波打ち際の考察

思ったこと感じたことのメモです。
コメント欄はほとんど見ていないので御用のある方はメールでご連絡を。
波屋山人

洋梨(ラ・フランス、バートレット)

2008-10-28 22:55:41 | Weblog
小学生の頃、児童向けの本を読んでいたら、「洋梨のような形をした何々」という表現があった。
親に聞くと、球形ではなく、ちょっと突き出た崩れた形だというような説明があったと思う。

中高の頃は、秋になると毎年山形からラ・フランスが1箱送られてきていた。
リビングにつながるピアノの部屋に置かれたラ・フランスの木箱から、繊細で甘い、心地よい香りが漂ってきたことを思い出す。

80~90年代の頃、ラ・フランスは高級品だった。
すこし柔らかくなりかけた頃を見計らって食べるそのラ・フランスは、繊細な果肉の歯ざわり、香り、みずみずしさ、何をとってもすばらしく魅力的なものだった。
大事に大事に、薄く皮をむいた。
もったいなくて、むいた皮を紅茶に入れて香り付けにしたこともある。

時にはやわらかい果肉と皮をいっしょに口に入れて、皮だけ出した。
ラ・フランスはその飾らない外見からは想像のつかない上品さを醸し出していた。

10年くらい前にロンドンの労働者階級の質素な家にホームステイした時、ホストマザーは毎日サンドイッチといっしょに果物をおべんとう箱に入れてくれた。
一番多かったのは、高級種ではない洋梨。
小さくてちょっと硬い。バートレットという品種かな。
ラ・フランスではない洋梨もあるんだということを初めて知った。
それも懐かしい思い出。

今もぼくの食卓にはラ・フランスが度々並べられるけど、かつてのような香りや甘さを感じない。
なぜだろう。
明らかに香りがなくなっている。

大量生産によって何らかの過程が省略され、香りが失われたのだろうか。
品種が少し変わったのだろうか。
保存状態がわるいのだろうか。
今、手元にあるLサイズのラ・フランスも、作り物のように匂わない。

私は、何十種類もの果物を食べてきたけど、ラ・フランスはトップクラスにおいしい果物だと思っている。
その思いを、裏切らないでほしい。
幼い頃に食べたラ・フランスはほんとうに香り高くてやわらかくて甘くておいしかった。

桃やブドウやメロンなど、他にも魅力的な果物は多いけど、本来の洋梨、ラ・フランスはその魅力に決して負けない。
なんとかラ・フランスに復権してもらいたいと思うこの頃です。

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藤原新也さんの「メメント・モリ」新装版(21世紀エディション)は偉大な句集だ

2008-10-25 23:21:20 | Weblog
昨日おそくまで神楽坂で飲んでいたので、昼前になってようやく起きた。
安酒を飲んだので目覚めがよくない。
風呂に入ってから某先生宅へ。

私は兵庫県A市で生まれ県立A高校を出た後に関東に出てきた。
A市出身の某先生は地元の偉大な先輩。

夕方、ひさしぶりに池袋のジュンク堂書店へ。
出たばかりの「メメント・モリ」を購入。
自分の書いた文が少し載っている小さな雑誌も購入。

半年前、「メメント・モリ」の抜粋を藤原新也さんのサイトで見て、そこで私は「俳句」に目覚めた。
私は、「メメント・モリ」を句集として発見した。
新装版もすばらしい。

 死の瞬間が、命の標準時。
 原初(はじめ)に、母の乳の海があり。
 ひとままな、あまねく照らされている。
 死体の灰には、階級制度がない。
 ニンゲンは犬に食われるほど自由だ。
 水はバイブルである。
 火はアナキズムである。
 植物は偉大な催眠術師だと思う。
 かみさまの、あたたかい小さな筆さばき。
 その景色を見て、わたしの髑髏(しゃれこうべ)がほほえむのを感じました。
 家にも体温がある。
 ねこは猫の置物である。
 母の背は荒野に似る。
 地面には穴がある。
 ねこは漬けもの石である。
 空にも引力がある。
 光の中で、正気にもどる。
 あの景色を見てから瞼(まぶた)を閉じる。

これは、偉大な句集だ。俳句として、読むことができる。
角川春樹さんの句集よりも強烈。
型式や表情や雰囲気にとらわれた俳句よりも、内容も構造もある藤原新也の短文のほうが芸術として通用する俳句なのではないか。

ジュンクを出て、ラーメン「屯ちん」に行くとあまり並ばずに入ることができた。
10年前は、毎週のように食べていた。
相変わらず、センスのよさそうな子や美男美女がちらほら。
池袋っぽくない。
それにしても、おいしいラーメン屋の客にはかわいい子が多い。
そういえば10年前はぼくもかわいい子と食べに行ったこともありましたっけ。

さっと食べて次は新しい地下鉄の副都心線で北参道に。
原宿のファイブフォックス本社ビルで、ファミリーセールというか社員販売会がある。
今回は50%~60%オフで購入することができる。

最近ぼくの着るものはファイブフォックスのコムサブランドが多い。
以前は丸井やパルコでいろいろ見てたものだけど、最近そういったところで買うのはニコルクラブくらい。

長袖Tシャツ、半袖Tシャツ、パンツ、コート、セーターなど9品購入で約2万円の安さ。
サンプル品60%オフのものを多く買った。

それから歩いて渋谷センター街のHMVへ。
15年前、センター街のかなり奥にあったころから贔屓にしている。

店頭では注目のMiChiの新曲のキャンペーンが行われていた。
新譜が出ている電気グルーブや中川翔子をチェック。
中川翔子の新曲のカップリングは「カミツレ」!

