島を超える可能性が高い。
100年前は人口差が3倍近くあったが、どんどん差が縮まっている。
しかも、鹿児島県は人口減少を加速させているのに、沖縄県はまだ増加中。
私は、「10年後の2030年には沖縄県の人口が鹿児島県を超える」と予測している。

沖縄県は1920年から2020年の100年間で人口が2.54倍になっている。
人口150万人突破が目前。
それに対して鹿児島県は、100年間で1.13倍にしかなっていない。
間もなく150万人を割り込んでしまう見込み。

沖縄県は、2035年までには熊本県の人口も抜き、福岡県に次ぐ九州・沖縄地方第2の県になる可能性が高い。

2019年、沖縄県に来た観光客は1000万人を超えた。
国レベルで比較すると、オーストラリアやスイス、台湾などに匹敵する。
観光地にとってコロナウイルスの問題は深刻だが、2020年は那覇空港の滑走路も増え、各地を結ぶ便数も増加するので、今後の発展が期待できる。


<参考>人口比較                  鹿児島/沖縄
1925年 鹿児島 147.2万人    沖縄  55.8万人  2.64倍
1955年 鹿児島 204.4万人    沖縄  80.1万人  2.55倍
1985年 鹿児島 181.9万人    沖縄 117.9万人  1.47倍
2015年 鹿児島 164.8万人    沖縄 143.4万人  1.15倍
2017年 鹿児島 162.6万人    沖縄 144.3万人  1.13倍
(推計)
2020年 鹿児島 160.0万人    沖縄 145.6万人  1.10倍
2030年 鹿児島 150.0万人弱?   沖縄 150.0万人強?


それにしても、薩長土肥(鹿児島県、山口県、高知県、佐賀県)の存在感の低下が目立つ。

明治政府を支えたのは、薩長土肥と言われる鹿児島・山口・高知・佐賀。
1920年(大正9年)、日本の人口は5600万人と現在の半分弱だった。
その頃合計380万人ほどいた薩長土肥は全国の15分の1ほどの人口で、それなりに存在感があった。

しかし、2015年になると薩長土肥の人口は減少傾向。
合計460万人は、国民1億2700万人の36分の1以下。存在感が薄れている。

それに比べて、戦後は宮城、滋賀、奈良、沖縄といった県が大きく人口を増やしている。
新興勢力が伝統勢力を凌駕し、政治的にも経済的にも力を強めるかもしれない。
沖縄をはじめとする数少ない人口が増えている地域の動向には今度も注目したい。


<参考>薩長土肥エリアの人口の推移
      1920年   1950年   1975年   2015年
鹿児島県 141.6万人  180.4万人  172.4万人  164.8万人
山口県  104.1万人  154.1万人  155.5万人  140.5万人
高知県    67.1万人   87.4万人   80.8万人   72.8万人
佐賀県    67.4万人   94.5万人   83.8万人   83.3万人

宮城県   96.2万人  166.3万人  195.5万人  233.4万人
滋賀県    65.1万人   86.1万人   98.6万人  141.3万人
奈良県    56.5万人   76.4万人  107.7万人  136.4万人
沖縄県    57.2万人   69.9万人  104.3万人  143.4万人

<過去の都道府県の人口一覧>
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%81%8E%E5%8E%BB%E3%81%AE%E9%83%BD%E9%81%93%E5%BA%9C%E7%9C%8C%E3%81%AE%E4%BA%BA%E5%8F%A3%E4%B8%80%E8%A6%A7

<過去の都道府県の人口一覧>
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%81%8E%E5%8E%BB%E3%81%AE%E9%83%BD%E9%81%93%E5%BA%9C%E7%9C%8C%E3%81%AE%E4%BA%BA%E5%8F%A3%E4%B8%80%E8%A6%A7#1920(%E5%A4%A7%E6%AD%A39)%E5%B9%B410%E6%9C%881%E6%97%A5%E3%81%AE%E5%BA%81%E5%BA%9C%E7%9C%8C%E5%A2%83%E5%9F%9F%E3%81%AB%E3%82%88%E3%82%8B%E5%BA%81%E5%BA%9C%E7%9C%8C%E5%88%A5%E4%BA%BA%E5%8F%A3



