波打ち際の考察

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波屋山人

伏見博明さん

2022-06-12 21:13:24 | Weblog
2022年6月11日(土)の朝9時すぎ、日本テレビの「ウェークアップ」という朝の情報番組を見ていると、旧皇族の伏見博明さんが紹介されていた。
1932年に伏見宮家の第一皇子として誕生。1947年に15歳で皇籍離脱して一般人になった人。
皇室の存続について旧宮家が注目されているのだとか。

伏見博明さんは90歳だけど若々しく、よどみなくインタビューに答えていた。
ウィットに富んだ快活な人といった印象。
番組では皇室との深い関わりについて好意的に紹介。
ただ、伏見博明さんの闇部?についてはまったく報じていなかった。

回想録を出した出版パーティーには、皇族からの花飾りも多く寄せられた。
映像では、「御祝 寛仁親王妃」「祝 彬子女王 瑤子女王」などの文字が確認できた。
パーティーの挨拶では、「上皇后陛下(美智子さま)から直接お電話をいただきまして、『とても興味深くご本を読まさせて頂きましたよ』と…」などと言及。
インタビューでも、「例えば何々天皇の1000年祭だとか800年祭だという行事がありますよね。そういう時に宮内庁から案内が来ますけれど、コロナの前は必ず年に3、4回は天皇家の方々と食事をする機会がありましたからね」などという発言に合わせて、昭和天皇や上皇、今上天皇と同席している写真が紹介されていた。

しかし、もし、伏見博明さんが暴力団関係者と親しく、彼らと握手する仲であれば、天皇や皇后と握手した場合、間接キスならぬ間接握手となってしまわないだろうか。
自分の利益のために詐欺や恐喝で稼いでいるような人と、自分を捨てて神聖な世界に身を投じているような人が、結びついてしまったらどうなるのだろう。
虚飾の世界に生きる人が、ホンモノに触れて改心するだろうか。むしろ、権威を利用してもっと自分を飾ろうとするのではないだろうか。


先日、『旧皇族の宗家・伏見家に生まれて――伏見博明オーラルヒストリー』という本を読んだ。
前書きは青山学院の理事長。聞き書きは青山学院大学の先生。
伏見博明さんが「やんごとなき」人であるかのように、殿下と持ち上げ、畏敬の念?を示している。
国家や民族よりもキリスト主義を優先するようなキリスト教と、神道のトップとしての皇室は、相性がいいとは思えない。
それでも、どちらもお互いに「権威」をたたえ合えば、補完し合えるのだろうか。

しかし、伏見博明さんといえば、顕彰ビジネスや学位商法がらみの反社系の人々の付き合いがささやかれている。
ネットでちょっと検索すれば出てくる情報だ。しかし、この本には「日本文化振興会」総裁としての話は出てこない。
青山学院の先生たちはそのことについて突っ込まなかったのだろうか。
あるいは知っていてもお互いの利益のために伏せていたのだろうか。
伏見博明さんと反社界隈のつながりについて知っておきながら黙って伏見博明さんとの交流を誇れば、青山学院の先生方も反社界隈の仲間入りなのかもしれない。
(版元の中央公論新社、親会社の読売新聞社、関連会社の日本テレビも同罪か? そういえば関連の読売ジャイアンツも暴力団に巨額の支払いをしたという原辰徳監督を易々と復活させたあたりから、反社対応にゆるい会社という印象がある)


戦後一般人になった旧宮家の人々は、近年少し注目されている。
現在の皇族に男子が少ないので、皇室存続のためには旧宮家に何人もいる男子が皇族に復帰することを考えてもいいのではないかと考える人がいる。

ただ、おそらく悠仁親王は、「自分の仕事って、男の子をたくさん残すことなのかな?」とうっすら思っているのではないだろうか。
誰もそんなことを求めていなくても、自分がたった一人皇室に残っている若い男性、という立場であれば、ついつい考えてしまうだろう。

とりあえず悠仁親王がいるので、当面は旧皇族の復帰は検討されないのではないだろうか。
何より、皇族にふさわしい意識や振る舞いからほど遠い人が皇族に復帰して俗っぽい利己心や攻撃性を見せると、皇室の尊厳が損なわれてしまうだろう。