「カモミールティーでも飲みながら話そう」
「カミツレの花ってコスモスにそっくり。咲いてる場所、日本にあるかな、見に行こう」
「カミツレの香りは似てるねリンゴに。いらいらして眠れない夜も安心するよ」
などの歌詞がある。
これはカモミール製品を製造販売しているカミツレ研究所の人たちに聞いてもらいたい。
私は10数年前、T大学の農林技術センターに咲いていたカモミールの花を摘んで友人たちとカモミールティーを飲んで以来、カモミールを愛飲している。

<参考>
MiChi  PROMiSE
http://jp.youtube.com/watch?v=66-eOpAvQA8

MiChi  Fuck You And Your Money
http://jp.youtube.com/watch?v=XSXxr9E7rfE&feature=related

中川翔子 カミツレ
http://jp.youtube.com/watch?v=o3zJNfpS5VM



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構造俳句論のはじまり(書きかけメモ)

2008-10-23 21:01:46 | Weblog
俳句とは何だろう。
一般的には、季語を含んだ五七五の17文字で表現される、短い定型詩だと言われる。

俳句が詩の一分野であるなら、どのような俳句が詩として高く評価されるだろうか。
そして詩が芸術の一分野であるなら、どのような詩が芸術として高く評価されているのだろうか。

また、俳句が芸術の一分野であるなら、どのような俳句が芸術として高く評価されるだろうかと思う。

俳句という枠組みの中でしか高く評価されない表現、詩という枠組みの中でしか高く評価されない表現というものはあるだろうか。
芸術と言う枠組みの中でしか高く評価されない表現というものはあるだろうか。
そのような表現形態に存在価値はあるだろうかと思いを広げる。


私は、詩としての俳句ではなく、芸術としての俳句を追求している。

私の考えでは、芸術作品は構造の調和が全てである。
縦横斜め、曲線、凹凸、面、広がり、テンポ、濃淡、移動、拡散、上昇、収斂等々の基本的な要素から成り立っている構造のバランスを読み取ることによって、芸術作品は評価分析される。
よくわからない俳句に出会えば、その句の示す構造やベクトルを認識しようと試みれば、何か読み取れるバランスがあるだろう。

もちろん、そのように思わない人も多いだろう。
むずかしいことを考えなくても、自分の持っている価値観や見方に心地よい作品が目や耳に入れば、肯定的に評価すればいいと思う人もいるだろう。

だが、「良い」とか「すばらしい」とか「いい」とか「すごい」としか評価できない人や、芸術作品の背景や歴史や印象しか語らない人は、その作品そのものの凄さを数式や化学式のように客観的に評価できるもので語ってみたいと思わないのだろうか。

色や音の場合は、調和を科学的に分析することができるようになってきた。
単純ではないけれども、芸術作品の構成要素を分析し、バランスを読み取るという研究を進めてもよいのではないだろうか。
私は、その取り組みを構造芸術論と呼びたい。

絵画でも詩でも音楽でも建築でもいい。構造の調和を分析する、という構造芸術論の姿勢は科学的な「調和学」の一分野として発達するかもしれない。

そして、構造芸術論の一分野として、構造俳句論は位置する。
私は俳句の構造を分析し評論を行うことによって、芸術としての俳句の価値を高めたい。

絵の初心者でもイラストを書いて楽しむことがあるように、演奏家でなくても音楽を楽しむように、言葉の芸術の初心者が俳句を作って楽しんでもいい。

ただ、プロの画家や演奏家が求めるレベルがあるように、私も芸術として高度なレベルの俳句を求めたい。
俳句は短い表現だけど、だからこそできる表現もある。

例えば、ナイフはナイフだからこそ表現できることがあるだろう。
マシンガンや戦車があるからナイフはいらない、ということはないだろう。

カラー写真やムービーがあるから白黒写真はいらない、ということはないだろう。
楽団がいるからアコースティックギター1本のライブは不要、ということもないだろう。
大輪の花束の山があるから一輪挿しは不要、ということもないだろう。

俳句だからこそできる表現とは何か。
それは、最低限の構成要素におけるバランスの提示、だと思う。

もちろん、違う考えの人も多いだろう。
むしろ私のような考えの者はごく少数かもしれない。

だが、俳句の持つ破壊力というものを考えたとき、その使用語彙の少なさ、構成のシンプルさは注目に値する。
私たちは、制約があってこそはじめて表現することができる。
いくら表現が多様になり、3D映画などで何でも表現できるようになるのではないかと想像しても、本当は音楽も絵も映画も、制約だらけなのだ。

油絵の人は水墨画を見て、自分たちは自由だと感じているかもしれない。
映画の人は絵を見て、自分たちはより自由な表現ができると感じて表現しているかもしれない。

だけど、それでは行き詰る。
まったく何の制約もないすばらしい表現方法というものはない。
結局のところ、色とか形とか構図とか与えられた構成要素の中で、バランスを試みるしかないのだ。
制約というものに意識的であってこそ、研ぎ澄まされた表現を行うことができるのではないか。
最も制約が厳しい俳句は、最も制約や構造に対して意識的になることができる。

悪人正機の「善人でさえも往生することができる。まして悪人はいうまでもない」のように、
「小説や映像や音楽でさえも芸術になりえる。まして俳句はいうまでもない」
と言えることができるかもしれない。


  音楽がすべて海へと還る午睡    MuiNeBeachにて



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愚かと言うほうが愚かなのか。愚かと言う人と語り合う論理的言語はあるのか。

2008-10-23 07:19:16 | Weblog
誰かのことを口汚くののしる人は、自らの品位をおとしめてしまいがち。
何がどう不当であるかということを論理的に指摘できる人は、淡々と事実を記述する。

