波打ち際の考察

思ったこと感じたことのメモです。
コメント欄はほとんど見ていないので御用のある方はメールでご連絡を。
波屋山人

反タバコ団体は、ムーミンやシャーロックホームズも絶版に追い込むのか。出版社は表現者を守るのか。

2009-12-29 23:05:00 | Weblog
ぼくはタバコを吸わない。
タバコの煙をかぐと、気分が悪くなり、呼吸が苦しくなる。
だけど、喫煙者の絶滅を求めて攻撃を行おうとは思わない。

かつて、タバコを吸うことはひとつの文化として存在していた。
芸者遊びも男色も、博打も飲酒も喫煙も、多くの人に受け容れられ、文化として発達していた時代がある。
ぼくは現代の価値観に合わなくなったからといって、全てを否定しようとは思わない。

悪者をやっつけることは気持ちいい。
自分を肯定的な立場に置き、満足することができる。
だけど、「正義」とか「良いこと」、「悪」とか「悪いこと」などといったラベルを貼り付けると、対象物の中身や仕組みについて認識することを忘れがちになる。

今朝の新聞で、「喫煙描写の児童誌 指摘受け販売中止」という記事が目についた。
童話の登場人物が、子どもたちの前で喫煙していることが問題なのだそうだ。

http://www.yomiuri.co.jp/national/culture/news/20091229-OYT1T00086.htm
■愛煙家おじいさん登場、児童誌が販売中止に
 福音館書店(塚田和敏社長)は28日、月刊「たくさんのふしぎ」の2010年2月号として発売した「おじいちゃんのカラクリ江戸ものがたり」(文・絵、太田大輔)を販売中止にすると、ホームページで発表した。
 対象年齢は小学校3年生からで、発明家のおじいちゃんが2人の孫に江戸時代の暮らしを説明する内容。おじいちゃんはたばこ好きの設定で、喫煙したまま孫たちと同席する場面が何度も描かれている。
 喫煙に反対する団体などから「たばこを礼賛している」「たばこ規制枠組み条約に違反する」といった指摘があり、同社は販売中止を決定した。
 ホームページでは、塚田社長名で「(たばこは)小道具として使用したものであり、喫煙を推奨したりする編集意図はまったくありません」と説明。「しかしながら、子どもの本の出版社として配慮に欠けるものでした」と謝罪した。
(2009年12月29日05時08分 読売新聞)


10年前だと絵本でのパイプ喫煙シーンは問題視されなかったけど、世の中の価値観が変化して、問題視されるようになった。

しかし、「とんでもない」「ひどい」「ありえない」などという非論理的な言葉を発して抗議する人は、なぜそれが否定されるべきだと考えるのか、その構造をもっと客観的に考えてもいい。

青森県タバコ問題懇談会(山崎照光、久芳康朗、鳴海晃代表世話人)を運営する八戸市「くば小児科クリニック」の久芳康朗さんのブログには、一般の人たちから批判的なコメントが集中している。
ネット上でも久芳さんは見識がない、独善的だ、などと苦言を呈している人が多い。
いくらタバコが嫌われていても、自分の正義に何の疑問も抱かない一方的なタバコ排斥は、その攻撃性や偏狭さが問題視されるのだろう。

久芳康朗さんが、福音館書店代表取締役社長に宛てたメール文面もブログに掲載されていた。正しいことをやっていると認識している人は、時として高所から物を言うような抗議を行う。
出版流通も法律も知らない人が、法的な手順を無視して、脅しをかけているように読める。
福音館書店の人はそんな人との交渉に疲労を感じ、企業が総会屋に屈するように、頭を下げてしまったのかもしれない。

http://blog.goo.ne.jp/kuba_clinic/e/44c2eef735f81878d953002adba35d25#comment-list
> 貴社発行の「たくさんのふしぎ」を長年定期購読して愛読しておりましたが、
> 2010年2月号「おじいちゃんのカラクリ江戸ものがたり」(太田大輔文・絵)は
> 全編にわたってストーリーとは関係なく喫煙シーンが頻繁に描かれ、本文にも
> タバコ・パイプを礼賛する内容が記されており、子ども向けの絵本としては
> あり得ない恥ずべき絵本となっています。
>
> 販売する価値がないどころか悪影響を及ぼす絵本を定期購読だからといって
> 無理やり買わされる筋合いはありません。
> 書店を通じて返品しますので代金を返金してください。
> 定期購読も中止します。
>
> また、巻末のクレジットからタバコ会社(JT)の関与が疑われ、内容から判断して
> WHOタバコ規制枠組み条約(FCTC)に違反するものと考えられます。
> 「たくさんのふしぎ2010年2月号」をただちに発売中止し、全て回収・返金すると
> ともに、タバコ会社の関与および金銭の授受の有無などについて明らかにすべきです。
> 上記の処置がなされなければ、ネット上および様々なチャンネルを通じて
> 福音館書店の不買運動を続けさせていただきます。
>
> 私自身も子どもの頃から愛読し、子ども向け出版社として伝統のある福音館書店が
> このような形で存続の危機を迎えたことを大変残念に思います。
> もしこれを危機として捉えることができないとしたら、それこそ存続の危機で
> あることは間違いありません。
(略)

上記の文面では、発売中止と、回収・返金を要求し、その処置がなければ不買運動を続けさせてもらう、と宣言している。
出版社にとっては頭の痛い問題だ。
抗議者は自分たちに正当性があると信じ、いくら出版社が説明をしても、理解しようとはしない。そして暴力的なまでの抗議行動を行う。
問題が大きくなると売上げにも影響が出てしまうかもしれない。

大阪のNPO法人「子どもに無煙環境を推進協議会」(若林明会長)も福音館書店に文書を送っているようだ。
日本語としてかなり不適切な表現が多い文面だけど、このNPOも、本の回収と編集者・責任者の処分を求めている。
タバコを罪悪視しているのだろう。
なぜか文中に上記の「くば小児科クリニック」久芳康朗さんのブログが紹介されている。連携して活動しているのだろうか。

http://muen2.cool.ne.jp/jyoho/jyoho.cgi?log=&v=151&e=msg&lp=151&st=0
> 福音館書店 御中
>
>『たくさんのふしぎ』2010年2月号への抗議(子どもの受動喫煙について)
>
> 『たくさんのふしぎ』2010年2月号「おじいちゃんのカラクリ江戸ものがたり」
> を拝読し、とても驚いています。
> http://blog.goo.ne.jp/kuba_clinic/e/efab983a0f4c6a6200cd6d3f24db4860
>
> 子ども達にパイプタバコの受動喫煙を平然と浴びせかけているシーンが数ページも
> あり、許せないと思います。
> ましてパイプタバコの煙は紙巻きタバコより刺激性が強いですし、作者なり
> 出版社の無知では済まないです。
(略)
> 私たちは子どもを受動喫煙から守るための諸活動を20数年にわたり行って
> いますが、児童書でこんなにも平然と子どもに受動喫煙を浴びせかける場面は
> これまでに無かったように思います。無知で済まない「子どもに受動喫煙を
> 浴びせかける悪質な意図」も感じざるを得ません。
>
> 1.この本の早急な回収を求めます(販売・配本済みのものも全て)。
> 2.子ども達へ謝罪を求めます。この謝罪を社会に公表してください。
> 3.JTのたばこと塩の博物館とのつながりの経緯と連帯責任の釈明を求めます。
> 4.今回の発刊に至った経緯の公表と編集者及び御社の責任者の処分を求めます。
>
> NPO法人 子どもに無煙環境を推進協議会  2009.12.26

NPO法人日本禁煙学会も抗議した様子。
福音館書店の社長の他に、文部大臣や全国学校図書館協議会会長などにも文書を送っている。福音館書店がダメージを受けるように、よく考えてある。
http://www.nosmoke55.jp/action/0912fukuinkan.doc


反たばこ団体の圧力に屈し、子ども向けの本では、喫煙シーンがなくなるのかもしれない。
彼らは、シャーロック・ホームズやムーミン、ワン・ピースの本やDVDについても、各出版社に発売中止や回収を求めるのだろうか。

ホームズも、スナフキンもムーミンパパも、サンジも、タバコをふかしている。
彼らの姿に憧れて、パイプやタバコをはじめた者も多いだろう。
子どもたちが喫煙に対してプラスイメージを持ってしまうかもしれない。