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鎌倉山

2020-05-17 11:49:38 | Weblog
先日、稲村ガ崎に行く予定があったので、ついでに鎌倉山まで足をのばした。
以前行ってみたいと思っていた場所があったのだ。

七里ガ浜東の、山を切り開いた小高い住宅地をすぎると、緑の多い静かな鎌倉山。
小鳥のさえずりの中に、都心ではなかなか見かけない広い庭をもつ邸宅が点在。

「住所でポン! 鎌倉山 加納」で検索すると、すぐに住所がわかった。
めざしたのは、芸術家、加納光於のアトリエ。
たどり着くと、どうやら敷地は傾斜の下に続いているらしく、入り口の柵と表札しか目に入らなかった。

奥様は、画家の山田美年子。
山田美年子さんは、かつて彫刻家の砂澤ビッキと結婚していたことがある。
その時の息子が東京藝大で彫金?を学んだ後、ミュージシャンとして活動しているOKIさんだ。
加納沖として育ったOKIさんの生みの親は砂澤ビッキ。だから、アイヌの血を引いている。

砂澤ビッキは北海道に戻った後、九州出身の女性と再婚している。
その時の息子は、アイヌに関する汚職問題などを追及している砂澤陣さん。

私は、OKIさんも砂澤陣さんも、至近距離で見たことがある。1~2メートルもない距離。
2人とも、アイヌの血を引いているといえば引いているようにも見えるし、九州か東北に行けば溶け込める容貌にも感じた。
OKIさんは細身で面長、身長は175前後なのだろうか。細いのでそれほど高く感じない。
砂澤陣さんはやや筋肉質というかずんぐり系の印象。背は高くない。
この2人はまったく交流がない様子。特に砂澤陣さんの姿勢は...
それを知っているのか、OKIさんはあまり砂澤ビッキのことには言及しないようだ。
異母兄弟の間にはいろいろ他の人にはわからない軋轢があるのだろう。

私はアイヌ文化がとても好きなので、ときどきアイヌ関係のイベントに顔を出す時がある。
参加者を見ると、アイヌといっても日本人離れした容貌の人は、2~3割いるかどうかといった印象。
むしろ過半数は日本人というか和人と区別することがむずかしい。
実際、薄い顔立ちの日本人との混血が進み、平たい顔で一重瞼、ストレートヘアという自称アイヌ人も少なくない。
彼らがアイヌの伝統衣装で踊っているとなんだか少し違和感がある。明治時代のアイヌ人が見たら、「なんで和人がアイヌの格好をして踊っているんだ?」と疑問に思うのではないだろうか。

それはともかく、私の尊敬する砂澤ビッキはかつて鎌倉に住み、澁澤龍彦などと交流していた時期がある。
七里ガ浜の海を眺めたこともあったのだろうか。
鎌倉山を歩きながら、砂澤ビッキのことを考えると感慨深かった。


<参考>
http://ningyonoie.com/zukan/6inui.html
> トロに続いて紹介したいのは、山田美年子(やまだみねこ)・愛称はネコ。エネルギッシュで小柄で目のクリクリとしたモダンアートの絵描きで、良く喋るし、良く動く。あとから「つくし座」へ来たアイヌの大男の砂沢ビッキと北海道の阿寒湖辺で知り合い色々な体験をしたことは、武田泰淳の小説「森と湖のまつり」の中に描かれているという。ところで、この二人、一九五五年の五月に人形劇団「ひとみ座」のあった鎌倉市大町の伊藤成彦邸に、山田家の敷地で取れた竹の子を売りに来たことがある。お金に困っていないような人が、お金のない人形劇人にモノを売りに来るなんて・・・と、私は吃驚したが、その後、色々な経験をしてみると、それがお金持の子供の一つのパターンのようでもある。面白がって行商のようなことをしているだけなのである。その上、そういう感覚で生きている人なので、私等が地方へ巡演に行くのを知ると、「ね、お土産買って来てね。」とサラッと言われて「いいよ。」って言ってしまう。そのネコさんは未だ元気でやっておられるようだが、もう何十年と会っていない。ビッキの方は大分前に池袋の東武デパートでの展覧会場で会って以来、テレビで二度ほど見たが、もう他界されている。ビッキは晩年、音威子府(おといねっぷ)を仕事の根城にしていたようだが・・・