けんかでも、本当に強い人はこけおどしのような威嚇は行わない。
ちょっと手を出して急所を突いたり、テコの原理でも応用して腕を固めれば、すぐに相手を制圧することができる。
急所を突く眼力も無くテコの原理も応用できない人が、大げさな声で威圧する。

言葉のやり取りでも、論理的な指摘や証明ができない人は、そのいらつきを解消させるために暴力的な言葉を撒き散らす。
それが破壊力を持ち、何かを動かすということもあるかもしれないけど、それでは、ゆすりやたかり、恫喝と変わりない。

だから、イオンド大学がその掲示板で敵対者を罵倒している文を読むと、私はイオンド大学に対して疑念を感じてしまう。

ある単語にマイナスイメージを付加させ、それを相手に貼り付けることによって相手の価値を低下させようとするのは、論理的なやり方ではない。
アホ、バカ、マヌケ、ホモ、サヨク、ヘンタイ、偽物、田舎者、などと言う語をぶつけることによって相手をおとしめられると思っているから、周辺の人たちから右翼的といって失笑される。

まじめな右翼の人にとっても失礼なことだ。
保守的でも開明的な人はたくさんいるし。
日本の良い点を保持するために、自分たちの価値観に相容れない人たちを排斥しなくてはいけないと考える人たちは、排他的な傾向のある宗教の影響でも受けてしまった人たちなのだろうか。
そのような偏執的な傾向を示す人たちが、日本の良い点を具現しているとは考えにくい。

私の親は国の祝日に国旗を掲げ、自衛戦争が発生すれば先陣を切って突入するだろうと言うような威勢のいい人間だが、外国人や共産主義者や同性愛者や日教組や生臭坊主や暴力団員や新興宗教信者や訪問販売員などに対して見下したような態度をとったことはないのではないかと思う。

平気で嘘をつける人が、人のことを嘘つき呼ばわりするのかもしれない。
犯罪摘発に怯える人が、人のことを無根拠に犯罪者呼ばわりするのかも。
妄想たくましい人は、人のことを妄想家扱いしがち。
もしかしたら、平気で人のことを精神病扱いできる人は、病的なのかもしれない。

私は、意見の違う人と話をするときに、その人のことを見下したくないと思っている。
「あなたの意見には反対だ。だけどあなたがその意見を言う権利は命をかけて守る」というような言葉はヴォルテールか誰かの言葉だっただろうか。

何かにつけて至らないことの多い人間だけど、私はそのような感じで、
「あなたの意見には反対だ。だけどあなたを決して侮蔑しない」と言いたい。
侮蔑は価値がないとみなし見下すこと。差別的感情の元でもある。

何かの組織の維持のために役立たないものは否定されがちだけど、その組織以外ではべつに否定されるべき存在とは言えない。
動物の排泄物は汚いものかもしれないけど、微生物たちにとっては価値ある貴重な食料。
侮蔑という感情的拒否反応を克服できないと、さまざまな物事の意味を見出すことができなくなってしまう。

そのような意識は、イオンド大学の関係者にはないのだろうか。
そうすると、私のことなども罵倒されてしまうかもしれない。
ある価値観を守ることに存在意義を感じている「信者」の人と対話は成り立たないのだろうか。

理不尽な罵倒をめんどうに思い、正面から関わることを避けてきた言論人も多いだろう。
こういうものは避ける、と判断するのもひとつの賢明な処世術なのだろう。

だけど、静岡県立大学の小島茂先生は勇敢だ。
・ブログ「学歴汚染」
http://degreemill.exblog.jp/

イオンド大学のばらまく主張が既成事実化されないように、きちんと事実を指摘し続けている。
それに対して読むに耐えない差別的言辞をイオンド大学の掲示板に書かれているけど先生は冷静だ。

・イオンド大学
http://www.iond-univ.org/bbs/bbs.cgi#anchor1

対話の成り立たない相手の戦術に翻弄されず、きちんと相手にとって痛いポイントを突けるというのは、学者として実に誠実な行動だと思う。
そういえば、イオンド大学のいちばん不適切なところは、学問として成り立たないような手順も論理も不適切な研究を学問として位置づけてしまったことだった。

心霊現象学科とか超考古学科とか超常現象学科とか、いったいどんな論理的、科学的研究が行われたというのだろう。論文をぜひ学術誌に応募してもらいたい。

それにしても、イオンド大学の掲示板には小島茂教授に対しての名誉毀損として十分な内容が記述されている。私であればすぐに告訴したい。
もう、イオンド大学関連の事業は存続が難しくなっているかもしれない。
そろそろ勝訴しておかないと慰謝料を払ってもらえなくなるのではないかと思う。


<参考>イオンド大学掲示板から
http://www.iond-univ.org/bbs/bbs.cgi#anchor1
2008/10/20
学歴パラノイア(学歴偏執病)を患っている小島茂氏の「妄想」に対しては、私たちが、いくら、『それは事実ではない。インターネットを悪用しての虚偽宣伝活動を止めなさい。』と注意しても無駄です。-精神病者の特徴として、絶対に自らの病状を認めず、自覚症状がないため。- しかし、必然的に、もっと大きな刑事事件を引き起こして、田舎の静岡県立大学の研究室に閉じこもって、インターネットをしていることさえできなくなる、精神病院に収監される日が来るのではないでしょうか。そうならないように、静岡県立大学の、小島茂氏の周囲におられる方々は、親身になって、『精神科に通院して、適切な治療を受け、早く、治すべきだ。』と助言してあげるべきでしょう。