ぜひ、どんどん出版社に抗議をしてもらえればと思う。
出版社も、抗議されたら頭を下げてやりすごすごせばいいと考えるような、ヤワな会社ばかりではない。

エロ表現や暴力表現、差別表現や皇室報道などで鍛えられた人たちは、価値観とは何か、価値観と価値観の衝突で何が生じるか、社会問題として表出する構造とは何か、などといったことについて、抗議者よりもはるかに深い認識を持っている。

そうでない編集者や経営者や法務担当者も、表現者を守るということを真剣に考える必要がある。
自分たちが責任を持って発行した本に対して批判があれば、編集者や責任者は抗議や非難をしっかり受け止め、表現者を守るべきだ。
抗議者と一緒に表現者に襲いかかってくるような人は、編集者をやる資格はない。

表現者を守れない出版社には、表現者も失望するだろう。
そのような出版社はやがて表現者からも一般人からも支持を得られなくなる。

ぼくは、表現者を守る人でありたいと思う。
一般常識も表現者の考え方も理解し、表現者が攻撃を受けないように表現方法を工夫したい。
もし攻撃されるようなことがあっても、きちんと応対できる論理を準備しておきたい。
そういう意識がなければ、出版や放送に携わるべきではないと考える。


<参考>福音館書店の「おしらせ」
http://www.fukuinkan.co.jp/oshirase/goodsid20909.html
『おじいちゃんのカラクリ江戸ものがたり』は、主人公のおじいちゃんがタバコ好きという設定になっており、おじいちゃんがパイプをくわえ喫煙したまま孫たちと同席している場面も複数描かれています。これは、過去と現在をわかりやすい形で関係づける小道具として使用したものであり、喫煙を推奨したり、子どもたちの受動喫煙を肯定したりする編集意図はまったくありませんでした。しかしながら、喫煙による健康被害と受動喫煙の害についての認識が足りず、このような表現をとってしまったことは、子どもの本の出版社として配慮に欠けるものでした。深くお詫び申し上げます。
(略)
巻末にある「協力」は、江戸時代の風俗に詳しい研究者個人として時代考証をお願いしたものです。「たばこと塩の博物館」やその運営母体である日本たばこ産業株式会社と、この作品の企画意図との間には、一切関係はございません。



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薄毛差別解消運動

2009-12-27 03:23:24 | Weblog
NPO法人「薄毛差別解消運動」は別名「CADB Japan」と言う。
世界的反ハゲ差別団体であるCADB(a Campaign Against Discrimination to the Baldness)の日本支部として活動しているからだ。

彼らは困難な道をたどってきた。
差別者に対して「嫌がることはやめてくれ」と言っても笑われるだけ。
テレビ局や出版社に抗議文を送っても、まともに取り合ってもらえなかった。
どんなに傷ついても、その気持ちはわかってもらえなかった。

メディア関係の人や司法関係の人は、その時代に支配的な価値観に合わせて行動する。
戦争中はさんざん戦争を煽り、反戦運動が盛り上がれば反戦運動を煽り、非喫煙者が過半数を超えれば喫煙者を迫害するような報道を平気で行う。
彼らは弱い者の見方ではなく、その時代の常識に忠実な人たちなのだ。

そのむかし、被差別部落民やスラム街の朝鮮人労働者を敬遠してバカにしたように、今だってハゲた人や天然パーマの人、肌のブツブツしている人や太った人を見下し、笑いの対象にしている。
自分の意志ではどうにもならないことなのに、いじめられて自殺に追い込まれた人もいる。

差別している人は無自覚で、からかって楽しいのかもしれないけど、薄毛や癖毛、肌荒れや肥満体質に悩んでいる人にとってはとても心傷つくことなのだ。

かつて明治維新以降、西欧の民主主義の思想が入ってきて水平社運動が盛り上がったとき、一般の人々の被差別部落民に対する姿勢は厳しいものだった。
汚いものは洗っても汚いのだ、と言い放つ人もいた。

戦後、男女同権の考え方が都市住民を中心に広まったときも、一般の人々の職業婦人に対する視線には厳しいものがあった。
女性は家庭を守るのが当然だ、と信じて疑わない人が多かった。

日本ではこの100年間、人々がストレスを抱えないで生きていけるように、さまざまな差別的構造が問題視され、解消されてきた。
だけど、いまだに社会問題として認められていない差別的構造は多い。

年齢差別、犯罪者差別、学歴差別、容姿差別、等々。
確固とした根拠はないのに、その時代に支配的な価値観によって、肯定されるものと否定されるべきものが分けられる。
差別的構造の存在が知られていても、文句を言う人が出てこなければ、社会秩序を維持するために有益な価値観として維持されていく。
かつては女性差別や特定部落差別の問題も黙殺されている時代が長かった。

むかしは考え方が遅れていたから女性差別や部落差別なんかがあっったんだよ、と知ったようなことを言う人は、その言葉を胸に刻んでおいてもらいたい。

薄毛差別解消運動は、あなたがたを潜在的犯罪者であると認定する。
ここで言う犯罪者とは、特定の国の法律に基づいた判断ではない。
この社会の過去と現在の価値観の変遷を研究した結果、将来的にあなたがたの行為が、法的に犯罪であると認定されることを予測している。

やがてハゲやデブやチビといった言葉は、ビッコやツンボといった語と同等に、差別語として認識されることだろう。

薄毛差別解消運動、CADB Japanは、先鋭的な行動を展開していく予定だ。
私は差別者差別につながる反差別運動に関わるつもりはないが、差別論研究者として、薄毛差別解消運動、CADB Japanを支援していくつもりだ。
全国の悩める薄毛障害者たちよ、胸を張って行動しよう。

自分たちが笑われるのを当たり前だと思い込むのは、差別者と同じ価値観に染まっているからなのだ。
かつて、被差別部落民の人たちは、飢饉などによって生命の危険がおかされない限り、差別者に対する抗議行動を起こさなかった。
現在の私たちは、価値観とは何か、社会秩序とは何か、などといったことを分析し行動することができる。
ハゲ差別は差別問題であると、堂々と主張できるはずだ。


追記
ぼくもいい歳になって、髪の毛のコシが失われてしまった。
同期の男も何人か地肌があらわになってしまった。
弟ですら、額の広がりを気にしている。
ハゲたらどうしようかという妄想がこんな一文を書かせてしまった。
薄毛差別解消運動、CADB Japanという団体は架空の団体。
もし、このような団体があったらぼくも協力させてもらおうと思うけど、ぼくは差別者を批判することには興味がない。
(ひとむかし前の、マルクス主義に影響を受けてそれ以上進んでいない人は、喜んで差別者叩きに参加するかもしれないけどね)

差別者をとがめるより、差別者として批判される表現者を守るほうに興味がある。
編集者は本来そういう立場にいる必要があるのではないかと思っている。
だけど、出版やテレビの世界には、差別語の専門家はおそろしく少ない。

知識がなく、論理もないから、言いがかりのようなクレームにも腰砕け。
ほとんどの編集者たちは、表現者を守るために体を張ったりはしていない。一般人からのクレームが怖くて、事なかれ主義で執筆者の原稿を勝手に書き換えたりしている。
それでも表現者の表現を支えるプロか、と言いたいけど、優秀なサラリーマンは問題を回避することを重視するのだ。

きちんと知識さえあれば、「バカチョン」や「シナ」、「メクラ」や「ビッコ」ですら本来は差別的な語ではない、差別的に使われないように指導することが大事だ、と論理的に説明できるはずだけど、知識がないから世の中に支配的な常識におもねっているのが現状だ。


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代沢散歩

2009-12-26 20:26:00 | Weblog
三茶から下北まで2キロ程度だろうか。
茶沢通りはあまり広くないけど、沿道には魅力的なレストランやカフェ、雑貨店が多い。

特に、三茶からも下北からも距離のある静かなエリアに、魅力的な店が増えている。
今日は下北から奥地の方まで彼女とのんびり散策してみた。

まずは、下北沢駅南口からずっと南へ500~600メートルほどだろうか。
雑踏を過ぎて代沢三差路を越えたあたりに、コーヒー屋さんがある。
コーヒーが好きな彼女は、先日一人で来たらしい。


