波打ち際の考察

思ったこと感じたことのメモです。
コメント欄はほとんど見ていないので御用のある方はメールでご連絡を。
波屋山人

文春

2020-09-10 20:26:52 | Weblog
何年か前に、大宅壮一文庫まで行って過去の文藝春秋や週刊文春をあさったことがある。
1990年前後に文藝春秋や週刊文春を読んでいた頃、新入社員を紹介するページがあったことを覚えていたからだ。
東大出身者が過半数を占め、たまに早稲田か慶應といった私大出身者。
めずらしく日大出身者がいると思ったらカメラマンでの採用だった。

新入社員の名前と、ウィットの効いた紹介文がページの下の欄にあったと思うので何冊かページをめくってみたが目的のページを見つけることができなかった。
(分厚い月刊の文藝春秋か、週刊文春か、どちらに掲載してあったのかも思い出せず)

近年、文春砲と言われる週刊文春の調査力というかスクープ力が注目されていたので、逆に文藝春秋のことを少し調べてみようかと思ったのだ。

会社を知るには、社員個人を特定してその背景や思考を探ることが手っ取り早い。
何かに取り組み判断しているのは個人だ。
「会社が」とか「世間が」とか「日本が」と主語を大きくすると実態が見えにくくなる。
実際に動いている個人に注目すると、見えなかったものも見えてくる。

よく、朝日新聞を批判する人が「朝日新聞社」という組織を相手にして門前払いをくらって退けられている。
しかし、会社の看板の向こう側に隠れている個人を把握していたら、別のアプローチもできただろう。
「朝日新聞社は誤報問題についてウェブ上でアクセスできないようにしている」とか「誤報の事実を英文で報じていない」などと批判する人がいるけど、朝日新聞の記者やデジタル関係の社員にどのような人がいるか調べたことはあるのだろうか。

例えば、村山元首相の親族で彼の推薦状を手に入社してきた人はデジタル部門の偉い人。
彼が主催する集まりには朝日新聞社以外の人も参加。安倍さんに批判的な人が多い。
http://www.p1-project.tokyo/p1/

ケント・ギルバードさんは朝日新聞に対して批判を行っているみたいだけど、会社を相手にするよりは、社員について調べた方が戦略を練りやすいのではないだろうか。
例えば、「何々さんはこういった思想背景があるから、こういった行為をおこなった可能性が高い」などと世の中に向けて発信すれば、疑われた会社も弁明をする必要が出てくるかもしれない。
会社の看板の陰にいる個人にアプローチした方が門前払いをされなくて済むだろう。

『日本を貶め続ける朝日新聞との対決 全記録』 2018/12/20
ケント・ギルバート (著), 山岡鉄秀 (著)

文藝春秋は優秀な人が多く、他の出版社とは一線を画す。頭脳も取材体制もレベルが違う。
保守派と見なされながら保守派の政府や言論人に対しても容赦のない報道をするところは興味深い。
敵味方や好き嫌いで擁護・批判を判断していてはダブルスタンダードと言われてしまうことが多いけど、文藝春秋はそのような批判を受けることは少ない。

近年はほとんど文藝春秋も朝日新聞も読んでいないのでどうなっているか知らないけど、今も文藝春秋は朝日新聞批判を行っているのだろうか。
もし、文藝春秋のスクープ力が朝日新聞社社員個人に対して発揮されたらどうなるのだろうかと少し気になる。


そういえば、先日、あるブログの執筆者を特定した。
以前メモしたときには、顔と名前がわからなかった。
https://blog.goo.ne.jp/ambiguousworld/e/87a123fc06a3025b5e5b9bf5f4c43f85

おそらく、元Yゼミ講師(古文)で現在は都内S学園勤務。50代のK先生。
ネット上にある写真を見ると、活力がありさっぱりとした感じのよさそうな人だ。

・It' my life.
https://qqq-oq.blog.ss-blog.jp/

このブログには、親族や勤務先の高校の同僚、経営陣について辛辣な言葉が多い。
もし家族や同僚、理事長などが見たらドン引きだろう。懲戒レベルかもしれない。
ただ、ストレスの多い教員による愚痴だと思えば、大目に見てあげてほしい気がする。
バレないようにするには特定されやすい情報を書き込まなければいいのに、易々と推測できるようなことを書いてしまっている。

今の時代は、個人であっても記者であっても、ちょっと検索スキルのある人が調べるといろんな個人情報がすぐ明らかになる。
有名人も一般人も、それなりに気をつけておく必要がありそうだ。



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編集後記

2020-09-04 21:34:04 | Weblog
自分でもたまに編集後記を書く。
まじめすぎず、ふざけすぎず、軽めに書く。
だけど納得のいく編集後記はなかなか書けない。
簡潔で押しつけがましくなく、発見と余韻のある編集後記を目にすると感心する。


近年、『週刊金曜日』のメルマガを読んでいるが、編集後記に違和感を覚えることが多い。
なぜそのように感じてしまうのだろう、と不思議に思っていたが、どうも、感覚的な表現が多いことが原因のようだ。
状況を分析する以前に、レッテル張りというか非難というか、根拠のない攻撃姿勢が見えてしまう。

分析から見えてくるものにそれなりの判断をすることが、批判的であり、理知的と言えるのではないだろうか。
自分の価値判断基準を無批判に保持し、「怖い」「異様」「心底ぞっとした」「荒廃は進む」などとネガティブなイメージの言葉を並べることは、批判ではなく非難を行っているだけではないかと感じる。

さまざまな立場の人々の言論に興味があるが、数式や化学式に通じる冷静な表現ができず、ネガティブな表現を並べて何か意味のあることを言ったように思い込んでいる人たちに同調していると、世の中の構造を見誤ってしまう恐れがある。

論理的思考を学んだことのない人が、声を荒げれば状況を変えることができると思って激しい言葉を使っても、同調してくれる人はなかなか増えない。
現代では、不調のパソコンを叩いて直そうとする人は少ないだろう。
システムのどこがわるいのか分析して改善すればいいだけなのに、核心を指摘できず不機嫌に叩いて悪化させる人を連想してしまう。

以前の編集長は、小林和子さんのような文章は書かなかったのかもしれない。
そうであれば、同僚は編集長に対して、編集後記の書き方をもう少し論理的にあらためた方がいいと進言すべきではないだろうか。


※参考
<<『 週 刊 金 曜 日 』 メ ー ル ニ ュ ー ス >>  2020.9.4

【2】 編集長後記
 安倍晋三首相が、辞任を表明。今週号は当初予定していた記事を差し替えて関係記事で特集とした。その後共同通信によると、首相は在任中に敵基地攻撃能力保有の方向性を示す意向を固めたと与党幹部に伝えたとのこと。は~?先の会見でも首相はやり残したこととして憲法改正、北方領土、拉致問題を挙げたが、福島原発事故や沖縄の新基地建設に言及していない。拉致問題はともかく、実現せずとも責められない「大いなる課題」に夢中で、目前の危機的課題は終始眼中になかった。
 本誌は懲りもせず、ずっと批判を続けてきた。第一次政権のときは「イデオロギーでなんでもかんでも批判するのはどうか」と言われ、第二次政権当初も「考えすぎ」と言われたが、特定秘密保護法あたりから「安倍さん、ちょっと怖いね」に変わってきた。今週号、雨宮編集委員の「悪夢狩り」の被害は、この政権の異様さを如実に表していて心底ぞっとした。トップが変わっても?アベ政治?が変わらなければ、社会の分断と荒廃は進むだけだ。(小林和子)


コメント (1442)
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