波打ち際の考察

思ったこと感じたことのメモです。
コメント欄はほとんど見ていないので御用のある方はメールでご連絡を。
波屋山人

ニセ科学を超えて

2010-07-25 19:35:19 | Weblog
中高生の頃、いろんな本を広く浅く読んでいた。
密教やヨーガ、アーユルヴェーダや神道や山野草。
超古代史や超心理学や占いや新宗教。
のちにトンデモ本大賞が有名になった時に、自分が多くのトンデモ本を読んでいたことを自覚して笑った。

トンデモ本は、エロ本にも似ている。
秘められた世界が垣間見え、わくわくする。
だけど、エロ本を見て育ちエロ本編集者になる人が少ないように、トンデモ本を見てトンデモ理論を商売にするようになる人も少ない。
トンデモ本は読み物としてはおもしろい面もあるけど、学問や社会の発展にはあまり役立たない。

実話誌やエロ本のエロ話の多くがライターによる作り話であるように、トンデモ本に記載されている内容も信頼性が高いとは言えない。
大人になると、エロ本やトンデモ本の世界はリアルの世界とは違うのだということがわかり、距離をおいて付き合えるようになる人が多い。

ぼくはトンデモ本に深く入れ込むことはなかった。
最初は学術的に価値のないものが書籍になっているとは知らなかったので、帯や表紙に書いてあるように、ほんとうに今までの科学や歴史学をひっくりかえすような発見があったのかと思って読み込んでいた。
どの本も文章は平易で、ぼくみたいに読解力に乏しい人間でも楽に読み進めることができた。

だけど、アインシュタインを批判している工業高校卒のライターが現代物理学を知らず、
関西人の霊が憑依しているはずの大川隆法さんのしゃべり口調が「何々や」ではなくて「何々じゃ」だったり。
ヒヒイロカネという不思議な鉱物の元素記号が何なのか示されていないし、地図帳で海嶺やプレートを見ても巨大なムー大陸は存在し得ないように思えた。

高校3年間は理数専門のコースで、物理や化学や地理を学んでいた。
理数系の知識がなければ、トンデモ本の世界に疑問を持たず、もっと深入りして楽しめたかもしれない。

ぼくは人間の感情も神秘的な現象も、究極的にはすべて数式で記述することができると考えている合理的な人間だけど、大槻義彦名誉教授のような現代科学信奉者ではない。
現代科学にはまだまだ解明できていないことも少なくないと思っている。
電気や重力や心など、身近なものでも原理がよくわかっていないものも多い。
現代医療だって今後どんどん姿を変えるだろう。

超能力とよばれるものはすべて非科学的だと思われているけど、もしかしたら、離れた場所にいても何か感知する力は存在するのかもしれない。
ぼくには霊感も特殊な能力もないけど、たまに友人のことがふと頭をよぎると、直後にその人からメールが届くということがある。

アイヌの人たちにも、今日は誰が訪問してくるか当てることができる人がいたという。
そういった、現代科学で解明できていない何かを、否定する気はない。

だが、新説を唱えるのであれば、あくまで現代の物理化学や医学や歴史学などを理解したうえで論理的に述べなければ、学術的な世界からは無視されてしまう。

それにしても、アカデミックな世界で研究にいそしんでいる人たちは、科学を知らない人による珍説を無視し、関わりを避けすぎだ。
明らかに珍説に基礎的な認識が欠落していても、正面から批判する学者は少ない。

アカデミックな世界からの批判が弱い分、ニセ科学者やニセ博士が堂々と科学的にありえない説を述べ続けることができる。
そのような行為を許しておけば、やがて単純な計算ができない学生が増えているように、基礎的な物理化学の原理が理解できない大人が増加するかもしれない。

そうなると、日本における科学研究の重要性も低下するだろう。
科学者はニセ科学者を避けて歩かず、注意する勇気を持つべきではないだろうか。


久々に、政木和三(まさきかずみ)さんの本を読んでみた。
1916年(大正5)生まれ、2002年(平成14)に亡くなられた人。20~30年前にはメディアにもときどき登場し、一部の人たちの間ではよく知られていた存在だ。
さまざまな発明を行い、超常現象や前世について広く語っていた。

