波打ち際の考察

思ったこと感じたことのメモです。
コメント欄はほとんど見ていないので御用のある方はメールでご連絡を。
波屋山人

下北沢南口の都夏(つげ)の料理がすごい

2009-04-28 01:14:41 | Weblog
先週、久しぶりに代官山の一軒家レストラン、マダム・トキに行った。
2008年10月発売の「ザガットサーベイ 東京のレストラン2009」には、下記の様な記載がある。
なかなか高い評価だ。

■マダム・トキ
FOOD  20
DÉCOR  21
SERVE  18
COST  13,200

「代官山の旧山手通り沿い」にある「古い洋館」の「トラディショナルなフレンチ」。「内装もスタッフの佇まいも虚飾ではない飾りがあり」、「落ち着いていて」「本当に素晴らしい」。安定感のある料理も「おいしい」と好評だが、特に「デザートワゴンが秀逸と大人気。「きめ細やかなサービスも心地よい」ため、「結婚式利用」も多い。


上記の文章の過半数は、私が応募した文から引用してある気がする。
「虚飾ではない飾り」などと表現した記憶がある。

「トラディショナルなフレンチ」とも書いてしまったけど、マダム・トキは昨夏にシェフが変わっていた。
新しいシェフは西麻布の人気レストランから移ってきた人らしい。
トラディショナルなフレンチからちょっとモダンな方向に趣きが変わった。

それでも、パンにつけるボリュームたっぷりのバター(ヴァニラ風味?)や
フォアグラのおいしさは以前と同じ。
価格設定も変わらない。
ちょっとしたコースでも1人1万円。ボトルも1万円以上のものがメイン。

彼女も私も、ここの支配人の佇まいがすてきだなと思っている。
細身にヒゲの、大貫さんのスタイルは魅力的だ。穏やかで品がある。

ソムリエさんは、もう少しゆったりしてもいい。
美しいワインの風景が見えるような、優雅な語り口調があればありがたい。
一流のソムリエは、ワインのことを全然知らない人にもワインの魅力を伝えることができるはずだ。

22時にはもう閉店。食後、すこし旧山手通りを歩いてからバスに乗って帰る。
2人で4万円近くかかったけど、たまにはこういう日があってもいい。
いい食材ならではの、おいしさの領域がある。
安い料理だけを口にしていたら知ることができない、広がりを感じることができる。


それでも、安い料理にも魅力的なものはある。
下北沢の南口にある「都夏(つげ)」はいつ行ってもすばらしい。
2人で5~6千円しか使わなくても満足できる。

昨日などは、たったの600円で土鍋いっぱいのカキの蒸し焼きを食べることができた。
小さなカキが20個以上も入っている。
私の田舎では、カキは殻付きのまま蒸し焼きにして食べるのが主流だったから懐かしく思った。

これだけのボリュームで600円とは。
恵比寿のニュージーランド料理店のバケツ入りグリーンマッスルもボリュームはあるけど、何倍も高い。

創造力のある安くておいしい料理を食べたいときは下北沢の「都夏(つげ)」に行けばいい。
ここの料理ははずれが少ない。
おすすめの店のひとつ。


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橋田信介さんが亡くなってもうすぐ5年

2009-04-24 23:35:35 | Weblog
2003年3月20日に鴨志田穣さんが亡くなられてから、もう6年が過ぎた。
亡くなる数か月前に、吉祥寺のアーケード街の書店でサイン会が行われたことをよく覚えている。
『酔いがさめたら、うちに帰ろう』
装丁は、リリー・フランキーによる鴨志田さんの赤い顔。
サイン会の終わりに、ぼくは列の最後に並んでサインをいただき、握手をしてもらった。
がんばってくださいとか、ファンですとか、何もいえなかったけど
一緒に写真を撮ってもらった。

歩みが止まりそうなほど細くなってしまっても、こつこつと紡ぎあげた文章。
2年が過ぎても鴨志田さんの記憶は薄まらない。
子ども達が大きく成長していることだけが、時間の経過を感じさせる。

橋田信介さんは、鴨志田さんの元上司にあたる。
西原理恵子さんのマンガにも出てくる。
鴨志田さんは最初、東南アジアで戦場を取材していた橋田さんのアシスタントとして働いていた。

2004年5月27日、橋田信介さんがイラクで狙撃されて亡くなった事件は衝撃的だった。
ダイアナ妃と、アイルトン・セナと、橋本信介さんの訃報を聞いたときは、歴史的事件に立ち会っていると感じた。