・COFFEA EXLIBRIS(コフィア エクスリブリス)
世田谷区代沢5-8-16
http://mikenekosha.blog70.fc2.com/

感じの良い店構え。
小さな入り口の奥には意外に広いスペースがある。
古い家をリノベーションした、落ち着いた店内。
壁は白いペンキで塗られてモダンな印象。

コーヒーの味比べセット800円と、ケーキ300円を注文。
ホンジュラスのコーヒーとケニアのコーヒーはそれぞれ特徴がある。
ケニアのほうがややチョコっぽいというか黒糖っぽいコクを感じる。
ホンジュラスのほうがややフレッシュな印象。
どちらのコーヒーも、苦さや濃厚さよりも、軽い酸味や瑞々しさが印象的。
チーズケーキもキャロットケーキも派手ではないけど奥行きのある味わい。
とてもおいしく、コーヒーに合っていた。

営業日の午前中は、少人数の「スペシャルティコーヒーの楽しみ方教室」をやっているらしい。
近々彼女と参加してみたいと思う。


茶沢通りをさらに南下して代沢小学校を越え、下北と三茶の中間点あたりに白い外壁が印象的な店がある。
広い窓からは店内にぶらさがっている白いカバンが目に入り、好奇心旺盛な彼女は中に入っていった。


・BLANC-FAON Blog
世田谷区代沢4-42-7
http://www.blanc-faon.com/blog/

まだオープンして2か月らしい。
帆布に白いペンキを塗った生地を使って独創的なカバンを作っている。
とても軽く、シンプルで使いやすそうだ。
ご主人の持っているカバンは年季が入り、いい味わいを出している。
たすきがけできるカバンが少し欲しかったが、2万円くらいするのでがまんした。
ヌメ皮の色と白い生地のバランスが魅力的。いつか買いたい。

そのうち情報誌やファッション誌でも取り上げられるだろう。

下北沢経済新聞でも紹介されていた。
  ↓
http://shimokita.keizai.biz/headline/813/
■下北沢に白いかばんの店-持ち手にヌメ革、すべて手作りのため欠品も
(下北沢経済新聞 2009年12月07日)
 下北沢南口の茶沢通り沿いに11月7日、手作りかばんと雑貨の店「BLANC-FAON(ブランファン)」(世田谷区代沢4、TEL 03-6450-7960)がオープンした。
 店舗面積は約8坪。白一色で統一した店内を壁で区切り、約半分のスペースはアトリエとして利用している。店名はフランス語で「白い小鹿」の意味。
 店内に並ぶ商品は、すべてオーナー・小林悟さんの手作りによるもの。持ち手にヌメ革、本体部分に白いペンキで塗ったキャンバスなどを使用したかばんを中心に、ポーチやブックカバーなどの雑貨も扱う。店内に並ぶかばんは常時5品程度。「使用感は柔らかいが、革を切るナイフが刃こぼれしてしまうほどの強度」(小林さん)というヌメ革をカットする工程から縫製まですべてを手作業で行い、1日に1点しか制作できないため、欠品してしまうこともあるという。かばんは男女兼用で、A4サイズ以上が入る大きなものが多い。価格は2万円台が中心。
(略)

ブランファンの近く、梅ヶ丘通りと茶沢通りがクロスする手前には名店「TAMBOURIN(タンブラン」がある。
時折訪れるこの店では、いつも熟撰生ビールと前菜の盛り合わせ、鮮魚のカルパッチョは注文している。どの料理を頼んでもハズレの可能性はとても低い。丸刈りのシェフも、笑顔のオーナーも、すばらしい。人気があるのも当然だ。

・TAMBOURIN(タンブラン)
世田谷区代沢 4-41-7
http://www.tambourin.net/map.htm

近くの梅ヶ丘通り沿いには、GAIA食堂という店もある。
自然食品系の、さえない感じのあやしい店か?と警戒する人もいるかもしれないけど、意外に普通。むしろおしゃれ。
いい素材を使った料理は味わい深くおいしいし、日本酒もいいものを揃えている。


・GAIA食堂(下北沢店)
世田谷区代沢4-44-2
http://www.gaia-ochanomizu.co.jp/guide/shop_shimokitazawa.html

さらに梅ヶ丘のほうに歩いた不便なところに、新しい店がある。
雑貨屋さんなのか家具屋さんなのかリサイクルショップなのか、よくわからない店の扉は開けにくい。ドアノブは回せないし、引っ張っても開かない。何もしなくてただ押せばいいだけ。


・ENSHU ㎡ds(エンシュウ)
世田谷区代沢 4-25-8
http://www.buaisou.com/ensyu/content/ensyu/map.html

店内に入ると、芸術作品のような照明が目に入る。
鉄を加工した作品や皮を加工したカバン、本棚やアクセサリーのようなものもあり、どのようなコンセプトの店なのかよくわからない。
だけど、レストランの内装を考える人が興味を持ちそうな、おもしろい作品が多い。


これから日本の住民はどんどん減って行くけど、アーティストの数は増加し続ける。
日本に住む人のアーティスト率は、まだまだヨーロッパほど高くない。
いい音楽やいい料理、いい時間やいい遊びを楽しんでこそ、芸術的生活だ。


豊かな社会ではアートやフィロソフィーに親しむ人が多い。
アートやフィロソフィーは世界を豊かに、意味あるものに変える力がある。
経済力や政治力では支配できない世界がそこにある。

香り高いコーヒーも、独創的なカバンも、おいしい料理も、センスのいい照明も、芸術だ。
そこにはデザインがあり、編集があり、知的な世界がある。

不況でたくさんの店がつぶれているけど、すばらしい店にはそれでも客が入っている。
ぼくも、いい店にはどんどん行って、応援したいと思っている。
お金がないからなかなか散財できないけど。

お金をためこんでいても日々の生活を楽しめていない人は、いい店に行ってお金の活用方法を考えればいい。
そうすれば、人生を豊かにすることができるはずだ。



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ポッキーのCFが似合いそうな人

2009-12-26 17:48:26 | Weblog
2006年に新垣結衣(あらがきゆい)がブレークしたきっかけは、ポッキーのCFだ。
チアガール姿の新垣結衣のはちきれんばかりの笑顔と、常識にとらわれない特徴的な振り付けは、当時大きな話題になった。
新垣結衣の伸びやかさと明るさに、心をとらわれた人は多かった。

・ポッキーのCF(新垣結衣バージョン)
http://www.youtube.com/watch?v=gzHCQFaMJU8&feature=related

2008年と2009年は、新人の忽那汐里(くつなしおり)がCFに採用された。
新垣結衣のCFの評判がとても良かったので、斬新なダンスとキュートな振り付け路線が踏襲された。
フレッシュなチアガールのコスチュームは、手足の長い忽那汐里を引き立てている。

・ポッキーのCF(忽那汐里バージョン)
http://www.youtube.com/watch?v=wGEehy_2TrY&feature=related

最初にこのCFを見たときは、中国の女の子が踊っているのかと思った。
顔立ちが少し日本人的ではないように感じた。知り合いの中国の人にも印象が似ている。

実際、オーストラリアで生まれ育ち、オーストラリア国籍を持ち、日本人よりもオーストラリア人としての意識が強いらしい。
ずっと英語をしゃべって育つと、日本語ばかりしゃべる日本人とは顔の筋肉の付き方も変わってくるのだろう。

かつて目にしたインタビュー番組では、日本の学校に編入したときに床であぐらをかいていたら先生に怒鳴られたとか、卒業式などで生徒が整列しているのは軍隊みたいで怖いし可哀想だ、などと言っていた。
忽那汐里さんがあまりメジャーにならないのは、オーストラリア目線で日本を見ていることも一因かもしれない。

2009年の秋からは、大竹しのぶと明石家さんまのお子さんであるイマルさんやギャル雑誌のカリスマモデル益若つばささんがCFで踊りを見せているけど、2人とも小柄でそれほど手足が長くないせいか、新垣結衣さんのようなダイナミックさは感じられない。

IMALU(イマル)
http://www.youtube.com/watch?v=b44RaMztszo

益若つばさ
http://www.youtube.com/watch?v=IMImELHVN1w&feature=related


どのような基準で選ばれているのか知らないけど、ポッキーのCFには向いている人と向いていない人がいると思う。

展開の速さやコミカルな振り付けを最大限に活かすのは、見る人がひれ伏してしまうほどの笑顔と、はちきれそうな若さを感じさせる伸びやかな身体ではないだろうか。

ヘンテコに見えてしまう恐れがある振り付けでも、見る人に受け容れさせてしまうナチュラルさも必要だ。

そこで思いつくのは、十把ひとからげ扱いされているAKB48の中にいる、篠田麻里子(しのだまりこ)、小嶋陽菜(こじまはるな)の2人だ。

篠田麻里子は、so-net光のCFで注目された。2009年前半によくテレビで流れていた。
http://www.youtube.com/watch?v=zEM8_uCEktU