2008/10/14
米国全体を見回してみても、ハワイ州法HRS446Eのごとき政府非認定の高等教育機関を弾圧する悪法を制定した州は、ありません。悪法を制定してしまった文化的要因は、ハワイ州民の大多数を占めてきたフィリピン人・中国人・韓国人・ポリネシアン・ヒスパニックに色濃く残る政府依存型の専制主義にあります。それは、米国WASP(白人種アングロ・サクソン民族キリスト教プロテスタント信徒)の伝統文化に基づく「コモン・ロー」とも、日本人の伝統文化に基づく「社会規範」とも、まったく異なっています。つまり、ハワイ州民の「民度」が低すぎるため、このような悪法が制定され、ブラントン氏のように、好き放題の職権濫用をおこなう政府関係者がのさばっていられるのです。

200/10/08
「犯罪肯定集団」は、左翼の労組運動の手法を用いた脅迫と恐喝を恒常的に行っています。つまり、誹謗中傷ターゲット企業の内部に、「内部告発者」や「内通者」を作り、誹謗中傷ターゲット企業の外部にある、リンク総合法律事務所・共産党や朝日新聞の記者・ブラック ジャーナリスト・誹謗中傷サイト発信者が、相互に協力しあい、共謀しつつ、誹謗中傷ターゲット企業の経営者を、内部と外部の両方から脅迫し恐喝して、多額の「和解金」を巻き上げているのです。


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それってヘン!

2008-10-22 00:57:58 | Weblog
(手製料理を食べてワインをかなり飲んでちょっと酔った状態ですみません)

ぼくは人のことをあまり「ヘン」だとか「変わってる」とか「それはおかしい」とか言わない。
というか、言えない。
結果的に、あまり言ったことはない。

ぼくの友人たちは、一般的には「ヘン」で「変わってる」人が多いのかもしれない。
みんなまじめで心優しい人なんだけど。
彼らは、「ぼくはヘンだと言われてる」などとひそかにこぼす。
あるいは、なげやりを装って言う。
きっと、それなりに傷ついたり自信を失ったりしたこともあるだろう。

だけど彼らは他の人のことを「変わってる」とか「ヘン」だとか滅多に言わない。
だからぼくは心地よく彼らと接することができる。
小心者なので、「ヘンだ」と否定されることを恐れずに済み、リラックスすることができる。
彼らや彼女たちに深く感謝している。

所属している国家社会の一般的な価値観だとか、所属団体の方針とか、見ているテレビや新聞の論調に、誰だって影響を受けるだろう。
社会組織の価値観の主流に立つのもいい。
安心できるし。楽だし。

ぐだぐだ言わずに勉強すればいい、稼げばいい、社会組織に貢献すればいい、ルールに沿ってやればいい、と言う人も多いだろう。
「近未来の価値観? そもそも組織化及び組織の維持の原動力って何だろうって? 調和って何だろうって? そんなこと考える暇があったら目の前の仕事ひとつ覚えろよ」
などと言う人にとって、ぼくなんかはヘンな意味不明な非生産的なバカだ。

そういえば、むかしからある組織やある社会の維持に貢献しない存在は価値がないと認識され、差別された。
組織を維持し、形を見出すには、何かを否定しなくてはならない。
だけど、そこで否定してしまったものも、絶対的な視点で見ると、否定されるべき存在とは言えないのだ。
ぼくが被差別民の存在や歴史に興味を持つのも当然のことだろう。

ぼくは、組織の維持のために否定されたものに価値を見出すことがやめられない。
とてもおもしろく思えることだし。
これからの世の中の人類のあり方を考えたときに、組織化や混沌、秩序と無秩序、形と形にならないものなどについて考えることはとても意義深いことではないかと思う。

世の中は組織や秩序や形だけで成り立っているのではない。
そういうことを深く意識しているのは、目の前のことに無我夢中のエリートサラリーマンや一般労働者ではなく、
被差別民や貴族たちなのかもしれない。

だから時として貴族たちは世の中のルールを無視した無法者や世の中の秩序を惑わす人たちに共感する。
被差別民と貴族は一般人をスルーして交流を持つ。
彼らは、社会組織を維持しているメインである一般人から遠くに追いやられている一種の世捨て人のように存在だから、お互いに否定しあうことは少なかったのかもしれない。

ぼくはあまり日本国内の価値観に同調的ではないかもしれないから、一種の世捨て人、旅人、外国人に近い存在かもしれない。
10代の頃から北枕で寝てるし歩き方も欧米真似だし、主語を話さずにしゃべる人に対して、むりに主語を推察したりしない。
スーツやネクタイは着用しないし、関西ノリの突っ込みに対してもスルーしてしまう。

もう本当に外国人扱いしてくれたら気楽なのに、って思う。
「ああ、ミャンマー人だったらそんなスタイルもありえるのかもね」とでも言ってもらえたほうが気楽。
(見た目はべたべたの日本人なんですけどね)


まあ、ぼくは社会組織で成功し評価を得ることも、社会組織で否定されるけど芸術的には価値のあることも、どちらも否定しない。
社会での成功を敵視しているということはない。
だから両義的(ambiguous)なのかもしれない。

そういえば、ある程度社会で成功してから社会的価値観からフェイドアウトして世捨て人になる、っていうのがむかしから趣味人の通るルートでしたっけ。

ぼくは今後どういう足跡を付けていくのだろうかと思う。
まあ、しつこく何十年も労働争議を訴える学研の元下請け会社の「ふじせ」とか、威勢はいいけど結局自己保身っぽい日教組とか、何かの排斥を主張する視野の狭い右翼団体とか、右翼以上に保守的に既得権益とか土地とか信仰にしがみつく左翼とか、社会全体の勤労意欲を低下させる恐れがある大麻解放運動とか、モテない男女によるバレンタインデー粉砕とか非婚推進とか、そういう組織に充実感を求めて飛び込むということはないと思う。