2003年の秋に、ぼくはバンコクで橋田さんとすれ違っている。
日曜日のせいかなかなかバスが来ず、少々高いタクシーに乗るしかないかと不安に思っていたら、見かねた日本人のおじさんが、タクシーと値段交渉をしてくれた。
帽子の下には白髪が見える。年齢のわりには背が高い。身軽な格好。
バスが来ないことを気にしてバス停の周囲にいるタイの人たちに片言英語で「何時に来るの?」と何度も聞いているぼくの様子を見て声をかけてくれたのだろう。

感謝の気持ちを伝えようと思ったけど、ありきたりの言葉しか伝えられなかった。
タイ語で交渉できるのはすごいなと思ったけど、おじさんは「もうこっちに30年もいるから、たいしたことではない」というようなことを口にした。

その時、ぼくは名前を聞かなかったけど、翌年になってテレビで流れる映像を目にして、バンコクで会った人のことを思い出した。
あの帽子、あの風貌。
あれは、橋田さんだった。

橋田さんや鴨志田さんの本は何冊も読んでいる。
彼らは、優しさというか、人に共感する力が豊かな人たちだと思う。
カメラマンやジャーナリストは、厳しい局面で物事を客観的に見てしまう場合もあるだろうけど、人一倍、物事の性質や成り立ちを認識することができるのかもしれない。

橋田さんや鴨志田さんは多くの人を助けている。
それは、偽善扱いされる恐れのある行為ではなくて、自分を強者にする庇護の姿勢ではなくて、生理的に無理のない、誠実な行為だったと思う。

ぼくはまだ誰も助けていない。
何も理解していないし、何も放棄していない。
何も譲っていないし、何も獲得していない。
そんなことも、来週は雨季のベトナムでゆっくり考えてみたいと思う。


<参考>
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%A9%8B%E7%94%B0%E4%BF%A1%E4%BB%8B
橋田信介(はしだ しんすけ、1942年8月22日 - 2004年5月27日)はフリージャーナリスト、戦場カメラマン。山口県宇部市出身。

http://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%B4%A8%E5%BF%97%E7%94%B0%E7%A9%A3鴨志田穣(かもしだ ゆたか、1964年7月2日 - 2007年3月20日)は、日本のフリージャーナリスト、カメラマン、エッセイストである。

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韓国料理の未来は「てなむ」にある

2009-04-21 00:52:12 | Weblog
この数週間、毎週1回は東新宿の「てなむ」という韓国料理屋でランチを食べている。
老舗の韓国料理屋「松屋」にも近い場所。
東新宿駅から職安通り沿いに新大久保駅のほうに100mくらい行く。
四つ角に韓国食材店がある。
2階は窓ガラスが暗く中の様子がわからないけど、実に居心地のいい韓国料理屋なのだ。

「てなむ」のところには以前「大邱家」という韓国料理屋があった。
名前が変わっただけなのか経営者が変わったのか知らないけど、店舗は変わっていないらしい。
奥の席では大きな窓から職安通りの様子がよく見える。
すっかり街路樹には緑の葉がのびてきて、歩道を歩く若者も薄着だ。

「てなむ」は内装が良い。
オーストリッチのような合成皮の席も、石の床も、すっきりしている。
店員さんは丁寧で腰が低く、ホテルマンが勤まりそうなほどだ。

「てなむ」には、新大久保の人気韓国料理屋に揃っていなかったものが揃っている。

清潔な熱いおしぼり。
おもわず顔や首を拭いてしまう。

大きな氷の入ったグラスも大きく、清潔だ。
陶器でできた食器も、落ち着きがある。

メニューには、生のマッコルリもある。
夜も来てみたい。

料理の味は辛すぎず、刺激よりもコクを感じる。
品のあるモダンな韓国料理といった印象。

昼の12時半くらいにここを訪れると、今日はぼく1人しかいなかった。
先週も先々週も2~3組しかいなかった。
こんなにすばらしい店に客が来ないというのは寂しい。

韓国料理の未来は、「てなむ」のスタイルにある。
新宿や歌舞伎町からはちょっと遠いけど、歩けない距離ではない。
ぜひ、趣味人のマダムは「てなむ」でランチを食べて、1Fの韓国食材店で生マッコルリやコチュジャンを買って、上階のサウナで汗をかいて帰ってほしい。


・大邱家 東新宿店(現・てなむ)
http://r.tabelog.com/tokyo/A1304/A130401/13029113/

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学力調査に反対する朝日新聞社は、子ども達ではなく教職員組合の方を見ているのか

