2014年12月6日(土)
八坂神社より
田園地帯を比奈窪(中井町役場)方面へ 徐々に雲が増えてきたような・・・
中村川沿いを歩きます。 台山のある丘陵地帯と中村川の間の狭い地域を北上するだけなので、前方の様子を見ながらかなり適当に歩く事ができます。
右手台山方面 川沿いからでも、丘陵地帯は近い距離にあることが分かります。
JR東海送電鉄塔(西相模-平塚51号)の脇を
上流方向に歩くのですが、川沿いの道はとても快適です。
中村川はここで藤沢川(右)と合流します。 右寄りに見える橋は藤沢川に架かる田尻橋で、本流の中村川(左)には滝ノ前橋が架かっています。
田尻橋の脇でこんな指導標を見つけてしまいました。 普通に歩いていればこの文字は見えないのですが、見てしまうと気になります。
田尻橋の少し先で右折(カーブミラーの下に指導標あり) 急きょ五所八幡宮は後回しにして弘法大師堂へ 距離不明が気にはなったのですが、せいぜい丘陵の縁辺りだろうと・・・
路線バス運行道路に出ます よく見ると、中央石垣の上に【 弘法大師堂→ 】の指導標あり。 逆方向なので、あららと思いましたが・・・頼りは指導標だけです。
変則的な四叉路 正面石垣に【 ←弘法大師堂 】の指導標あり。 今度は左方向へ
この坂を「宇塔坂」と呼ぶそうです。 坂を上り始めてしまったので穏やかならざる心境に(苦笑)
坂の途中に 「宇塔坂五輪塔 中井町教育委員会」
この五輪塔についての詳しい内容はわかりませんでした。
更に坂を上って行くと
左上に弘法大師堂が現れました。
弘法大師堂説明板より
この堂の中には石の弘法大師像三体が安置されている。 弘法大師(空海)は水脈を知る能力を備えていたという。堂入口の井戸も、弘仁年間(800年代)弘法大師が諸国行脚の途中、この地に休息して杖を立てたところ、清水が湧き出したと伝えられる・・・
右側の指導標にも注目しました。 指導標には【 一本松・富士見台休息所→ 】とあったのですが、この富士見台休息所は台山山頂から予定通りに進んでいれば立ち寄る所だったので、帰途はこの坂を下る事も可能だった訳です。 元々の予定コースはもう一つ北寄りの道でしたが・・・ いつかこの宇塔坂から歩いてみたいものです。
「弘法大師堂 中井町教育委員会」
弘法大師像
再び藤沢川沿いに戻って御堂橋(みどうばし)を渡りました。 橋の向こうにこんもりと樹木が見える辺りに五所八幡宮があるようです。
五所八幡宮(五所宮八幡神社)の前に立って
「五所八幡宮」(ごしょはちまんぐう)
社号標 「五所八幡宮」
手水舎
説明板によると、この神社は保元二年(1157年)比叡山の僧義円によって創建されたもので、後に、源頼朝の全国六十一ヶ所祈願所の一つに数えられている。源氏の再興に尽した中村荘司平宗平(たいらのむねひら)はこの神社を源氏の守護神とあがめ、中村・上中村の総鎮守にしたという。
例大祭(4月29日)は「かながわのまつり50選」、例大祭の神事「鷺の舞」は「かながわの民俗芸能50選」にそれぞれ選ばれている。
五所八幡宮 社殿
「五所八幡宮」 祭神は誉田別命(ほむだわけのみこと)他
神楽殿 かなり大きなものです。
狛犬 吽像
狛犬 阿像
天神社 祭神は菅原道真
五所八幡宮 本殿
度重なる修復の際に出た古い石材等を保存しているようです。
「八幡宮」 これは旧扁額
本殿真後ろに置かれた後三社
後三社の祭神
本殿後方に、さらに高みに向かう道
この先は墓地になっていました。
神楽殿脇の西参道から比奈窪へ
参道途中にあった梵鐘 説明板より
この梵鐘は寛永六年(1629年)の鋳造で、中井町最古の梵鐘。第二次大戦時、中井町で供出を免れたのはこれと井ノ口米倉寺の梵鐘の二つだけだったという。(中井町指定重要文化財)
西参道を下り
五所八幡宮西参道入口
五所八幡宮を後にして 中村川沿いを歩きます。
水田地帯の中を比奈窪へ 中井町役場が目前に迫ってきましたが、空模様の方もあやしくなってきましたね。
No.420
八坂神社より