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構造

2020-05-14 21:05:39 | Weblog
検察庁の定年引上げに関する法案に反対する有名人が多いようだ。きゃりーぱみゅぱみゅ、ラサール石井、小泉今日子、辻仁成等々。
反対するメディアも多く、盛り上がりを見せている。
そうかと思えば、政府のやることに好意的ではないと思われるホリエモンやひろゆきが、定年延長なんてたいしたことではない、といったことを言っているのが興味深い。

私としてはいつものように、よくわからないことは肯定も否定もしない。
情報を集めてそれなりに対応する。
現在のところ、なんとも言えない。
カオス状態の思考の中にたたずむことは、非常に重要だと思っている。
身近な価値判断基準をもとに肯定否定をすぐ判断するのもいいけど、じっくりと思考を広げることで見えてくるものもある。

知り合いが、「政治関係のことはfacebookに書かないと決めているのだけど」、と前置きを置いて、「これだけは許せないひどいことだから法案に反対する」というようなことを書いていた。

その人がそう判断するのには、それなりに理由があるのだろう。
会社に例えるとこんな感じだろうか。
「"人事部の定年を65歳にする。雇用延長は役員会で決定する" などと社則が変更になると、人事の人は役員に一層配慮するかもしれない。それは役員が人事を恣意的に動かすことにもつながる」

ただ、会社員や公務員の定年の引き上げは全体的な流れだし、検察庁の人事権は、検察庁ではなく内閣にある。
危険性はあるけど運用を間違えなければ、大きな問題はないのかもしれない。難しいところだ。

ここでふと思い出すのは、隣国の検察人事に関するニュースだ。
ヤフー!ニュースでは朝鮮日報や中央日報やハンギョレなどといった韓国の新聞の日本語ニュースが多く流れている。
韓国の検察にかかわるニュースを目にした有名人も多いのではないだろうか。

だが、「韓国の政権はとんでもないことをしている!」と声を上げている有名人を見たことがない。

物事の構造を認識して、是非の判断をしようと心掛けている人であれば、似たような構造を持つ事象には同じような反応を見せるのではないだろうか。
アメリカだろうが中国だろうが、言論封殺や武力による抑圧が行われれば抵抗し、日本だろうが韓国だろうが嘘や隠ぺいが広まれば反対する。

ただ、世界各地の出来事がすぐニュースとして広まる世の中において、同じような構造を持つ事象であってもある国のニュースには反応し別の国のニュースは反応しないという人も多い。

わかりやすいのは、日本やアメリカといった資本主義国の出来事には非難の声を上げても、中国やロシア、北朝鮮などといった社会主義国体制の国の出来事については、同じような構造を持っていても声を上げない、という人々。
社会主義や共産主義の体制にあこがれて、自由主義や資本主義の政権を否定する。そういった人々もいるだろう。逆もまた然り。

だが、そのような人たちは、「ダブルススタンダード」と見抜かれ、批判されてしまうことも多い。
私は、自民党政権でも共産党政権でも、アメリカ政府でもドイツ政府でも韓国政府でも、同じような構造をもつ事例があれば、すべてに対して批判の声をあげられる人やメディアについては、ある程度信頼できるのではないかと考えている。

日本共産党員であり、長くベトナムでストリートチルドレンの支援にあたっていた小山道夫さんは、日本政府を批判しながらも、ベトナム共産党政府の腐敗についてもきちんと声を上げていた。
安倍首相に憎しみのような侮蔑的言葉を投げつける作家の藤原新也さんも、中国共産党によるチベット侵略のひどさに言及する。
そういった人たちも、好き嫌いや思い込みで判断するようなこともあるのだろうけど、それでも同じ構造を持つ事象については平等に言及しようとする謙虚さのある人なのではないだろうかと思っている。

安倍内閣に批判的なことで知られる人やメディアは多い。
しかし残念なことに、朝日新聞の玉川徹さんや、東京新聞の望月衣塑子記者や、元文科省の前川喜平さんたちが、中国共産党政府の人民抑圧や武力挑発に抵抗するキャンペーンを張っている様子はないようだ。
彼らが、日本だけでなく中国などの抑圧されている人々に共感し、言及するなら、もっと多くの人々に支持されるようになるのではないだろうか。
日本以外の世界は目に入らない、東京以外の町のことは興味がない、という視野の狭い人でもないと思う。