天皇家の人々は、利己的な姿勢を見せず、特定の主義主張をふりかざさず、俯瞰している人が多いように感じる。
彼らがもし、口数多く表面的なことをあげつらい、口角を下げてふてくされた表情を見せながら保身的なことばかり言えば、尊敬されることもないのではないだろうか。


戦後、皇族から一般人になった旧宮家の人々は、あやしげな人々に取り込まれて苦労することもあった。
旧皇族という威光を利用して、ビジネスに利用しようとする人もいた。

日本文化振興会という、検索してみればいろいろ情報の出てくる、顕彰ビジネスのような団体がある。
占い師とか整体師とか気功師とか健康グッズ販売者とか、学術的とは言い難い人たちが「受賞」していることを宣伝に使っている。
https://ja.unionpedia.org/i/%E7%A4%BE%E4%BC%9A%E6%96%87%E5%8C%96%E5%8A%9F%E5%8A%B4%E8%B3%9E
>社会文化功労賞
>(略)日本文化振興会が授与する賞のひとつ。(略)公的な賞と混同しやすいため俗に顕彰商法と言われ、悪徳商法のひとつとして位置づけられることが多い。公的な賞であると勘違いして言われるまま金銭を支払う受賞者と、顕彰商法であることを承知で受賞し経歴に反映する受賞者とがいる。

日本文化振興会は1971年に桟勝正という人が始めたようだが、桟勝正という人の経歴はよくわからない。
以前、桟勝正という人が書いたと思われる富士山の絵がヤフーオークションに出ているのを見たことがある。
売れない画家が独自の美術団体を名乗りはじめ、それからもっともらしい名前の団体をたくさん作り、アンダーグラウンドな人たちとの関係も広げ、顕彰ビジネスや学位商法で利益を上げてきたのかと推察していたが、詳しい情報はなかなか見つからない。

2021年に亡くなった山口組系の英五郎組長は、2002年に日本文化振興会の名誉最高顧問に就任していた。
伏見博明さんは、1996年(平成8年)から現在まで日本文化振興会の総裁だ。

当然、伏見博明さんは、英五郎組長との交流があった。
2005年(平成17年)に、伊東温泉で「伏見博明殿下を囲む会」が開催された。
敬天新聞社のHPにその時の様子が掲載されている。
旧皇族の伏見博明さんが、山口組系の有名組長、英五郎さんに賞状を渡している写真は、一部の人にはよく知られている。
http://www.keiten.info/ph/101_07.htm


この「伏見博明殿下を囲む会」の参加者にはさまざまな人の名前がある。暴力団関係者の名前が多い。
英五郎(全国青少年健全育成会統轄責任者、山口組系の組長、日本文化振興会名誉最高顧問)
松崎忠男(大日本忠誠同志会総裁、浅草高橋組出身)
村上和彦(極道劇画作家)
阿形充規(大日本朱光会・国民協議会名誉顧問、住吉会住吉一家日野六代目)
白倉康夫(敬天新聞社社)・・・暴力団関連新聞? 恐喝で逮捕歴あり
桟勝正(日本文化振興会名誉理事長)・・・顕彰ビジネス?
渡辺謙二(大日本一誠会会長)
村井康太郎(元六代目山口組英組相談役、元若頭)


日本文化振興会の年表を見ると、毎年12月に「伏見博明殿下を囲む会」が実施されていたことが書かれている。
この会にも、アンダーグラウンドな人たちが多く出席していたのではないだろうか。
奈良時代や平安時代から、天皇という「聖」なる存在と、被差別民などの「賤」なる存在は、お互いに一般社会の枠組みから外れた存在として、接近・交流することもあった。

しかし、芸能や清めや殺生などに関わるはみ出し者の被差別民たちは、自分たちも一般社会の中で高く評価されたい、などと言うことはなかった。
むしろ、一般社会の制約の多さや一般社会でしか通用しない権威から距離を置き、一般社会の人から理解されなくても魅力的なものに触れたいと思っていたのではないだろうか。
現在の一部の反社関係の人たちは、虚飾であっても社会的名誉が欲しいのだろうか。
ロックミュージシャンは、国から勲章を受け取ることすら躊躇する人が多い。
偽物の勲章をありがたがったりしたら、アウトサイダーとしての誇りは損なわれてしまうのではないだろうか。

