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藤枝MYFCを中心としたサッカー観戦記やサッカーに関する個人的な意見の書き込みが中心です。

消えた天才2

2018年12月18日 22時48分43秒 | その他
ユーチューブにて消えた天才平山相太編を視聴

https://www.youtube.com/watch?v=n2_cmPs2tgs

内容は以下のとおり
・高校サッカー選手権歴代最多得点、高校卒業時には当時のほぼ全てのJクラブ(16クラブ)からオファーがあった。
・高校卒業後、一度は大学に入るもオランダ1部リーグに入団、チーム得点王になるも1年でクビ。
・日本に戻ってJクラブに入団、10年Jリーガー在籍するも目立った活躍なく引退。
・オランダで1年でクビになったのは監督が変わり、新たな監督から「オランダ語を覚えろ」と要求したが、平山はオランダ語を覚えられなかったから。
・本人曰く、プロで活躍できなかった理由は強い精神力が無かったから。
・オランダでプロになる時、オランダに行く事しか考えていなかった。(プロとして成功するビジョンを描いていなかった)
・現在は将来指導者になるための勉強のために大学生になった。

感想
平山の高校サッカー選手権での活躍は言うに及ばず。誰もが平山の将来の日本代表での活躍を期待した。
ただし平山に関しては、マスコミが過熱に報道し過ぎて、平山本人が勘違いをしてしまっていた感が強い。
平山が高校2年生の時、初めてスポーツ新聞の1面に平山が出た時の見出しは「国見にヤンカ―がいた」だった。※ヤンカーは193㎝のドイツ代表FW。
その身長の高さを活かした迫力あるプレーはまさにヤンカ―そのものだったが、高校3年生の選手権で平山フィーバーが過熱するとマスコミは平山に対してヤンカ―ではなくマラドーナのような活躍を求めるようになり、日本中のにわかファンがそれを期待するようになってしまっていた。
前線の電信柱として順調に成長していれば、立派な日本の電信柱になっていたと思うが、足元を見失ってしまった選手という印象が強い。

VTRの中で「高校卒業後一旦は大学に進学するもすぐにオランダでプロ契約」と簡単にプロ入りの経緯が紹介されていたが、その経緯を省略されてしまっていたのは残念だった。
平山は多くのJクラブからオファーがあったが筑波大学に進学。これは当時の小峰監督の意向が強かったと云われている。おそらく小峯監督は平山の精神的な弱さのままプロ入りしても成功しないという事を見抜いていて、大学進学させたのだと思う。
小峯監督の指示に従い大学進学した平山だったが、大学2年の時のU-20W杯で惨敗して世界との差を痛感。ここで地道に足元を見て大学で成長しようとすれば良かったが、慌てて大学を中退してオランダでプロ入り。1年目は活躍できたが、VTRであったオランダ語を覚えられなかった事、ホームシックにかかったなど当時の報道もありすぐに帰国。Jクラブ入りするも期待されたほどの活躍が出来なかったという流れに繋がった。

結局プロを引退してからまた大学生に戻り、高校卒業時に小峯監督が平山に足りなかった部分を学ばせるために進学させた大学生に戻ったという格好になった。
マスコミの報道に勘違いした周囲の影響で自身の足元を見失い、自分の課題と向き合えずに弱点そのままにプロで勝負、中途半端なまま現役引退して、15年の回り道をしたという状況となった。

身体能力や足元の技術だけでプロになってもプロで活躍できた選手は非常に少ない。
気持ちの強さや人間性も同じくらい重要だということがわかる。
そして日本にはそれを補う場所として、大学という有益な選択肢が用意されてあるという事も再認識させられた。
コメント
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