芸術には関わり続けるのかな。
芸術は、おもしろく感じる。
11/1土、2日に明治大学で行われる「東京ポエトリーフェスティバル2008」も楽しみにしている。
というわけでおやすみなさい。

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日本語はむずかしい

2008-10-21 22:18:38 | Weblog
さっきスーパーに立ち寄ったら惣菜売り場に告知文を見つけた。
「お知らせ」と書いてある。
ちらっと読んでみた。
ふむふむ、なるほど、事故米、汚染米のことね。
お弁当を買うときに、気になる人もいるかも。
事故米や汚染米を使っていないとしっかりアピールしとかないとね。

うん?
「事故米、及び汚染米につきまして
当店では、自信を持って販売しております」

事故米、汚染米を販売しているの?
言い切っていいのですか?
そーんなはずはないでしょう。

おそらく、このスーパーの人は、
「事故米、及び汚染米につきまして
当店では、(自社製品の品質に)自信を持って
販売しております」
というようなことを言いたかったのでは。
高品質な食材の多いスーパーだし。


  お客様各位
  お知らせ

  最近大きく報道されております
  事故米、及び汚染米につきまして
  当店では、自信を持って販売して
  おります。恒に安心・安全を
  心がけていますので、
  御安心してご購入いただけ
  ます様、お願い申し上げます。

         信濃屋食品 惣菜部



そういえば、あいまいなイメージを文字化した日本語文をときどき見かける。

先月、ある蕎麦屋のカウンターで見た「男山」という日本酒のラベルも印象的だった。
北海道旭川のお酒。
男山特別純米酒「生酛純米」。
そのラベルにはこう書かれている。

  生酛とは
  伝統的な手造りの醸造法でその技術
  が高度のため現在実施している蔵元は
  僅かです、米・米こうじだけで、醸した生
  酛造りのこの酒は飲みごたえのある
  酌めどもあきないお酒です

これも、なんとなく言いたいことはわかるんだけど、論理的ではない。
日本語学に詳しい人なら文法的なあやまりや論理的、構造的に不適切なところを指摘してきちんと校正するんだろうけど、素人なものでちゃんと指摘できなくてすみません。
それ以前に、生酛造りの蔵ってめずらしくないんですけどね。

このラベルはかなり以前に作られたものかもしれません。
ブログが一般的になる最近までは、構造のわかりにくいあいまいな文章を書く人が多かったのですが、この数年で格段に一般人の文章力は鍛えられました。
新聞や雑誌の読者投稿欄の担当者も実感しているんじゃないかなと想像します。

それにしても日本語は難しい。
「Aさんは午後3時にB公園でCさんから花束を受け取った」という文は
「B公園でAさんはCさんから花束を午後3時に受け取った」とも言えるし
「CさんからB公園で午後3時にAさんは受け取った、花束を」とも言えるし、
他の何通りもの方法で表現できる。

英語だとそんなに流動的な表現にはならないし、中国語だとそんなめんどうな助詞(てにをは)の使用に苦労する必要はない。

これから日本がもっと多様な価値観の入り乱れた社会になれば、日本語文法はもっと簡略化され、基本的な要素を異文化出身の人にも伝えやすい構造になっていくかもしれません。


それはともかく、おなかがすいたのでこれからピーマン載せ生姜&バジル入りハンバーグ、みたいなのを作ってオーストラリアワインでも試してみます。
結局スーパーでお惣菜(お弁当)は買いませんでした。

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三茶de大道芸 10/18土、19日

2008-10-18 15:51:43 | Weblog
昼過ぎに目覚めて風呂に入ってから、三茶de大道芸の会場に足を伸ばした。
三軒茶屋で毎年行われている大道芸イベントは、おもしろい割りにメディアでの露出が少なく、世田谷区の三軒茶屋近隣の住民を中心に盛り上がるイベンとなっている。

ふれあい広場では毎年と同じように、岩手県一関市千厩(せんまや)町の人たちが農作物や升酒を激安価格で売っている。

ついつい長ネギ4本100円、たまねぎ2~3個100円、ブルーベリージャム500円、カボチャ200円など、まとめ買いしてしまったじゃないですか。
もちろん玉の春の升酒200円も2杯いただきながら。

ふれあい広場で行われていたTOKYO雑技京劇団のパフォーマンスは秀逸。
かつて中国の田舎では雑技のできる人はタレントであり、ヒーローであったのではないかなと想像した。

あい・あい・ロードで行われていたセ三味ストリートのパフォーマンスは毎年楽しめる。
テレビの、「あらびき団」という番組でもたまに目にしている。

三茶de大道芸の常連のセ三味ストリートはおもしろい。
定規で三味線をひいたり、肩車してひいたり。
トークもうまい。だけど、構成の8割はルーティン化してるかも。
包丁で三味線をひくのは新しい取り組みだった。

緑道沿いに行われている「アート楽市」も毎年見ていて楽しい。
さまざまな工芸家、アーティスト、職人さんが出展している。

三茶de大道芸は近隣の人の参加が多いのではないかと思う。
休日の渋谷センター街のような華やかさは感じない。
世田谷区の、地元の人が多いような落ち着きを感じる。

しかし、世田谷区の三軒茶屋周辺の住民たちだけのイベントにしてしまってはもったいない。
落ち着いたお祭り、楽しいイベントだから、多くの人に味わってもらいたいな。
この楽しさを。
明日10/18(日)もまだ三茶de大道芸は行われているので、時間のある人は見に行ってはいかがでしょうか。
おすすめです。