小嶋陽菜は、去年あたりに深夜ドラマに出ていた。
http://www.youtube.com/watch?v=R9yW7Cmp6U0&feature=related

篠田麻里子は168センチ、小嶋陽菜は164センチ。
子どもっぽい容姿の人が多いAKB48の中では大人っぽく見える2人だ。

彼女たちがポッキーのCFに出たら、ウケると思うんだけどなぁ。
運動能力ゼロだと思われている小嶋陽菜さんのダンスをぜひ見てみたい。
(AKB48には何の興味もありません。アキバ系でもありません。念のため)


※注 20数年前にテレビコマーシャルのつもりでCMと書いたらイギリス人に全然理解してもらえなくてCFと書き直されたので、それ以降CM(commercial message)ではなくCF(commercial film)と書くのが習慣になってしまっている。すみません。



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角川春樹さんには、幻想こそが現実か

2009-12-25 22:51:41 | Weblog
11月14日(土)に映画「笑う警官」が公開された。
全国東映系の、大々的な興行。
テレビコマーシャルも集中的に流し、公開直後には角川春樹と27歳歌手との熱愛が報じられ、映画の宣伝に貢献した。

原作は50万部を超えた人気作。
キャストは今が旬の大森南朋など充実した布陣。

これでヒットしないほうがおかしいと思ったのだろうか。
監督、脚本、演技指導などを担当した角川春樹は、試写会の席で「150万人動員しなかったら映画をやめる」と豪語した。
<参考>
http://www.moviecollection.jp/news/detail.html?p=712

ところが、客が全然入らないので1か月もたずに打ち切る映画館が続出。
12/25現在、まだ上映している館は全国で4館。関東では新所沢の1館だけ。興行成績は3億にも達しないのではないだろうか。大損害だ。

Yahoo! 映画のレビュー欄を見ると、失敗の原因が想像できる。
現在、191人がレビューを投稿しているが、平均評価は1.94点。
これは稀に見る圧倒的低評価だ。
平均3.5以下の映画すら、ほとんど目にすることはない。

・「笑う警官」ユーザーレビュー
http://info.movies.yahoo.co.jp/userreview/tymv/id332960/s0/p1/or1/ds1
5星  3.7%  7人
4星  5.8% 11人
3星 18.8% 36人
2星 24.1% 46人
1星 47.6% 91人

レビューを書く人には、自画自賛の映画関係者もいれば、角川やavexのアンチ派もいるだろう。
だけど、レビューを読んだ限りでは、原作が良かったから期待して見に行ったのに失望した、というものがかなり多い。

それにしても、1つ星か2つ星の評価が7割以上。
このような酷評の嵐は今まで目にしたことがない。

これは大失敗として歴史に残る作品なのかもしれない。
だけど、メディアはこの映画の失敗を報道しない。
明日はわが身かもしれないから、落ち目の角川春樹を叩くようなことはしたくないのだろうか。

だが一般人には関係ない。何の遠慮もなく酷評レビューのタイトルが続く。
下記はその一部。

・余り使いたくない表現ですが、これは・・近年稀に見る駄作?
・こんな非道いのは久しぶり
・角川春樹は表舞台から消えてくれ
・監督の罪
・本年最低映画
・これは駄目! ひどい! 最低映画
・今年のワースト
・春樹のナルシスト映画
・三流料理人の自己満足
・静かにメガホンを置くべき
・今年のワースト・ワンです
・こんな低評価初めて見た。
・ここ数年で一番の駄作!
・なんなんだ、この駄作。
・角川春樹よ去れ!!
・ひ、ひどすぎる!!
・誰も止められないの?
・角川氏の自慰的映画
・俳優陣が気の毒! 監督のオナニー作品
・原作がいいだけに、もったいない駄作
・時間の無駄だった
・金返せ馬鹿
・金を払ってでも観たくないほどひどい!
・本当に最低
・角川春樹さん、引退してください

ユーザーレビューで4星をつけている人ですら、手厳しい。
http://info.movies.yahoo.co.jp/userreview/tyem/id332960/rid78/p1/s2/c2/
> 描写をきっちりやらないせいで訳がわからない上に
> バーのマスターの正体や主役たちのもう一つの顔とか
> 無茶な設定が次々と明らかになります。
> 映画の後に原作を読んで驚愕したのですが
> この辺の展開は全部春樹が自分で考えたものです。
> 悪魔とか神とか言い出すセリフも全部春樹オリジナルです。
> 中学生の心を忘れない春樹。

神といえば、角川春樹は自分のことを神だと思い込んでいるらしい。
娘婿にも書かれている

・婿ろぐ(角川春樹の娘の、現在の夫のブログ)
http://yaplog.jp/mukolog/8
> それくらいじゃ驚きません。
> なぜって、うちの父上はもっとすごいから。
>
> ( ゜Д゜ )オレ、ネ申ダカラ。
> 初めて言われた時は、びっくりしました。
> Σ(゜д゜lll)エ?
>
> ★2回目
> ( ゜Д゜ )オレ、ネ申ダカラ。
> ( ゜д゜)ポカーン
>
> ★3回目
> ( ゜Д゜ )オレ、ネ申ダカラ。
> (・∀・;)エ、エート
>
> ★4回目
> ( ゜Д゜ )オレ、ネ申ダカラ。
> (´∀`)デスヨネ~
> ・・・こんな風に受け入れていきます。
> 今じゃ、なんの疑問ももちません。
>
> 普通の人が言ったなら、病院送り決定です。(゜∀゜)マタヨシ?
> でも、春樹さんは尊敬されるビジネスマンです。


ぼくが警視庁勤務であれば、角川春樹さんがまた薬物を使っていないかどうか調べたくなる。
散歩を装って角川邸の近くを麻薬犬と歩けば、何か反応を見せないだろうか。

自分を神だと言う人は、何か幻覚か幻想を見ている可能性がある。
実力の足りない自分を客観視できないというのは、薬物の影響下にあるのかもしれない。

角川春樹さんは1942年1月生まれだから、年明けに68歳になる。
エネルギーが低下してきたのかもしれない。
知っている某出版社の60代社長もバイアグラを常用している。
(それは関係ないか)

何でもかんでもやれると豪語している人は、目立ちたがり屋、権力好きである場合がある。
そして、自分を大きく見せる人は、実力が伴っていない場合がめずらしくない。

例えば、新宗教団体の代表だと認識されている深見東州さんは、オペラ、京劇、バレエ、ファッションデザイン、陶芸、俳句など、さまざまな芸術に長けていると自称している。
オペラや京劇のことは知らないけど、俳句作品を見れば、かなりの初心者レベルであることがわかる。
「金子兜太先生の推薦により、現代俳句協会会員となる」と書いてあるが、本当なのだろうか。
<参考>
http://www.fukami.com/profile/index.html#haiku

下記の深見東州さんの俳句は、俳句のレベルに達していないものがほとんどだ。
俳句以前の問題。どんな俳人に見せてもそう言うのではないか。
せめて、形式だけでも整えればいいのに、二重季語の句も時々ある。
不勉強なのに、表現したいという欲だけは強いのだろうか。
http://www.fukami.com/profile/haiku.html

彼に比べたら角川春樹さんの俳句はずっと上等で、芸術のレベルに達しているものが少なくない。
だけど、角川春樹さんの俳句は寺山修司の俳句を連想することもあるのだけど、少し力んでいる気がする。気負っていると言ってもいい。
情念を見せているから、俳句の短さを活かしきれていない。
短歌のほうが向いていたかもしれない。

むかし、中上健次と角川春樹の「俳句の時代」(1985年、角川書店)を何度も読み返していたことを思い出す。
いい本だったけど、あの対談も、薬物を飲んでテンションが高い中で行われていたのだろうか。

かつて、角川春樹さんが1993年8月に逮捕されたとき、吉本隆明は「文学や芸術に立場が考えられるとすれば、たったひとつしかない。それはあらゆる悪もデカダンスも受けいれ、包み込んでしまうという立場だ」と言って擁護したけど、それは角川春樹の実力を認めていたからだろう。
芸術レベルに達しない表現を行えば、残念だけど、吉本隆明さんは角川春樹を支持しないと思う。