2009-04-20 22:12:45 | Weblog
(すみません、べつに朝日新聞に文句はありません)

近々3回目の学力調査があるらしい。
今年も全国の小6と中3の学力が調査される。
私の生まれ育った町は、周辺地域の中で明らかに学力が低いところだったから、教育関係者は冷や汗をかいているかもしれない。

「学力調査」は、メディアによっては「学力テスト」と言われているけど、正式な名称は「全国学力・学習状況調査」。
今後どのようにすれば効果的な教育を行うことができるか学力や生活習慣を調査するみたいだけど、一部のメディアは反対の論陣をはっている。

学力調査に不安を感じる人が多いのは当然だ。
新しいことを受け入れる時、ついつい否定的な姿勢になることも多い。
だけど、学力調査に反対する様々な根拠を見ていると、論調から何かを隠しているように見えることもある。

「ほんとうは、一部の教師たちが、自分たちの能力アップを求められたり評価されるのを嫌って、保身を試みているのではないだろうか」

学力テストにもいろいろ問題点はあるのだろうけど、問題があれば改善を行えばいい。
柔軟な教育を受けてきた者であれば、問題解決の道筋を見つけられるはずだ。
「視力検査のときに前もって記号を覚えておこうとしたり目を細めたりする子がいるから意味の無い視力検査は廃止すべき」と言う人はいるのだろうか。

大事なことは教職員の既得権益を守ることではなく、子ども達がより良い教育を受けられるように環境を整えて行くことではないだろうか。

西日本新聞などは、教師がきちんと頑張るべきだ、ということを指摘している。
東京支社の稲田二郎記者は3/1の朝刊で「競争しなければならないのは、大人の側です。結果を求めて『競争に勝て』と過度なプレッシャーを子どもにかけるのでははなく、いかに子どもを伸ばすか、施策、指導法を競ってほしいのです」と書いている。

だけど、朝日新聞の論調は、頭を使ったり新しい価値観に基づいて行動したりすることが億劫な、保守的な教職員の利益を守ってあげようとしているように見える。
なんとか学力テストに否定的な考えが世の中に広がらないかと努力しているように見える。

目先の点数アップは学力調査の目的ではない。
新聞社の人たちは「子ども達を追い上げるような点数競争につながる学力テストは無意味」と言う前に、下記のようなことを指摘すべきではないか。
「点取り競争のような単細胞な教え方で点数を上げようとすることは非効率的。せかしたり怒鳴ったり命令したりすることを避け、その上できちんと知識や能力を子ども達に伝える方法を模索するのが教師の役割だ。学力調査では教師の教える技術や能力の向上が求められているのではないか」

なぜか、朝日新聞の論調では教師の責任や教師の能力アップの必要性について触れられていない。
自分たちの平穏な日々を乱されたくないと感じている、保守的な教職員組合の人たちと協調してもいいけど、それがほんとうに子ども達の環境の整備につながるだろうか。

日教組の人たちも、理想の教育があるなら自分たちで学校を作ってみればいい。
不平不満を抱えながら公務員を続けていても体にわるい。
筑波大学(東京教育大学)の同窓会(茗渓会)が設立した茗渓学園中学校・高等学校は、すばらしい学園になっている。
日教組中学校・高等学校も、人気になるかもしれない。

もし、学力調査を潰したいなら、難しくない。
教師たちが、わざと強権的な、子ども達のおしりを叩いて追い回すような古いスタイルの教育方法で点数アップを試みればいい。
それが社会問題化して「やっぱり学力調査なんかを行うからだ」という声が高まる。
メディアを味方につければ、「教師のレベルが低いからあんな指導法しか行えなかった」と批判されることもない。

だけど、それで元の木阿弥になったところで、教育の未来は明るくない。
公立中高と私立中高の格差がますます広がり、公立と私立で教員の能力の差も広がる。
私立に行ける都会の子・金持ちの子と、田舎の子・貧乏な子との格差が広がる。
「そんな格差社会を作らないために、政府は何か対策を考えないといけない」と言うのは無責任。

自分が解答例を示せないのに、相手の解答例を否定ばかりするのは知的ではない。
センター試験で6~7割の得点だった人が多い教員に比べ、センター試験で8~9割得点している人が多い朝日新聞社の人は、知識も能力もある人が多いのだから、ここは一つ、教員および子ども達のために、斬新な解決策を提案していただければと思う。
(私の生まれ育った町でも、一番成績の良かった男はT大から朝日新聞に進んだ。そこそこの成績の男は某教育大を出て中学教師になった)