夕方、ぼくももう一度足をのばしてみようかな。
東京雑技団がおもしろかったから、中国芸術雑技団のパフォーマンスも見てみたい。


<参考>
・三茶de大道芸
http://www.setagaya-ac.or.jp/arttown/thisyear/outline.php
日程
2008年10月18日(土)・19日(日) 
会場
三軒茶屋・キャロットタワー周辺、世田谷パブリックシアター




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ベトナムのビーチを満喫(ムイネ、ファンラン)

2008-10-17 20:34:07 | Weblog
先日、休みを取ってベトナムのビーチに行ってきた。
去年も、何年か前も行ったけど、飽きもせずまた今年も行ってしまった。
ベトナムの乾燥地帯は心地よい風が吹いている。

雨季でも、ベトナム南東部のファンティエット(ムイネ)、ファンランといった乾燥地帯はあまり雨に降られない。

まず、午後半休をとってそのまま成田へ。
荷物は小さなバッグ1つ。
ホーチミンに着くと、市の中心部まで7~8キロあるんだけど、アホなのでさくさくと歩いてしまった。
それから深夜まで飲み食い。魚介類や獣肉の飲食店をはしごして豪遊。

午前4時にはオープンエアーのお店からバスターミナルへ移動。
店の女の子にバスターミナルに行きたいんだけどと言うと、道端に寝ていたバイクタクシーのおじさんと交渉してくれた。
「バスターミナルまで3ドルって言ってるのよ。高くない?大丈夫?気をつけてね」と言いながら、両手でぼくの手を握りしめる。

笑顔で別れを告げてバスターミナルまで行き、午前5時発のバスのチケットを買ってバスへ。3~4時間かけてムイネ(ファンティエット)に到着。
ホテルエリアのビーチはムイネと言われているんだけど、ムイネ村とファンティエット市の間にあるその地域は厳密にはファンティエット市に属している。

ムイネではいつも泊まっているHong Di Bungalowsに早朝チェックイン。
朝9時や10時にチェックしてもOKなのだ。
去年よりちょっと値上がりしてたけどそれでも砂浜まで5歩のビーチ沿いのバンガローが1泊12ドル。
ファンを消して窓を開けて、蚊帳を吊って波の音を間近に聴きながら寝るのが好き。

翌朝と翌々朝には40キロほど離れたホワイトサンデューン(白砂丘)の夜明けを見に行った。
バイクタクシーを半日雇っていろいろまわって6~8ドル程度。
マンガみたいな朝日新聞や日本海軍の旗みたいな放射状の光を放つ朝日を見ることができた。これはなんだか吉兆。
両日ともなぜか早朝の巨大砂丘に観光客はぼくだけ。暇だから風紋を消しながらぐるーっと2時間も歩き回ってしまった。

夜は宿の隣にあるバーにビーチ側からはだしで参上。
どの店もロシア人らしき白人が多く、日本人は見あたらない。

日中はバンガローの前のハンモックでゆらゆらゆられる。
ハンモックで居眠りをするのも気持ちいい。

3日目にはバスでファンランという町に移動した。
けっこう脚光をあびているムイネはホーチミンから東に200キロ程度だけど、ファンランはさらに北東に200キロ程度かな。
ニンチュービーチというビーチがあるんだけど、ひなびている。

だけど、ここにはDen Gion Resortというホテルがあるのだ。
去年ここの海沿いのバーで海を見ながらビールを飲んでちょっと食事をしたんだけど、波間に陽光がキラキラ輝いて、ニンチュービーチの中で一番美しい光景に見えた。
一度ゆっくり滞在してみたいと思っていた。

Den Gion Resortは一応3つ星ホテルなので、10ドル20ドルでは泊まれない。
最低価格は40万ドン、最高価格が80万ドン。まあ、25ドルから50ドル、といった価格帯。

ここでもシーサイドバンガローというか、海沿いのシービューの部屋を希望したら65万ドンと言われた。約40ドル。
そこを値切って50万ドンにしてもらった。32ドル、3300円程度だろうか。
でもまあまあよい部屋。

食事はホテルの近くのビーチに道から突き出た階段があるんだけど、夕方からそこで営業をしている露天の貝屋さんがすばらしい。
水をピューッと吹いている大きなアサリ、赤貝みたいな貝、小さなホタテがそれぞれ30~40個で2~3万ドン(1万ドンは1.5~1.7ドル)。
その場で携帯コンロに火をつけて蒸したり焼いたりしてくれる。
夕暮れの海を見ながら会を食べて飲むビールはおいしい。

夜はフットマッサージ。別棟でテンピュールみたいなマットに寝て足を揉んでもらう。
30分8ドルなのに1時間もやってくれたから少しチップをあげた。

それにしても宿は全然人気が無い。ビーチにもホテルにも客がいない。貸切り状態。
思わず夜中にバスローブでビーチに出て行き、波打ち際で全裸になってちょっと海の中に入ってしまった。開放感全開。
でもすぐ戻ってバスローブを羽織ってたらいきなりライトが当てられた。
警備員さん、そんなところにたたずんでたのね。ちょっとはずかしい。

翌日、1人ホテルのレストランで食事をしていたら、中国南方系のような顔立ちの好奇心旺盛な女性店員にしげしげと顔を見られ、ベリーハンサム!と言われた。
フー?と聞いたらノー!と返され、意味不明の会話。
それにしても、ぼくのことをハンサムだと言う人は日本で見たことがない。
ベトナムはぼくにとっては非常に都合のいい価値観の国なのかも。
ありがたいことだ。

ファンランには特に見たいものはなかったので翌日はまたムイネに逆戻り。
こんどは某Bungalowsの隣にできた新しいホテルに行ってみた。
ぼくの泊まっていたバンガローから大きなガラス窓が見えていたので気になっていた。

