波打ち際の考察

思ったこと感じたことのメモです。
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波屋山人

バリ島

2022-05-22 07:59:26 | Weblog
コロナ禍の前は、毎年のようにバリ島に行っていた。
空港に着くと歩いてクタの街に行き、翌日はバスかチャーターした車で山の方に向かうことが多かった。
ウブドは騒々しいけど郊外には田んぼや渓谷に臨む静かなバンガローが多く、さらにシドゥメンの方まで行くと棚田を一望するのどかな風景が残っていた。
ブドゥグルのあたりも湖を一望する安宿があり、好きな場所だった。

バリ島が懐かしく、バリ島に関するYoutube動画を時々見ている。
現地在住の日本人を紹介するYoutubeチャンネルでは、いろいろ興味深い人が紹介されていた。

・バリ島【バリ録】バリ島移住36年目!日本人だけどバリ語で生活★青春時代は暴走族★夜の街六本木で日本語を学んだ日本人 2021/12/18
https://www.youtube.com/watch?v=WSfBS2fXXxs

5歳の時に家族でバリ島に移住。現地校に通ったので中身はバリ人、という日本人が紹介されている動画を見た。

興味深いので関連動画を見ると、コロナ禍の前、旅行会社に勤務していた時には同僚たちとウブドの日系ラジオ番組に出てていたらしい。

2時間ほどの長い動画だけど、28分頃から佐助さんに関する話題が続く。
2017年5月16日に、Ubudradioがアップロードした動画。少し気になるところがあった。
・ゲスト:バリ倶楽部 さん 2017/05/16
https://www.youtube.com/watch?v=tFifzTGXCHE
(略)
同僚「佐助君の今の話って全部本になってるんですよ。これ、なんか佐助君から紹介して」
佐助「本の宣伝していいんですか。うちの家族の長い友人で、今はもうだいぶおばあちゃんなんですけど、70歳のおばあちゃんで、35年前からうちの家族と友達なので、半年に1回ぐらい来てるんですよ、バリに。ご存じですかね、あの、オダ… マコトっていう方知りません? 要は、学生運動とかっていう時代の人なんですけど、そのオダマコトさんの奥さんなんですよ。けっこうすごい人で、バリ島に毎年、半年に1回は来てて、それがまあ知り合いなんですよ。で、彼女はすごいバリ島が好きで、うちの家族とかその周りのコミュニティにすごい感銘を受けて、本を書いたんですよ。」
司会「なんていうタイトル?」
佐助「えーと、ポカン亭っていう本なんですけど、アマゾンで売ってるので」
(略)
同僚「ペンネーム何になってる?」
佐助「コダ… コウダキョウコ」
(略)
同僚「主人公じゃないんですけど、その書いている人の目線なんですけど、そこに一番コアに出て来るのが彼とお姉さん」
(略)

オダマコトの奥さんがバリ島を舞台にした本を書いたらしい。ペンネームはコウダキョウコ。学生運動の頃のオダマコトといえば、小田実さんのことだろう。でも小田実さんの奥さんといえば、玄順恵(ヒョン・スンヒェ)さんではないだろうか。

2017年当時、1953年生まれの玄順恵さんはまだ64歳。70歳ではない。
当時37~38歳の人から見て「だいぶおばあちゃん」という歳でもないような気がする。
小田実さんには、玄順恵さん以外に奥さんがいたのだろうか…

> 玄順恵[ヒョンスンヒェ]
> 水墨画家。植民地時代に日本へ渡ってきた済州島出身の両親のもとで、1953年、神戸市に生まれる。82年に作家小田実と結婚。水墨画の他に、装丁、装画、挿絵の仕事を手がける

あるいは、玄順恵さんのペンネームがコウダキョウコなのだろうか。
amazonを見ると、『バリ島クタ蓮横丁のぽかーん亭』(現代企画室、2002/12/1)の著者は、国府田恭子さん。同じ著者名で、他の出版物は無い。

「国府田恭子」で検索すると、英語教室の主催者がいるようだ。この人は、玄順恵さんとは別人なのだろうか。2人の顔の輪郭が似ているような気もするけど、写真が小さいのでよくわからない。
https://www.ekiten.jp/shop_62016848/staff/staff_60239/


いろいろ検索すると、小田実さんと同い年だった元NHKの人による回想が興味深かった。小田さんは大柄で気配りのある関西人だったようだ。
しかし、小田実さんの奥さんのことについてはあまり詳しい情報が見つからない。頻繁にバリ島に行っていたのだろうか。謎。
http://meisternet.jp/hp/index.php/2017-04-17-09-32-39/28-tureduregusa/157-2011-01-03-02-22-09

> 思い出すと、小田は、人に応答するときの相槌が、知遇の度合いに応じて「そうですか」から、自然に「そうなんか」と変化して行き、それに連れて、相手に対する呼称も「貴方(あなた)」から「君(きみ)」に、何時の間にか移行していたように私は記憶している。彼が口にした「あなた」は、標準語と称されている東京地方の言葉では「な」に力を入れているが、彼のそれは違った。それは、「あ」を強く発音するものだったが、本来は、「あんた」が普通だった「関西弁」という「言語生活」の世界にいた彼が、居住まいを正すかのごとく、どこか思い切って「標準語」を口にしているようでもあった。
> 小田には、勿論、自己主張はあったが「自己演出」は感じられなかった。
> また、再会の挨拶も、恐らく、普段は「どや」とか「どやね」と言っていたものを、小田は「標準語」の世界に合わせて、「元気ですか」と言うことにしていたようだったが、親しくなると「元気?」と、どこか女性の言葉の様な、労(いたわ)りにも似た様な言葉が、彼の、あの大きな身体から出てくるのは人知れず可笑しく私には感じられた。
(略)
> そのような接触を通して小田を眺めた私の印象では、小田は繊細で、鋭利な剃刀(かみそり)ではなく、鉞(まさかり)のような男で、強靭な意思を秘め、やや直情径行、しかし、その挙措の波紋や飛沫の掛かる人間たちについても、いちいち具体的な始末までは出来なかったが、敏感に気配りする男だった。運動の参加者に関しても、相手によっては、「俺は《ええ(好い)》けど、彼には《きつい》やろ」などと呟くこともあった。



5/22追記 『バリ島クタ蓮横丁のぽかーん亭』のあとがきを見ると、次のような記述があった。
> p257 (略)今、バリ島が自分の故里だ、と感じているのは確かだ。自分には帰るべき故郷はなく、根無し草だと思っていた私が、半世紀生きて、別世界に故里を見出せたのは、なんという幸せだろう。

2002年刊行の本に「半世紀生きて」と書いているということは、1953年生まれの玄順恵さんと矛盾しない。
やはり、玄順恵さんのペンネームが、国府田恭子なのかもしれない。



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