それにしても不思議なのは、私の周囲の知的な人の多くが学力調査に否定的だということ。
もちろん朝日の人も含めて。。。


http://www.asahi.com/edu/news/TKY200904200097.html
■学力調査、揺らぐ目的 21日に3回目2009年4月20日
<写真>廊下に設けられた「学力アップコーナー」。毎日、放課後に補習が行われる=大分県豊後高田市の市立高田中学校
 小6、中3を対象にした文部科学省の全国学力調査は21日、3回目が実施される。過去2回不参加だった愛知県犬山市が参加に転じ、初めてすべての国公立校で実施される調査。しかし「全国レベルで子どもたちの学力を分析するため」という目的を外れ、学校現場ではよそに負けじと「点数競争」が始まっている。成績の公表をめぐっても揺れる現場。1回に50億円以上が投入される「国民的調査」への疑問はふくらむ。
・大分―点数アップ、廊下で補修
 大分県北部、人口約2万4千人の豊後高田市。15日の放課後、市立高田中学では、職員室前の廊下で生徒たちが英語のプリントと格闘していた。机を15台並べたこの場所は「学力アップコーナー」。新年度とともに毎日補習が行われている。生徒は各学級から出席番号順に毎日5人ずつ参加。403人の全校生徒が、国語、数学、英語の補習を月1回受ける。
 担当教員は、県教委が始めた「学力向上戦略支援事業」で配置された。学力調査の成績を市町村が自ら公表して「学力向上推進計画」を提出すれば、定数より多い教員の配置が認められる。数値目標も求められており、「学力向上」とはそのまま点数アップを意味する。県の昨年度の結果は小中とも全国37位。県教委の担当者は「市町村に競争させてでも成績を上げたいというのが本音」と漏らす。
 3人分の配置を受けた豊後高田市は、科目ごとに数値目標を設定した。例えば、昨年度の正答率が49.5%だった中3数学の活用問題は、今年度51%、11年度は55%を目指す。数値目標は、テストと同時実施の生活習慣などを問う質問にも及ぶ。「将来の夢や目標を持っていますか」との問いについて、小6で昨年度83.3%だった肯定的な答えを今年度は85%、10年度は87.5%、11年度には90%に伸ばしたいという。
 同市教委は「目安がないと目標が学校や保護者に明確にならない」「点数競争が目的ではない」と強調する。
 しかし、学校現場には疑問も多い。ある中学の教員は「学力調査の日までは、新学年の教科書より、当日点数が上がる復習に重点を置く。プリント学習も繰り返す。授業が面白いはずもなく、子どもは疲れた表情です」。小学校の教員も「市教委は校長に、校長は教師に平均点を上げろと言う。とにかく点数がすべてで息苦しい」と言う。
・鳥取―成績開示、補助で誘う
 学力調査をめぐり、文科省は都道府県別の成績は公表しているが、市町村別や学校別の成績は明かさず、都道府県に対しても名前がわかる形で公表しないよう求めている。「『ランク付け』が進み、過度な競争意識を招く」という考えからだ。
 しかし、知事の中には「税金を使って得た情報を教育関係者が独占するのは許されない」と唱える「公開派」が出てきた。鳥取県の平井伸治知事もその一人で、全国で初めて、請求があれば今年度分から各市町村、各学校の成績を開示できるよう県条例の改正に踏み切った。市町村教委には反発が強かったが、結局、19の自治体すべてが学力調査に参加することにした。
 県教委が参加の“誘い水”にしたのが「とっとり学力向上支援プロジェクト」(予算額4千万円)。「学力調査の結果を地域で共有し、学力向上を目指す市町村教委の事業を支援する」といい、09年度から1件につき200万円まで交付する。
 境港市教委の根平雄一郎教育長は「成績開示に対する考え方は、県とはねじれた状態のまま。学力調査への参加は苦渋の選択だった」。「お金は欲しいが、ひも付きの予算は使いたくない」と県のプロジェクトの申請は見送った。
 鳥取市教委の中川俊隆教育長も「学校別の結果がネットなどで流れ、序列化を招かないか心配だ」と語る。同市教委は2月、文科省に対し、学校別の結果を県教委に提供しないよう直訴した。
・私立―「得るものない」参加率5割切る
 様々な事情を抱えながらも国公立では「全校参加」が実現したが、私立はそっぽを向いている。参加率は初回の07年度から62%と低調だったが、08年度は53%、さらに今年度は48%(小学校46%、中学48%)と半数を切った。
 東京都のある私立中は過去2回は参加したが、今回は当日に授業参観があるため不参加に。校長は「4月は行事が詰まっている。参観日は前から決め、保護者にも伝えていた」。さらに「担任からは、学力調査の採点結果が出るのが遅すぎるとも聞いている」と続けた。
 東京都の別の私大系列の中学も今回からやめることにした。中高一貫校で学習内容を先取りしており「うちの学校の進度に合っていない」(校長)。教員にも「結果から得られるものがない」という意見が強かったという。
 入試の偏差値がトップクラスの渋谷教育学園幕張中高(千葉市)は、初回から続けて今回も参加する。しかし、小河文雄教頭は懐疑的だ。「基礎学力をみる問題では生徒たちはみな正答率が高く、調査の意味を持たない。参加すべきかどうか、毎年校内で議論になる」