近頃、斉藤一人さんや船井幸雄さんをはじめ、「過去完了形でものごとを思えば、その思いは現実化する」と唱える人は多いけど、それを言いはじめたのが政木さんではなかっただろうか。

プロフィールはすごい。
> 大阪大学工学部で航空工学、通信工学、精密工学などを学ぶ。同大医学部で
> 神経の研究に携わるとともに低周波治療器を開発。元・工学部工作センター長。
> (略)林原生物化学研究所参与。工学博士。

経歴はすごいけど、研究者ではなく、本物の博士でもない。
政木和三さんは戦前に関西工業学校(現・大阪工業大学)を卒業した後、大阪帝国大学の研究生として講義を受けた。
熱心にさまざまな講座を受けるうちに、工業学校で培った工作技術を買われ、工学部工作センターの技術職員として雇われた。
実験機器などを工作するスタッフとして活躍し、さまざまな研究者や学生の手助けを行った。
学歴がないので、後にディプロマミルから博士号を購入したけど、本当は博士でも学士でもない。

廣済堂出版(こうさいどうしゅっぱん)から1993年に発行された『驚異の超科学が実証された』という本を読んでみた。
副題には「精神エネルギーの奇跡・その真実」と書いてある。

むかしであれば感心しながら食い入るように読んでいたかもしれないけど、今読むといろんなページに疑問を感じる。
担当編集者は何も疑問を持たなかったのだろうか。

p53
じつはその前に福岡の福田順子さんという方が岡山へ来られて、一目会った瞬時に二人は抱き合って泣き、古いインド語である梵語で語り合ったことがありました。4千年前に二人はインドで夫婦であり(略)
→→梵語(サンスクリット語)は、4千年前にはまだ成立していなかったはず。文字としては紀元前1500年くらいにまでさかのぼるのが精一杯。文法が体系付けられたのも紀元前4世紀くらいではなかっただろうか。いったい何語でしゃべっていたのだろうか。

p104
彼女の言語は古代の英語に変わり、「なつかしいお父様よ。お母様はいまどこにいますか」と語りかけてきました。
そのとき横から誰かが、「この英語は何千年か昔の英語です」といいました。
→→何千年、ということは少なくとも2千年か3千年だろう。だが、古代英語は1500~1600年前までしかさかのぼれない。それ以前、現在のイギリスの地域にはケルト系やラテン系の人が住んでいた。どんな言語のことを言っているのだろうか。

p105
人間の遺伝子のなかには前世、前々世の記憶のあることも、研究によって判明していますが、何千年前、何万年前の記憶は、生命体によるものだと私は思っています。
→→そのような研究が学術誌に発表されたことはない。どんな研究のことを言っているのだろうか。

p118
(略)ネパールの娘さんが来室しました。私は3千年前にネパールに深い縁がありましたので、そのお話をしました。
「私は3千年前、ネパールのハン大王のところにおりました。そのハン大王は、現在、日本で大きなホテルの経営をしております。いまでも尊敬をしながら、お付き合いをしております」
三千年前のハン大王は、大きなお城をつくり、白の入り口からの通路には金銀財宝を敷き詰め、栄華を極めた人です。そのために財政運営に困ることになりました。
現世のその人にこの話をすると、その人は「私は新婚旅行に、そのネパールの城に行きましたよ」と、いうのです。やはり自分の前世の記憶が残っており、大王の城まで新婚旅行に行ったものでしょう。そのネパールの娘さんは、ハン大王のつくったお城の写真を持って来ていました。「これです」とみせ、「このなかに宝石がいっぱいあります」と教えてくれました。
→→ネパールには3千年も前の城は残っていない。3千年も前の王朝の存在も証明されていないのでは。伝説上の王にもハン大王という名前はない。いったいどの城のことを言っているのだろうか。

p221
私自身も、1万2千年前は、アトランチスに、4千年前には、インドのどこかにいて、梵語で話をしていたことがあり、ムー大陸にいたことも、西村治美さんとの古代英語による会話によって証明されております。
→→アトランティスもムーも存在は確認されていないし、4千年前の梵語も数千年前の英語も存在していない。百歩譲って、古代英語による会話で何かが証明されたというのであれば、古代英語で話をしたというテープを提供してもらえないだろうか。こちらで検証してみたい。