<参考>読売新聞11月20日
“映画全部を辞めちゃおうと思っています”
http://otona.yomiuri.co.jp/people/jaward/091120.htm

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ミッシェルガンエレファント、アベフトシ追悼

2009-12-23 15:09:39 | Weblog
1990年代は日本ロックの黄金期といってもいい。
団塊ジュニア世代のCD購買欲も高く、音楽産業が大きく盛り上がっていた。
才能のある人たちが押し寄せ、しのぎを削っていた。

その中でも、1991年に結成し2003年に解散したミッシェルガンエレファント(Thee Michelle Gun Elephant)と、1990年にデビューし1999年に解散したブランキージェットシティ(Blanky Jet City)はロック好きの若者の絶大な支持を受けていた。

かっこいいものや楽しいことが好きな人がたくさんいたけど、閉塞した気分やイラついた思い、物足りなさや不安な気持ちを抱えた多くの若者も、彼らの曲に魅力的な立ち位置や突破力を感じていた。
傷つきやすい人も、ふさぎこみやすい人も、激しい曲の中の繊細さや純粋さに共鳴していた。
楽曲だけではなく、彼らの生活スタイルや発言、詩や絵などの表現は多くの人を引き付けた。
ぼくも彼らのライブに出かけてジャンプし続けたし、叫びたい気分を代弁してもらうかのように、部屋で彼らの曲を大きく響かせていた。

もちろん、彼らの曲のことを、うるさい音楽だと言う人もいる。
むかし別れた人は、彼らの音楽にまったく興味がなかった。
恵まれた家庭で穏やかにすごし、社会の暗部や汚さを見ないで過ごせる人は、あえてどろどろしたものや激しいものを見なくてもいい。
みんなとカラオケで楽しめるような流行の歌や、豊かな人たちと共通の話題にできるクラシカルな音楽でも聞けばいい。
彼女の別宅のリビングに置かれたアンティークの蓄音機からは、クラシックや歌謡曲が流れてくることはあったけど、ロックが響くことはなかった。
装飾として尊重される芸術もあれば、生きる姿勢として存在する芸術もある。


先日、渋谷センター街のHMVまで歩いて行って、CDを試聴してきた。
10数年前にセンター街の奥(現在のマルハンタワー)から移転してから、少し足が遠のいていた時期もあったけど、時々HMVで試聴するのが習慣になっている。
城南海やズットズレテルズの存在を知ったのもHMVの試聴コーナーだった。
HMVをうろうろしていると、最近の音楽業界の様子を把握することができる。
大きな宣伝ブースがあっても、全然人が寄り付かない試聴コーナーもあるし、ひっきりなしに視聴されている人気コーナーもある。

その人気コーナーの一つが、ミッシェルガンエレファントのベスト盤試聴コーナーだった。
2003年にミッシェルガンエレファントが解散してもう6年。
ボーカルとドラムスの2人はThe Birthdayというバンドで精力的に活躍している。
でも、今年7/22にギターのアベフトシが43歳で亡くなってしまった。もうミッシェルガンエレファントはオリジナルメンバーで再結成できない。

ベスト盤の試聴コーナーでは、店員さんの熱心さが伝わってくるPOP文面が目立っていた。
12/16の発売に合わせて急いで書いたのか、活動期間の「1991~2003」を「1997~2003」と間違え、亡くなった「7/22」を「7/23」と間違え、別の紙には「アベフトシの43回目の誕生日・・・2009年12月16日」と書き、44と43を間違えている。

それでも熱い思いは伝わってくる。
店員さんも、ミッシェルガンエレファントと、ブランキージェットシティがとても好きらしい。

POP文面(原文ママ)
 ↓
THEE MICHELLE GUN ELEPHANT / THEE GREATEST HITS
こんな凄いロック・バンドがいたってことを・・・
この先何年もしつこく伝え続けることが自分がCD屋の店員としてまっとうすべきことなんじゃないかって時々思います。まぁ多分勘違いですが。2009年7月23日、ギタリストのアベフトシ氏が亡くなったことから追悼の意としてリリースされたベスト盤。これまでのどのベスト盤よりも、1997~2003の全キャリアを総括できる内容です。そして・・・私自身にとって、曲、歌、演奏、エネルギー、感情、全てにおいて心がブルブルと揺さぶられる、どこをとっても破格のバンド。何の説明にもなりませんが、これほど愛情注いだバンドは、自分の音楽リスナー歴25年ぐらいでBJCとこのバンドだけでした。本当に好きだと書くことないんです!


HMVでたっぷり試聴した後、iPodでミッシェルガンエレファントとブランキージェットシティの曲を聴きながら、部屋に帰った。
いつもは、海外のビーチでも都内の街角でもスーパーカーのポップな音楽を聴いていることが多いけど、たまにはヒリヒリするくらい鋭いロックを聴くのもいい。
東京もずいぶん寒くなってきた。顔に感じる空気は冷たい。

・thee michelle gun elephant - Danny Go
http://www.youtube.com/watch?v=IuJnhUY0lcA




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軍人上がりの竹原信一と愚連隊上がりの安藤昇

2009-12-18 23:20:21 | Weblog
多くのメディアが、鹿児島県阿久根市の市長のブログ記述を批判している。
鹿児島県議会も阿久根市議会も相次いで非難決議を採択した。

ブログ記述の前後の文脈は割愛するが、
「高度医療のおかげで以前は自然に淘汰された機能障害を持ったのを生き残らせている。」
という一文が、障害を持った人たちに対して大変失礼だと認識されている。

たしかに、障害者の人たちは価値のない存在だ、と言っているようにも読める。
特に「生き残らせている」という表現は、“仕方なく”“不本意ながら”存在させてやっている、というようにも読み取れる。
だからこそ、大きな批判の声も起こるのだろう。
それでも市長は頑なに謝罪を拒否している。

私は、竹原市長が言おうとした文脈は理解できるけど、もう少し表現に気配りがあってもよかったと思う。
これだけ大きな反響があり、大々的にニュースになれば、気の弱い人であれば心が折れてウツになってしまう。
私なら青ざめて涙ぐみながら「悪気はなかったんです、ごめんなさい」と言ってカメラの前で硬直して放心してしまうかも。

市長は防衛大学校で軍人としてのエリート教育を受け、気持ちも強いのだろうけど奥さんや娘さんの心労が心配だ。
奥さんは「もうあなたを信じられない」と言って別れを切り出さないのだろうか。
もし、何万人という人から後ろ指をさされても、私は夫を支持して行く、というのであれば、とても魅力的な奥さんだ。(ぼくの彼女だったら逃げていくかも)

そんな健気な奥さんを悲しませないためにも、市長にはもう少しだけ、言葉遣いを丁寧にしてもらいたい。
余計な反発はくらわなくてもいい。
突破力のあるボクサーは、攻撃をよけるのもうまいはずだ。
あんまりどつかれすぎるとダメージが残ってしまう。


意外に、ネットの世論調査やアンケートでは、市長支持の声も少なくない。

・阿久根市長と鹿児島県議会、どちらを支持するか
http://research.news.livedoor.com/r/37764

市長を全否定する人もいれば、市長の発言の本意を読み取ろうとする人もいる。
市長と市職員、市議員の対立が激化しているから、市長派と反市長派がメディアを舞台にせめぎあっているという面もあるのだろう。

市長と市職員、市職員との対立は、何回もニュースに取り上げられてきた。
竹原市長は、破綻の危機に直面している市の財政を改革するために、旧態依然な組織を改革しようとして2008年に鹿児島県の阿久根市長になった。(市だけど人口は2万4千人しかいない)
会社経営の経験も踏まえ、収支バランスを正常化するため、働きに見合わない職員の給与を減らそうともしている。
当然職員は反発する。組合を通じて、市長批判を強めている。

お互い屈しない中で、市長派と市職員との対立は深まる。
一部の市民は、抜本的に組織のあり方を変えなければ阿久根市は破綻してしまうと危機感を募らせ、市長を支持する。
荒療治のために市長が強引な手法を使うのも仕方がないと思っている人も多い。

一部の市民は市職員や市議員を支持し、次から次へと問題を生じさせる市長には批判的だ。
世間体を重視し、出る杭にならないで日々平穏にやりすごしたいと思っている人にとって、市長は調和を乱す目障りな存在だろう。