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定期券とか葉桜とか

2009-04-19 00:58:53 | Weblog
さっき、スーパーで厚切りラム肉と赤ワインを買ってきた。
厚切りラム肉は食べごたえがある。
臭みもなく、やわらかく、カロリーも低い。おすすめ食材。

生の青海苔と、スパークリングワインも買った。
浜名湖産の生海苔は、塩ラーメンにたっぷり入れてもおいしいし、パスタに絡めてもなかなかいい味が出る。

静かな夜道を歩きながら、ふと脳裏をよぎった句。

 ■葉桜の山に溶け込む入社式


緑の山に映えていた桜の花。やがて葉桜になって、山の風景に溶け込む。
自由気ままな格好をしていた学生たちも。やがて会社員になって髪形も整え、黒やグレーのスーツを着こなすようになる。

形。秩序。枠組み。
器用に組織に順応できる人たちはすごいと思う。
のんびりしてるけど過敏なところもあるぼくは、いろんなところで順応に苦労することも多い。

会社に入って以来ぼくが定期券を持たないのも、ちょっとした違和感の表明なのかもしれない。
毎日同じ道を行ったり来たり。
いつもと同じ格好をして、同じ仕事をして、周囲に合わせて、同じ日々を繰り返す、というところにも幸せや充実感はあるのだろう。
だけど、ぼくは決まりきった日々の外も見てみたいし、いろんな視点からの価値観にも興味がある。

だから、ぼくの帰り道は一定ではない。
新宿経由、渋谷経由。下北沢から帰ったり、三軒茶屋に立ち寄ったり。
一駅前で降りたり。一駅先で降りたり。

いつまでこういう日々が続くのだろうか。
そのうち、郊外にマンションでも購入したりするのだろうか。
お小遣い制になって飲み会の回数を気にしたりするようになるのだろうか。
住宅ローンを返済するために、スーツを着て髪を整えて、会社組織に貢献を試みるのだろうか。

あるいは、限界集落となっている故郷の町に引っ込んで、新しいタイプの農業を試みているだろうか。
自分には何が合っているのだろうか。

幼い頃、自分で物を作るのは好きだった。
発明家になりたかった。アイデア商品を作りたかった。
一人旅も、自分がいきいきとしているのがわかる。
なぜ一人旅の小さなバックパックはきちっとパッキングして、大まかなスケジュールを能動的にこなすことができるのに、仕事の進め方は下手なのだろう。

まあ、いろいろ混沌としたことを考えているうちに、地下の穴を埋め尽くした雨水があふれ出すように、答えは見つかる。
ぼくは特定の価値観や主義主張によって答えを見つけようとは思っていないから、地道にあれこれと考えていくしかない。

いろいろ考えすぎてもしょうがないから、今から厚切りラム肉を焼いて食べることにしよう。飲むのは、赤にしようかな。スパークリングにしようかな。
楽しみ楽しみ。

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おっぱい焼き

2009-04-16 22:13:12 | Weblog
ぼくは基本的に俗語、スラング、猥語などは口にしない。
自転車のことをチャリンコとかチャリと呼ぶことはないし、
すげー、やべー、だっせー、などと言うこともない。
当然、卑猥な言葉を口にすることもない。
日本語としてどんな猥語が存在するか、一通りの知識はあるけど。