Sunrise Resortのレセプションの女性は色白。
ベトナム女性にしてはめずらしく背も高く、ちょっと二重にした韓国人女性のようにも見える。
思い切りひらひらの服を着ていたから、夜の女性かと思ってしまったけどそうでもないみたい。
海沿いの部屋はいくらですか、と聞くと1人で泊まる場合は45ドル、2人で泊まる場合は55ドルとのこと。3つ星ホテルだとそんなものかな。
部屋を見せてもらうと、その広さと全面窓の大きさとバルコニーからすぐ砂浜という立地に感動。
2日泊まるから80ドルにして、と頼むとOKしてくれた。
ついにバックパッカーな旅からちょっとだけリゾートライフに足を踏み出すことができた。

ほんとうに部屋は広い。40平米はあるのでは。ぼくの東京のアパートより広い。
床から天井まで届きそうな大きなガラス窓も6枚。
部屋の中とバルコニーにある椅子の数は8。テーブルの数は2。

この部屋で2日間くつろぎ、チェックアウトの時には満面の笑みで手を振った。
レセプションの女性も大きく手をふり、なんだか投げキスをしてくれたように見えた。

昼すぎのバスは夜ホーチミンに着き、排ガスの多い町の中をちょっと散策。
日本人や現地の人、白人などで込み合っている寿司バーを見つけて入店。
活気はあるんだけど、ご飯もネタも日本の回転寿司にもはるか及ばないものだったので少し残念に感じた。
なぜか、白人男性と飲んでいる日本人女性が何人かカウンターにいた。
となりの席の日本人おじさんは店員に対してなんだか横柄な態度。どうしてそんな態度をとることができるのだろうと思う。

夜9時にはバイクタクシーをつかまえて3万ドンで空港に直行。
深夜の飛行機に乗って早朝成田着。
今回は短期間だけど連泊することもできたし、滞在先をビーチに絞ったし、なかなか心地よい時間を送ることができた。
やはりベトナムは、ホーチミンなどの都会もいいけど、空気も水もきれいなビーチがおすすめ。


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三井昌志さんの写真集+文「スマイルプラネット」は現代の「星の王子さま」だ。

2008-10-16 21:03:37 | Weblog
何気なくライブドアのポータルサイトを見ていたら、視野の片隅に見覚えのある顔が写っていた。
ふと見ると、写真家&旅ライターの三井昌志さんが「今日のブロガー」として取り上げられている。
「世界中の豊かな表情を伝える写真家」とキャプションが付いている。

リンクをクリックすると、「旅空日記」につながっている。
ちょうど、あたらしい本が出ることになったという記事がトップに来ているから、本のプロモーションのために効果的だ。

この、「スマイルプラネット」はすばらしい。
現代の「星の王子さま」に値するのではないかと私は思っている。
そのくらい私はインパクトを受けた。
きれいで、多層的で、ひろがりがあって、小学生でも大人でも良心的な童話のように読み進めることができる。

何と言えばいいのだろうか。
三井さんはかなり頭がいい人なのだろうと思う。
以前から、写真よりもまずその文章に感嘆している。
かなり頭が良くないと書けない文章なのだ。うらやましい。

押し付けがましい主義主張を見せない。
他人を攻撃しないし、自分も卑下しない。
とてもなめらかに、軽快に物事を分析することができる。
焦りも感じない。あきらめや怒りも圧力も感じない。
もしかしたらかなり育ちもいいのかもしれない。

ブログによると11月2日(日)と3日(祝)に、東京ミッドタウンの「デザイナーズ・フリーマーケット」で三井さんが出店をするらしい。
ちょっと足をのばせば、サイン本を手に入れることができるのではないだろうか。

ちなみに、私は三井さんの出版物をほぼすべて持っていて(たぶんサイン入り)、CD-ROMまで持っている。
展覧会も毎回行ってブログもよく読んでいるけど、1冊も完読したことはないかも。
なんだそれ、っていう感じだけど、そういうのもいいのではないかと思う。
ちょっと見ると全体のすごさが伝わって来るような人もいるのです。

まあ、スマイルプラネットは薄いからさすがに完読しました。

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整体で子宮筋腫を治そうとした小松忠義さんも偽博士

2008-10-16 07:52:29 | Weblog
テレビを見ていたら、フィットしていない頭髪が印象的な高齢の男性が警察に引っ張られながら大声で何やら主張していた。

医師法違反というのはよくある事件。
とくに国がきちんと管理していない整体やカイロプラクティックの分野は魑魅魍魎の跋扈するあやしい世界になっている。

厚生労働省も広域暴力団を敵に回すくらいの気合で整体やカイロプラクティックの制度化に取り組まないと、健康被害者の続出は止められない。
一般人も、何かを信じ込むのもいいけど自分の目でしっかりと物事を判断することが求められる。

整体やカイロプラクティックは、国家資格がなくても誰でも営業できる。
先進国でそんな国は日本ぐらいではないかと思うけど、業界の複雑なからみがあってなかなか国家資格化できない。

もちろん、中には良心的な整体やカイロプラクティックもある。

埼玉県上尾市の「総合整体専門学院」は良心的に見える。
業界の内情についても説明してある。
整体に興味のある人は一度目を通しておくと良い。

・総合整体専門学院のコラム
http://www.sogoseitai-chiro.com/column/detail3.html

逆に、東大阪市のこのカイロプラクティックは、経歴に偽資格、偽学位、偽肩書きのオンパレードで、怪しさ満載。
(無価値、無権威、無保証の資格を価値あるように見せかけることに対して、偽物という言葉を使っても差し支えないのではないかと思います)