自衛隊出身の市長は攻撃的な発言が目立ち、労組に所属する市職員は全共闘世代的な発言が目立つ。思想的にも相容れないようだ。

市職員や市議員の既得権益を奪いそうな市長を排除したいけど、市議会はなかなか不信任案を採択しようとしない。
不信任案を可決して市長が議会を解散しても、また市長が再選する可能性があるからだ。
市職員や市議員の古い体質に嫌気がさして、なんとか市長に風通しのよい改革をやってもらいたいと思っている人も意外に多い。

そこで、市長に反発する人たちは人格否定攻撃を試みる。
市長の行動や発言のアラを探しては囃し立て、市長の存在や価値を否定しようとする。
自分の抱える不満を論理的な対話で解決できない場合、相手の評判をおとしめることで自分を肯定しようとするのはよくある手法だ。

いかに相手が正論を述べて自分たちの利益を削減しようとしても、相手が傷を負って倒れてくれれば、自分の立場は守られるのだ。

しかし、日本の地方政治を向上させるためには、感情で相手を全否定するのではなく、意見を論理的に述べ合えるようにしてもらいたい。

社会システムをより適正にするための論争ではなく、利害関係を安定させるために地縁やコネで物事を判断して動かしてきた結果が、現在の日本の政治の行き詰まりにつながっているのではないだろうか。

市長も市議員も、自分の考えをネット上で論理的に述べればいい。
地域以外の全国の人もネット上で注視し、どちらの論理に分があるか判定してくれるだろう。

部分的にしか報道しないテレビや新聞は相手にしなくてもいいけど、主張を全部公表できるブログを活用して、持論を丁寧に解説してほしい。
真相を知りたい人はどんなに長文でもきちんと読んでくれるはずだ。

新聞社やテレビ局も、報道の姿勢について少し考えなおしてもいい。
政治家やタレントの言葉尻をとらえて感情に訴えるような報道は、新聞社やテレビ局の知的レベルが問われてしまう。
知的レベルが高くない人たちの反応を得るには、感情に反応させるような報道をする必要があるのかもしれない。

だが、人々の知的レベルを向上させようとする意志があるのであれば、安易な感覚的な方向に流されず、因果関係や論理を追っていく姿勢を人々に見せるべきだろう。


<参考>竹原・阿久根市長の真意
http://www.data-max.co.jp/2009/12/10_093824.html

http://www.yomiuri.co.jp/national/news/20091218-OYT1T00796.htm
■阿久根市長に謝罪要求決議「重く受け止めて」
 鹿児島県阿久根市の竹原信一市長(50)が、ブログに障害者の出生を否定するような文章を掲載した問題で、竹原市長に謝罪を求める決議案を県議会が全会一致で可決した17日、議員からは「異例の決議。竹原市長は重く受け止めてほしい」との声が挙がった。
 決議では、障害者基本法が、自治体に障害者福祉を増進する責務を課していることに触れ、竹原市長に謝罪や、障害者福祉へ向けた適切な努力を求めている。
 県議会事務局によると、一自治体の首長への非難決議は過去、記録にないという。
 議員たちに今回の問題に対する、感想を聞いた。
(略)
 金子万寿夫議長は「(市長は)県民の代表者の集まりである県議会が全会一致とした決議を、真摯(しんし)に受け止めるべき。そうでなければ、人としておかしい」と訴えた。(北川洋平、尾谷謙一郎)
(2009年12月18日14時30分 読売新聞)


そういえば、タイトルの「軍人上がりの竹原信一と愚連隊上がりの安藤昇」について関係のない内容になっていた。
ここで付け加えさせてもらおう。

1959年、鹿児島県阿久根市に生まれた竹原信一市長は、防衛大を経て航空自衛隊に進んだ。
その後、阿久根市議を1期勤めたあと、市長選に当選している。
1926年、東京に生まれた安藤昇は海軍飛行予科練習生を経て伏龍特攻隊に進んだ。
その後、渋谷の新興ヤクザとして名を馳せ、服役後は安藤組を解散して俳優となり、文筆業でも活躍した。まだご健在のはず。

2人は、軍人→会社経営→地域のリーダー→テレビによく出ている、という経歴が似ている。
どちらかというと、むかしながらの保守的というか伝統的な思想に近い気もする。

実は、竹原信一市長の発言とよく似た発言を、安藤昇さんは15年前に記していた。
週刊誌に書かれたものが、本にもなっている。
その部分を引用しておこう。

安藤さんがこのような発言をしても、テレビや新聞は全く叩かない。当時も今も。
そこが、安藤さんと竹原さんの違うところだ。

安藤さんを叩くと、怖い人たちが出てくるかもしれない?
まあ、竹原さんを叩いても、怖い人は出てこないから、安心して竹原さんを叩けるのかもしれない。
弱きを助け強きをくじく、気概のあるジャーナリストはいないものだろうか。


※安藤昇著『安藤流 五輪書』(1994年9月、『週間大衆』に掲載)より
医学は劣性遺伝を助長
(略)
 いま日本は世界一の長寿国になった。いい換えれば、世界一の健康国になったはずだが、新聞報道によれば、皮肉にも、医者通いをする「病人」が激増しているのだという。
 それは、飽食、運動不足、ストレスなどを原因とする成人病が増えたからだそうで、厚生省が「長寿世界一」を宣言した一九八四年には、国民の八人に一人が病気にかかるようになったとしている。
 まったく長寿国になって病気が急増するなら、なんのための長寿かといいたくなってくるが、実は長寿には、人類にとって重大な危機を孕んでいるのだ。
 長寿の原因は、長生きもさることながら、医学の進歩によって、赤ん坊の死亡率が低下したことが大きく関与している。
 要するに、統計学から言えば、
「死ななくなったぶんだけ、長寿になった」
 というわけだ。
 人道的にはまことにけっこうなことだが、動物学、遺伝学から見ると、これはきわめて憂慮すべきことなのだ。
 どういうことかというと、
「人類に劣性の遺伝が継承されていく」
 ということになる。
 つまり人間は、この劣性遺伝の繰り返しによって、どんどん劣化し、自ら滅びてしまうというわけだ。
 動物にしろ植物にしろ、子孫繁栄のために弱いものは淘汰され、強いものだけが行き載っていく。
 これが自然の摂理というものだ。だが、地球上の生物の中で、唯一、人間だけが医学というものを振りまわして、この自然の摂理に反しているのである。
 医学によって、弱い種が何代にもわたって子孫に蓄積されていけばどうなるか、いうまでもないだろう。
 素人考えだが、劣性遺伝の蓄積は、これから先、死にいたる原因不明の難病奇病を人類に生み出すような気がしてならない。
(略)


以上は元渋谷の大組長、安藤昇さんの文章だが、竹原市長の文に通じるものはないだろうか。
安藤昇さんは、自分なりに状況を分析して問題を提起している。竹原市長もそうだ。
もし、竹原市長の発言がとんでもないと思うのであれば、安藤昇さんにも文句を言ってもいいのではないだろうか。
それでこそ、利害関係ではなく論理で物事を判断ができる人間であると思う。


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by 波屋山人

2009-12-16 23:10:44 | Weblog
気まぐれに、ブログのタイトル下に「by 波屋山人」と入れてみた。
「波屋山人」は「なみやさんじん」と読む。

ブログ用のペンネームにしてみようかなと思っている。
気が変わるかもしれないけど。
俳号は本名と同じなので、オープンにするのは控えておきたい。

波屋山人という名前を見れば、地元のごく一部の人間は、あの集落の人間か?と思い当たるだろう。

似たような地名が地元にはあるのだ。
地図にも載ってないマイナーな地名。語源は不明。

もしかしたら、縄文時代には波が押し寄せるところだったのかな。
今では海から遠いけど。





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同じ凡人なら英語の話せる凡人のほうがつぶしがきく

2009-12-16 22:02:07 | Weblog
さまざまなメルマガを購読している中に、英語教材を宣伝しているメルマガがある。
毎日のようにメールが届くので時々読んでいるけど、毎回のようにもどかしい思いをする。

書いてある日本語が非常にわかりにくいのだ。

「冠詞を正しく理解し、ネイティブ並の英語を身に付ける」というメルマガ。
執筆者は1974年大阪生まれの男性。英語関係のメルマガを多く発行しているらしい。ネイティブではないけど、英会話には不自由しないレベルらしい。

今回のメールはこうはじまっている。

> 田中聡一郎です。
>
> ワールドカップのテレビ中継が決まりましたが、地上波では
> 全試合は中継しません。
> スカパーで全64試合が中継されます。
> サッカーファンはスカパーで見るものです。