保守言論の牙城のような印象もある文藝春秋という大手出版社は、自民党政権にとって厳しいことも躊躇なく調査・報道する。
同時に、自民党政権に批判的な中国や韓国に対しても、厳しいことを言える。
そういった姿勢のほうが、人々の支持を得やすいのではないだろうか。
同じ構造を持っている事象でも好きなものは擁護、嫌いなものは非難といったダブルスタンダードな姿勢は論理的でないと判断されてしまう。

そういえば、韓国の政権による検察庁人事は、安倍政権の検察庁定年引上げ法案が霞むぐらいの激しい報復・封じ込め人事だと思うのだが、安倍政権に批判的な日本のメディアや有名人が言及しないのは疑問だ。

日本のこと以外は他人事であり興味がない、というのであれば、ずいぶん狭い村社会に住んでいる人なのだなと感じる。


https://news.yahoo.co.jp/articles/f02768b693cfb0900889eef0347f80a321089588
■韓国、疑惑捜査の幹部らを異動 政権と検察、緊張高まる
1/8(水) 22:19配信 共同通信
 【ソウル共同】韓国法務省は8日、高検検事長や最高検の部長などを交代させる人事を発表した。検察は大統領府の関与が疑われる選挙介入疑惑と監察もみ消し疑惑の2事件を捜査しているが、聯合ニュースによると、2事件の捜査を指揮していた最高検の部長2人はいずれも地方の高検や地検に転出。捜査をけん制する狙いもありそうだ。
 韓国では、検察改革を進める文在寅政権と抵抗する検察との間で緊張が高まっており、検察がさらに反発する可能性がある。人事断行は今月就任した前与党代表の秋美愛法相の意向とみられる。

https://headlines.yahoo.co.jp/article?a=20200117-00026084-bunshun-int
■韓国騒然 チョ・グク追い詰めた検事総長に、文政権があからさまな“虐殺”人事
1/17(金) 11:12配信 文春オンライン
 1月8日、秋美愛法相が発表した検察庁幹部の新人事を巡り、韓国世論はまたまっぷたつ、騒然となっている。
 保守系メディアはトップで、「文政権捜査する『尹錫悦師団』大虐殺」(朝鮮日報、1月9日)「文政権、尹錫悦の手足を切り、親文(文政権寄り)配置、検察大虐殺」(中央日報、同)と激しく非難。進歩系メディアも、「尹錫悦師団総入れ替え、公正捜査の原則が揺れることのないよう」(京郷新聞、同)「検察の破格人事注目、公正な捜査は保証されなければ」(ハンギョレ、同)と文政権を諫めた。
 秋法相就任による新たな人事異動で済州島、釜山などの地方に左遷されたのは、いずれも「尹検事総長師団」と呼ばれた尹検事総長の右腕ばかり。前出記者によれば、後任は、「曺国前法相に近い人物で占められた」という。


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大麻?

2020-05-07 22:16:39 | Weblog
以前、インド南部を旅した時に、現地の充血した目の男に、「ハッシッシ?(大麻・マリファナの別名)」と誘われたことある。
だけど、薬物も風俗も手を出さない私は、その時も首を振って通り過ぎた。

海外では日本人に対して日本語で「ハッパ?」「オンナ?」などと言ってくる人が少なくない。
今まで多くの日本人男性が薬物や風俗を利用してきたのだろう。同類だと思われるのは不本意だ。

それはともかく、ホリエモンが都知事選に出るにあたって大麻解禁を公約の一つにしているというニュースを目にした。
大麻解禁は、世界的にも「進んでいる」考え方だと認識している人も多いのだろう。
たしかに、植物由来で、効き目も穏やかな大麻は、ケミカルな薬物からみたらハーブやお香やコーヒー並みの嗜好品にすぎないのかもしれない。