・日本文化振興会の「当会の歩み」から
http://www.nihonbunka.jp/page-ayumi.html
1997 平成9年
 12月 霞ヶ関ビル・東海大学校友会館において「伏見博明殿下を囲む会」を開催
1999 平成11年
 12月 明治記念館において「国際交流文化パーティー・伏見博明殿下を囲む会~ 日印文化財団設立記念」を開催
2001 平成13年
 12月 明治記念館において「国際交流文化パーティー・伏見博明殿下を囲む会」開催
2002 平成14年
 12月 明治記念館において「国際交流文化パーティー・伏見博明殿下を囲む会」開催
2002 平成14年
 12月 明治記念館において「国際交流文化パーティー・伏見博明殿下を囲む会」開催
2003 平成15年
 12月 明治記念館において「国際交流文化パーティー・伏見博明殿下を囲む会」開催
2005 平成17年
 12月 パレスホテルにおいて「国際交流文化パーティー・伏見博明殿下を囲む会~ 世界婦人平和促進財団創立10周年」を開催
2006 平成18年
 12月 東京プリンスホテルにおいて「国際交流文化パーティー・伏見博明殿下を囲む会」開催
2007 平成19年
 12月 上野精養軒において「国際交流文化パーティー・伏見博明殿下を囲む会~台湾支部設立30周年」開催


6/13追記
マスメディアの中には、もしかしたら旧宮家の伏見博明さんを持ち上げて知名度を高めてから、落とすことを狙っている人がいるかもしれない。
伏見博明さんと天皇家との親密さをアピールした後に伏見博明さんの暗部を報じれば、天皇家へのバッシングにつながりかねない。
さすがに日テレも青山学院もそれを狙ってはいないだろうけど、そのうちバッシング報道が出てきたら背景を注視したい。


<参考>
『旧皇族の宗家・伏見家に生まれて――伏見博明オーラルヒストリー』
古川江里子・小宮京編 中央公論新社、2022年

刊行によせて
            堀田宣彌
     学校法人青山学院理事長
(略)上皇陛下の四従兄であり、天皇陛下の四従叔父にあたる第二十四代伏見宮家当主伏見博明殿下が、自らのお言葉で昭和・平成・令和を語られた貴重な史実である『旧皇族の宗家・伏見家に生まれて――伏見博明オーラルヒストリー』が佳節を期して刊行されますことは、まことに慶賀の至りに存じます。(略)
 伏見博明殿下は、一九三二 (昭和七)年、伏見宮博義王の第一王子としてお生まれになり、本年卒寿を迎えられました。積み重ねられた赫赫(かっかく)たるご功績に、敬意とお慶びを申し上げる次第です。(略)
 日本伝統文化協会の野﨑正史理事長のご紹介で初めて伏見博明殿下にお会いしたのは、三年前になります。(略)
 殿下は、いつも温厚で柔和なお人柄と、笑顔でユーモア溢れる楽しいお話、時には留学で鍛えられた流暢な英語でのスピーチの中にもジョークを交えてのご挨拶等、お会いするたびに拝聴することが喜びであります。いつも君臣水魚のご親交を賜って参りましたことに、深く感謝を申し上げる次第です。
 殿下におかれましては、これからも益々ご健勝でご活躍されますことを心からご祈念申し上げまして、本書刊行のご慶事の辞とさせていただきます。

p61
   ――言葉はいわゆる公家言葉、御所言葉ということになるのでしょうか。
 そうですね。生まれた時から、父は「おもうさま」で、母は「おたあさま」。祖父が「おじじさま」で、祖母が「おばばさま」です。言葉遣いについては、おふくろもなかなかうるさかったです。でも、学校では普通の言葉でしゃべるので、使い分けが大変でした。