田園地帯を比奈窪(中井町役場)方面へ 徐々に雲が増えてきたような・・・
中村川沿いを歩きます。 台山のある丘陵地帯と中村川の間の狭い地域を北上するだけなので、前方の様子を見ながらかなり適当に歩く事ができます。
右手台山方面 川沿いからでも、丘陵地帯は近い距離にあることが分かります。
JR東海送電鉄塔(西相模-平塚51号)の脇を
上流方向に歩くのですが、川沿いの道はとても快適です。
中村川はここで藤沢川(右)と合流します。 右寄りに見える橋は藤沢川に架かる田尻橋で、本流の中村川(左)には滝ノ前橋が架かっています。
田尻橋の脇でこんな指導標を見つけてしまいました。 普通に歩いていればこの文字は見えないのですが、見てしまうと気になります。
田尻橋の少し先で右折(カーブミラーの下に指導標あり) 急きょ五所八幡宮は後回しにして弘法大師堂へ 距離不明が気にはなったのですが、せいぜい丘陵の縁辺りだろうと・・・
路線バス運行道路に出ます よく見ると、中央石垣の上に【 弘法大師堂→ 】の指導標あり。 逆方向なので、あららと思いましたが・・・頼りは指導標だけです。
変則的な四叉路 正面石垣に【 ←弘法大師堂 】の指導標あり。 今度は左方向へ
この坂を「宇塔坂」と呼ぶそうです。 坂を上り始めてしまったので穏やかならざる心境に(苦笑)
坂の途中に 「宇塔坂五輪塔 中井町教育委員会」
この五輪塔についての詳しい内容はわかりませんでした。
更に坂を上って行くと
左上に弘法大師堂が現れました。
弘法大師堂説明板より
この堂の中には石の弘法大師像三体が安置されている。 弘法大師(空海)は水脈を知る能力を備えていたという。堂入口の井戸も、弘仁年間(800年代)弘法大師が諸国行脚の途中、この地に休息して杖を立てたところ、清水が湧き出したと伝えられる・・・
右側の指導標にも注目しました。 指導標には【 一本松・富士見台休息所→ 】とあったのですが、この富士見台休息所は台山山頂から予定通りに進んでいれば立ち寄る所だったので、帰途はこの坂を下る事も可能だった訳です。 元々の予定コースはもう一つ北寄りの道でしたが・・・ いつかこの宇塔坂から歩いてみたいものです。
「弘法大師堂 中井町教育委員会」
弘法大師像
再び藤沢川沿いに戻って御堂橋(みどうばし)を渡りました。 橋の向こうにこんもりと樹木が見える辺りに五所八幡宮があるようです。
五所八幡宮(五所宮八幡神社)の前に立って
「五所八幡宮」(ごしょはちまんぐう)
社号標 「五所八幡宮」
手水舎
説明板によると、この神社は保元二年(1157年)比叡山の僧義円によって創建されたもので、後に、源頼朝の全国六十一ヶ所祈願所の一つに数えられている。源氏の再興に尽した中村荘司平宗平(たいらのむねひら)はこの神社を源氏の守護神とあがめ、中村・上中村の総鎮守にしたという。
例大祭(4月29日)は「かながわのまつり50選」、例大祭の神事「鷺の舞」は「かながわの民俗芸能50選」にそれぞれ選ばれている。
五所八幡宮 社殿
「五所八幡宮」 祭神は誉田別命(ほむだわけのみこと)他
神楽殿 かなり大きなものです。
狛犬 吽像
狛犬 阿像
天神社 祭神は菅原道真
五所八幡宮 本殿
度重なる修復の際に出た古い石材等を保存しているようです。
「八幡宮」 これは旧扁額
本殿真後ろに置かれた後三社
後三社の祭神
本殿後方に、さらに高みに向かう道
この先は墓地になっていました。
神楽殿脇の西参道から比奈窪へ
参道途中にあった梵鐘 説明板より
この梵鐘は寛永六年(1629年)の鋳造で、中井町最古の梵鐘。第二次大戦時、中井町で供出を免れたのはこれと井ノ口米倉寺の梵鐘の二つだけだったという。(中井町指定重要文化財)
西参道を下り
五所八幡宮西参道入口
五所八幡宮を後にして 中村川沿いを歩きます。
水田地帯の中を比奈窪へ 中井町役場が目前に迫ってきましたが、空模様の方もあやしくなってきましたね。
No.420
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