新・徒然煙草の咄嗟日記

つれづれなるまゝに日くらしPCにむかひて心に移りゆくよしなし事をそこはかとなく紫煙に託せばあやしうこそものぐるほしけれ

泊まりがけは17年ぶりの新潟遠征 #1-2

2024-02-29 19:14:38 | 旅行記/美術館・博物館・アート

「泊まりがけは17年ぶりの新潟遠征 #1-1」のつづきは、朱鷺メッセにある新潟県立万代島美術館で観た「JUNKO KOSHINO コシノジュンコ 原点から現点」のこと。

私は朱鷺メッセに着くと、既に「MISIA星空のライヴXII」にやって来た人でごった返すエスプラナード(歩廊)アトリウムには目もくれず、まずは万代島ビル 5Fにある万代島美術館に向かいました。

この展覧会には、もともと行く気満々で、1月中に前売り電子チケットを購入しておりました。
そして、会期直前になって、MISIAの「X」公式アカウントからMISIAの衣装も展示されるという情報が流れて、ますます気分が高まったという次第。

それにしても、どうして新潟でコシノジュンコ展?? という疑問が…

この疑問は展覧会の冒頭の展示で解消されました。
コシノジュンコさんと新潟県見附市(長岡市と三条市に挟まれた市)が、30年以上も交流を続けてきたのですと。

見附市のHPから引用しますと、

1990年には国と県の補助事業として、見附ニット工業協同組合新商品開発事業に関する業務委託契約を締結し、1996年までの期間、市内での講演会や企業別訪問指導、デザインコンテストを開催するなど、見附ニット業界の産地力強化に貢献してきました。
他にも、同氏は見附市のコミュニケーションマークや、市立成人病センター病院(現市立病院) のユニフォームデザインを担当した他、市内の小中学校を会場としたファッションショー「見附コレクション」(91年、93年、96年)を実施。1997年から2002年にかけては市の「まちづくりアドバイザー」として、小中学生を対象としたTシャツデザインコンテストを毎年開催するなど、見附ニットの普及やまちづくりに深く寄与していただきました。

だそうです。
会場には、「見附コレクション」の写真や資料なども展示されていました。

   

展覧会の本編は、コシノジュンコさんが高校生の時に描いたというヌードデッサンでスタート
モデルはどうしたんだろ…などとつまらないことを考えつつ振り向くと、コシノジュンコさんの大々出世作が展示されていました。

1960年にコシノジュンコさんが史上最年少「装苑賞」を受賞したコートです。

インバネスコートケープ部分がそのまま身頃に繋がっているような面白いデザインです。
そして、目を惹くブルーモヘアっぽいモコモコの生地と、大きな4つのボタンキュート

1950年代後半~60年代前半の装苑賞受賞作品を見ると、当時、このような大きなボタンが流行っていたみたいですな

お次は、大阪万博ホステス(今でいうコンパニオン)」の制服。

当時29歳だったコシノジュンコさんは、左からタカラ・ビューティリオン館ペプシ館生活産業館を担当。

タカラ・ビューティリオン館のユニフォームの「裏地を見てのデザインは「羽織(羽裏)」的な発想なのでしょうか?
2015年春に東京国立近代美術館で開催された「大阪万博 1970 デザイン プロジェクト」展 (観に行きました) の図録に、コシノジュンコさんのコラムが載っていまして、これが面白い

生活産業館のコンパニオンのために私がデザインしたのは超ミニのワンピースに、大きなネクタイ、足には「地下足袋風ロングブーツ」という個性的なルック。
ところがこの「地下足袋風」に問題が勃発。コンパニオンの親御さんたちから、うちの子にそんな地下足袋なんて履かせられないとクレームが入ったことから、こんな若い人にデザインを任せていいものか、問題になったそうです。(当時は良家の子女がコンパニオンに抜擢されることが多かったのです。)
そこで月星ゴムさんにお願いして《ティッパレートシューズ》(実際親指は分かれていないのですが、そんな風に見えるストレッチロングブーツです。)と、名前をつけました。とはいえ、このブーツ、今でもウケるんじゃないかしら。

足元を拡大してみましょう。

バックの写真の方がより「地下足袋」っぽく見えます

   

'70年代のGSなどアイドルグループの衣装の話はすっ飛ばしまして資生堂とのお仕事が、コシノジュンコさんも資生堂も、さすが でした。
なかでも「わおっと思ったのが、こちら「資生堂ベネフィーク」の広告群。

いずれも、モノクローム大きな写真をメインにすえて、右下に商品のカラー写真チロッと載っているデザインで、なんともキャッチー、かつ、カッコイイ
なお、この広告群、モデルは「伝説のスーパーモデル」山口小夜子さん、アートディレクションは天野幾雄さんだそうです。

   

お次の「対極」は、大阪万博のペプシ館のユニフォームの流れを汲んでいるかもしれないのですが、のコントラストが強烈です。

この漆器がモチーフになっているんですな。

なお、私、コシノジュンコさんデザインの小鉢を愛用しています。

この小鉢は、かつて、ニューヨークの近代美術館(MoMA)のミュージアムショップでも取り扱われていたと聞いたことがあります。

   

隣の展示室は、一転して、今度は

床に貼られたアルミ板(?)に反射した照明、壁や天井に揺らめく光のさざ波を造り出していて、例えようのない雰囲気が漂っていました。

このダクトのような蛇腹になった長ぁ~い袖「THE TOUR OF MISIA JAPAN SOUL QUEST」ファイナルでのダンサーさんの衣装を思い出させます

それもそのはず、この展示室にありました

「THE TOUR OF MISIA JAPAN SOUL QUEST」MISIAが着用した衣装4点が展示されていました。
が、ここから先は「#1-3」で書きます

つづき:2024/03/01 泊まりがけは17年ぶりの新潟遠征 #1-3

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