これは、
「来年のワールドカップは日本でもテレビ中継されることが決まりました。しかし、地上波放送では全ての試合が中継されるわけではありません」
「衛星放送のスカパーでは全ての試合が中継されます。サッカーファンはスカパーで見るのが普通でしょう」
というような意味だろう。

彼の文章は「何が」「何を」「何に」というような細かいところを説明していないので、全く背景を知らない人には意味が読み取りにくい。

本人には言いたいことがよくわかっているのだろうけど、もう少し表現を考えてもらわないと人に伝わらないこともあるだろう。
さらに文章はこう続く。

> あと以下の教材の特価が今日で終わりということです。
> ネイティブから英語で英文法を学ぶこともできるものです。
>↓
> ●TOEIC-短期スコアアップ講座
> http://www.infotop.jp/click.php?aid=23104&iid=34675

上記の文はどう読み取ればいいのだろう。
「また、下記にリンクした教材の特売期間が本日で終了となります」
「ネイティブの人から英語だけで英文法を学ぶことも可能なのです」
「インフォトップで売っている情報商材を買えば私にアフィリエイト収入が入ります」
というような意味なのだろうか。

語彙の少ない人は「あと何々が~」と書くことが多いけど、プロのライターや記者はそのような書き方はしない。
「さらに何々が~」とか「それから~」とか「また~」などを使う。

さらに文章は続く。

> さて、ネイティブらしいセンテンス作りをしています。
> ネイティブらしくするためには、意味を込めることが必要です。
>
> 意味が込められていないセンテンスは、未完成です。
> 英文法も大事ですが、意味も相当大事です。
>
> 意味の方が大事になると言えます。

ここまで来ると読解は困難だ。
最大限に想像力を働かせてみよう。
「教材では、ネイティブらしい英語のセンテンス作りが学べます」
「ネイティブの英語のように表現するには、センテンスに意味を持たせる必要があります」
「意味が含まれていないセンテンスは、英文として完成していません」
「英文法も大事ですが、英文の示す意味もかなり大事なのです」

> センテンス作りですが、まずは基本形から始めます。
> 基本形に色々と具体的な説明を加えて行くのです。
>
> 漠然としていると何にもなりません。
> 漠然としないで、細かいところまで伝えるのが英語です。
>
> 曖昧にしてはなりません。

もうここまで読んで、彼が言おうとしていることを推測することが面倒になってしまった。
漠然としていて曖昧で、何を言おうとしているか理解しにくい。

これは、文章力とか表現力のセンスの問題ではなく、誠実さの問題ではないだろうか。
他の人が読んで誤解することがないように、わかりやすい記述を心がければ、主語と述語がはっきりとわかるように書こうとする。
形容詞がどこにかかるのかわからないような、あやふやな表現は避けようとする。

ぼくだって全然文章力はないけど、そういったことは気に留めている。下手な表現だけど、こつこつ書いているうちに少しはましになるのではないかと考えながら書いたり校正したりしている。


それにしても、日本語がいいかげんでも、英語ができれば進学でも就職でも有利になるんだろうなと思う。
ある有名ミッション系大学の名誉教授は、「帰国子女が入学してくることが多かったけど、日本語も英語も中途半端な人が少なくなかった」と話していた。

中途半端でも英語ができれば、入学試験や入社試験で高得点を取ることが可能だ。
平凡な人でも、有名大学や有名企業に進むことができるかもしれない。
中身のない英語しかしゃべれなくても、全然英語ができない人よりは役に立つと判断される場合もあるだろう。

英語は、どんなに頭が良くても時間をかけないと身につかない。
逆に言えば、たいして記憶力がなくても、時間さえかければある程度理解できるようになる。
だから、英語は子どものころからやっておいてもいいのではないかと思う。

頭のいい子は、英語を学んでも国語力をしっかりと身につけることができる。
あまり要領のよくない子は、英語も国語も中途半端になるかもしれない。
だけど、要領のよくない子は、英語を学ばなくても国語は中途半端なままだったかもしれない。

どうせ要領がよくない子どもなら、片言でもいいから英語が話せるようになれば、世界が広がる。道具が増える。
全然英語を使う場面がない田舎でも、インターネットを使えば英語でさまざまな情報を得て、人々と交流することもできる。

凡人こそ、英語をやっておけばつぶしがきく。
要領がわるくても、時間さえかければ理解できるようになるのだから、英語はIQ弱者の見方だ。

ぼくは要領がわるくてしかも時間をかけるのが面倒な人間だったからもうどうしようもないけど、より良い生活をしたい人は、こつこつと語学をがんばることも一つの方法だと思う。


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洋梨(ラ・フランス)の皮は食べるな

2009-12-12 22:20:58 | Weblog
この1か月でもう10個以上の洋梨(ラ・フランス)を食べている。
みかんサイズの小さなものからグレープフルーツより大きなものまでサイズは様々。
小さくても香り高いものはある。
大きければいいというものではない。
不格好な洋梨と、筋子をほぐして作った新鮮なイクラ丼は、晩秋の大きな楽しみだ。

洋梨はもう四半世紀(25年)以上、毎年食べている。
板張りの床の冷たい実家で、奥の部屋に置かれた木箱の中の洋梨は、繊細で優雅な香りを漂わせていた。

 独り占めならば洋梨丸かじり

という発表に値しないレベルの低い句を作ったのはつい先週。洋梨は秋の季語。
ぼくの彼女は果物を好まないので、ぼくは洋梨やブドウやブルーベリーなどを買ってきては悠々と独り占めする。
豪快な丸かじりは「独り占めしている」という喜びを増幅させる。

よく熟した洋梨の皮は厚くないし風味を損ねるわけではないから、丸かじりも可能だ。
皮をむくのも面倒だし、ぼくは洋梨をよく洗って新聞の上でリズム良くかじる。

出っ歯はかっこわるいけど、果肉をごっそりこそげ取ることができるので、便利なスタイルなのではないかと思う。
(そういえば最近「こそげ取る」という表現を聞かない。大事な言葉なんだけどね。「モッタイナイ」的に)
大きな前歯でがっしり果肉をとらえて味わうとき、満たされた気分を味わう。

ところが、洋梨を丸かじりした後、しばらくするとお腹がごろごろしてトイレに向かう日が続いた。
ぼくのお腹は弱くない。
タイやベトナムの屋台で食べてもお腹を壊したことはない。
北京やヤンゴンで、油が強い料理を食べて調子が悪くなったことはあるけど。

洋梨を食べるとなぜか毎回お腹の調子がわるくなるので、今日初めて3Lサイズ2個300円(昔に比べたら激安だ)の洋梨の皮を剥いて食べてみた。

そうすると、食後2時間たっても4時間たっても、全然お腹がゆるくならない。
もしかして、下痢は残留農薬の影響?

ネットを見てみると、洋梨の表皮に農薬が残留している場合もあるようだ。
表皮そのものには下痢につながる成分はないだろうし、これは悩ましい。

http://www.pref.aichi.jp/eiseiken/3f/difolatan.html
> 平成13年9月に山形県衛生研究所の調査でラ・フランス(洋ナシ)と
> リンゴから食品衛生法上検出されてはいけないダイホルタンが検出され、
> 更に平成14年4月には大阪市の市場で山形県産ラ・フランスからダイホルタンが検出

http://www.bm-sola.com/we/archives/2009/05/post_753.html
> 以下に挙げるのが、「汚い12」の果実と野菜である、農薬の残存最の順番で
> リストされて、最悪の、最高農薬量で始まっている:
>
> ①Peaches(highest pesticide load)-モモ(最高農薬残留量)
> ②Apples-りんご
> ③Sweet bell peppers-甘いピーマン
> ④Celery-セロリ
> ⑤Nectarines-ネクタリン
> ⑥Straw-berries-いちご
> ⑦Cherries-チェリー
> ⑧Kale-ケール
> ⑨Lettuce-レタス
> ⑩Grapes(imported)-ブドウ(輸入品)
> ⑪Carrots-にんじん
> ⑫Pears-洋梨

農薬が残っている可能性もあるようだ。
残念。今後は皮を剥いて食べたほうがいいのかもしれない。
丸ごと食べて、洋梨全体を楽しみたかったのに。

皮を剥くと、どうしても0.5ミリくらいは果肉を取り除いてしまう。
それは、もったいない。
0.1ミリくらいの皮以外は全部果肉なのに。

無農薬で洋梨(ラ・フランス)を作るのは難しいのだろうか。
リンゴで自然農法(無農薬かつ無肥料)を確立した青森の木村秋則さんのように、洋梨で無農薬栽培を行う人かいないのだろうか。至難の技だろうけど。