歳をとると時代考証の甘いファンタジーに付き合うことがむずかしくなる。
ついつい、些細な点に疑問をもってしまう。
政木和三さんと親しかった船井幸雄さんや林原研究所の林原健社長は、よほど純朴な心をお持ちなのではないだろうか。

それにしても、あきらかに事実と異なることに目をつむり、真実だと言って宣伝できるメンタリティーは理解しづらい。
悪気はないのかもしれないけど、何か自分に嘘をついているところがあるのではないだろうか。
何かを信じるのもいいけど、ひとつひとつ検証しなければたどり着けないものもあるはずだ。

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ナチュラル

2010-07-25 18:26:47 | Weblog
昨日は女物のショートパンツをはいて三軒茶屋を歩いた。
一人でキャロットタワーの展望室に行って、遠くの調布の花火を眺めた。
短パンというのだろうか、何というのだろうか。
ベージュ色の、薄手の、膝下くらいほどの長さの夏用のパンツは軽くてはきやすい。
先週もその短パンをはいて小田原の町を散策していた。

ぼくの彼女は小柄だけど、腰周りはぼくとあまり変わらないから、ときどき彼女の短パンを拝借する。
肩幅もたいして変わらないので、シャツを借りることもある。
さすがに、腕の長さは合わないので、シャツの袖をまくって、出社。
ボタンの位置が男物とは違うけど、誰も気がつく人はいない。
女物といっても、ナチュラルな色合いのシンプルな柄で、男が着てもあまり違和感はない。

学生の頃から、ときどき女物のセーターなどを着ることがあった。
くびれがあるすその長い女物のコートがほしかった時期もあるけど、ぼくには絶対に似合わないのであきらめたこともある。

どうも、女物のほうが、柔らかで明るい色が多い。
シャツやパンツのラインも、繊細な曲線が魅力的だ。
男物のほうが、くすんだかたい色が多いように感じる。
もっと明るい色の男性用シャツが多くてもいいのに。

表紙のデザインを決める時に編集部で意見を集めると、女性はやわらかく、あかるいデザインを選ぶ場合が多い。男はちょっとかための寒色系のデザインを選びがちだ。
ぼくの感覚は、どちらかといえば女性に近いことが多い。

だけど、男性の中ではやや女性寄りの感性かもしれないけど、男か女かといえば、あきらかにぼくは男だ。
女装趣味もないし、男性に性的魅力を感じることもない。ひらひらした少女趣味もない。
いくらのど仏が隆起していなくても、体毛が薄くても、ぼくは明らかに男で、やさしい女性が大好きだ。

ただ、汗臭い若者たちが集団でいると、息苦しさを感じる。
キャバクラやコンパに熱心な男の感性にも近づきにくさを感じる。
ごつごつした男に性的魅力を感じる男性や女性の感覚はあまり理解できない。

どちらかといえば、声が大きくないけど存在感を示している、穏やかでナチュラルな人たちに親しみを感じる。
ナチュラル系の人は世界各国男女を問わず、広く各地に分布している。

多くのファッション誌が部数を減らし、広告収入も激減して苦しんでいる中、宝島社の「リンネル」、主婦と生活社の「ナチュリラ」、農文協の「うかたま」など、肩肘を張らない自然なスタイルのファッション誌やライフスタイル誌が共感者を増やしている。