むかし、ロンドンのパブでスペイン人と気分良く片言の英語で話をしていたら
「スペイン語ではチョチョって言うんだけど、日本語ではあの部分をなんて言うの、でへ」
みたいなことを言われたことがある。
ぼくはそんな言葉を口に出したことがないので、非常に迷い、保健の本にも載っている「チツ」という医学用語?を口にした。
彼らは喜んで「チィツー」なんて言ってたけど、全然いやらしくないと思った。

それはともかく、以前、女性2人と六本木の店に行ったとき、
「おっぱい」
という言葉を口にしてしまったことがある。

田崎真也さんがオーナーの「眞平(しんぺい)」というお店では、豚のおっぱいがメニューにあったのだ。
歯ざわりがよく、やわらかさとこりこりっとした感じが絶妙で、焼酎とよく合う。
いくら妙齢の女性がいても、これを注文せずにはいられない。

ぼくが「おっぱい」という言葉を口にしたのは、この店だけだ。

・眞平(しんぺい)
伊豆七島の焼酎や豚肉料理が充実
http://www.tasaki-shinya.com/restaurant/shinpei.html


ベトナムでは、ヤギのおっぱい焼肉はポピュラーな料理だ。
去年だかおととしだか、ファンランという田舎町の大きなガレージみたいな店で、店の主人が七輪で焼いてくれたヤギのおっぱいは安くておいしかった。

ゴールデンウィークにまたヤギのおっぱいを食べたい、と思うと雑念が広がる。
あと2週間、おっぱいは我慢、我慢。


・ベトナムでポピュラーなヤギの焼きおっぱい
http://www.ab-road.net/asia/viet_nam/ho_chi_minh_city/guide/00650.html

・VU NUONG(ヴーヌーン)と呼ばれる、乳房部分の焼肉
http://herethere.cressel.com/logjp/archives/2009/03/11_2203.php


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カナルカフェでランチ

2009-04-06 23:38:06 | Weblog
桜が満開だ。
空も青いから、今日は飯田橋のカナルカフェでランチを食べることにした。
年に一度はこういう日があってもいい。

飯田橋駅西口から、神楽坂の坂の下の方に足をのばすと、外堀通り沿いの桜並木が目につく。
カナルカフェの入り口には、長い行列がある。

彼女に並んでもらっていたから、ぼくはカフェの奥のほうへと歩いて行く。
左手にはボートを漕いでいる人の姿が見える。
右手の桜は土手から水面にむかって垂れ下がって見事な満開。

それにしてもいい天気だ。
水辺に沿った席には陽射しをさえぎるものが無い。
地黒なぼくはすぐ黒くなってしまいそうだ。
待っていた彼女もまぶしそうに目を細める。

ランチは、ベーグルのサンドイッチと、ピザ。そして紙コップのコーヒー。
近くの席には40代の女性と、70代のような女性。
ゆったりと桜を眺めている。

外国人男性と日本人女性のカップルも何組か。
ひとりで本を読んでいる白人男性もいる。
日仏学院が近いからフランスの人だろうか。

風が吹くと、桜の花びらが舞った。
髪をゴムでとめた小さな女の子が2人、桜の花びらを追いかけて小さな手に握り締めている。美しい。

ぼくは、いいなあと思った情景を、俳句にできないものかともどかしく感じる。
なかなかむずかしいけど、今日の句はこれ。


 カナルカフェ少女操る花吹雪



お粗末さまでした。


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スウェーデン南部、人口27万人メルメ市(デンマークのコペンハーゲンの対岸)でカジヒデキが襲われた

2009-04-06 00:11:23 | Weblog
カジヒデキといえば元Bridge。ソロになってから後期渋谷系ミュージックシーン(90年代前半?)で人気を集めていた。
北欧が好きで、スウェディッシュポップス憧れの聖地、タンバリンスタジオでよくレコーディングをおこなっている。

カーディガンズとかパインフォレストクランチとか、シナモンとかエッグストーンとかタンバリンズとか、懐かしいなぁ。
90年代のスウェディッシュポップスは、メロディーがあり、さわやかで、北欧デザインに通じる心地よさがある。
渋谷系と言われた日本の音楽も、北欧ミュージックシーンの影響を受けている。

カジヒデキも北欧好きな1人だ。
40歳を過ぎた今もおしゃれでさわやかな音楽を追求している。

最近も、デトロイトメタルシティ(DMC)というおもしろい映画に、特徴的な音楽を提供していた。
・甘い恋人
http://www.youtube.com/watch?v=vAEXXESZ-BY

