波打ち際の考察

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波屋山人

外国語に触れて知ること

2019-11-02 14:42:35 | Weblog
先日、広東の空港で搭乗ゲートに向かった時のこと。
出発までしばらく時間があるので、小さなパソコンで旅のメモを書いていた。
周囲の人たちが移動を始めたこともあり出発ゲートが変更になったことを知ったけど、時間が十分あるのでそのままメモを書き続けた。

そこにやってきたのは60歳前後と思わしき数人の日本人旅行者たち。
仲間内で「搭乗ゲートが変わったのかな」「出発時間までもうすぐだ」などと話し合っている。
あまり旅行に慣れていないのか、知らない土地でちょっと不安な様子。

そのうち、ポケトークを取り出して、座っている中国人に質問をはじめた。
唐突に「何と、書いて、ありますか?」と言ってゲートの表示を指差している。
出発ゲートが何番になったのか確認したいのだろうか。
しかし、中国人のおじさんは中国語の音声を聞いても「この人は何を言っているんだろう」といった反応。
(中国語だと、「何を書きますか?」あるいは「何が書いてあるのだろうか?」というような表現になっていたのかもしれない)

なかなか期待する返事が得られないので、ぼくの方にも声をかけてきた。
「何と、書いて、ありますか?」と言ってまた電光掲示板を指差す。
ぼくが日本語を発すると、機械を見たまま「あ、日本人だった」と言ってすぐ去って行った。

ぼくが日本人であっても、何番ゲートに変更になったかきちんと把握しているかもしれないのに、なぜすぐ去って行ったのだろうかと不思議に感じた。
ポケトークを使うことが目的化していたのだろうか。

翻訳機があるから安心だと思っているのかもしれないけど、旅先でスムーズに過ごすためには、言葉だけではないコミュニケーションの能力が必要だ。

外国語を学ぶと、言語によってさまざまな概念や思考パターンがあることを知る。
自分があたりまえだと思っている認識がそのまま通じないこともあることを意識する。
簡単な言葉であっても、論理的に述べることによって、相手に伝わりやすくする。
言葉足らずな表現や、自分の常識を押し付けるような表現は避けることを心掛ける。

世の中には、翻訳ツールが発達すると語学を学ぶ必要はなくなる、と言う人もいる。
しかし、翻訳ツールを使いこなすためにも、最低限の語学は学んでおいた方がよいのではないかと感じる。
翻訳機が、文化圏における概念の差や常識の違いに配慮して、会話をフォローするような機能を搭載するのは当分先のことではないだろうか。

少しでも外国語ができれば、翻訳ツールを使用する場合でも、翻訳しやすい文章を選択することができる。
呼びかける言葉だけでも外国語で発することができると、藪から棒のような違和感を緩和させることができる。
急に声をかけて来たと思ったら、主語もはっきりしない、何を求めているのかも理解しづらい言葉を何回も機械に向けて発して、目を向けようともしない。
そういう人に対して、想像力を働かして何とか返事をしてあげようという人はどのくらいいるだろうか。

翻訳機が無くても、「Hi!」「Please tell me.」「Where is the departure gate?」「I’d like to go to Tokyo.」といった中学生レベルの短文を口にすれば、空港であれば理解してくれる人は多い。

外国語がまったくできない人は、翻訳機を活用できない可能性が高い。
中学生レベルの英語を何時間かかけて復習しておいた方が、はるかに役立つのではないかと感じる。


コメント
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