人と競い合うような派手なファッションやライフスタイルから、無理をしない中で美や価値を楽しむセンスの良い視点へと、人々の関心が移ってきているのではないだろうか。

ぼくの彼女も「うかたま」や「■■■」などを読んでいるみたいだ。
ロック好きとナチュラル系好きは、矛盾しない。
ぼくは、激流の中をしなやかに泳ぎ渡るような、轟音の中に美しいメロディーを泳がせるような、グランジロックのような強さと感覚のするどさをナチュラル系に感じている。

ナチュラル系の人たちは、脱力系の静かな逃避者なのではない。
いろんなファッションやライフスタイルも経験した上で、いろんな知恵を蓄えた上で、あえて控えめなスタイルを選択しているのだ。
アピール力が弱くても、派手さがなくても、魅力がわかる人には伝わるセンスの良さがそこにはある。

<参考>出版不況の中、ナチュラル系雑誌が好調 2009年4月2日
http://www.excite.co.jp/News/product/20090402/Economic_eco_090401_900_1.html

追記
「編集会議 2010年6月号別冊」は編集長も編集室長も女性なのに、なぜか表紙も本文レイアウトも男性的。硬質な印象。さまざまな雑誌を分類したマップが見開きページで紹介されているけど、今をときめくナチュラル系雑誌がまったく紹介されていない。そのようなセンスで、現代の雑誌を語ることができるのだろうか。広告会社の意向を重視して動く雑誌は、大事なものを感知し損なうおそれがあるのではないだろうか。
http://ec.sendenkaigi.com/products/detail.php?product_id=1477


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和歌山も高知も沖縄も、太平洋に面していない

2010-07-15 22:40:49 | Weblog
伊豆半島から伊豆諸島を通るラインの西側はフィリピン海。東側は太平洋。
国際機関でそう決められていて、世界各国の地図にもそう書かれている。

だけど、日本では静岡の人も和歌山の人も高知の人も宮崎の人も、
自分たちの県は太平洋に面していると思っている。

むかし、タイの西海岸の小島(パヤム島)に行ったとき、
バンガローを管理している若い男に「これはインド洋?」と聞いたら
「いや、アンダマン海だ」と言われた。

沖縄の人も、太平洋ではなくフィリピン海に面しているのだと主張することがあってもいい。
上海の人だって、太平洋ではなく東シナ海(east china sea)に面していると言うだろう。

また、日本の人たちは日本と韓国の間にあるのは対馬海峡だと思っているけど、世界的には朝鮮海峡(Korea Strait)が主流だ。
http://en.wikipedia.org/wiki/Korea_Strait

もし、世界的機関が日本と韓国の間にある海峡を Tsushima Strait あるいはKorea/Tsushima Strait と決めれば、韓国の人は反発するだろう。

日本人は、フィリピン海の名前に反発しているわけではないけど、太平洋の名前を使用している。
タタール海峡(Tatar Strait)の名前に反発しているわけではないけど、国内では間宮海峡という名前を使っている。
朝鮮海峡の名前にも反発しているわけじゃないけど、対馬海峡の名前を使用している。

異論があるのなら世界に意見を発信すればいいのに。
こっそりと世界標準を無視して、お咎めがなければそれでいいと思っているのかな。

いずれ、日本海が東海、天皇が日王などと、韓国式表現が世界標準になることがあるかもしれない。
そんな時、日本人は特に反発することもなく、自分たちの仲間内だけで独自の呼称を維持していくのだろうか。

自分の所属する組織の維持発展を図ろうとする気力に乏しい日本人は、世界の人々と十分なコミュニケーションをとらず、実にユニークな平和状態を維持している。

対立を逃れ、辺境へ辺境へとやってきた人たちの子孫が多いのかもしれないけど、そのような態度で長く安定した社会を維持し、それなりに国際社会で地位を保っていることは注目に値する。

優柔不断ではっきりせず、子どもっぽい表情で衝突を回避する日本人にも、有利な点があるのだろう。
世の中には攻撃する強さもあれば、耐える強さや避ける強さ、ごねる強さなどもあり、さまざまなスタイルの人たちが共存している。
ぼくはどんなスタイルで過ごしていこうかと思う。吹けば流される強さ、かな。