p69
   ――皇室や元皇族の方々は、お酒が強い方が多いのでしょうか。 今上陛下はお酒がとても強いと報道されていますね。 昭和天皇もお強かったのでしょうか。
 昭和天皇はほとんど飲まれなかったですね。どうだろう、小さなおちょこでせいぜい一杯ぐらいじゃないですか。
   ――上皇さまもあまりお飲みにならないのでしょうか。
 上皇さまはたぶん一杯ぐらいは飲まれます。この間(二〇二〇年一月二十九日)もクラス会があって。 久しぶりのクラス会だっていうんで三十人ぐらい集まったって言われたかな。で、つい誰かが上皇さまに勧めたらしいんですね。 それで二杯飲まれたら、夜倒れられたと聞きました。

p92-93
   ――(略)戦争に負けそうだ、あるいは戦争が終わりそうだということは、いつ頃から聞かれていましたか。
 おじいちゃんが元軍令部総長ですからね。具体的にいつとは言っていませんでしたが、もう軍艦もないよ、戦争は終わるよ、と言っていました。
 おじいちゃんは僕に接する時はいつもにこにこして明るい顔だったのが、いつのまにか元気がなくなって、悲愴な顔になっていました。そういうのは子どもにも伝わりますよね。
 おじいちゃんの部屋には誰も入ってはいけないことになっていて、僕もあまり入っちゃいけないよとは言われていたのですが、入っても文句は言われなかったんです。おやじが死んで、将来海軍に入って、自分の跡を継ぐのはこの孫だという意識があったのでしょう。かわいがってくれたと思います。
 たぶん中等科一年の頃、昭和十九年頃でしょうか、おじいちゃんの部屋には海軍省で描かせた軍艦の大きな絵が貼ってあったんですがええ、結構細密な絵です――、おじいちゃんは軍艦が撃沈されるたびに、その軍艦の絵に斜めに線を引いて消していくんです。僕の目の前で消していくこともありました。でも、それは、どう見ても大本営発表で聞いたのとは違うんです。 大本営発表で一隻撃沈された、と言っているのに、おじいちゃんは三隻、四隻と消していく。あれを見たのは、家族のなかでも、たぶん僕だけです。僕も大本営発表と違っているけどいいの、とは聞かなかったし、聞けませんでした。それで、おじいちゃんは、日本はもう駄目だな、と言うんです。

p111-112
 むしろ皇籍離脱をした後で、二人で過ごす機会があったんです。桜が綺麗だった記憶がありますから、昭和二十三年、高等科に上がった頃だと思いますが、二人で泊まりがけで乗馬をしに行ったんです。 今の成田空港がある所は、三里塚と言って、当時は宮内庁の牧場(下総御料牧場。昭和四十四年、栃木県に移転)でした。その牧場にわれわれ皇族が寝泊まりする別荘というかコテージみたいなものがあったのです。 そこへ皇太子さまと二人で行って、泊まって、馬で走り回って、一緒にお風呂に入って、一緒に寝て……。 たぶん今の上皇さまが初めて一緒に風呂に入ったのは――お付きの者を別にすれば――僕なんです。
 僕ら男の子は生まれたら親やきょうだいと引き離されて育てられますからね。親やきょうだいと風呂に入ったこともなければ、一緒に寝たこともないのです。引き離されて、さびしさに耐える、そういう教育なのです。 上皇さまが天皇陛下になられてしばらくして、ある人に「いちばんやりたかったことは何ですか」と聞かれて、「うーむ。 死ぬまでに一回弟と一緒に寝たかったね」とおっしゃったくらいです。 われわれは、いざという時に誰にも頼らず一人で決断できるように育てられていますので、 般の方から見ると、冷たいなと思われる時があると思います。一人でやっているのだから、一人にしておいてくれ、というような一面がある。上皇陛下はとてもあたたかい方ですけれど、たぶん一般の方からすればクールに見える一面もあると思うのです。 たぶんそれは育てられ方から来ているものなんです。