そんな彼がタンバリンスタジオのあるマルメ市で襲撃に遭った。
スウェーデンはネオナチもいるから心配。外国人排斥の動きもあるのかな。
(株)メディアプロダクツジャパンが運営するTechinsight Japanというニュースサイトでは以下のように報じられている。

http://news.livedoor.com/article/detail/4096039/
> ■<速報!!>カジヒデキさん、スウェーデンで強盗被害。一時意識不明に。
> 2009年04月05日21時00分 / 提供:Techinsight Japan
> 日本のシンガーカジヒデキさんが、スウェーデン南部のMalmoの街でミュージック
> ビデオを撮影していた際に、3人の男にいきなり襲われ気絶し、機材のカメラが盗まれた。
> 北欧諸国に愛好心を持っているので知られるカジヒデキさんは、Kroksbäck
> (クロクスベック)の街道でミュージックビデオの撮影をしていた。
> この時、撮影チームは、一時撮影を切り上げて休憩にはいっていたところだった。
> カメラマンは、一時カジさんを残しその場を離れ、カジさんは撮影中に着ていた
> パイナップルの衣装のまま、その場に機材を見張る為に残った。
> その時、3人の男がカジさんに向かって歩いてきた。そしてその男達はカジさんに
> 激しく暴行を加え、その時非常に強く殴られたのでカジさんは気を失い意識不明に。
> 彼が目覚めた時、合計で約2万クローナ(約25万円)の価値がある機材のカメラが
> 盗まれていたという。
> 警察は、犯人を捜索しているが、未だに何の手がかりもないという。カジさんの
> 様態についての情報は入っていないが、大きな怪我がなかった事を祈るばかりだ。
> (編集部:しんたにゆみ/From Sverige)

上記の記事はスウェーデンのニュースサイトのそのままコピーのように見える。
許可は得ているのだろうか。
それにしても、どうせ記事をコピーするんだったら、
「パイナップルの格好をした日本のポップスター(人気のあるスター)が襲われた」
と報じられているんだから、
「ポップスター」ということも書いてほしかったな。
スウェーデンのニュースの記事に載っているカジヒデキの曲も、youtubeで見ることができる。
"Suddenly Sibylla"
http://www.youtube.com/watch?v=oISErCF-jW8

それにしても、カジヒデキさんは傷害は負っていないのだろうか。
無事なことをお祈りします。

http://www.thelocal.se/18680/20090405/
■Japanese popstar dressed as pineapple robbed in Malmö
Published: 5 Apr 09 09:02 CET

Japanese popstar Hideki Kaji was beaten and robbed in the middle of a recording session in Malmö on Saturday, according to media reports.

Hideki Kaji, known for having a particular fondness for the Scandinavian countries, was in Malmö to record a music video.

The world-renowned popstar was recording on the street in the Kroksbäck area of the southern Swedish city when the robbers struck.

When the film team took a break and the cameramen left the site to photograph their children who had also accompanied the team, Hideki Kaji was left to guard the equipment, dressed as a pineapple.

"Three men then walked towards him, beat him up and robbed him. He was hit so hard that he lost a filling. He then passed out. When he woke up camera equipment worth a total of 20,000 kronor ($2,500) had been stolen," Mattias Attin at Malmö police told local newspaper Sydsvenskan.

Police had by Sunday morning been unable to apprehend anyone in connection with the attack.

Hideki Kaji is a regular visitor to Scandinavia and has recorded an album in Sweden under the celebrated Tambourine Studios label. Some of his hits have included "My Favourite Tofflor", "Suddenly Sibylla" and "Ramlösa".

TT/The Local (news@thelocal.se/08 656 6518)


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みんな自分という存在を維持するために、自分の意識を調整している

2009-04-03 22:26:05 | Weblog
(以下、まとまりのないつぶやきですみません)


自分が自分であることを当たり前だと思っている人は、「自分は何者なんだろう」と悩むことがない。

だけど、私の知り合いには、外国から日本に移り住んだ人や、生みの親の顔を知らない人や、男に裏切られて拒食症になった人など、自分の存在について考えたことのある人が少なくない。

悩むことは辛いことだけど、不幸なことではない。
悩むことがないからといって、多くの人と幸せに交流できるとも限らない。

少し体が硬いぐらいのほうが、自分の体に意識的になってバレエダンサーとして成長すると言われている。
少し言葉がぎこちないぐらいのほうが、自分の言葉に意識的になって詩人や作家として成長できるかもしれない。