ただ、一つ疑問なのが、「なぜタバコが忌み嫌うコミュニティにおいても、大麻を肯定する人が少なくないのだろうか」、ということだ。

大麻は、喫煙をしなくても、摂取することは可能だ。しかし、喫煙するように吸う人が多い。
しかし、タバコと同様あるいはそれ以上に大麻の副流煙は危険だ。発がん性物質も多い。

大麻解禁を唱える人は、喫煙での摂取を肯定しているのだろうか。
タバコと違って害が少ないとでも思っているのだろうか。害があることを認識すれば吸うのをやめるのだろうか。
あるいは、煙でなくエキスのようなものを口から摂取することを推奨しているのだろうか。
そのあたりが疑問だ。


大麻がらみの思い出は、いくつかある。

むかし、ある編集者から、作家の原田宗典さんが大麻パーティーをしているという話を聞いた。
誘われた大手出版社の編集者は参加しなかったらしい。
その後10年以上経ってから原田宗典さんが覚醒剤などの使用で逮捕されたとき、驚くことはなかった。
編集者は口の堅い義理堅い人が多いのかなと感じた。

音楽関係者で薬物をやっている人が多いことも周知の事実ではないかと思う。
もう20年以上前の話だが、書店のカウンターで接客をしていたころ、隣に立っていた男がふいに「以前某有名DJに依頼されて大麻を栽培していた。もうやっていないけど」と言ってきた。
私は法に触れることはしないけど、同時にアウトロー的なことには少し詳しい。
つい、私にはしゃべっても問題と思ったのかもしれないけど、唐突な印象だった。
その時耳にした有名DJは今も大御所として活躍している。
この人も捕まる可能性があるのかな、この洗練された浮遊感のあるテイストは大麻で得られた感覚を表しているのかな、などと想像しながらたまにCDを聞いている。


<参考>
横浜市の衛生研究所による大麻についての説明が意外に詳しくて興味深かった。
https://www.city.yokohama.lg.jp/kurashi/kenko-iryo/eiken/hokenjoho/wadai/marijuana.html
・大麻(マリファナ)について
(略)
>タバコを吸うよりもマリファナを吸う方が、肺癌などの癌になる危険性は高くなる可能性があります。また、マリファナを吸う人は、肺活量が多いとする調査研究もあります。マリファナを吸うとき深呼吸を繰り返すためと考えられます。


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ニュース

2020-05-02 12:12:15 | Weblog
近年はさまざまなニュースを目にしても、心を動かされないことが多い。
「そんなに重要なことなのかな」
「目くじら立てるほどのことなのかな」
「イラついてもしょうがないのでは。そんな姿を見せられても共感しづらい」
「世の中を変えるには、声高に叫ぶよりも、物事の構造を認識することから始めた方がいいのでは」
「怒りや憤り、イライラを拡大させる報道姿勢は扇動的なだけで問題解決につながっていないのではないか」
などと感じることが増えた。

新型コロナの影響にしても、多くの人がさまざまな事象を非難し、施策を見下し、自分の思うように行動しない人に憎悪の感情を向ける。
それで、何か世の中はよい方向に向かうのだろうか。
ストレスをためこんでいる人たちは、少しは心が安らぐのだろうか。

本来の批判精神とは、自分の思い込みを判断基準として扱わず、物事の仕組みを分析し、認識・判断することではないだろうか。

手軽な価値判断基準に流されるままに不平不満を抱き、冷静な分析もせず身近な人や世の中に対して文句ばかり言っている人は、「批判的」ではない。
本来の意味で「批判的」な人は、冷静に分析を行い、声を荒げることもなく「なぜ耐えがたい問題であると私たちは認識するのか」「その問題の原因と解消方法は何だろうか」などと思考するのではないだろうか。

問題の解消に全然近づいていないのに、安心させてくれない政府や、配慮なく出歩く人々を攻撃しても、それは目がかゆいから目をこする、頭がかゆいから頭を掻く、などという行為に似た自己満足にすぎない。
そのような姿を見せつけられても、疑問を感じる。

糸井重里さんや山下達郎さんが、非難ばかりの風潮に違和感を示しても、叩かれている様子。
別に、彼らは政府を擁護しているわけではない。
世の中の仕組みをいろいろ考えていると、やがて「咎める」「非難する」「否定する」という姿勢は、どういう意味があるのだろうと気づく人も多い。