p113
   ――皇籍離脱後の暮らしについて、うかがいます。小田部雄次氏の『皇族』によりますと、伏見家には一時金として約四六四万円が支払われたと。使用人は五人で、月六万から七万がかかったともあります。紀尾井町にあった本邸約二万一〇〇〇坪は、その半分を財団法人住宅研究会に売却されています。
 こんなことを言ってはいけないかもしれませんが、払ったこともない莫大な税金を払わなきゃならないし、使用人の給料も払わなきゃならない。一時金なんて一方的に決められたけれど、そのくらいの金額ではあっという間になくなってしまいます。だから、元皇族の家は、いわゆる“売り食い”で暮らしてきたことになります。それでもうちは土地という資産がありましたから、八五パーセントなんていう税金をかけられても何とかなったほうかもしれません。うちの土地はニューオータニになりましたし、竹田宮は高輪プリンスホテル(現グランドプリンスホテル高輪)。でも、宮内省の土地をただで借りて住んでいた宮さまもいたわけです。たとえば賀陽さんのところなんかは本当に生活に困っていました。他にも、それこそ慣れない商売を始めて財産をなくしてしまった家もありますし、悪い人に騙された家もありますからね。

p131
   ――李玖さまとはケンタッキーまでご一緒ではなかったのですか。
 李玖さんはたしかサンフランシスコに知っている人がいて、そこで何泊かしたんじゃないかと思います。
 僕と李玖さんは、さっきの新聞では「大の仲好し」となってしましたが、仲よしというのとは違っていました。 だいたい性格が違いすぎる(笑)。こういう言い方をしていいのかわかりませんが、李玖さんは真面目で少し暗い方なんです。 それはそうですよね。親が朝鮮から日本に連れてこられて、特に戦後は朝鮮人なのに朝鮮に帰れない、かといって、日本にいれば朝鮮の王族ですからね。戦後は居場所がなくなってしまった感じで、お気の毒な立場でした。彼は後にマサチューセッツ工科大学で建築を学んで、 アメリカの設計事務所に入って、その後、朴正熙政権で韓国に戻って、日本と韓国を行ったり来たりしていました。ある時期までは学習院の同窓会などで時々会いましたが、もう十五年ばかり前に、元々李王家があった赤坂プリンスホテルで亡くなってね。葬式も韓国だったんじゃないかな、僕は行っていません。

p144-145
   ――帰国された時に、その後の進路についてはもう決まっていたのですか。
 前にお話ししたように、本当は外交官になろうと思って留学したのですが、そのためには日本で外交官試験を受けなきゃいけない。まわりに東京大学に入らなきゃ外交官試験に受からないですよ、と言われて、準備を始めたのですが、翌年の試験にはとても間に合いませんでした。
 もう一年頑張って勉強してみようかどうしようかと迷っていた頃、うちに勤めていた鳴子という事務員の親戚が当時のスタンダード・パキューム・オイル・カンパニーの日本支社ナンバー2か3のポジションにいて、その人から「うちへ来ないか」と声をかけられました。それで、話ぐらいは聞いてみようかと、横浜にあるその会社に軽い気持ちで面接に行ったんです。
 スタンダード・バキュームは今のエクソンモービルの親会社で、その後、独占禁止法でいくつかの会社に分かれ、そのうちエクソンとモービルが合併してエクソンモービルとな ったのです。ロックフュラーの会社ですから、石油会社としては世界ークラスです。それで、アメリカ人の人事部長と三十分ぐらい話をしたら、「OK。明日からすぐ来てくれ」って(笑)。「ちょっと待ってください」って言ったんだけど、それで入社ということにな ったんです。まあ、あの頃のアメリカ人は威張っていて、言葉の問題もあったんでしょう けれど、はっきりと物を言う日本人があまりいなかった。こちらはだいぶアメリカナイズ されていたので、好き勝手なことを言ったのが、かえって良かったみたいでした。
 さて、会社は横浜にあります。横浜まで電車でどう行ったらいいかもわからないから、車でいいや、と思って、また運悪く、派手なシボレーだったんだけれど、会社まで運転して行って、駐車場に入れたら、誰だ誰だってことになってしまった(笑)。「あれが伏見だよ」「へえ、入社したばっかりなのに」なんて声が聞こえてきたものだから、これはまずいな、と思って、次の日からは電車で通うようにしました。あの頃は車も少なかったから、うちから横浜まで三十分ぐらいだったですかね。暴走族並みのスピードかもしれないけれど。(笑)