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TOEIC受験者数減

2010-07-15 00:08:45 | Weblog
あまり話題になっていないけど、2010年5月14日に、2009年度のTOEIC受験者数が発表されている。
今回初めて、団体受験者数も公開テスト受験者数も前年から減少した。
人気の高いTOEICも、そろそろ受験者数は頭打ちなのだろう。

2008年 171.8万人
      ↓
2009年 168.0万人(2.8万人減、2.2%減)

(ただし、TOEIC Bridge は17.4万人から19.8万人に2.4万人、13.8%増)


昨年秋にミャンマーを旅したときに、ヤンゴン中心部の高層レストランで韓国人ビジネスマンと話をする機会があった。
カンボジアやミャンマーで精力的に働いている彼と英語教育について話していたら、「TOEICはテストとしてあまりいいとは言えない。むしろイギリスのIELTSのほうがいい」などと言っていた。
TOEICの受験者数は日本人と韓国人が大部分を占めるけど、TOEICに懐疑的な韓国人もいるということは新鮮なおどろきだった。

・TOEIC受験者数の推移
http://www.toeic.or.jp/toeic/pdf/about/transition1979_2009.pdf

不況の影響で受験を控えた人が増えたのかもしれないし、そもそも受験層の人口が減少に転じたのかもしれない。
だが、TOEIC運営団体に関する疑惑報道が影響した可能性も高い。

・日向清人のビジネス英語雑記帳「(続)TOEICこぼれ話」2009年08月18日
http://eng.alc.co.jp/newsbiz/hinata/2009/08/toeic_15.html

・TOEIC問題をえぐる週刊文春の記事 2009/09/30
http://blogs.yahoo.co.jp/shortshortluck/30008966.html

・日本の英語教育は「TOEIC対策」一辺倒でいいのか? メアリー加藤2009/12/30
http://www.news.janjan.jp/culture/0912/0912294888/1.php

・TOEICの利権と国際ビジネスコミュニケーション協会
http://art2006salt.blog60.fc2.com/blog-entry-1073.html

昨年、さまざまなところでTOEICの運営団体についての疑惑が報じられた。
その後、経済産業省の貿易振興課の担当者は、財団法人国際ビジネスコミュニケーション協会(IIBC)について、きちんと調査と指導を行ったのだろうか。

疑惑が解消されなければ、さらにTOEICの評価が低下する恐れがある。
早めに財団の運営を適正化しておきたい。

下記の点についてジャパンタイムズや日向清人氏が疑問を呈してから、もう1年近い。
> なぜ ETSへのロイヤルティーが急に2倍になったかに尋ねられると、回答拒否。
> 赤字のライティング/スピーキングについてコメントを求められても無言。
> なぜ ICS のような営利企業とパートナーシップを組むのかと問われると、ここでも
> 無言の行。ICSの株主は誰か、資本関係はどうなっているかの問いに対しても、
> ICSの Hirosuke Matsumoto 氏の回答拒否にあいます。ビューティフルエイジングと
> の関係を質そうと渡辺(元)TOEIC会長にインタビューを申し込めば、これも拒否。

貿易振興課の人によると、「公益事業を行なう財団法人がこのように報じられるのは望ましくない。所管官庁として、一点の曇りもない事業運営にするべく引き続き指導します」とのことだが、曇りはなくなったのだろうか。
適切に処理しないと、経済産業省に対する不正追及につながってくるおそれがある。

まず、経済産業省は、国際ビジネスコミュニケーション協会(IIBC)を管轄する省庁として、責任を持って金銭の流れを把握すべきだろう。
前の理事長の渡辺弥栄司氏の指示によってIIBCからどこにお金が動いていたか、それを明らかにしないために、秘書であった室伏貴之氏が理事長に就いたのではないかと目されている。
本当のお金の流れを知るものは少ない。

