波打ち際の考察

思ったこと感じたことのメモです。
コメント欄はほとんど見ていないので御用のある方はメールでご連絡を。
波屋山人

正しさ

2015-09-27 23:22:09 | Weblog
藤原新也さんの会員制有料ブログ(毎月1000円)に登録していたけど、そろそろやめようかと思う。

国会前で安保法案に反対している姿がテレビでも取り上げられていたシールズ(SEALDs)に、100万円寄付するらしい。
自分の会費がシールズに流れるのには違和感がある。

個人的には、共産党員の行っているストリートチルドレン支援活動や、保守派と感覚が合いそうな人の行っている海外での医療支援活動や、イスラム教徒の人の地域支援活動などに寄付したことがある。
思想信条に関わらず、私利私欲なく人のために尽くしている姿には胸を打たれる。
応援したい気持ちになる。

だけど、シールズには、どうも違和感があるのだ。

何やら政府や世の中に訴えているようだけど、その主張の根拠を探ると、「憲法9条は絶対正しい」「戦争は絶対否定されるべき」「民主主義は絶対正しい」という段階で思考停止している印象がある。
その価値観というか思い込みというか、彼らにとっての常識は、絶対的なものとは言えない。
相対的・仮定的なものでしかない。

判断基準となる「正しさ」の根拠を突き詰めて考えない人は、リベラルと言えるだろうか。
地元最高、日本優秀、皇室至高、と信じて疑わない人と同じくらい保守的に見える。

もちろん、憲法9条に価値を見出し、大事に守ることから創造的な思考を生むこともできるだろう。
だが、そういった人は、神や君主に価値を見出し、全面的に従うことから創造的な思考を行おうとしている人とたいして違わない。

「なぜ憲法9条は絶対正しいと認識されるのか」「なぜ戦争は絶対に否定されるべきなのか」「なぜ民主主義は絶対的に肯定されるべきなのか」といったことについての論理的な思考を深めず、あいまいな概念を信仰や常識のレベルに置くことには危険性が潜む。

「絶対的に否定されるべきことは存在する」と認識して疑わない人は、意見の違う者を軽々と抹殺することがあるので注意が必要だ。


宮崎あおいが歌う中島みゆき「Nobody Is Right」の歌詞を思い出す。
シールズの人たちは、earth music&ecologyのコマーシャル映像を、どのように見るのだろうか。
http://www.kasi-time.com/item-19512.html
> 争う人は正しさを説く 正しさゆえの争いを説く
> その正しさは気分がいいか
> 正しさの勝利が気分いいんじゃないのか


シールズの人たちは「民主主義って何だ!」「これだ!」と叫んでいるようだけど、
「絶対的に正しいことって何だ!」「自分たちだ!」と言っているように思えてしまう。

私は、そういったことは言いたくない。
だから、彼らには寄付はしない。



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東京マラソン当選

2015-09-18 22:04:06 | Weblog
ひさしぶりに、第10回東京マラソンに参加することになった。
3時間半以内での完走を目指す。
最後に走った第3回東京マラソンでは、3時間半をすこしだけ超えた。

初めてフルマラソンを走った第1回東京マラソンでは、膝ががたがたになって後半歩いてしまった。
4時間半くらいで完走できたけど、満足に走れているとは言えない状態だった。

第2回大会では4時間くらいで完走したけど、ゆっくりジョギングをしている感じで、走っているとは言いにくいレベルだった。
第3回大会では、途中で歩くこともなく、まずまず走った実感を得ることができたけど、3時間半は切れなかった。
すこし心残りだったので、なんとか3時間半を切りたいと思う。

だけど、最後にマラソンを走ってから6~7年、ジョギングすらしていない。
歳もとったし、なかなか難しいかもしれない。

それにしても、久しぶりに抽選に当選して、走る機会を得たのはありがたい。
ぼくは、何かをしなくてはいけない状況に自分を追い込まないと努力しない。
必要に迫られないと動かないので、これを機会に、ちょっとジョギングを続けてみたい。

