「2016年師走の仙台旅行記(その13)」のつづきです。
穏やかな松島湾がきれいです。
そして、五大堂入りの定番の構図。
「その13」で、「とんでもない思い込みをしていたことを知ったのは、このあとのこと」と書きましたが、その「思い込み」というのは、五大堂を「五角形のお堂」だと思っていたこと。
実際は、約7m四方の正方形のお堂で、
傍らに立つ案内板(五大堂縁起)によれば、
平安時代初期の807年、坂上田村麻呂がこの島に毘沙門堂を建て、828年、慈覚大師が瑞巌寺の前身・松島寺を建てて、ここに五大明王を祀り、五大堂と呼ぶようになった。
現在の建物は1604年、伊達政宗が紀州(和歌山県)の名工鶴衛門家次に命じて建立した。方三間の宝形造で、四方に勾欄つきの縁を巡らし、正面に向拝をつける。内部に重厚な家形厨子を置き、五大明王像を安置する。
だそうで、五大明王(不動明王、降三世明王、軍荼利明王、大威徳明王、金剛夜叉明王)をお祀りするお堂だから「五大堂」というわけですな。
考えてみれば、六角堂(例えばこちらとかこちら)や八角堂(たとえばこちら)はあっても、五角形の建物なんて見たことがありません(こちらによればないことはない)。
そんな五大堂ですが、正面に掲げられた額には、
「五太堂」と刻まれています。
「五太堂」では意味が通じないだろ、と思うわけですが、 公式サイトには、
揮毫は105世天嶺。「太」の字は筆の遊びであろう。
と説明されています。
単に間違えただけだれど、 揮毫したご住職に意見するのが憚れて、そのまま掲げてしまい、現在に至るってな経緯だったりして…
ところで、五大堂の勾欄の擬宝珠がよだれかけを着けていました。
お地蔵さんじゃあるまいし… と思いつつも、結構似合っています
ところで、五大堂の立つ小島と陸地とは2本の橋で結ばれていまして、その橋の床が床になっていない
橋桁の間に角材が枕木のように並べられ、その上にさほど幅の広くない「床板」が2枚並んでいます。
そして、梁状の角材の間からは、海が見える…
大した高さではないにしろ、高所恐怖症の人には辛かろうな…
公式HPによれば、
現在の堂へ渡るすかし橋は、縦板が2枚しつらえられているが、もともとこの板はなく、はしご状であった。
横板の間隔も5寸(約15cm)程有り、江戸後期の紀行文に、恐ろしくて渡る事ができなかった人の事が紹介されている。
だそうで、現地の案内板には、
五大堂への参詣には身も心も乱れのないように脚下(あしもと)を照顧(みつめて)して気を引き締めさせるための配慮と思われる。
とな。
5寸おきのはしご状の橋、それはそれで楽しいかも…
こうして松島観光を終えた私は松島海岸駅に戻りました。
駅前の交番がなかなか趣きアリ
駅前のコーヒーショップで時間調整して、ホームに上りました。
この分だと、16:00からのTHE TOUR OF MISIA LOVE BEBOP のグッズ先行販売にピッタリのはず…
ところが、仙石線の上りは、強風の影響とやらで10分遅れで運行とな
ここまで寒さを感じなかった1日でしたが、陽の傾きと強い風のせいで、この待ち時間は寒かった…
でも、やって来た電車に座れましたから良しとしましょう。
電車には、途中駅から続々と帰宅する高校生たちが乗り込んで来て、仙台に近づくにつれてかなりの混雑になりました。
それにしても高校生たち、そろいもそろって荷物がデカいゾ
そして、仙台サンプラザ最寄り、っつうか、目の前の「Baseball Station」榴ヶ岡駅に到着
エスカレーターで地上に上ると、すぐ目の前に仙台サンプラザ
もう始まっていると思っていたグッズの先行販売は、準備が整っていないとかでまだ始まっておらず、会場の外で立ちんぼ…
春や秋ならまだしも、この季節の夕暮れ時に20分も寒風の中で待たされるのは辛かった…
きのうきょう決まった話ではないのですから、万全を期して準備していただきたいゾ
こうしてグッズを仕入れた私は、仙台駅東口まで歩き、駅前のホテルにチェックイン
そして旅装をとき、一休みしながら、ライヴに出撃する直前まで「THE TOUR OF MISIA開幕記念仙台旅行ダイジェスト(初日)」を書いたのでありました。
この後のライヴのこと(こちらをご参照方)ほかは省略いたしまして、仙台旅行記初日分は完結とさせていただきます。
つづき:2017/01/11 2016年師走の仙台旅行記 2日目 #1