IIBCが関連企業を使ってどのように利益を圧縮していたか。
IIBCから関連する企業や財団に支出したお金や貸付金は適切に処理されていたか。
IIBCから関連企業への委託費は妥当なものであったか。
いくつかのブログではIIBCの関連会社として株式会社国際コミュニケーションズ・スクール(ICS、旧・国際コミュニケーションズ)や株式会社イー・コミュニケーションズの名前が出ていたが、まだ出ていない名前もある。
他の関連会社と同じビルに、1990年設立の株式会社アイ・シー・シー(ICC)という会社がある。
たしか、ここの代表者は何十もの不動産物件を取得していたと思うけど、その資金はどこから出たものだったのだろう。
疑問は深まるばかりだ。



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ゆらぎのむこうの中沢新一

2010-07-14 23:28:53 | Weblog
的外れかもしれないけど雑感を少々。

最近、文字や国家を持たなかった人々に興味がある。
かつては野蛮な人たちだと思われ、あまり価値を見出されていなかった人々だけど、意識的に文字や国家を避けていたのかもしれないと想像している。

愛、平和、戦争、人権、国家、民主、犯罪、自由、そういった言葉を使う人は、そういった語の示す構造の組成をきちんと認識しているのだろうか。
抽象的な言葉を使って、あたかもそこに何かが存在すると思っている人は多い。
だけど、言葉の指し示すものがどういった構造をもつかはっきりと理解しないで、幻想を見ているだけかもしれない。

現在でも東南アジアの市場に行くと、ほとんどの商品に値札などは付いていない。
そこには、商品の価値は値札などというもので示せないという意識があるのかもしれない。
売る人と買う人がやりとりをしなければ、価値は定まらない。
値札を見て買い物をすることがあたりまえになっている人たちは、価値や交換についての意識が鈍くなっていないだろうか。

文字を持ったり国家を作ったり、大規模な農業を行ったり学校教育を行うためには、自分の意識に何かうそをつかなくてはならないのかもしれない。
何かを排除したり、見ないことにする必要がでてくる。
それに違和感がある人たちは、組織的な行政や秩序のある教育を行うこともなく、蛮族扱いされて取り残されたのかもしれない。

文字になるものやならないもの、社会常識に合うものや拒絶されるもの、秩序になるものやならないもの、見えるものと見えないもの、そういったレベルを意識して思考している人は、現代の日本にはどのくらいいるのだろうと思う。
少なくとも、中沢新一はその一人だろうと感じる。

中沢新一にしろ岸田秀にしろ夏石番矢にしろ、ぼくが高く評価している人たちは、意外に批判の声も多い。
一般的な価値観の中で良き市民として生活している人から見れば、常識とか社会的善悪といった価値観から超越した思考は理解しにくいのかもしれない。
理解できないものに対する反発もあるだろう。
だけど、一般人の価値判断基準で捨て去るには惜しい知性が、そこにはある。
高度な思考を行う人は、そんなに一般人を痛めつけるようなことをしない。
ときには非常識に見える受け入れがたい話でも、彼らが何を言おうとしているのか耳をかたむけてもいいのではないだろうか。
とても興味深いアイデアを得ることも多いはずだ。


そういえば、中沢新一が何かを批判している言説を目にした記憶がない。
彼は、何かを否定することよりも、意味を見出すことに関心があるのだろうか。
それは、対立や攻撃をのりこえた、未来的な知性の特徴なのかもしれない。

得体の知れない思考パターンに戸惑う人が、中沢新一を批判するのももっともだ。
一般的な価値観からいえば、排斥されるべきものに共感を覚える中沢新一は、危険な存在に見えることもあるだろう。
危険なものを媒体にしておもしろいショーを見せてくれると言っても、多くの人は尻込みする。

だけど、中沢新一の芸当を高く評価している人も多い。
社会秩序を維持するために機能している価値観ですべてを判断してしまうことなく、さまざまな存在に意味を読み取り、豊かな思考をはぐくんでいる。

