山上俊夫・日本と世界あちこち

大阪・日本・世界をきままに横断、食べもの・教育・文化・政治・歴史をふらふら渡りあるく・・・

「チリの闘い」第2部・第3部を見る チリの労働者の英雄的なたたかい

2017年01月04日 21時43分57秒 | Weblog
今日はシネヌーヴォで「チリの闘い」第2部・第3部を見た。第2部「クーデター」は1973年6月29日の、ある一つの連隊がクーデターを起こしたところから始まる。銃を水平にして撃ちまくる。広い道路で人々が逃げまどう。大統領府まで攻撃をした。だが軍の多数派は動かなかった。だから鎮圧されたが、あきらかにこの時から9月11日の全面的なクーダタ―までが最終の時期、合法的なアジェンデ人民連合政府を不法に倒すクーデターの時期だ。映像ではこの6・29クーデターを撮影していたカメラマンに軍人が銃を向けたかと思ったら、画面は揺れ真っ白になった。このクーダタ―で22人が殺されたが、議会多数派の右派は容認した。
 この第2部は、見続けるのが苦しかった。あくまで平和的な運動でアジェンデを支える、労働者を中心とした人民連合勢力とファシスト右翼とのたたかいは、極限に向って突き進んだ。人民連合は工場労働者を核に各地域に地域連絡会を組織していった。労働組合の中央の会議での激しい内部論議もそのまま撮影されていた。住民を深く組織していく組織作りに徹底せよとの指示にもとづいやってきたがその後の打開策が提示されないじゃないかとの不満が出される。住民を組織し、街頭デモで示威行動をして、ファシストが武力に打って出るのを抑え込む、ここにしか武器を持たない労働者人民のたたかいの道はない。大統領府のモネだ宮周辺で80万人のアジェンデ支持集会を行なう。日本で言えば800万人の集会になる。
 アメリカのジャーナリストが暴いたところによると、アメリカ政府はCIA資金50億円以上(当時のお金で)を渡して、トラック協会を買収して、トラック・バスストライキを組織した。映像は数千台のトラック・バスが留められているの写す。物流、交通がほぼストップした。すでにアメリカは経済封鎖をしてあらゆる機械部品がチリに入らないように仕組んだ。原材料も輸入不能になった。資本家団体はストライキをする。労働者がストライキをするのではない。資本家のストは、経済をマヒさせるため、生活用品、食料品がなくなるまで追い込んで、国民の不満がアジェンデ政府に向くように仕組んだのだ。その原資はCIAの資金だ。許せない。他国の政府を不法に転覆する策動をしているのだ。あきらかに国連憲章違反だ。だがアメリカはれっきとした帝国主義国家。孫崎享さんが書いていたが、アメリカは大規模な侵略戦争で大量殺りくを平気で行なう。ベトナム戦争やイラク戦争はじめ第2次大戦後100を超える。だから、戦争以下の水準の不法行為などはましてへっちゃら。不法な資金でよその国を買収して転覆する、クーデターの作戦を練り指導することなど、戦争にくらべれば軽いことになるのだ。しかし国際法では許されていない。
 アメリカ資金による資本家ストに対して、労働者はくじけず、粘り強くたたかった。工場のトラックで昼夜をわかたず物資を運ぶ、朝夕には通勤労働者をトラックに満載する。貴重な国家資金になる国営化した銅や硝石の鉱山では生産増強のために残業を続ける。金持ちの物資隠匿を摘発する。国の流通部門からの物資や食料品を「人民商店」をつくって儲けなしで人々に届ける。この分野でも組合をつくろうと呼びかける。今でいうなら生活協同組合だ。
 それでも物資の不足はひろがる。仕組んだのは資本家団体であるにもかかわらず、経済の破壊による不満は政府にも向けられる。街頭でもファシスト、右翼勢力による暴力行為が拡大する。6・29クーデターでもそうだったが、議会多数を派の野党(右派)は暴力行為を沈黙容認する。アジェンデ大統領が暴力を抑えるために非常事態宣言を出す法案を議会に提出しても、すべて否決する。経済活動でも議会が妨害の限りを尽くす。見ていて苦しくなるばかりだ。
 人民連合勢力の中では、政府は人民勢力に武器を渡せと要求する声も出てきていた。だが軍部は各工場を徹底検索して武器摘発を続けていた。だが武器はいっさい出てこなかった。軍部は、労働者は武器を隠し持っている、武装闘争に出ようとしているというために、墓場まで掘り返した。その状況の下で、わずかな武器をもったとしても、ファシスト武装勢力と対等に戦うことなどできず、逆に大弾圧と軍部クーデターをよびおこすことにつながる。だから人民連合は最後まで平和的なたたかいに総力を挙げた。クーダタ―を抑え込むために。その努力には胸が詰まる思いだった。
 だがバルパライソ沖で米チリ共同軍事訓練をしている海軍が、9・11早朝、クーデターの火ぶたを切った。この日は、アジェンデ大統領が、国民投票を呼びかける予定の日だった。戦闘機が大統領府の上空を飛び、爆弾をつぎつぎ落とす。放送局も占拠される。大統領府が燃え上がる。街頭は制圧される。労働者は暴力的な検索を受ける。アジェンデ大統領は、最後まで屈服しないとの声明を発する。チリの労働者の闘い、組織力には脱帽だ。
 第3部「民衆の力」はクーデター後のことかと思ったら、そうではなかった。監督自身がかろうじてフランス亡命に成功したのたから、クーデター後の撮影は不可能だ。ピノチェト軍部独裁の下では、1ミリのフィルムも回せなかった。それに比して、クーデターに至るまでは右翼ファシスト、資本家団体、右派野党議員の動きだけでなく、人民連合諸勢力の闘い、労働組合や地域の住民組織の動き、工場での労働や討論に至るまで実に豊富な、チリ革命の過程をパトリシオ・グスマン監督は映し出し、後世に伝えた。すでにあれから43年たった。これほど詳細な、内部に立ち入ったチリ革命映像を知らない。
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