だから、自分の存在について意識的になることは、自分の考え方を高度にしていく糧となるのではないかと思う。

それにしても世の中にはさまざまな問題や障害があり、自分の意識を安定させるのは難しい。
精神的に辛くなると、私たちは自然に、なんとか精神のバランスを取り戻そうと試みる。

ずっと耐えて病気になる人もいるけど、嫌に感じることがあれば反発するのが自然な行動だ。
気に食わない人がいれば、価値がない者として見下す。
嫉妬を感じることがあれば、難癖をつけておとしめる。
受け入れられないことがあれば、レッテル張りを行って否定されるべきこととして拒絶する。
そういった姿勢は、ネットの世界でも広く見られる。

自傷行為によって精神のバランスを得ようとする人も多い。
自分の意識を人任せにするように、宗教やサークルなどの組織などに入っていく人も多い。

だけど、安易な行動は、意識の安定から遠いところに行ってしまう場合もあるのではないだろうか。

最近、北朝鮮のミサイルだかロケットだかが発射されようとしている。
批判的な人たちは、北朝鮮の人たちや韓国・北朝鮮といった国に対して、否定的で攻撃的な、粗野な言葉をぶつけていることが多い。

同じように、北朝鮮の報道機関も、日本に対してこれまた否定的で攻撃的な、下品な言葉を投げつけている。

気のむくままに暴力的な言葉を吐いたところで、精神の安定につながるだろうか。
何も問題は解決せず、どちらかが滅び去るまで安心には至らないのではないだろうか。

北朝鮮の人たちが攻撃的な姿勢でいるのには、それなりの理由もある。
自尊心を保っていたいけども、弱くて貧しくて何もかもうまくいかなくて、自暴自棄になっているのかもしれない。

北朝鮮などは諸悪の根源だから無くなってしまえばいいと言う人も世の中にはいるし、
日本などは諸悪の根源だから無くなってしまえばいいと言う人もいる。

きっと、そのように言う人たちは、自分の存在を維持するために、単純に相手の価値を否定しようとしている。

自分を自分であり続けさせるためのイメージを傷つけられた人は、反射的に自尊心を守ろうとする。
自分たちが育ってきた環境で得た思い込み、価値観、判断基準、などで構築された自分という形を、自尊心によって維持しようとする。

自分の価値観が認められないものを受け入れることはできないと判断し、否定するしかないと思い込む。

だけど、ほんとうは自分の価値観とか判断基準などを全面降伏させてしまっても、世の中に大きな影響は無い。
思い込みとか遺伝子とか環境とか、自分というものを成り立たせているほとんどの要素は自分オリジナルのものではない。
自分の大事にしていたものが、それほどたいしたことではない場合も多い。

「かけがえのない命」「自分の個性は大事」などというのも、現代的な価値観。
社会組織をうまく維持するためには、そういった価値観を共有することが有効だと認識されているだけ。
情緒で人間をごまかせても、「人々の命の維持は絶対的に肯定される」とか「人々の個性を否定することは絶対的に否定される」という数式や化学式は書き出せない。

世の中には「悪」という絶対的に否定されるべき物質などというものはない。
「善」という物質もない。
物理化学や数学の世界には悪とか善といった変数はない。

世の中の事象の因果関係を見ていけば、何かの影響で何かが起こり、何かの影響で何かの思想が生まれ、といった因果関係の複雑な絡み合いが見えてくる。
絶対的な善や悪をめぐる戦いが世の中を支配しているのではない。
絶対的な善や悪といった存在を大事にする人間の価値観すら、複雑な因果関係の中で発生している事象だ。

私は、私に大きな影響を与えている先入観とか価値観といったことを疑うことによって、自分の輪郭をあやふやにさせ、不安の中で、世の中の複雑な因果関係が見えてくるのではないかと思っている。

言葉にできないような、世の中の構造。
言葉や論理や姿や事象といった形と隣り合った、混沌としたもの。
それを認識できるようになるためには、自分の意識の枠を、溶解していく必要がある。

いつまでも小さな先入観を死守していると、深くおもしろい世界は見えてこない。
意識の柔軟性がなく、自分の価値観を守らなくては自分の心のバランスを維持できなった人たちは、いつまでも終わりの無い戦いから開放されることはないのかもしれない。

それはそれで充実感のある、おもしろい戦いなのかもしれないけど、そういう戦いは、例えば初期の仏教では「輪廻から脱することができない状態」に例えられていたのではないか。

そんなことを考えながら、私はあいまいで不安な、それでいておもしろい状態に自分を置いている。


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