中沢新一に対する批判を目にして、こう考える人もいるだろう。

「パイレーツオブカリビアンを見て、実際の海賊とは違う、と文句を言う人だっているかもしれない。野球を見て、どこが感動的なのかわからない、と言う人もいるかもしれない。中沢新一批判はそれに似ているかもしれない。中沢新一はひとつの解釈の妙を見せているだけだ。「こういう見方がスリリングなんだよ」とおもしろい話を教えてくれる人に対して、それは事実ではないとかそれは価値がないなどと言っても、視点が根本的にことなっている。理解できないことを否定しても、あまり意味はない。なぜおもしろいと思えないのか、その理由を把握してから批判したほうが知的ではないだろうか」

中沢新一を否定する根拠が「絶対的に否定されるべき存在のオウム真理教を擁護したから」ということだとしたら、すこし淡白だ。
絶対的な悪とは何か、秩序から拒絶される悪とは何か、否定とは何か、といった仕組みについて意識的でない人が何かを否定しようとするとき、自分には感知できない豊かな思考が相手の発言にひそんでいるかもしれないと想像する余裕があってもいい。
実際、中沢新一の発言は単純なものではない。

中沢新一がオウム真理教や共産主義やレーニンや憲法9条を礼賛している、肯定していると認識することには誤解がある。
華やかさのないタレントや気が触れたような芸人、傲慢な司会者やカルトな人気を誇る役者や道ばたの野良猫を取り上げ、そこに興味深い視点や斬新な解釈を示すようなやり方が、中沢新一のスタイルではないだろうか。
そこには権威とか先入観とか価値観による反射的反応を克服した柔軟な発想や軽やかな姿勢が見て取れる。

もしかしたら、中沢新一は砂糖たっぷりの資料飲料水やタールたっぷりのタバコや危険な麻薬さえ否定しないかもしれない。
健康に与える害はよくわかっている。それでも、コーラやタバコやドラッグにおもしろい見方を見出してみるという姿勢は、フィロソフィーや芸術に関心を持っている人から見れば、全否定されるべきものではない。

世の中には、人々に受け入れられることも拒絶されることも存在している。そして、人々がいくら拒絶しても、人々が拒絶しようとする姿勢にすら、何らかの意味はある。
そういった世の中の仕組みを把握しようとする中沢新一の思考パターンは奥行きが深い。

共産党や社会主義がきらいな人も、中沢新一の本を読んでみればいい。
ありきたりの進歩的文化人のような、まわりくどいことや単純なことは書いていない。
柔軟でおもしろい未来的な視点がそこにはある。
それはきっと多くの人に受け入れられるものだと思う。


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梅雨時いろいろ

2010-07-11 20:04:15 | Weblog
先週は忙しい日々が続いた。
外国出身者と出歩くことが多かった。

7/7水曜日の夜、中国出身の人たちとオペラのイベントを見に行った。
3人の中国人男性オペラ歌手と、1人の日本人女性オペラ歌手が、椿姫などの曲や中国の民謡のオペラバージョンを歌う。
男性歌手は声量がある。雲南やチベット、カザフに由来する民謡を元にした曲が郷愁を誘い印象深い。
大きな拍手を受け、歌手たちも感無量といった様子。
友人夫婦と東京オペラシティの54階で夜景を見ながら食事。
友人は、日本人通訳による司会に少し不満があったようだった。

7/8木曜日の午後は、フランス人の男を案内した。
神楽坂の裏道を歩いてから、ミシュランの一つ星、蕎楽亭(きょうらくてい)でランチを食べて、地下鉄で新大久保へ移動。
韓国食材店に案内すると、安い高麗人参に興味をもっていた。

路地を歩きながら、補身湯(ポシンタン)の看板を見ては健康に良いらしいドッグスープだと伝え、パク・ヨンハの献花台を見ては自殺してしまった韓国の有名俳優だと説明。
サウナは安いけどゲイの人も多いからちょっと注意、と言ったけどあまり反応はない。
もしかしてそっちの気もあるのだろうか。なさそうだけど、まあどっちでもいい。