p156-157
   ――皇族の方々と旧皇族の方々を結び付けているものとして、菊栄親睦会というものがあります。この菊栄親睦会という言葉自体は新聞や雑誌などで時々見かけるのですが、具体的にどういうものなのか、実はよくわかりません。(略)
 ええ。そうですね。 菊栄親睦会自体は割合に小さな集まりです。ただ、数年に一度、菊栄親睦会の大会を開いていて、その時は会員だけじゃなくて、たとえばその弟とか妹、あるいはうちの娘たちも出席しています。(略)
 今はそれほどやっていませんね。 今年(二〇二〇年)六月の大会もたしか五年ぶりで、天皇陛下のご即位をお祝いするという趣旨で行われます。 昭和の頃は定期的に行われていましたが、時代も変わって、今の上皇陛下はお忙しくしておられましたからね。
 菊栄親睦会で集まりますと、名誉会員の天皇皇后両陛下にごあいさつするということが当然あります。そういう時には、古い宮家から順にすることになっていました。だから、僕がいつもトップだったのです。 たとえば、両陛下のお誕生日——正式にはご誕辰と言うのですが――に呼ばれた時も、代表でごあいさつをしなければなりませんでした。だけど、昔は僕より年上の方もたくさんいましたし、それはやっぱりまずいんじゃないかと言って、皆さんに賛同していただいて、規約を変えました。今は年齢の順にごあいさつをすることになっています。

p177
 皇族がいちばん楽なのは、生活に困らないことです。生活には困らないのですが、自由がありません。宮さまのままだったら、できなかったことはきっと多かっただろうと思います。ただ、宮さまとしていっとき育ってきたのは事実ですから、復帰したとしてもその経験がない連中に比べれば楽ですよね。僕らだったら、また振り出しに戻るだけです(笑)。天皇陛下に復帰しろと言われ、国から復帰してくれと言われれば、これはもう従わなきゃいけないという気持ちはあります。
 一般人として生活していくのは、元皇族としての自分と今の一般人としての自分とをうまく切り替えれば、何とかなります。 会社の中で宮さまぶっていたらおかしいですし、皇居へ行ったら今度は宮さまぶっていないとおかしい。 言葉遣いだって、多少は違うわけです。
 要するに、今の僕の立場は、元皇族の一員であることを常に頭に置いたうえで一般人として生活することで、皇居に行けば元皇族とはいえ、皇族のような振る舞いをしなければいけない。いわば二重の人生ではあります。まあ、僕はアバウトな性格だから、二重の人生であることに悩んだりはしませんけれどね。

p178-179
   ――「私」のない生活なのですね。伏見さまは民間人になられても、上皇さま、上皇后さまをはじめとする皇室とのつながりがあって、直接的に公務を担われるかたちではなくても、やはり皇室を支えておられるという印象を受けました。
 そうですね。僕は何かあればいつでも陛下をお守りするつもりですし、何かあればいつでも陛下のお役に立てるようにやりますよという気持ちでいます。(略)上皇さまはいろいろなことに興味を持っておられるのだけれども、まわりになかなかそれに答えられる人がいないのです。だから、僕はこれは上皇さまはご関心があるかな、ということは積極的に知ろうと思っています。上皇さまは年も近いし、何かお聞きになりたいことがあると僕に聞いてくださいますから、それにちゃんとお答えできれば、話も結構盛り上がっていきますしね。
   ――最後に、皇室を守るという観点で、今後の皇室について心配されていることなどはありませんか。
 心配していることはもちろんありますけれども、表だって口にすることはできませんよ。ただ、一つだけ挙げるとすれば、さっきも少し言いましたが、人は急に宮さまになれといわれて、なれるものではないということでしょう。
   ――それはむしろ私たちが伏見さまのこれまでの歩みから考えていかなければならないということですね。
 皇室や皇族のことは、知らない人が多くなっているように思われます。 僕の話がそういったことを知るための、何らかの役に立つのであれば、嬉しいと思います。


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