咎めなくても、世の中を変えることはできる。
むしろ、咎めることに熱心な人は、世の中の仕組みや因果関係について認識を深めることなく、自分の思考回路にインプットされた判断基準に基づいて短絡的な反応を見せているだけなので、世の中をより良い方向に導くことは難しい。

怒りや糾弾が世の中を変えられると思い込んでいる人たちは、家庭内暴力を認める人たちと似たようなものかもしれない。
攻撃的な表現や、全否定するような言い方は、暴力の一種だ。
暴力に頼らなくても、世の中を変えることはできる。
少なくとも、私を動かすには、罵倒も侮蔑も効果はない。
わかりやすく論理的に説明してくれなければ、行動を変えることはない。

暴力的な表現に効果がないと理解できれば、咎めたり非難したり否定することをあたりまえのように認識している人たちも、考えを変えるのだろうか。

最近、「クソ」「バカ」「ボケ」などと安易な侮蔑的・暴力的な言葉を使用する有名人が少なくない。ホリエモンとか、百田尚樹さんとか。
論理的な言葉で説明することができない人が、マイナスイメージの言葉を投げつけがち。
威厳も格闘技術もない、あがいているだけの弱い人は唾を吐き大声を上げる。
あえて安っぽい言葉を投げつけることが新しいと思っているのかもしれないけど、説明や説得を拒否した、暴力的な言葉であると感じる。
思慮深い人の腰を動かすことは困難ではないだろうか。


https://headlines.yahoo.co.jp/article?a=20200422-00010005-jisin-ent
■サンド伊達、山下達郎ら著名人の「批判やめよう」喚起に賛否
4/22(水) 11:33配信女性自身
>新型コロナウイルスへの対策に日夜追われている日本政府。しかし、その対応に疑問符がつくことも少なくない。4月1日、感染予防策として安倍晋三首相は1世帯あたり2枚の布マスクを配布すると発表。「ありがたい」「マスク買えないから助かる」といった感謝の声があがるいっぽうで、「なぜ2枚?」「マスクの前に経済対策すべき」といった怒りの声がネット上で相次いだ。
(略)
こうした人々の相次ぐ政府批判に対して、声を上げたのは第一線で活躍する各界の著名人たちだ。
(略)
ミュージシャンの山下達郎(67)は、12日放送のラジオ番組『サンデー・ソングブック』(TOKYO FM)でこう語っていた。
「いま、いちばん必要なのは政治的なものを乗り越えて、団結ではないかと思います。政治的対立を一時休戦して、いかにこのウイルスと戦うかを、国民のみんなで、また世界中のみんなで助け合って考えなければならないときです。なんでも反対、プロパガンダはお休みになりませんか。責任の追及、糾弾は、このウイルスが終息してからいくらでもすればいいと思います。冷静さと寛容さが何よりも大事です。正確な判断は冷静さでしか生まれません。我々は我々ができることをしましょう」
また、コピーライターとして知られる糸井重里氏(71)も4月9日にTwitterで《わかったことがある。新型コロナウイルスのことばかり聞いているのがつらいのではなかった。ずっと、誰ががが誰かを責め立てている。これを感じるのがつらいのだ》と綴り、連日ネット上を中心に展開される“批判合戦”を憂いていた。
こうした著名人による一連の“批判をやめよう”喚起を称賛する声がSNS上では見られた。
(略)
そのいっぽうで、批判を諌める姿勢に疑問を呈する声も少なくなかった。
《「批判」は「表現の自由」の「表現」の本質でもある。 優れた表現者である山下達郎さんがそれを理解していないというガッカリ感が半端ない》
《サンド伊達さんのように一体感が大好きな人って、なんで政府を責めるなの方向で一体化したがるんだろう。政府を責める方向で一体化したっていいのに。結局はオレの方向に合わせろオマエラっていうメッセージでしかないよね。知らんがな》
《批判やめよう、一致団結しようみたいな人って、それ言ってんのは気持ちいいんだろうけど311の時とか絆、絆って感動ハラスメントの裏で何が起きてたかとかは考えもしないんだろうな。見たくないもんは見ないし考えないんだろうな》
(略)




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