歌舞伎町を歩いてホストクラブやおなべについて解説。
カフェで休んでから東京タワーに向かった。
長く東京に住んでいるけど、一度も来たことがない。
夕暮れ時から光あふれる夜にかけて、2時間近く外の風景を眺めた。
スカイツリー(新東京タワー)も見える。横浜のランドマークタワーも見える。
眼下に見える大きな屋根を見てあれは何だと言われたので、新宗教の霊友会の建物だろうと言った。
P君は飛騨高山で新宗教の大きな建物を見たという。真光系は神道とかハンドパワーが入っていて、霊友会は仏教系だと説明。
夜になると銀座新橋方向の光がきれいだ。

午後9時頃、有楽町のガード下、新日の基(しんひのもと)に行って食事。
ここの店長はたしかイギリス人だと言うと、P君は店長のおじさんの肌を見て「あのスキンはそうかもね」と言う。
ブラッド・ピット似のP君も色白だと思うのだが、フランス人とイギリス人は違うのだろうか。

次は数奇屋通りの日本酒バー、庫裏(くり)に移動。
9年もの、12年もの、15年ものなどの長期貯蔵の日本酒にP君は感動。
日本産カルヴァドス(リンゴのブランディみたいなもの)にも喜んでいた。
小布施ワイナリーはたしかセーラ・マリ・カミングスというアメリカ人女性がかかわっているから、カルヴァドスにも取り組んでいるのかもしれないと説明。
ボルドー出身のP君はカルヴァドスのボトルの記述に間違いを発見していた。

最後は日本酒バー近くのメイドバーでちょっと休憩。
ガールズバーMomo's にP君はご満悦。
日本の文化として認識しているのだろうか。
幼形成熟、ネオテニーという言葉が思いうかぶ。ぼくにはどうもなじみにくい。
アパートに帰ったのは午前1時すぎ。
ぼくの英語力はひどいものだけど、補身湯もおなべも霊友会もカルヴァドスも知らない人よりはましなガイドができるかもしれない。

7/9金曜日は浅井健一のファンクラブイベント。会社帰りに渋谷のClub Asiaへ。
Pontiacs(ポンティアックス)は浅井健一(Vo,G)、照井利幸(B)、有松益男(Dr)による新バンド。
浅井さんはあいかわらずかっこいい。新曲はポップ。
中村達也さんがドラムスに入れば、ブランキー・ジェット・シティの再現になる。
観客はタトゥー入りの人も多い。今回は手に荷物を持っていたのであまり会場の前のほうには行かなかった。

Pontiacs "GALAXY HEAD MEETING"
http://www.youtube.com/watch?v=y4x8BFNZAFk

7/10土曜日は東京国際ブックフェアへ。
彼女と佼成出版社のブースで葉祥明さんの絵本を購入。
ぼくは以前、葉祥明さんのリトグラフがほしいなと思っていたときがあった。
だけど、彼女も興味を持っていたらしい。どちらかといえばポップなものやスウィートなものよりも、ひとひねりあるビターなものが好きな人かと思っていたけど、意外に素直なものも好きらしい。
それにしても、新潮社も学研もマガジンハウスも宝島社も、ミシマ社もプチグラ・パブリッシングも出展していないようだ。
どんどん出版社の出展が縮小し、デジタル機器のスペースが増えているように感じる。
大手出版社や実用出版社、宗教系の出版社はまだ根強く出展しているけど、今後出展社は減る一方かもしれない。
海外の出版社はあまり強く売り込んでいない。
中国や台湾の出展社の人と少し話をしたけど、中国は出展ブースに10社以上のテーブルが並んでいるのに、席にいるのは1人か2人。売り込む気はあるのだろうか。各出版社の担当者はどこにいるのだろう。

途中で合流した友人の車でレストランまで移動。
小さな車に買い換えたと聞いていたけど、高級感あふれる仕様のBMWだった。
若い奥さんといい暮らししているなぁ。
久しぶりに焼肉を食べて帰宅。彼女が買った10冊を軽く超える雑誌、書籍が重い。

7/11日曜日は部屋で休息。選挙には行かない。
一票入れたい人はいない。政治に不満があれば自分が立候補する。
明日は仕事をがんばろう。


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