もし、誰か無農薬・無肥料で洋梨を作ってくれるなら、どんなに小さくてもいい、どんなに傷ついていてもいい。1個300円で毎年100個買うことを約束しよう。
(それも3万円か。安すぎる~)

あるいは、だれか洋梨の畑を売ってくれないだろうか。即金ではあまり払えないけど、分割で毎年何百万円かは払える。
山形には親戚もいるから、従兄弟に農作業を指示することもできる。

洋梨は、もっともっとおいしくなれる可能性がある。
世界最高峰の風味を持った果物の一つだろう。
だけど、農薬に制御された洋梨は美しくても、香りや歯ざわりにワイルドさが欠けている。

洋梨が生命力を最大限に生かしてこそ、洋梨の細胞が密度を持ち、本来の強さを見せるのではないだろうか。

高度なバランスに到達した、最高においしい洋梨を味わってみたい。
皮ごと食べたい。
志しを持っている人に、洋梨農場の運営を任せてもらえないかな。

福岡正信さんの自然農法の本は何冊か読んだ。
30年前には、裏庭を切り拓き無農薬不耕起の方法でイチゴを育て、野生的なすっぱいイチゴを収穫した。
子どもの頃から畑を耕して、薪を割って、山野草を採取してきた。

おいしい洋梨を食べたいなぁ。
求む、無農薬洋梨畑。
洋梨界の木村秋則さんを見たい。
何百万円か身を削っても、本物の果物、樹の実を味わいたい。


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週末の下北、青山

2009-12-07 21:17:18 | Weblog
土曜日は雨が降っていたけど午後6時過ぎに下北沢駅の南口で彼女と待ち合わせ。
本多劇場近くのギャラリーGEKIに行って壷井明氏の個展を鑑賞。昨日は彼のピアノ作品CDを何度も聴いていた。
芸大や美大で学んだ人から見れば絵も曲も粗さが目に付くかもしれないけど、彼の作品はそういうところを問題にしなくていい。

・壷井明(電脳画廊)
http://dennou.velvet.jp/

小手先で作り上げられた作品と異なり、彼の作品は研ぎ澄まされた感覚に満ち、表現する必然性を感じさせる。
彼の表現は、十分に芸術としてのバランスを保っている。

7時からは新宿南口のミニシアター「トリウッド」で3分間映画のオムニバス上映会。

・3分映画オムニバス企画 風雲(かざぐも)
http://kazagumo.mitsu-hide.com/

15人の作品が次々に上映される。
50席ほどのミニシアターは満席。

圧倒的に完成度の高い作品がひとつあった。
吉野耕平という人の「栓」という作品。
無駄がなく、きちんと3分間という枠を活かしている。
漫然と表現する作品が多かった中、きちんと構造やバランスを計算できている。
帰ってきてからプロフィールを見ると、「PFFアワード2000特別審査員受賞」「PFF2004入選」とあった。なるほど。素人ではないわけだ。

8時からは同じ会場でドキュメンタリー映画「グワシ!楳図かずおです」を鑑賞。
吉祥寺に建てた赤白ハウスの裁判についても触れられていた。
最後のシーンは2009年2月1日に完成した家に装丁家の祖父江慎さんや小学館の編集者などを招いてのホームパーティー。
いつかあの家の中に行ってみたい。

楳図かずおさんが広い廃棄物処理場で、汚いものについて語るシーンもあった。
一般の人々も学者も、汚いものや怖いもの、美しいものや楽しいものについて、深く考えることはあまりないかもしれない。
楳図かずおさんの語る言葉は、時として社会学者や人類学者をもうならせる。
そういえば上座部仏教の専門家も楳図かずおの表現に感嘆していた。

・楳図かずおは天才(ひじる日々 東京寺男日記 ehipassiko!)
http://d.hatena.ne.jp/ajita/20091021/p1

夕食は南口のIL CANTUCCIO(イルカントゥッチョ)。
入ったことのない店だけど、ジャックポット系列のイタリアレストラン。
ジャックポット系列のお店ではハズレを感じたことがないので入ってみた。

パスタ、リゾット、前菜もいい。
ワインは一番安い1600円の赤のボトルを試してみた。モンテプルチアーノ種。
ワインは1600~2500円程度のラインナップで、格安。
どれもライトボディだと書いてあるけどそんなことない。
一番安い1600円の赤ですら、十分にミディアムボディの味わいだった。

・IL CANTUCCIO(イルカントゥッチョ)
http://r.gnavi.co.jp/g394002/map1.htm

日曜日朝は原宿から千駄ヶ谷のほうに向かう。
コムサのファミリーセールがあるのだ。
長袖のTシャツなどを購入。セーターの下に着るつもり。

セールの後は歩いて外苑前の方へ。
途中、河出書房新社のビルを見ながら明治公園に立ち寄って、錦鯉の品評会を見学。

国立競技場ではラグビーの早明戦がはじまるらしく、人が集まっている。
自転車を借りて、1周1.2キロの周回道路を3週。休日なので人が多く、歩行者天国と間違えて車道を歩く人や信号を無視する人、逆送する自転車などもあって少しあぶない。

それから外苑前のイチョウ並木に行って散策。
KIHACHI系列のSELANに入ってテラスでパスタランチ。
7割ほど葉っぱが落ちたイチョウ並木が美しい。たくさんの人出。

・SELAN
http://r.gnavi.co.jp/a212005/

表参道に足をのばして、日没直後、イルミネーションの様子を陸橋の上から眺めた。
あまりにも歩行者が多くて、午後5時からは陸橋の利用は禁止。

青山ブックセンターに行って午後6時からはデザイナー原研哉さんのトークイベント。
参加費700円で2時間たっぷり話を聴ける。
一番前の席で楽しい時間をすごすことができた。彼女のすすめで来て正解。

トークにずいぶん触発され、希望を持てるような、前向きな気持ちになることができた。
ぼくは以前から、芸術に興味のある人々が増えれば、世の中はもっと充実したものになると思っている。
美しいものやすばらしいものの構造を見出せる人が増えれば、世の中は意味に満ち溢れてくる。
ぼくも少しデザインのことについて学んでみたいと思った。


■原研哉トークショーメモ 2009.12.6
(走り書きなので、勘違いして書いているところがあるかも)

問題解決のためにデザインが必要。
こういう車はどうだろうか、と構想できる人がデザイナー。
デザインは、多くの人が手にするべきものではないだろうか。
これからは、世の中に「こういうことをやってみませんか」と提案することを仕事の中心に据えたい。

ロジックから生み出せるものにあまり飛躍はない。ロジックと経験値だけではなく、もっと飛躍して構想していく。

起業の可能性を可視化するのもデザインの役割。
紙にはこういう可能性があるのではないか、とか。
色や形ではなく、いかに感じるか。
感覚を開花させていかに味わうか。
デザインが担っている大きなもの。
仮想、構想すること。
それには言葉が必要。説得力がいる。

65歳がピークかな。老齢化社会だし。

デザインということを社会の深層で、大事なところで機能したい。
デザインの社会的地位を高めたい。

欲望のエデュケーション。
ベルトをゆるめると、またおなかが大きくなる。
お客様のニーズに応えるとゆるくなる。
売れる方向にパッケージを変えていくとだらしないものになってしまうかも。

安い方向へ、安い方向へ。
デザインの無いほうが安く見えてそっちに人が行くのはさみしい。

立派なカレーになろうと異文化を吸収しようとして、フォンドボーなどの名前を使った。
だけど今は唾液を出させるような、コクマロとか、さみしい。

センスの悪い国でマーケティングをやると、センスの悪い物が売れる。

住宅のエデュケーションも必要。
不動産屋のチラシによる教育ではなく、どういうところに住むか考える。

デザイナーは古い家をリノベーションすることが多い。全部自分の好きなものにして、新築の7割くらいでできる。

ビルの家の中をぜんぶたこ焼きみたいにひっくり返していくと、内需拡大になる。

人の欲望の中にデザインの未来がある。
お客様の言う通りに、ではなく。
安直になりかねない。
家だけでなく、車も、ファッションも、仕掛けがあるはず。

お客様本位という言葉は好きではない。
へつらうことはしなくていい。よりいいことを提供する。


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