難病でもフルマラソンを走ることができる、ということも証明したいと思う。


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他人を咎める言論

2015-09-01 20:43:54 | Weblog
最近、「他人を咎める言論」が勢いを失っているのではないかと感じる。

意見の異なる相手を価値のない者として見下し、否定するスタイルは、
差別者と同じ意識にほかならない、ということに気づいた人が増えている。

レッテルを貼ってネガティブな印象の固定化を試み、
犯罪者や有害な者は否定されて当然という意識を共有し、意見や認識の異なる者を攻撃する。
そのような言論スタイルは一昔前には当たり前のように見られたけど、
近年はそういった姿勢の言論人が減っている。
「差別者と同じやり方は避けたい」、と意識している人が増えたのかもしれない。

左派言論人として人気のあった評論家の佐高信さんや山口二郎教授などは今でも意気軒昂のようだけど、メディア露出が減っている印象。

自分の正義を確信し、否定されて当然だと思っているものを強い言葉で切り捨てても、
そこに独善的なものを嗅ぎつけられ、指摘されてしまうことが増えたので注意が必要だ。


また、ニュースサイトのコメント欄を見ていても、記事に関して「それは非論理的だ」「レッテル貼りだ」などとコメントする人が目につく。
論理的に思考する人が増えているのだろうか。

あるいは、記事に反感を持つ人が、記事に対抗する手段として、切り返しの言葉をうまく使っているだけかもしれない。
論理的にひとつひとつ指摘すればいいのに、「低レベルの文明後進国」「卑劣極まりない」などという言葉を使うあたりは、まだまだ咎めている相手と同じ「見下すことをやめられない」意識レベルであることが感じられる。
感情的な余計な一言がなければ、意見の対立する人からも論理的な意見として尊重されたかもしれないのに残念。。。

本当に、「論理的に指摘しないでレッテルを貼って否定するのは低レベル」「事実を列挙しないで決め付けを行い相手を蔑むのは卑劣」などと思っているのであれば、
まずは自分から、そういった言葉遣いを慎むべきではないかと感じる。


<参考>
http://blogos.com/article/131182/
岩田温2015年08月31日 15:11「お前は人間じゃない!叩き斬ってやる」。山口二郎氏の危険な論理
(略)
政治に関与する人間は、自らの「正義」に陶酔するあまり、敵対者を「悪魔化」する傾向がある。これは、古来からかわることのない「正義の狂気」だ。古来より、往々にして、正義が人を殺してきた。ロベスピエール、レーニンといった革命家は、自らの正義に酔い痴れ、敵対者を悪魔化し、大量虐殺を肯定した。
バーリンはこうした自らの理念を社会全体に強要しようとする「積極的自由」の危険を説いたのだが、バーリンの指摘から50年の歳月が過ぎても、自らの正義に陶酔する人間が存在し続けている。


<参考>
http://japanese.joins.com/article/107/205107.html?servcode=A00§code=A10
産経新聞社説の妄言、朴大統領を「暗殺された閔妃」と比喩
コメント欄
Rohan Takeshi2015-09-01 17:40:50推薦 1 反対 0
なにが妄言で何がゴリ押し主張なのか具体的、論理的に指摘し、反論しろよ。 図星を指されて感情的に相手を否定するなんてプロの記者がやる事じゃないだろw 「新聞の記事を見ればその国の民度が分かる」と言うが、ホント韓国は低レベルの文明後進国だなw

東雲 曙2015-09-01 17:16:37推薦 10 反対 0
中央 朝鮮日報等が示す 産経新聞社を極右翼新聞と決め付ける定義、正当性はどこにあるの どう客観的に見ても  中央 朝鮮日報の方が民族主義 軍国主義 全体主義の極右翼新聞  安倍政権にアベノミクスに日本国全体を言われ無き敵対心むき出しでの  誤報 デマ 思いつき 妄想 捏造での日本こき下ろし蔑む卑劣極まりない記事盛り沢山 天に唾吐けば我に帰る


コメント (8)
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