・吉見カイロプラクティック
http://www.jin.ne.jp/yoshimi/top_yoshimi.html

整体やカイロプラクティックはきちんと制度化されていないから、あやしげなもので自らを権威付けしたくなる。
偽学位、偽肩書きの販売業者が儲けることができる構造となっている。

ドクター中松さんも、あやしげな人にどんどん賞を出さなくてもいいのでは。
賞を出してお金を得るという商売はおいしいのかもしれないけど。

・世界天才会議
http://dr-nakamats.com/genius/index.html

元皇族の伏見博明さんも偽資格、偽肩書き販売業界とつながりが深く、評判が良くない。
生活に窮しているのか怖い人に脅されているのか名誉がほしいのか知らないけど、いかがわしいものの権威付けに元皇族ということを利用しているのは、皇族や先祖に対する裏切り行為だと言える。



<参考>小松忠義さんのプロフィール(高須賀理学院のサイトから)
顧問 東洋理学博士 小松 忠義 (ちゅうぎ) 先生
淡江大学(台北市) 客員教授理学博士
ハワイ州 聖パウロ国際大学 学長
東洋理学治療研究院(登録第5054661号) 総裁
国際学士院大学(USA)東洋理学博士
全日本NPO財団
全日本身体障害者連合会「麦の会」会長
第一種一級身体障害者(目が見えません)

平成16年7月6日国際文化栄誉賞、社会文化功労賞を受賞しました。長年の国家国民の皆様への功績が認められ、元皇族の伏見殿下より授賞されました。
また、世界初「子宮筋腫が手で小さくなる」の研究の成果が各方面より認められ、世界初の博士と認定されております。
困っている事がありましたらご相談ください。
この施術法を編み出したのは私です。
まぎらわしい広告が沢山出ております。ご注意下さい。

子宮筋腫の研究が一段落しましたので、今度は脊髄損傷で車椅子を送っておられる方を立ち上がって歩けるようにしたいと思っております。
年齢40歳くらい迄の方で、毎日通える方、私と一緒に頑張ってみませんか。
費用 は不要です。
興味のある方、まずは高須賀理学院まで御一報下さい。

創始者 小松 忠義 (ちゅうぎ) 先生の受賞経歴
2005.1.14 日本文芸アカデミー賞 ゴールド賞 受賞
       特定非営利活動(NPO)法人 日本アカデミー協会
2004.10.27 ドン・ペードローⅠ世 栄誉賞 受賞
       万国平和勲章伝達主権院
2004.7.6 社会文化功労賞 受賞
       日本文化振興会
2003.5
Doctor of Oriental Phisical Science 受賞
       The J.A.E menbaership

      新聞掲載記事
2004.1.4
世界日報 日本文芸アカデミー賞 ゴールド賞 受賞
2004.2.4
世界日報 「第2集 子宮筋腫 子宮筋腫が手で小さくなる」
日本文芸アカデミー賞 ゴールド賞 受賞
日本文芸ミネルヴァ賞 ゴールド賞 受賞
出版記念パーティー


<参考>サンスポの記事
http://www.sanspo.com/shakai/news/081016/sha0810160518004-n1.htm
■モミモミインチキ治療師、大絶叫逮捕劇
2008.10.16 05:04(サンスポ)
「子宮筋腫は手術しなくても治る」と、医師資格がないのに触診などの医療行為を繰り返したとして、警視庁は15日、医師法違反(無資格医業)容疑で整体師の男(67)らを逮捕した。
 「なぜこんなことをする! 切腹してやる!!」などと涙声で怒鳴り散らしながら連行されたのは、千葉県市川市の東洋理学治療センター小松理学院の元名誉院長・小松忠義、内縁の妻で同センター高須賀理学整体院の元院長・高須賀公子(49)、元内縁の妻で小松理学院の元院長・粂川多恵子(61)ら4容疑者。
 調べでは、昨年6月から12月にかけ、小松理学院など2カ所で、子宮筋腫の治療に訪れた23歳の女性ら9人に、腹部をもんだり問診するなどの医療行為をした疑い。腹部をもんでも医学的効果はないといい、強くもまれることであざができて歩けなくなったり、症状を悪化させた患者もいた。
 同院のホームページ(HP)などによると、小松容疑者は東洋理学治療術の創設者。目はほとんど見えなく、「子宮筋腫が手で小さくなる」と題した8冊の本を自費出版。患者の多くは本をきっかけに訪れていた。平成10年の開院以来、年間延べ2000人をモミモミ。昨年だけで約5000万円を荒稼ぎした。
 一方、1人10万円の月謝で、“後継者”を募集。HPで「子宮筋腫の研究が一段落したので、今後は脊髄(せきずい)損傷で車いす生活の人を、立ち上がって歩けるようにしたい」と豪語していた。


■10/16追記
偽科学で有名な七田眞さんのブログでは、今回逮捕された小松忠義さん、高須賀華生(公子)さんの共著が推薦されていた。
さすがというかなんというか。

http://shichida.co.jp/makotoblog/?m=200707
七田眞ウェブログ
2007 年 7 月 13 日 – 5:40 PM
(略)
もう一冊のお薦めの書。
『第三集「子宮筋腫」子宮筋腫が手で小さくなる』小松忠義・高須賀華生共著・創英出版。
この本には、不思議なことが書いてあります。子宮筋腫を発生させる原因は、脳下垂体の異常にある、として、レントゲンもメスも使わず、指10本だけで頭に触れて治療すると言うのです。子宮筋腫だけではありません。視力を向上させる、白髪を黒くする。パーキンソン病、認知症も頭のツボを刺激するこの治療法で治るといいます。子宮筋腫が頭に触るだけで治るとは、これもびっくり情報といえるでしょう。

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